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一生

人生観と死生観

帰宅

2007-06-21 11:55:12 | 生活
6月21日 曇り
 名古屋の学会から帰宅して以来、疲れて何もする気にならず、のうのうと過ごしている。体力、脳力の低下だ。
 よいこともあった。人は動かねば、ことに遭わねば本当の知識を広げることはできない。学会は出会いの場であった。
 お世話になったT 先生が亡くなったことを聞いた。淋しいことである。私の恩人なのだが、最期は認知症であったという。人に優れた才能の人でも、先は分からないものである。天国の幸せを祈る。

旅立ち前

2007-06-14 14:17:39 | 生活
6月14日 くもり
 これから雨になるらしい。梅雨模様の日本列島の雲行きは西から東へ変化しつつ、この国に季節相応の暑さと湿気をもたらす。
 旅は構想しているときが一番だという人もある。旅立ち前の慌ただしいときに、間に合わせの仕事をやってのけようとするのは愚かかもしれない。しかし私はそこに一種の幸せと詩情を感じている。之から西へ向かう。むかし都人は、白河越えに詩情をかきたてられた。その逆のコースをたどるのだ。
 旅はロマンを呼ぶとは限らないが、その心掛けでおれば収穫もあるかもしれない。行こう。ささやかな一人旅に!

善意変じて

2007-06-12 18:49:41 | 生活
6月12日 晴れ 暑ウーい日
 近頃新聞を賑わしている介護事業不正事件、グッドウィルがいい加減なことをやって厚生労働省の指導を受け経営破綻の危機に瀕している。結局困るのは介護を受けている人たちとその家族だ。
 また厚生年金関係のずさんな事務処理で宙に浮いた何千万件という保険料の問題もある。
 政府自民党があわてるのも当然だが、困った国民は怒り出し、今度の選挙は自民公明与党の大敗北になりそうな気配さえ感じられる。
 善意の政策もきっちりしたフォローアップがなければ混乱のもと、その混乱を鎮めようとあわててことをなせば、混乱の上に混乱を重ねるだけだ。
 それにつけても善意から始まったことでも時間とともに変質する人間の業(ごう)みたいなものは恐ろしい。

お墓の前で

2007-06-11 11:22:36 | 生活
6月11日
 昨日の日曜、充の7周年、お墓の前で記念式。馬場さん一家と大森美知子さんもも参加。またまた思い出したように烈しい雨、祈る言葉も途切れるほどだ。
 「千の風になって」の曲は新井満のものがとても有名になった。泣かないでと詩人は言うが、お墓の前で泣かないでおれる人はよい、普通の人はやっぱり泣きたくなるのだ。

年金問題

2007-06-06 10:01:03 | 生活
6月6日晴れ
 年金問題が今マスコミの話題を賑わしている。直接年配者の生活に関わるだけに切実みがあり、われわれ年金受給者には政治の中で一番大事な問題だ。間もなく定年を迎える人も多い。お役所、政府はしっかりしてもらわねば困る。
 年金が一般的でない時代もあった。年老いれば姥捨て山に行かねばならぬという時、その恐怖と悲しみはいかばかりか,想像するさえおそろしいというものである。それに比べれば今はよい。
 責任追及の声はかまびすしい。それは分かる。しかし国民全体に関わる一種の保険的保証制度である年金の事務が恐ろしく大変だろうことも想像がつく。事務をやる人の大半は真面目な人と思うが、不心得者もいて今日のようなことになった。また複雑な路線をどうやって統合するかの問題も絡まり、難しすぎて事務をやりたがる人がいなくなる恐れさえある。
 こういうときには結局バサッと大鉈を振うしかなくなる。不利になる受給者もでてくる。それでもこの制度を維持するためにはやむを得ない。
 本当に困ったことだ。

南原先生の親切

2007-06-05 10:14:53 | 生活
6月5日
 矢内原忠雄のことを書いたので、その東大総長前任者の南原繁のことにふれる。この人は内村鑑三に師事した矢内原の兄弟弟子としても知られている。南原が東大を辞めていた頃(1950年代の終わりごろか)ある貧しい青年が人生に行き詰まって(彼には職もなく、精神病の家族を抱え極端な不幸のなかにいた)南原に手紙を書いた。南原はそれを見て同情し、水戸幼稚園をやっていた松本文助氏に近所だからなんとか面倒を見てやってくれという主旨の手紙をよこした。無教会の集会メンバーで世話しようということになった。T氏がT村の職場を見つけ、この青年は私の職場の中での清掃管理に当たることになった。ところが同僚とのよいコミュニケーションがとれず、苦しんでいた。私も何とか彼を励まそうとしたが、結局うまくいかず、彼は勤めをやめ、われわれの視野から消え去った。今もこのことを思うと胸痛む思いとともに、人には人それぞれに合った環境がいることを痛感する。

藤林益三元最高裁判所長官

2007-06-03 07:47:52 | 生活
6月3日 はれ
 昨日の朝日新聞に藤林益三氏の追悼記事が載った。亡くなったのは4月24日、100歳であった。年齢に不足はないとも言えるがやはり人の死はさびしい。
 この人は塚本虎二の門下の無教会キリスト者で、幼くして父を失い、苦学して弁護士になった。人の苦労が分かる人物であった。
 私はある人の紹介でこの人に予防接種禍児のことを、とくに充のことを相談したことがある(といっても手紙に書いたのだが)。返事は懇切なものだった。ご自分も奥様の介護に苦労されている様子を率直に書かれ、こちらも恐縮した。
 朝日の記事には、最後は徒な延命を避け、自然に往くことにした有様が淡々と書かれていて、かえって印象深かった。人間死ぬときはかくありたいものだ。年とってから体に故障が増えてゆくのは当然の運命だが、水の流れにまかすように最後のときを迎えられる人は幸いである。

体罰と教育

2007-05-26 17:52:09 | 生活
5月26日
 教育に体罰はいけないというが、幼い子に良いこと悪いことを教え込むのに、わがままを通そうとして言うことを聞かなかったら、そのお尻を叩いてでも親が意志を示す、感情的にではなく正邪の道理はこうだということを見せるのである。
 小学校では一切体罰はしないことになっているらしいが、それでよいのだろうか。友達に腕力を振い怪我させても、じわじわと反省させるというようなことでは、またカッとなって暴力を繰り返す子がいるに違いない。古い教育を受けた私には愛の鞭は必要としか思われない。
 やってはいけないことはどこまでも制止するのである。

Class Reunion

2007-05-20 16:04:26 | 生活
5月20日 孫の誕生祝
 五月のこの日は晴れてやや暑いくらいだ。13年前石巻で生まれたときは初孫だったから喜ぶばかりだった。幼い子はその成長過程そのものが希望である。いろいろのことはあったがすこやかに成長して今は中学1年生になった。さいわい友達も出来て、仲良しの家に遊びに行ったり来たり。
 これからの子どもたちの未来が開かれるように。平凡だがこれが祝いの言葉。

孫の通学

2007-05-16 10:55:07 | 生活
5月16日 晴れ
 今朝もMの通学を車で送る。6kmの道のりはもちろん徒歩の範囲を越える。送迎が必要になったから、私も目覚まし時計をかけても早起きする。朝は気持ちがよいものだ。今の時期は緑も美しく、空気もさわやか、道路わきの田んぼから蛙の鳴く声も聞かれる。
 学校に着く。孫は友達の到着を認めると転がるように車を降りて、そちらの方向に。中高一貫校でも勉強を競うだけでなく、人間を養い、人間関係を大事にする教育をやって欲しいものだ。