私はヤゴです

水中から地上へそして空中へ飛び立つ人生を

御礼とお詫び

2008-04-25 09:09:39 | weblog
ブログ投稿をはじめて丁度3年になります。初めて怒りを込めて投稿した記事がJR福知山線の列車脱線事故だったことが、昨日のことのように思い出されます。
めまぐるしく変る社会情勢を見ていると、これからなにが起きても不思議でない将来が不安な世の中になってきました。思いついた駄文をその都度投稿してきましたが、多くの方々に訪問、閲覧していただき感謝しております。ありがとうございました。
ちなみに、今年に入り私のブログに関し昨日までの閲覧状況は下記のとおりです。
       
       閲覧数        訪問者数
 1月   2,837       1,372
 2月   2,061       1,056
 3月   1,815         993
 4月   1,393         778

すでに昨年までの投稿記事は、「ヤゴ自嘲記」(Ⅰ・Ⅱ)としてまとめ発刊しました。現在第Ⅲ巻を発行するべく編集中ですので、勝手ながら5月の連休明けまで投稿を休む積りでおります。
再開のあかつきにはまた「お気に入り」に仲間入りさせていただき、お気軽に訪問され、ご批評をいただけますようお待ちいたしております。

エコドライブ

2008-04-21 10:47:46 | weblog
地球温暖化、大気汚染、石油高騰等に加え、CO2の削減目標から「エコドライブ」(環境負荷の軽減に配慮した自動車の使用)が、急遽社会的にクローズアップされている。政府も平成15年から「エコドライブ普及連絡会(局長級)・同普及検討会(課長級)」を設置し、全国の普及促進に躍起となっているが、なかなかその効果は挙がっていないのが現状である。
現在全国で走り回っている莫大な数の自動車から排出されるCO2や消費される燃料は計り知れないものがある。すでに国民生活の足として定着した自動車が環境に負荷を与えている情勢では、ドライバーは挙って協力しなければ目的は達成できない。
エコドライブは、広くは電気自動車などの導入をはじめ不要な暖気運転の禁止を含むが、燃費効率、経済運転の考えを実現するためにはなんといっても運転者個々の運転技術、とりわけアクセルワークの適否にかかっている。このエコドライブテクニックだけで、年間8万円の燃費が節約されたケースも報告されている。エコドライブは、単にこうした経済効果ばかりでなく温暖化や大気汚染さらには安全運転にも大きく寄与し、優しい地球環境を守る対策でもある。
不要な急加速を避け、オートマ車の場合ブレーキから足を離すと自然に前進する「クリープ現象」を有効に活用し、平地での運転はエンジンの回転数を2000回転未満に抑えるだけでも相当な効果が挙がるはずだ。50年近い運転暦をもつ私も、今日からそんな運転に徹したい。


聖火リレー

2008-04-18 11:32:47 | weblog
北京オリンピックの聖火リレーが、いよいよこの4月26日長野市を通過する。
今回は今まで通過した世界各国の都市で中国の人権問題をめぐって抗議・反対運動が起こりトラブルが各地で発生していることから、長野の警備も心配だ。もともと聖火は、ギリシャのオリンピアで採火される神火でオリンピックを象徴するものでもあるが、今回はこの採火式から乱入事案がありケチがついた。
元を正せば中華人民共和国によるチベットへの侵略と住民の大量虐殺をしたことへの対応で、中国政府への国際的批判がくすぶっていたところに、この度の「チベット暴動」が引き金となり北京五輪ボイコットへつながったにすぎない。相次ぐ国家元首の開会式不参加に対して、中国側は「五輪の政治化」と反発するが、人権とスポーツは「友好と平和の祭典」には密接不可分の関係だ。
この聖火リレーも1936年開催されたベルリンオリンピックでナチスによって導入されて以来オリンピックの一部として定番となっている。今度の北京オリンピックのリレーでも、世界113ケ国の都市・地域を経由するほか終盤世界最高峰のチョモランマ(標高8,848m)にも登頂予定になっている。
今回長野が通過都市として選ばれた理由は判然としないが、中国は国威発揚策として政治判断したのだろうか。それにしても気になるのは中国が送り込んでくる“聖火警備隊”(セキュリティーランナー)だ。彼らが守るのは五輪の精神ではなく国家の威信である。
主催国の力を借りなければ、この種の警備が出来ないほど日本の治安は乱れていないし県警察は弱くはない。断固断り安全な警備をして次のソウルに無事バトンタッチされることを願ってやまない。

