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一生

人生観と死生観

電話修理の経験

2009-11-11 22:04:37 | 生活
11月11日 雨
 ざんざぶりの雨に見舞われ、しばらく経験してこなかっただけに困惑。
 昨日から電話の調子が悪く、まったく聞こえなくなった。携帯からかけてもうんともすんともない応答。NTTの故障掛に連絡。今どきの修理は電話相談スタイルで済ませてしまうのだ。あれこれ問答していると、相手のサジェスチオンにしたがって操作するうちに故障は治ってしまうのだ。技術立国日本の珍風景だと私は感心した。

夢の発明

2008-10-04 06:32:34 | 生活
10月4日 晴れ
 あき進む。北海道に青いリンドウ、東北の北八甲田に紅葉。天高く馬肥える時。私もこれから旅に出る。
 夢の中で羊羹みたいな和菓子を発明、ストライブを入れて売り出したら成功疑いなしというところで目が覚める。ヨーロッパ市場が相手だった。他愛もない事で大喜びするのが夢のひとつの特徴だ。悲しむよりは喜ぶ方がましだ。老齢化とともに単純になってくるのだろうか。

敬老と誕生祝

2008-09-15 20:43:19 | 生活
9月15日 曇り
 今日は敬老の日だが、明日の誕生日を今日に繰り上げたお祝いをしてくれると云う。言い出しっぺは家内と長男だ。後期高齢者になった今、だんだん生きる意欲は薄く、生き方そのものが淡白になっていることは事実としてどうしようもない。家内は「誕生日だからといってもう昔のように仰々しいことはやらなくてよいのではないか」と言う。こちらもあっさりしたもので、「それもそうだ。やらないよりはましだ。任せる」という。年寄り夫婦のやり取りはこんな風になって行く。
 そこで一家でドライブして太平洋の見える海岸に出、ホテルの屋上で打ち寄せる波を見ながら、昼食をとる。ブラボ!おめでとう!その後は海岸に下りて若者のサーフィン見物をする。 
「有難い、感謝だ」という生活は晩年の信仰者にとって静かで恵まれた風景を作ると思うけれども、若者には物足りないであろう。しかし今の世の中、殺伐とした事件がよく起こり、あの高度成長期のような一億総中流の幸せは失われつつある。少なくとも私たちがモデルを示しておかねばならぬと思い定め、ちょっぴり金言のようなことを教える。これだけでも敬老の日の幸せというものだ。

わが生活の希望

2008-08-01 17:12:18 | 生活
8月1日 うす曇
 生きるとは日常の些事をひとつひとつこなして、若者ならばより良い明日のために働くこと、壮年の人ならば家族のために、自分の会社や勤め先の団体のための仕事に励むこと、そして老年に達したものは社会から一歩身を引いて身の回りの小さなことに気を配り、他人に迷惑をかけないようにするとともに、余生を楽しむゆとりを持つこと。こんな風に思う人ガ多いのではないだろうか。
 いわゆる後期高齢者の仲間入りした私だが、いくらかの望みはまだまだ持っている。己の年齢を顧みてもうこれで頭打ちとは思わないようにしている。年の割にはまだ大望を持ち続けているのだ。誇るべきものとてあるはずのない私だが、私が若い時に無教会のグループに入って神に捕えられる経験をしたからであり、あのきびしい戦後と、さらに身に降りかかる社会問題としての予防接種禍を乗り切るうちに、聖書の学びを通じて、世のあるべき姿と、己のなすべきことを自覚させられたことによると思うのだ。苦労の多い世も神ともにあって歩むと思えば、苦労はかえって喜びにさえなる。日野原重明氏には及ばなくても私の希望が前途を照らす。何と感謝すべきことか。

7月の終り

2008-07-31 18:28:15 | 生活
7月31日 薄曇から晴れ
 今日で7月も終る。行事が多いように感じられたこの月であった。化学史学会の学術賞受賞があったからに違いないが、私を推薦してくれたS教授と裏方できっかけを作ってくれたM教授には心から感謝である。今回の受賞は前にも書いたとおり私のためでなく、小川正孝のためであるが、賞はオリンピックと同じく、4年に1回である。ところで夏はとかく食中毒や感染症が起こりやすいので、年配のものには要注意である。今朝烈しい下痢が明け方に襲い、それから午前中に8回も水のような便が出て病院のお世話になった。どうも仙台で食べたカマンベールのチーズが悪かったように思う。ただし胃腸に来る風邪も流行っているそうだから、そちらなら他人にうつさないようにしなければならぬ。仕事の計画は小休止。

