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一生

人生観と死生観

温泉つき住宅の効果

2010-12-25 21:00:44 | 哲学
12月25日 晴れ時に曇り
 クリスマスの日。今年は多事多難。しかしなんと言っても夏の暑さはこたえた。高齢者は暑さに耐えられず、いのちを落とした人もいるようだ。
 さて私は今温泉付きの住宅の団地の一角に住んでいる。もともと長患いの次男のために生活の場をここに移し、何とか改善を計りたかった。しかし家が出来て引越しの直前に次男は亡くなってしまった。温泉は贅沢そうに聞こえるかもしれないが、いわきは常磐炭鉱の跡地で、方々で温泉を掘り当てることが出来るらしい。そんなに贅沢な話でもないのだ。
 温泉は成分が硫黄を主体とする単純なもののようだ。くせのない温泉成分といえるだろう。病院では温泉療法の指導をするところもある。ノンビリと湯に浸かることができれば、多くの病気は治ってしまうだろう。病は気からという言葉があるが、精神と肉体は峻別できるものではなく、相互に関係するのである。
 この住宅ではお湯を沸かすということが必要ない。天然の温泉が配管によって各家庭の風呂場に送られてくる。それをためて人間が入ればよい。犬を入れたい人は小さな浴槽を作ればよいのだ。ゆっくりと、気の向くままに長く湯に浸かるのは良い気分である。来し方行く末、考えるともなく思う時間は貴重なものだ。長生きの条件は物事にくよくよしないことだが、まさにその条件はクリアされる。私は長生きする積りだが、しかし人の寿命は神のみぞ知る。
 温泉の維持費は月12000円ほどと聞く。1日あたり400円ほどだから決して高くはない。まだこの団地には空地がかなりある。このブログを見て心が動く人は見に来るとよい。東京からの列車は2時間でいわき下車。団地の住人は東京、横浜などの移住者も相当多いといわれる。ただし生活のために車を使う必要がある。歩いてゆける範囲の店は多くはないからだ。

聖母の横顔

2010-12-24 17:01:44 | 哲学
12月24日 晴れ時に曇り
 ついにクリスマス・イブの時を迎えた。今日受け取ったカードはドイツミュンヘンのフランツ・バウムゲルトナーさん、台湾の黄定加さん、それに藤澤光さんからのものであった。世を去った充の写真の前に飾ることにした。
 聖母マリアは信徒の尊敬―崇敬の対象である。初代の信徒たちは迫害のもとに、強い家族的集団を作った。私はその結合の強さを新約聖書から読み取ろうとしている。イエスを生んだマリアのまとまった伝記はない。しかしイエス・キリストが十字架上に処刑されたのちに、当時の社会状況から見てマリアは恐らくイエスの弟のヤコブに養われたことであろう。しかし十字架につけられたときに、涙のマリアを見たイエスは弟子のヨハネらしい人物にマリアを母と思えと言った。そしてその人物はマリアを自分の家に引き取ったとある(ヨハネ伝19:27)から一時的に彼女を世話したのであろう。ヨハネの家はイエスの家と親戚関係にあったもののようである。マリアは何時亡くなったかの記録はまったくないが、イエスの弟のヤコブのところで、多くの信徒の尊敬を集めた。のちに聖母とあがめられるようになったことから、白髪になるまでの年齢までは存命していたのであろう、と私は想像している。ルカ伝2章にあるように、イエスがベツレヘムで誕生したということを捏造記事と見る後世の学者(岩波キリスト教事典)がいるようだが、彼女にそのようなことをする理由はまったくない。学者は詮索しすぎてまことにおかしなことを言うのである。無責任きわまりないことだ。記録されているようにベツレヘムは宿屋が混んでいて、両親は馬小屋に泊まり、そこでマリアはイエスを生み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせたということは根も葉もない伝説とは信じられない。単なる伝説ならもっと上等なところに生まれたことにすればよい。この話は実話が反映しているに違いない。なぜ疑うのか。
 聖母は控え目な人であったようだ。出しゃばらずに静かに自分の運命を受けた(ルカ伝1:46マリアの賛歌)。彼女はわが子を失い嘆きの母となった。しかしイエスの教えは広まり、ついに全世界に広まった。聖母を崇め過ぎることはないが、その横顔を思い静かにこの時を過ごそう。(それにしても母は強い。わが子の危機に対してどんなことがあっても守り抜こうとするのだ。そんな母の面影はどの平凡な母にもある。私の母のことも思い出される。)

