私はヤゴです

水中から地上へそして空中へ飛び立つ人生を

ブットの暗殺

2007-12-30 23:01:11 | weblog
暮も押し迫った12月27日国内では薬害肝炎訴訟事案が、福田総理の政治的決断によって原告団と全面和解が成立し、久々の明るいニュースに接したと喜んだのもつかの間、海外ではとんでもない事件が発生している。
来年1月8日投票が予定されているパキスタン大統領の候補者ベナジル・ブット女史が演説中に過激派の爆弾テロの標的となって暗殺されたニュースである。
同女史の祖父はインドから分離独立する前のボンベイ総督や首相を、父親も73年には首相に就任している。彼女自身も88年から90年にかけて首相を経験した筋金いりの政治一家で、イスラム圏唯一の核保有国の「民主化」のカギを握る女性として期待されていた。
今回の事件はある日突然発生したものではない。10月に亡命先から帰国した際にも彼女が狙われ130余人の犠牲者が出、その後も殺害の予告がなされていた。こうした予兆があったにもかかわらずそれでもひるむことなく母国の民主化を訴え、無謀ともおもえる丸腰で街頭の選挙戦に挑んだその勇気と度胸にはただただ驚くばかりだ。
女性の身でありながら自国の安定と将来を思うばかりに現政権や軍部と対峙する姿は、ミャンマーのアウンサン・スーチー女史と並ぶ民主化運動家の双璧でもある。謹んでブット女史のご冥福をお祈りする。こんなにも命をかけてテロと真剣に取り組んでいる政治家に比して、新テロ特措法案を棚ざらしにし対岸の火事として国際情勢と向き合おうとしない日本の政治家を恥ずかしく思う。

死刑の存廃

2007-12-25 10:33:43 | weblog
国は昨年12月3名を今年12月4名の死刑囚に対して死刑を執行した。一方今年1年間の裁判で23名が死刑の判決を言い渡されている。過去には歴代の法務大臣が、確定していながらこの死刑執行に承認を与えないばかりに現在では100人余の未執行者が収監されているという。裁判員制度の導入を目前にしてそんな情勢を踏まえ、この死刑存廃論争がにわかに熱を帯びてきた。
そもそも死刑は、身体刑と並び中世(18世紀)以前には最もポピュラーな刑罰の一種として位置づけ、犯罪者を社会から抹消することだけでなく、見せしめ、報復としての機能も重要視され、各国が治安維持、統治の手段として取り入れてきた。それが近現代に至り人権という新しい概念の普及や統治機構の整備・改革が行われるにつれ死刑制度を廃止する国々が増えつつある。2007.9の世界動向では
 ・死刑を廃止若しくはその執行を停止した国  133ケ国
 ・過去10年間に死刑執行をした国       64ケ国
の数字が示すように廃止、停止の流れは世界の潮流にもなっている。
日本は現在この死刑制度は存続し運用されているが、一部政治家、弁護士、学者、文化人の中に根強い反対論者がいる。死刑のもたらす抑止効果や威嚇効果がみられず、オウムのような大量殺人をはじめとする凶悪犯罪が続発している現状にあってどのような論議がなされようとも被害者やその遺族の受けた精神的・経済的ダメージを死刑廃止によって癒すことはできない。死刑の存廃は、最終的には世論が決すべきものであるが、私自身改善不能な死刑囚は淘汰すべきであり、死刑は必要悪だと思っている。

