goo blog サービス終了のお知らせ 

一生

人生観と死生観

眠れないとき

2010-06-23 21:03:59 | 生活
6月23日 雨のち曇り
 眠れない日が続き、脳の活力低下。発表を前にして緊張があるためか?もう慣れたテーマなのでそんなに緊張する必要もないはずだが、私の損な性分でやはりそうなるのか?もっと暢気になってみることはできないか?
 まあぶつぶつ言わずに横になってみることだ。ベッドは疲れた人の天国になって、待っていると思え。夢を見るときは楽しい夢を見たいものだ。今日もまた、試行錯誤の夜がここにある。記録でもつけてみるか。自分を放棄して、お任せすれば楽になる。
 ああ、よき眠りを!

病院にて

2010-06-18 16:15:32 | 生活
6月18日 曇り 
 老齢に達すれば病院通いも多くなる。命にかかわるようなことでないのがまだ幸せというものだ。今朝行ったのは鹿島病院皮膚科である。長年の持病で掌せき膿疱症(手足に水疱ができ皮膚を荒らす、一種のアレルギー性皮膚病)を患っていたが、どこのお医者も治せないで今日に至った。今日のお医者さんは東京の慈恵医科大から週一回やってくる年配の自信ありげな人だった。前のお医者さんの処方では効かないといって、薬を全面的に変え、これでやって見ましょうという。お医者さんには悪いが、まだ私は自信がない。どうしてかというと、たとえ薬は効果があっても私の胃腸が受け付けない可能性があるからだ。今まで何度も経験してきた。強い薬は効果があるといっても患者に適合しなければ何ともならないからである。お医者さん、とくに大学で研究もやるような人は研究者としての顔があるので、患者の都合よりは研究それ自体の興味が先行しやすい。もちろんそのことは十分意味のあることで、ある患者に適さなくても次の患者に効けばよいということもあろう。医学の進歩のためにはそういう試行錯誤も必要だ。などなど、判っていてもまだ半信半疑、どうなることか。

高齢者運転免許講習

2010-06-15 20:19:53 | 生活
6月15日 曇り一時晴れ
 梅雨の小休止。今日は高齢者運転免許の講習、すなわちボケのチェックだ。馬鹿にしたような問題を出して答えさせる。今日は何年何月何日何曜日といったことを言わせようとするから、わざと英語を交えて返事をしてやる。しかし講習が始まるにつれて以前のような知力運動神経でないことを思い知る。傘寿を過ぎれば誰でも若いときのようにはゆかない。
 運転実技は項目が増え、難しくなった。交通事故、とくに高齢者のそれが多いのだから、それを未然に防ぐためにいろいろな予防手段を考えるのは当然のことである。
 それにしても車社会とは便利なようで、問題も多いので、今後は十分な対策を考えるべきことを思った。

定年後の働き

2010-06-07 20:52:31 | 生活
6月7日 晴れ
 人の一生はそれぞれに違うが、成功者も平凡な人も、あるいは落伍者と思われる人も子どもの頃は同じスタートだったのだ。それがいつの頃からか道が別れ、大人になるといっそう激しく枝分かれして、熟年期を迎えるのだ。生涯現役というような活動家は別として、普通の人は定年後は多くは自分の家庭で生活し、身の回りの自分にできることを実行して日を過ごす。病気や体が不自由などの理由がない限り、こうした晩年の働きは競争や、過度の欲得の思いから解放されて、恵まれたものになると感じている人が多い。
 私は定年後いろいろなボランテアの仕事があったので、暇とは縁がなかった。しかしお金になるようなものではなかったし、名誉というようなものでもなかった。一種の義の心に駆られてやったといえば、何か格好をつけているかのように思われるかも知れないが、私にとってそれが素直な、自然な道であった。振り向けば危ういところを通過したものだ。これは決して普通のことではなく、上なる神の加護があったとしか思えない。

病気と戦う。

2010-06-06 21:53:30 | 生活
6月6日 晴れ
 私に持病がある。手と足に細かい水泡ができ、皮膚を荒らす。悪化し、そして時には回復したように見えて、また悪化し、この繰り返しで、徐々に徐々に下り坂を下る。医者には通っているが、もう全快は難しいようだと匙を投げられた模様。
 人の運命は分らないが、それなりに尊い意味ある人生だ。一喜一憂せず病気を超えて最後まで生き抜く。道が開けるのかどうか神のみぞ知る。しかし神は決して悪いようにはなさらないことを信じる。
 健全な人にはこの記録は分かるまい。しかし人は病になってはじめて知る人生の意味がある。上を望みつつ、今のときの価値を知るべし。