生きものーその行進

2010-12-23 16:11:01 | 哲学
12月23日 晴れ時に曇り
 天皇誕生日の12月23日、休日を楽しむ人は多いだろうが、何しろ年末のこととて心忙しい気分であろう。長男は孫を連れて山形県小国の基督教独立学園に日帰りでかけた。彼の母校であり、何かと故郷のように思っているらしい。ここはキリスト教の学校で全人教育をやってくれるところである。朝日新聞やその他テレビで紹介され、全国的に有名になったが、田舎の学校であるだけに受験に不利なことは間違いない。長男も中学校のはじめごろまでは宮城県でもトップクラスの成績であったが、この学校を志望して不利を覚悟で入学した。お蔭で大学入試には二度失敗して三度目に医学部に入ったのだが、悔いることのない高校生活であったようだ。アクセク受験勉強しない生活に憧れる人は若者には結構多いのではないかと思う。この高校は生活費も高くないし、何より先生と生徒たちの間、生徒同士の親密さは他に比類を見ないといってよいだろう。
 さて表題の生きものの行進だが、進化論の発生は18世紀にさかのぼり、有名なラマルクやエラズマス・ダーウィン(チャールズ・ダーウィンの祖父)らが論陣をはったのち、19世紀になってチャールズ・ダーウィンが近代的・合理主義的な進化論を唱えたのである。生物は生存競争によって進化するというのがその骨子である。ダーウィン自身はその説が英国国教会の教義に反していると非難されることを恐れて、容易に発表できなかったのだが、ほぼ同様な見解に達したウォーレスの未発表論文を見て、学者としての決断をしたのであった。彼はウォーレスに譲られた形で進化論を発表したのであった。ダーウィンは教会を離れ、不可知論者になり、聖書にある天地創造説は採らなかった。その後の烈しい論争を経て、進化論は科学の世界で一定の地歩を確立した。しかしダーウィンは生命の誕生のことまで言及はしなかった。現代の進化論はたとえばひところ唱えられた木村資生の幸運者生存(ダーウィンの適者生存に対して)のような理論も越えて進んでいるらしい。その詳細は素人の私がここで述べることは差し控える。ただ進化論は最終的には生命の誕生と密接に関連することは間違いなく、何故、何時、何処で、如何にという問いは大変な難問である。ただ素人でも「いのち」は
あまりにもよくできていること、進化はどんなに精緻な説明をしても謎を含んでいることは分かる。そこに超越神の介在を見ることは科学と矛盾するわけではない。科学はHow を記述し、宗教はWhy を直観に訴えるといっておこう。生きものの大行進は止まることを知らないのである。人類も滅びのときが来るかも知れず、決して驕ってはならない。

年賀状の功罪

2010-12-22 19:36:44 | 哲学
12月22日 雨のち晴れ
 冬至、朝は大荒れ、のちに晴れて穏やかとなる。妻がそっと出してくれたのが冬至南瓜のおかずだった。入浴のあと年賀状の残りを仕上げてほっとした。
 毎年、毎年年賀状を書く。このことにどれほどの意義があるか。深く考えればむなしくなるだろうが、それほど拘ることでもなさそうだ。付き合うべくして付き合う機会の少なかった人に挨拶だけでもして、自分がまだ元気でいることを知らせる。それは相手にとってもいいことに違いない。また遠く離れて時に思い出すだけの過去の恩師・先輩・仲間に自分の存在を意識してもらうこともよい。少し煙ったい上司に挨拶だけしておく機会を与えてくれることもけっこうだ。
 ただしもらう側の立場としては、四角四面の挨拶が二三行あるだけの年賀状は面白くない。添え書き一行だけでもあまり改善されたとはいえない。面白くない年賀状は表の住所氏名だけ見ればこと足りる。絵の入った年賀状は出来のよいものとそうでないものとがある。工夫が凝らされているものはよい。毎年のものを集めて編集できるもの、しかもそこに味わいのあるものは貴重で、保存する価値がある。阪上先生のものはそんな貴重品であった。
 年賀状で時間を潰す、そのことが習慣の日本人、県末の風物詩とはいえ、これからは少しづつ変わってゆく兆しがある。それはインターネットによる通信だ。