流行語大賞

2007-12-21 10:34:22 | weblog
2007年ユーキャン新語・流行語大賞に宮崎県知事の発した「(宮崎を)どげんかせんといかん」と高校生ゴルファー石川遼君の「ハニカミ王子」が選ばれた。大賞からは漏れたがトップ10には、「(消えた)年金」「そんなの関係ねぇ」「鈍感力」「食品偽装」「ネットカフェ難民」「ワーキングプアー」等がずらり並んでいる。また、ちなみに今年1年の世相を現す文字は「偽」と決まった。
どのような選考基準(非公開)で選んだかはよくわからないが、こうして今年1年を振り返ってみるとあまり明るい材料がなく、暗いニュースばかりが目立っていることがこれらのことばからも伺える。世界的には加えて「紛争」「温暖化」「原油高騰」「サブプライムローン」等の要因がさらにこれに追い討ちをかけることになる。
ところで毎年恒例になったこうした新語・流行語に順位をつけ、賞を与えることがどれほどの社会的意味があるのか私にはわからない。
過去には流行語大賞として選考された語が、翌年からは使われなくなる傾向になるばかりか死語となって消えたケースはいくらでもある。また、言い出した人と受賞者が異なったり、受賞を拒否するケースも多くあるという。
「毒まんじゅう」「小泉劇場・チルドレン」「ブッチホン」など流行語というより、マスコミがつくり、取り上げ、騒がれた現象の度合いが大きいものほど大賞やノミネートにつながり易いことがわかる。結局、大衆の知らないところで選考された語が、マスコミの餌食となって大衆が踊らされることのないよう今後もしっかりと監視を続けたい。

水森かおり

2007-12-16 07:57:31 | weblog
私の好きな歌手のひとりに「ご当地ソングの女王」の異名をもつ水森かおり(本名大出弓紀子)さんがいる。感情をこめた伸びのある美声、魅力あふれる美貌、素直な性格・語りかけは好感がもて、抜群の歌唱力を誇る彼女の歌声を聞いているといつしかひきこまれ癒されてしまう。
1973年東京出身の彼女は、平成6年“山川豊妹分コンテスト”の出場をきっかけにスカウトされ、翌年「おしろい花」でデビューした。しばらく曲に恵まれなかったが、平成14年に出した「東尋坊」が転機となり、以来「鳥取砂丘」「釧路湿原」「五能線」「熊野古道」と名所や地名をタイトルにした曲が立て続けに当たり各地の町おこしに一役買っている。女性演歌歌手としての人気と注目度の高さが、水森効果にあやかろうと「次はわが町を歌って」と全国の自治体からオファーが殺到しているという。
過去には日本レコード大賞、有線大賞、有線音楽優秀賞等を軒並み受賞し、そして今年も「ひとり薩摩路」で4作連続オリコン総合チャートトップ10入りという女性演歌歌手としてはかつてない快挙を成し遂げた。数多くいる歌手の中にあって、トップクラスに踊り出た彼女の実力と人気はとどまるところをしらない。
現代の若者に欠けているもののひとつに辛抱、忍耐、我慢といった「耐える力」が足りないと言われている。自分の道を究めるためにブレず迷わずあきらめずひたむきに耐えてきた彼女の生き様を若者は少しでも見習って欲しい。一演歌歌手の歌声が日本中に響きわたり、疲弊しきった地方に活力を与え元気にしてくれることを祈り、彼女のこれからの活躍を願ってやまない。


徴兵制

2007-12-11 16:32:32 | weblog
自衛隊出身のシンガーソングライター沙Saori織(26)さんが「スカイラブ」を歌ってこの度デビューした。美人の彼女は陸自隊員として過ごした体験の中から多くを学び、今回発表した曲にはヘリコプターから見た景色など飛行隊にいたときの経験、日々の思い出がちりばめられているという。そんな思いを「災害派遣など命がけの現場でもそこに行くことができたことは、かけがえのない経験であり財産だった。私にとって一生ものの物語であり歴史でもある。」とコメントしている。若くして5年間の訓練に耐え抜いた彼女の根性と感性はこれからの歌手生活、人生に大きなプラスになっていくことであろう。
その一方、先日(11/28)宮崎県の東国原知事が座談会の席上「日本には徴兵制があってしかるべきだと思う。若者にはある時期、規律を重んじるような機関(例えば自衛隊)で教育することは重要だと思う。道徳や倫理観の欠落が、今の道徳の喪失につながっている気がする。」といった趣旨をオフレコで話したところ、これがマスコミのベースに乗り賛否両論の大騒動となった。同知事は戦争の賛美者でもなければ軍国主義者でもない。若者の礼儀、道徳、マナーが荒廃し、ニート、フリーターの増加とともにこどもが家庭内暴力から平気で親を殺める世相とあれば、同知事ならずとも言いたくなる。
無菌状態の温室で育ち高校から大学を経て社会の荒波に飛び込んでも「その場の空気が読めず」環境に順応出来ない若者が多過ぎる。私は東国原知事の考えには全く同感で、若者には前記の彼女の生き様を見習って欲しいものだ。