親子の日感謝

2008-07-27 19:47:30 | 生活
7月27日 雨のち曇りのち雨
 何故か親子の日、私はその由来は知らない。親子の縁は深く、歴史のはるか彼方まで続いている。生命の始まりの時までさかのぼる神秘を秘めたものだ。
 今日は康一家が私の学会賞記念に夕食会を開こうというので、小名浜に出かけ、暫く散策の後、この地お得意の海鮮物のレストランに行って、パーティーを催した。
 幼い孫たちにどれほど意味が分かるかは知らないが、このようなことがいくらかでも記憶に残ればよいのではないかと家内も言い、レストランでご馳走を少量食べることにした。インスリン注射を続けながらの会食参加である。生きていることはいのちの賛歌を歌い続けること、神様の恩恵に感謝すること、小さいけれどさいわいなひと時を過ごして帰宅したのであった。

人生の哀歓

2008-07-25 14:28:01 | 生活
7月25日 曇りのち多分雨
 雲行きがおかしいので午後は雨になるだろう。客人を迎える準備をする。
 多くの人がそれぞれの人生論を持ち、生きるための工夫をしているのは勿論それでよい。人生は限りがあるからこそ、その日その日を精一杯生きようとするのはそれでよい。そこで出遭う人と事件はその人の物語を作る。
 幼いときこの世は親の保護のプリズムを通して見る。未知のことが多く、その果ては恐怖の空間である。嬉しいことも、怖いことも、経験が彼の成長の糧となるのである。
 成人してからも人は本当に自分の目で見ることはなかなか容易でない。しかし一度要領を覚えてしまえば、この世界のいろいろな仕組みが見えて面白いことが分かる。詩人の感性を豊かに持っている人ならそれを表現してみたくなるに違いない。芭蕉のように十七文字に世界を閉じかめることができた人もいる。人生の哀歓は小さいようだが貴重なものである。積極的に大事にしなければならないのだ。

地震のなかで

2008-06-16 21:03:34 | 生活
6月16日 晴れ
 6月14日の朝、仙台に行っており、たまたま岩手宮城内陸地震にぶつかった。仙台のわが家の二階は大揺れであったが、本が本棚から落ちるほどでもなく、暫くしておさまったのでほっとした。それから地震の詳しい情報がはいるにつれ、震源地付近の被害は大変なものだと分かって愕然とした。死者、行方不明の人たち20名前後の数になると知る。中国四川の大地震といい、何か地球が怒っているかのような思いにかられた。被災した人々は気の毒なことである。
 地震、雷、火事、親父、怖いものの代表として言い習わされている。近頃は親父は怖くなくなったので竜巻でも入れようかというものがいるが、アメリカならいざ知らず、地球温暖化の途上の日本ではまだそこまではゆかぬ。怖いもののトップはやはり地震ということになろうか。

運動不足ではないですか?

2008-06-10 20:59:25 | 生活
6月10日 晴れ
 暑い日になって、今年初めてマイカーにクーラーを入れた。近所を散歩するのみで運動らしい運動をしなかった私だが、今日は駅に切符を買いに行ったり、序でに美術館に池田満寿夫展を見に行ったりで、随分歩いた。いつもの10倍以上は歩いたのではないかと思われる。おかげで血糖値測定の結果は今までにないほどよい値になった。それで悟った、やはり運動は必要不可欠と。
 全国の糖尿病患者の皆さん、血糖値の数字に一喜一憂する気持ちは理解できるがそれよりも生活の根本を省みることが必要ではありませんか?

童謡、心の故郷

2008-06-07 17:45:15 | 生活
6月7日 晴れのち曇り
 インスリン注射を始めて1週間が経ち、なかなか忙しく、試行錯誤の期間であったが、なんとか無事に過ごした。血糖値低下のアドベンチュラスな出来事も2回、
生命の危険というほどでなく気がついて手当てをしてことなきを得た。私がはじめ
薬物依存みたいでと言って嫌っていたインスリン注射だが、睡眠に影響があることは確かで、始めのころは心地よくも感じた。しかしその後はいつも快眠とはゆかず、うつらうつらと眠さが残りボーっとしている。ここのところを工夫して、QOL
改善に努めたい。
 そんなことを思っている時、テレビの童謡番組に聞きいる。童謡は心の故郷、単純で技巧を凝らさない日本の歌がいい。「サクラ、サクラ」に始まり、「今は山中今は浜」、「ただ一面に立ち込めた」(牧場の朝)などなど気分を和やかにする歌の数々、有難うと言いたくなるのだ。野口雨情がいわき市湯本に二年も住んだこと、そして野口雨情記念館が出来たことなど初めて知った。肩肘はらず、童心にかえって歌に聞き入る時もまた楽しからずや、である。