神秘・怪奇と啓示的との差

2010-12-21 19:49:29 | 哲学
12月21日 晴れ後曇り
 今日本屋で見た雑誌は『ムー』という神秘・怪奇を扱うもので月刊誌のようで読者層はかなり厚いとのことであった。UFOの記事、古代東北のこと、外国の怪奇物語などをのせている。このような雑誌を見ると、いわゆるオカルトのおどろおどろしさがあって、現代知識人には馬鹿にされるに違いない。科学的根拠もなしに飛躍した論理が、病理的感覚・感情と混じり合って人を恐怖に陥れるのである。
 しかし聖書の教える聖霊なるものはどうもこれとは性質を異にするようである。科学的に説明できるようなものではないが、ある超越的な、先在的な力で人間の内部感覚に訴える点で、普通の感覚とはまったく違う。第六感というような直感的なものと仮に言っておこう。しかし狂った感覚とはまったく違い、醒めた理性の人にも迫ってくるものであり、きわめて合理的でもある。これによって普通は考え付かない大局的なこと、はるか時を隔てた先のことまで見通しを与えることができる。啓示的であって天才の直観と似た要素があるようだ。その大本は神聖な世界から来る、すなわち聖書的には神から来るとするのである。神ーキリストー聖霊の三位一体とはこのような消息から解せられるもののようである。宗教の分からない人にはむずかしいだろうが、これは極めて重要な聖書の概念である。
 私の解釈は上のようなものである。しかしもっと深い理解もあるかもしれない。私は今の時点の考え方を述べたものである。聖霊よ、すべての人にまことの行くべき道を教えたまえ。

喜びをもってするクリスマスに

2010-12-20 19:16:17 | 哲学
12月20日 晴れ
 昨19日、徳島の吉村孝雄の徳島聖書研究会のクリスマス特別集会に出席し、「クリスマスの証しー天上の音楽」という題で40分ほどのお話をした。私の持ち時間の範囲内で(1)矢内原忠雄が満州でいわゆる匪賊の襲撃から免れた体験や、私自身がドイツへ旅をしてその折種痘被害者と邂逅した劇的な体験から、世には奇跡や啓示はあるとするほか考えようがない場合があること、(2)人の心を創られた神に対する讃美は自ずから歌となる。讃美歌の故郷は天使の奏でる天上の音楽のようにとらえられる。(3)すべての知能を失ったかに見えた次男充が音楽を喜び反応を示したことは人間の心の深い原型を示したものである。人は神に生かされた存在であり、そのことが分かるまでは安らぎを得ない。このような主旨でお話をした。話下手な私だが、80名以上の人たちに対しそれなりに心は通じたと思っている。集会の人たちは心からの喜びをもってキリストの誕生を祝っているのがありありと分かる。最高に気持ちのよい会であった。聖霊の風が吹くという吉村氏の話も力強かった。キリストの山上の垂訓にあるように心貧しいものは幸いである。天国の祝福はこのようなものに与えられるのである。ありがたい会であった。私に使命がある限り働きを続けることができるように祈る。

