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一生

人生観と死生観

啓示はあるか

2010-12-13 18:40:15 | 哲学
12月13日 雨
 クリスマスが近い。日本中がクリスマスで騒がしくなるが、キリスト抜きのクリスマスは子供だましだ。日本人の信仰心はこのところ最低の状態である。とは言うもののお正月など神社参りをしないと何となく気分が悪いという人はクリスマスが終れば神社に行く。なんとも信念裸子モノが見えない。
 さてそこで問題になるのがまことの信仰である。ただお題目のようにではなく、また教会通いの惰性からでなく、本気で神を信じるものはどこにいる?神を信じるとは神との間に交通があるということである。それは神の側からの何らかの啓示を受け取るということである。このことに確信がないと信仰は本物にならないのである。信仰の先達はそれが確かにあるということを示す。私もそれは経験した。信仰は決して絵空事ではないのである。

四国行きにそなえて

2010-12-12 19:07:26 | 哲学
12月12日 晴れ
 四国徳島に招かれて19日にお話をすることになった。その準備で今忙しい。徳島に行くのははじめて。健康の許す限り、働きたいと思っている。
 私は戦争の最中に育ち、戦場に行く前に戦争が終って、生き延びることができた。その後戦後の混乱のためにいろいろのことがあった。貧しさを経験し、姉妹の死も見た。大学に入ることに家族が協力してくれたのはありがたかった。心から感謝している。
 人生の総決算が近いことである。四国ではキリスト教の集会で話すことになる。わが心の思いをそこで吐き出し、生涯の感謝を述べることになろう。

クリスマス・カード随想

2010-12-11 19:48:35 | 哲学
12月11日 晴れ
 クリスマスの月に入るとカードのことで心の一部が占領される。年々数は減ってくるが、外国で世話になった人たちには欠かせない。ちょっと心配な人もいる。ご主人の名前でなく奥さんの名前で来るひとのこと。もしかするとご主人に何か起こったーたとえば難しい病気とか、あるいは精神的にダメージを受けたとかーそのようなことが頭をよぎる。確かめたいと思いながら延び延びになっている。ずい分張り切って仕事をして、国際的にも有名であった人だ。私のことを後で評価してくれていたのだが・・・。もうひとりは早く奥さんを亡くし不自由な暮らしをしていたらしい。家を売り老人ホームに入るとかいっていたが、新しい住所連絡してもらっていない。後のひとりは子どもたちが独立し、奥さんと静かに暮らしていて心配ないようだ。
 年をとるといろいろなことが起こる。しかし望みを失わず前向きに暮らしたいものだ。

まことの神と友・兄弟への愛

2010-12-09 19:04:49 | 哲学
12月9日 雨のち晴れ
 東京で動き回った後だからよく眠った方だ。不眠症などといっていたのは結局運動不足ということに帰着するのではないか。それが分かっただけでも今回の旅行は意義があったことになろう。人生思い込みではなく、動いてみて、すなわち身をもって体験することによって新しい局面を切り開いてゆくのだ。うじうじと愚痴をこぼすような思索はまったくいただけない。消極的になることは敗北である。積極的が人生を救うとは事実である。
 さてキリスト教でもっとも大切な命題は何かとイエスが問われたとき、神を愛すること、そして隣人を愛すること、の2点を答えられた。イエスは普通ではとても考えられないほどの天才で膨大な旧約聖書の中でもっとも大切なものを直観しておられたのであった。キリスト教の神は唯一神でどこまでも人間の真実を要求される。人は恐らくその要求にまともに答えることは不可能である。本来人間はずぼらでいい加減で、神を見上げるよりはもっと現実的なこの世のことに目がいってしまい、きょろきょろと落ち着きがない。だから神は人間に苦難を与えて訓練なさるのだ。この訓練はきついことが多く、その過程で人は自らの罪を自覚して苦しむことになる。そしてイエス・キリストの贖罪の愛に気がつくのだ。イエスを通して神をはじめて仰ぐことができるとは体験的事実である。そのような体験を通して信仰に至ったものは、神を仰ぐことの大切さと同時に、隣人を愛する愛に目覚めるのである。これは仏教的世界観・人生観と比べ、より積極的色彩を帯びるように思われる。この世のことにも対処する姿勢がはっきりしてくる。慈善事業やその他の救済事業などへキリスト者の関与が目立つのである。

