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一生

人生観と死生観

充は千の風になって

2007-05-14 09:49:42 | 生活
5月14日 晴れ
 仙台に滞在したためブログの休暇となった。仙台で5月12日いのち像を囲む集い十周年記念の会を実行、感銘深いものがあった。午前は音楽の部、緑さわやかな宮城県中央児童館の裏庭でいのち像を前に歌の数々が捧げられ、とくに三野宮さんのソプラノが印象深かった。彼女は康の作曲した「千の風になって」を熱唱し、聴衆は深く心を動かされた様子であった。もう地上にはいない充だが、千の風になって人々の上に吹き渡る。
 そして午後は広瀬川沿いの仙台市国際センターでの祝賀会、ドイツの彫刻家イングリット・バウムゲルトナーさんの祝辞がすばらしく、感激させられた。ところを遠く隔たり、民族の違いはあっても、人の心は同じ、彫刻制作者のご好意に報いたい。
 講演会では児童精神科医の佐々木正美氏のお話を聞く。現代日本の子どもたちに迫る諸問題、いずれも捨ててはおけぬ大事なものであった。ありがとうとごめんなさいが言えない子どもたちは物質的繁栄の末に魂を失った日本人の象徴である。そうだ。人の心は物質だけでは充たされないのだ。心の飢え渇きを正しい道に導くことこそ政治的、社会的、思想的、宗教的課題ではないか。どうか日本に21世紀をリードする人材が出るように。講演を聴いてこのような願いが湧き起こるのを抑えることが出来なかった。

五月十日

2007-05-10 17:02:58 | 生活
5月10日
急に予定変更して夕刻仙台へ。
いのち像の集いのため準備をととのえる。
人生何が起こるか先のことは分からない。この世界がいまのように継続するのか。人間はわがままになりすぎていないか。地球温暖化、気候変動、やがて食糧の危機、その日暮しの日本人に何が分かるか。考えよう。賢くあれ。自分ひとりさえよければというエゴイズムは破綻する。

連休最後の日

2007-05-06 21:02:58 | 生活
5月6日 ゴールデン・ウィーク最後の日
一日中雨。今週末の行事ーいのち像を囲む集いに準備が必要と思いながら、大した事もせず一日が終わってしまった。今年は講演依頼が3回。そのためにパソコンを使って液晶プロジェクターでの図表の発表が求められる時代だ。ぐずぐずとパソコンに向かい、画像の取り込みなど試行錯誤しているうちに時が過ぎてしまう。年寄りにはハードな仕事に思えるが仕方がない。IT時代だから愚痴は言わずに、前向きにとは思うが、いや予想もしないことになったものだ。

こどもの日

2007-05-05 08:04:44 | 生活
5月5日 こどもの日。 日本列島の東、先ずは晴れ。
 孫4人、健やかな成長を祈りたい。これからの日本は戦後の歴史を踏まえ賢く世界に羽ばたくのだ。日本人は日本人らしく、勤勉と工夫を積み重ね、ほかの国の人たちから認められるように。
 柏餅を食べたい。糖尿病でも、コントロールの範囲内なら、といって食べ過ぎる、子どものようになる特権も老年の恵み。90歳代で新老人を称する日野原先生は忙しくて食いすぎている暇もないらしい。食欲との戦いに勝利する秘訣は何か。人生の目標は老人になってもしっかりと定め、ぶれることがないように。
 一週間後のいのち像を囲む集いに備えるため今はいろいろと忙しい。適度な忙しさは人生の宝。

いのち像十周年によせて

2007-05-02 20:49:16 | 生活
5月2日 仙台で拾った風邪がやっとなおり、活動開始。
 いのち像設立十周年の行事を5月12日に行うことについて読売新聞の宮城版で取り上げてくれた。本来ローカルな行事でなく、全国的なものであるが、そこまでのPRはなかなか難しい。河北新報でも取り上げるつもりのようで、問い合わせがあった。主催者側として気が引き締まる。
 それにしても10年も続いている行事のかげに関係者の大変な労力が積み重なっている。感謝でいっぱいである。
 ここまで来れたのはやはり充をはじめとする被害児のいのちと生涯の犠牲があったからである。忘れられてはたまらない。どうか5月12日が祝福されますように。