切れるということ

2010-12-17 19:27:21 | 哲学
12月17日 晴れ
 またしても困った事件が起こった。取手で若者が包丁を振りまわし、バスに乗った高校生など十人以上怪我をさせたとのことである。生きてゆくのが嫌になっての無差別の傷害事件のようだ。秋葉原の無差別殺傷事件と同じ構図だ。こちらの方は死者が出ていないのでかなりおとなしい。普段は無口で人付合いの下手な若者らしいが、孤独の中で切れてしまったようだ。自分の中で堂々巡りして、どこかで沸騰点に達し、そこで意外と言うか、突拍子もない行動にでたのであろう。話をする相手でもあれば違う出口になり、こんなことにはならなかった筈である。それにつけても他人に対する関心ー愛のかけた日本の現状を憂える。思い出すのはあの盲目の歌手新垣勉のことだ。この人は沖縄出身、アメリカ軍人と日本人女性の間に生まれ、幼い時に失明し、さらに両親は離婚して、祖母に育てられ、苦難のなかで自暴自棄になり、両親を殺して自分も死のうと思ったという。たまたま教会に行って牧師と会ったときに、牧師が涙をもって自分の話を聞いてくれたので心の向きが変わった。回心してクリスチャンになり、音楽に打ち込むようになった。そして30歳を過ぎてから音楽大学に入り、歌手として活躍するようになったという。心の問題を無視した教育は意味がない。日本のもろもろの課題はこうしたところから始まっている。為政者だけでなく、教育者も、一般人も若者に対して責任があるのだ。

旅人の気持ち

2010-12-16 17:35:57 | 哲学
12月16日 曇り
 日本列島は寒波に襲われ、仙台の家の水道管の凍結が心配になった。水道の元栓を締め、家の中のパイプに溜まった水を抜く必要があるが忙しくて仙台にゆくことができない。今年中にあと2回くらいは寒波が来るそうだ。困った、困った。どうしよう。
 日本的な旅するものは目的もなしに行くいわば漂泊のたびに最高の味わいがあるという。そこで人生のはかなさ、定めなさを、詩情をこめて詠う。あの松尾芭蕉の奥の細道に倣うのだ。孤独な旅人は行きずりの人の優しさに慰められることを欲する。
 そのような旅もあるだろうが、主の証し人の旅は違う。地上の国とは異なる国を目指すもの。途中の人との付き合いは隣人の愛の確認。目を閉じる日まで希望は尽きぬものでありたい。

貧困への挑戦

2010-12-15 20:16:25 | 哲学
12月15日 
 貧困は人間にとって不幸と考えられているが果たしてそうだろうか。金持ちと貧乏人では一般社会における尊重のされ方が違う。それは事実だが、貧困は相対的な問題として取り扱わなければならない。基督教では幸いなるかな貧しいものよ、というイエスの言葉があるが、心の持ち方で貧者も幸福であることができる。金持ちの幸せは危うい。何代かにわたり金持ちであることはむずかしい。運命が富の永続を許さないことが多い。
 社会が貧しい時代はハングリー精神が盛んで、上昇志向が強いから、かえって有為の人物を生む。明治のころや日本の敗戦後のことを思い出してみるがよい。こういう時期に発展があり、成果をあがるのは不思議ではない。人材が輩出するからだ。
 世界的に見るとアフリカやアジアの発展途上の国は貧困を克服するために教育に力を注ぐのはよい。また互いに争うことはやめなければならない。互いに協調して知恵を出すことだ。そこに発展の鍵があろう。

一円の差で

2010-12-14 19:07:42 | 哲学
12月14日 雨のち晴れ
 赤穂浪士討ち入りの夜が来た。吉良上野介義央は不運の人である。江戸時代中ごろの庶民は仇討ちの突然さに驚き、そして浪士たちが長い長い、用意周到な準備を重ねたことに感動し、浪士たちを褒めたのだが、浅野内匠頭の振舞いの異常さにあまり関心がなかったようだ。吉良が一方的に悪者にされた可能性が高いと私は思っている。
 世間の評判というものはそれは℃当てになるものではない。今ガソリン・スタンドが減少することが社会問題になっているが、きびしい競争の所為だと言われている。一円でも値引きすればお客は集まる。本当はその数字だけの問題ではないはずだが、数字は単純明快、ドライバーはそれに惹きつけられる。スタンド側は値下げすれば利益は減るから、代わりの戦略を考えざるを得ない。なんかかんかと別の商売でやってくる。電池を早く換えろとか、フィルターが詰まっていますとか、あれやこれやと進めてくるのだ。商業主義というものはこういうものだと思い知らされる。
 それにしても世界中がこんなことをやっていてよいものだろうか?