忘年会シーズンに

2010-12-08 21:53:27 | 哲学
12月8日 晴れ
 今日は69年前太平洋戦争が始まった日。日本は愚かな戦争で尊いいのちを300万以上犠牲にした。そこから多大な教訓を汲み取ったはずである。右翼の人たちが新橋駅の広場で大声張り上げて政府を攻撃するのを横目に見て、いつまで経っても目の前のことにこだわり遠くを見ない人が多いことを悲しむ。
 さて忘年会のシーズンで日本エッセイストクラブの会合に出る。経済的に苦しい会だというが、クラブ賞の額は100万円と多い。しかし受賞者はあまり出席していないようだ。何か不合理ではないか。これを解決する方法はないか。会員が400名近くいて忘年会出席者が30-40名程度では少なすぎると思うのは私だけではあるまい。もっと会員が熱心になれるように改革することはできないか。

ワクチン禍被害者の会老齢化とどう向き合う?

2010-12-07 08:37:34 | 哲学
12月7日 雨のち?
 今日東京でワクチン禍被害者の会。ワクチン被害者だけでなく介護する親兄弟の問題も重くのしかかる。
老いそして死に勝ち続けることの出来るものはない。新老人の会で老いを克服する生き方を提唱することは良い。しかしそれは畢竟限定的だ。生きとし生きるもの永久に生きるものはない。
 今日は長年にわたる会の解散の日。残念だが、会員老齢化、病弱のためやむを得ない。

ワクチン推進の問題

2010-12-06 20:01:18 | 哲学
12月6日 晴れ
 NHKはワクチン推進派にきわめて寛容である。分かりもしないアナウンサーがさも分かったかのように医学者と問答しているので、腹立たしい。今晩のNHKクローズアップ現代の話題。ワクチン後進国日本についてだ。ワクチン接種をしていれば助かったかもしれない子どもを持った親たちが厚生労働省の前で気勢を上げている。その気持ちは察するけれども、逆にワクチンそのものによって生命と生涯を失った子どもたちの親のことはどう考えているのか。国から金をもらっているのだからそれでよいではないかというのであれば、ひどい話である。過去の予防接種は著しくだらしのないものであった。このことをどれほど反省しているのか、国は自ら進んで説明しようとはしなかった。だから事故も多発した。重い被害を受けたものは1000人を軽く突破している。こうして国が裁判に敗訴したからこそ、今の状況があるわけだ。
 それで新しく予防接種を推進しようと思えば、予防接種の効果をよく見極め、副作用の問題もできるだけ正確に把握した上で、判断しなければならない。ところが近頃の例で言うとインフルエンザ・ワクチンの効果の調査などまるでなっていない。神谷斉氏が班長をつとめた研究班の効果判定はまったく甘いもので、効いたかのようにいっているが、思い込みが烈しく、客観性に乏しいもので、あてにならない。こういう調査でワクチンを奨めてもらっては困るといわざるを得ない。
 ワクチンが何でもかんでも効くとはかぎらない。ワクチンに頼りすぎると本来の免疫力が落ちるという説もある。大した病気でなければ自然免疫で対抗するのが生体の本来の姿である。今の日本をワクチン後進国とは本当かどうか分からない。外国の調査もかならずしも鵜呑みにしてはならないのだ。