さらば5月若葉の月

2010-05-31 16:48:40 | 生活
5月31日 曇り後晴れ
 5月最終の日。岩波から『図書』届く。
 午後から晴れ。爽やかな日となった。私たち夫婦はもう老年だが、隣に息子の家族がいることでどんなにか安心を保証されていることだろう。もともといわきに住むつもりではなかったが、息子が医者になっていわきに赴任し、近くに一大介護福祉施設があって、彼が勤務する結果になったのは天の配剤であった。私たちの元には重度心身障害者の二男がいて家内が介護に苦労していたので、長男が私の定年退職後、いわきに移ることを奨め、それが実現することになった。老齢になるほど介護の生活は大変になるからである。残念なことに二男はいわきに移る直前になくなった。それも天命であったかもしれない。いわきに移り、私もこの施設に関係し、その理事の一員になっていくらかでもお役に立ちたいと思っている。人の運命は自分ではなかなか分らない。しかし何か大いなるものに導かれてここに至るという感想を持つ日々である。日の光の恵みに接し、また若葉のそよぎの中を歩み、5月を惜しむ。

老人ー若い女性と話が弾む

2010-03-18 16:14:17 | 生活
3月18日 晴れ後曇り
 今日は彼岸の入りとか。家内は始めての、本人によれば生涯ただ一度の、本格的句集になるとかで、高知から届いた校正刷りを一心不乱で校正を終わり、郵便局まで行って速達便を出した。簡易書留だそうだ。こんなに拘るのは二男の36年の重症心身障害者としての一生を弔う気持ちからであろう。彼は予防接種禍で幼いときに災難に遭い、家内にとっては辛い体験だった。
 さて私はもう傘寿を過ぎた身で、誰とでも仲良くお話したいものだ。若いときは相手が若い女性だと上手く話せなかった記憶があるが、もう女性だってこの老人に警戒する人なぞいはしない。今日図書館で新米職員らしい人に新聞広告を見せて本の新規購入を奨めたら、直ちに反応あり、申し込みOKとなった。それからJRに行って切符の手続きをやっていたら、かなり長いこと見なかった女性がデスクに坐っていた。どうしていたか聞いたら、なんと返事は有難うのサンキュウではない。おめでたのサンキュウだった。お産で休みをとっていたとのこと。そしてまたクラブの女性事務員に電話で連絡、絶版の本の借り出しに成功。

早春の天気は

2010-03-16 20:45:05 | 生活
3月16日 曇り時々小雨
 お天気は曇り時々雨が降る状態なのに、いやに暖かい。最高気温で昨日より9度も高く、コート要らずだ。何だか変な気分だが、明日は一転して今までの気温に逆戻りらしい。今日の天気がおかしいということであった。
 早春は天気が不安定だ。木の芽ぼこりという言葉があって、おかしな精神状態になる人もいるという。私がはじめて勤めたお役所の寮に入ったとき、年配のおばさんが二階の階段わきの一番良いところに陣取って若い寮生たちを監視するかのように住んでいた。詳しいことは分からないがいろいろ人生の苦労を背負った人らしく、陰気で、何かあると攻撃的になる人のようであった。若者はあまり近寄ろうとしなかった。孤独なおばさんはこの時期になると何やら独り言を言い出すのであったが、その意味は不明であった。私は間もなく寮を出てしまったが、彼女のその後の消息は知らない。
 人生悲しいこともある。幸福の王子のような鳩山首相は総理大臣になって世の悲しみを身近にしたであろう。良い人だがこの世の政治を総括する人としては心許ない。頑張ってくれることを望むが、いつまで持つか心配になってきた。支える人たちが投げ出さないように祈る。今日で半年の新政権の将来を思いつつこのブログを綴っている。

くわばらくわばら

2010-03-14 19:19:20 | 生活
3月14日 晴れ
 帰りの電車が常磐線のいわき駅に近付いていたとき、突如携帯電話が震動し、取り出したら、なんと地震の緊急速報。福島県沖で地震発生、震度5弱という。それから暫らくたって列車の放送があり列車は緊急停止した。何しろ速報は早い。列車の停止までの時間が間延びしていて、こんなことでいいのかと思われるほど。幸いにも被害はほとんど無さそうだ。しかし今までのところという条件付だが。昨日は仙台で震度4の地震があったばかり。東北地方の巨大地震が近いのでなければよいが。地震予知のグループは確率予報をするが頼りなく、限りなく100%に近くなるまでおどかし続ける。それでどうしたらよいかの具体的指示はない。何だか無責任だ。一般の人も慣れっこになって動こうともしない。おかしな話だ。科学者の驕りか、何時か批判を浴びることになりそうで心許ない。

一通の手紙

2010-02-05 20:29:38 | 生活
2月5日 晴れ
 寒波は続く。朝車のフロントガラスに霜が降っている。お湯をかけて溶かしたまではよいが、今度はそのお湯が濡れたガラス面に凍りつく。いや、想定外のことで参った。
 今日きた手紙で長年いのち像を囲む集いに協力してくれたI氏が、夫人のアルツハイマー病発症のため、外出がままならなくなったよし、今後は集いに出席困難とのことであった。発足以来13年、私たちの会も老齢化が目立つようになった。何とか若返りを考えなければならない。それにしてもこの長い期間に協力された方々にはとてもとてもお世話になった。深く感謝する。私自身も健康に問題を抱えるが、今は宮城県との交渉を決着させるまではがんばらねばならない。人生は平坦ならず。しかし苦あれば楽もある世の中と信じて進むべし。