ふたたび

2007-05-01 20:29:32 | 生活
5月1日 五月再びめぐり来る。生きている感謝を神に。
五月、詩人ハイネが
           奇跡のように麗しい五月
と歌ったこの五月。
 東京、仙台の旅を終わっていわきの地に戻る。
五月は今は亡き妹の誕生の月。戦後の苦しい生活の中で
栄養失調で、やがて結核に罹り、そしてひっそりと・・
生き残った私に彼女に対して何が出来ようか。
           「生きる」
彼女に捧げるものがこれしかない。
しかし『生きよ』とささやくみ言葉が聞こえる、その喜び。

クラス会

2007-04-19 11:30:41 | 生活
5月18日に大学時代のクラス会がある。よく言われるように、クラス会は熱心な世話人がいないと成り立たない。
ひどい時代を経験した旧制の新潟高校のクラス会もずっと続いているがこちらのほうは医者仲間が多いので毛色の違った進路を選んだ私はお客さんみたいになる。
大学も旧制だったし苦労の多い時代だったことは間違いないが、その後は比較的にたような経路をたどっている。大学の教師を勤めた者も数人。ひとりはアメリカに
永住、年取ってからは、クラス会には毎年のように出る。今年は東北大学創立百年で仙台で開催するということになったから、夫人同伴でやってくるという。
人は旅しても、心のどこかに帰巣本能みたいなものに突き動かされる。自分のルーツは?老年ともなれば先はそんなに長いとはだれも思わない。ドイツのある詩人が行った。故郷目指しての旅が人生なのだと。

教育問題再び

2007-04-17 10:29:45 | 生活
4月17日 朝は雨 孫の登校の忙しい時間爺(じじい)が少し手伝ってやろうとしゃしゃり出たのが運のつき。もう10日も中学校の送り迎えに精を出している。今朝はこちらが寝坊して危うく遅れるところだったが、何とかセーフ。
 それにつけても考える。現代日本の受験競争の過熱に驚く。昔なら高校生に読ませる本として書いた岩波ジュニア新書の一章が中学受験のためのテキストに使われている。つまり小学六年の受験用の勉強教材ということである。著者がびっくりしてしまう世々動きの早さ。それを進歩といってしまう前に、私は『待てよ』といいたい。
 スピードは時代の要請か。スピードは頭の良さの指数か。一寸待て。頭の良し悪しがスピードで表わせると思うのは早合点ではないか。東北大学の総長だった西沢潤一先生は、頭の強い人こそ必要だという。頭が強いとは創造性のあるという意味だろう。それは大なり小なり誰でも持っている個性的なものと言い換えてもよい。

教育問題

2007-04-16 20:58:46 | 生活
4月16日
教育問題についてどの国でも悩んでいるらしい。イギリスではサッチャー首相が義務教育に競争原理を導入し、ブレア政権は落ちこぼれ校のレベルアップにつとめたがうまくゆかない。成果を挙げたのはこれらの改革を無視して教師に創造性を発揮させた学校であったとのことである。子どもを愛し自分の個性に従ってよい教育につとめる、そういう教師を育てる学校こそが教育のあるべき姿である。テストの点数の高低だけにこだわり、東大はじめ難関校の入学者数のみをあげつらう週刊誌的興味が日本の教育を堕落させる。
さりとて現実に受験を控えた子を持つ親たちは迷いがある。モデルとなるよい学校をそれぞれの地域に作るために、親たちはともにやってみようではないか。

ありがたい友人

2007-04-15 14:33:25 | 生活
4月15日 横浜のYさんから5月12日のいのち像を囲む集い十周年記念に奥さんとともに出席の旨連絡があった。ありがたいことである。Yさんとは今から47年前に無教会キリスト教の伝道者だった矢内原忠雄元東大総長の聖書講習会にともに学んだ間柄である。同室にとまり、語った言葉の詳細はもう覚えていないが、長い人生航路でお互いに動静に関心を持っていた。彼は東レという化学会社のアメリカ法人の社長になり、日本化学会にも知名の人となった。私はその後予防接種禍のために苦闘した。いわゆる出世は出来ない覚悟だった。二十数年後、私が矢内原先生の弟子の冨田和久先生に招かれて、旧約聖書ホセア書の学びの中で自らの体験を語ったとき、彼は聞いてくれた。そして私は四,五年前に彼を仙台に招いて話を聞くことが出来た。聾教育に献身し、戦時下敵国日本にとどまって苦難をつぶさになめたアメリカ人女性の物語であった。まことのいのちとは何かを教えられたのだ。