津軽人のルーツ

2010-12-05 17:14:49 | 哲学
12月5日 晴れ
 穏やかな日で暖かい。年末の恵みの日だ。
 今日の新聞記事に太宰治の娘の津島祐子本人の記事が出ていた。大きな写真もついている記事だった。彼女は自分のルーツについてアイヌと関係があるかも知れないといい、大陸の英雄たちとの関係も想像する。
 彼女のルーツは父方は津軽で母方は山梨県と聞く。東京暮らしが長いから、津軽のことはほとんど知らないだろう。彼女の写真の顔はアイヌ系の顔とはまったく違う。父の太宰治はいくらかアイヌの血がはいっているかもしれないが、主流はツングース系かと思う。津軽人の典型的な顔はツングース系で、どちらかというと小顔小柄な人が多い。私は葛西という津軽にゆかりのある人を知っていたが、その人の顔と津軽出身で雑学大学の学長氏の顔が同系統なのでびっくりした。秋田にも同系の顔があるが、秋田は中国系あるいは出雲系の混じりが感じられる人が多い。
 私の見解は前にも記したことがあるが、川口という人の書いた「メンタンピン」と有名な「東日流外三郡誌」を参考にしているが、後者は偽書論争の中に埋没しかかった。後者は後世に書き加えられた部分はあるが、全部が捏造などと考えるのはまったく考えすぎで、素人がこんな膨大な文書を作り上げられるとは常識からも変である。大部分が秋田孝季らによって集められたものであろう。この中に間違いも当然ありうるが、それは地道に調査して、区別すべきものである。偽書派の論理は黒白論議にこだわり過ぎもで非常識もはなはだだしい。

思い切った手

2010-12-04 14:00:57 | 哲学
12月4日 晴れ 強風
 政治の世界はややこしい。韓国に国宝級の宝を帰す法律が通らなかったなんて国の恥になるようなことでどうするか。協力しない野党は単なる騒ぎ屋か。混乱はいつまで続くか。国民が民主党に寄せた期待は大きかったが、今やそれはしぼみかかっている。
 こんなときリーダーは思い切った手を打つことが必要なのだが、その展望を菅総理はもっているとも思えない。小泉総理は問題もあったが、北朝鮮訪問で一気に国民の信頼を回復したことを思い出してみよう。あれは離れ業に見えたが、歴代総理の誰もできないことであった。拉致問題は一気に解決するかに見えた。しかし北朝鮮の返した人数はあまりにも少なく、死亡者の割合があまりにも多かった。日本側が怒りを覚えたのは理解できることであった。拉致問題はそれ以来ほとんど進んでいない。家族の怒りは当然だが、たとえいびつな社会であってもそこに適応して暮らす人間が何十年も経ってから急に故国に帰って然るべき地位を得ることはむずかしく、寺坂氏のように北朝鮮労働党の幹部クラスになれば尚更のことだろう。拉致されたというよりは救われたと思っている当人は帰る気などさらさらない。北には北の理屈がある。年月が問題をむずかしくしている。
 さてこのままだと政治不信はますますつのり、次の総選挙で民主党はますます苦しくなる。菅総理は思い切った手をうつことが必要だが、それは何か。

虎は死して皮を残し

2010-11-28 14:56:17 | 哲学
11月28日 晴れ
 「虎は死して皮を残し、人は・・・」とくれば、少し学のある人なら直ちに「名を残す」と来るだろう。有名なことわざになっているからである。人間この世に生まれてきて、先ず食べるために努力する。人口と就労可能な産業規模は簡単に一致するわけでないから、昔から若いものは一人前になるまで大変苦労したのである。そして何とか食べられるようになり、安定してくると、人は名を残すことに関心を持つ。それは単なる虚栄である場合も多いが、それだけで割り切れない子孫への戒めや、愛情の表現が含まれていることも忘れてはならない。そして内村鑑三が書いているように、家族とか身内同様のサークルを超えた世の中に対して、後世への遺物を残すという志、善意の志、あえて言えば聖なるアンビションもごく稀には存在し、それが世の中を進歩させ、清めることがある。功成り名とげた人は郷里の人たちに莫大な金を寄付したり、学校を建設したりする。ゆとりがあるからやってあげようということでその善意は大変けっこうなことである。少し大きな視点に立つことにすると、アメリカの金持ち、たとえばビル・ゲーツは慈善事業に莫大な寄付をする。大統領は任期が終わりに近付けば、歴史に残る政策や事業を企画したがるという。個人の周りの小さなサークルでなくて人類とその歴史が関心事になるのである。しかしアメリカの大統領ほどの人物になればその失敗のつけは途轍もなく大きい。小ブッシュはイラク戦争を始め、大変な数の死者をイラクにもたらし、またその経済を破壊した。それは地獄に落ちてもやむを得ないほどの犯罪だ。オバマ大統領は今でもその負の遺産に苦しんでいる。それぞれの人の後世への最大遺物は小さくても清い志にあると言うべきだろう。