限界集落

2007-12-07 09:57:03 | weblog
「限界集落」とは、過疎化などで人口の50%が65歳以上の高齢者になり、冠婚葬祭など社会共同生活の維持が困難になった集落のことを指す。
中山間地や離島を中心に、過疎化・高齢化の急速な進行で国内にこの集落が増えつつある。こうした集落では、自治、生活道路の管理など共同体としての機能が衰えやがて消滅に向かうとされている。その数は国交省の調べで
・高齢者が半数以上を占める集落が7,873(12.6%)
・機能維持が困難になっている集落2,917(4.7%)
・10年以内に「消滅の可能性」「いずれ消滅」が2,641(3.8%)
で年々増加の傾向にあるという。
他人事ではない。明日はわが身の深刻な問題である。先般財政再建団体となった夕張市は2006年現在、65歳以上の比率が41%。市では最も高齢者比率が高く、財政再建前に市が消滅する危険性さえあった。高齢化と経済の衰退・社会保障費の増大は常にリンクしているからである。
昨日から始まった長野県議会に「森林税」の導入が論議される。年間個人から500円法人税の5%が徴収され6億余が森林の整備に使われるというもの。
多くの森林面積をもつ長野県にとって荒れ放題の森を野放しにせず、森林や水資源の保全・整備を進めることは環境保全、災害防止、雇用促進にもつながる問題であるだけに早急に導入をし、本県も「限界自治体」への仲間入りだけは回避してもらいたい。

謝  罪

2007-12-03 09:41:21 | weblog
歴代の総理大臣の戦争謝罪発言にはじまり政界、企業、スポーツ界から芸能界に至るまでその失言や不祥事に頭を下げ謝罪するケースが最近とみに多い。
1970年西ドイツのブラント首相が、戦争でドイツに占領されたポーランドを訪問した際、大衆の面前でひざまずいてポーランド人に謝罪した話はあまりにも有名だ。日本も今後、従軍慰安婦、南京大虐殺、集団自決といった事実関係のはっきりしていない問題について謝罪をするのかしないのか国の責任の有無を含めて明らかにして線引きすることが求められる。
謝罪とは、「誰」に対して「何」を謝り「今後」どうしていくのかを反省をこめてタイミングよく伝えることが必要で、それには情報公開をしながら原因究明と再発防止策が盛り込まれていることが絶対条件である。加えてどんなに反省をし、謝罪の気持ちがあってもそれが相手に伝わらないのはその場の態度、ことば使い、身なり等といった「伝える技能」がなければ謝罪としては有効ではない。
11月30日日本中を騒がせたスポーツ界の"ヒール"(悪役)の2人が謝罪会見を行った。言わずと知れた相撲界のドン「朝青龍」とボクシングの「亀田大毅」だ。それぞれ「1から出直し」「ゼロからのスタート」としているが、はたしてその反省、誠意、決意は伝わっただろうか。特に、亀田選手の場合あの程度の開き直った会見ならば逆効果だし、朝青龍と同じ日まで延ばす必要もない。むしろ「マイナスからのスタート」となろう。もっともこれからも"悪役"で売り出す積りなら話は別だが・・・