メタボ予防

2008-04-16 10:16:27 | weblog
厚生省は、平成20年4月から40歳~74歳までの国民にメタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)を予防するため特定健診の実施を義務づけた。
「健康のためやせる」という個人的な課題に加えて、医療費という国家予算を大幅に減らす目的からだ。当面全国5600万人が対象になるようだが、こうした画期的な国家的取り組みは海外にはないことから世界各国の公衆衛生関係者からもうらやましがられている。
もともと内臓の周囲にべったり蓄積する脂肪は、肥満、高血圧、高血糖など複数のリスクが重なると心筋梗塞などの危険性は高まると指摘されていたが、医療現場では内臓脂肪を精密に計測できないのが現状であった。それがもっぱら脳卒中やガンなどの診断に使われていたCT(コンピューター断層撮影)スキャンによって、予想以上に各人の内臓脂肪層をくっきりとらえ計測できるようになり、断面積が100平方㌢以上あれば要注意という基準を導き出すことに成功した。1台数億円もするCT設置数は世界でもダントツでアメリカの3倍近くあるという。
メタボリックシンドロームの予防には、食事と運動は欠かせないだけに、どのように技術が向上し優秀な機材が整備されても、国民一人ひとりの健康に対する意識が高まり協力がなければこの目標は達成できない。
今回は政府主導のトップダウン施策ではあるが、具体的で分かりやすい努力目標が示されたのであるから強い動機づけになるはずだ。私も今年は「健康」を最大のキーワードに肥満ぎみの解消に努めることにしよう。

 高遠の桜

2008-04-14 10:32:22 | weblog
4月11日~12日友人家族と4人で高遠の桜見物に行ってきた。南・中央アルプスに囲まれた小さな城下町高遠、高遠城址公園は1500本のコヒガンザクラで覆い尽くされている。ここの桜は他に比べて色が濃く満開時には、公園全体が見事にピンク色に染まるところから「桜の三大名所」に数えられ、開花時は全国からの観光客でごった返している。
その昔400年余前の戦国時代。織田と武田との戦いの中、武田信玄の五男仁科五郎信盛は高遠城を死守したが織田勢に破れ割腹した。「高遠の桜が赤いのは、ここで散った信盛をはじめ3000の将士の血と情熱が乗り移っているから」と伝えられている。私たちが訪れた時は時期的に少し早くまだ3分咲きの頃だったが、紅色をした半開のつぼみが春の日差しをいっぱいに受けていたので、中旬には満開となりにぎわうことだろう。私は昭和28年、当時この公園内にあった高校に入学した。すでにこの学校も移転し跡形もないが、半世紀以上経ってこの地を踏んでみると変らぬ建物や木々に触れて、学生時代の旧友や出来事が思い出され桜の下で懐かしく当時をしばし回顧した。この桜も後何年こうして見続けられるだろうか。
桜鑑賞の後は、生家に近い長谷の民宿「みらい塾」で昼食。五平餅、山菜料理に舌鼓。上諏訪双泉の湯「朱白」に一泊。夕陽に映える諏訪湖を眼下に眺めながら屋上の露天風呂に浸る様は極楽そのものだ。「穂高山荘」では手打ちの日本そばをいただき、その帰り満開となった更埴森の10万本あんずを鑑賞し帰宅した。時にはこんな行き当たりばったりの無計画旅行もオツなもので結構充実、堪能した旅だった。

川内 康範

2008-04-10 08:56:31 | weblog
「月光仮面」の原作や演歌「おふくろさん」等の作詞家として知られていた川内康範(本名 川内潔)が、慢性気管支肺炎のため3月6日青森県の病院で死去した。享年88歳。
映画、音楽、テレビをはじめ政治評論家や作家として幅広いジャンルでその才能を発揮してきた川内康範は、多くの作品の中で「日本人の美徳」を追い求めてきた。演歌の作品だけでも「誰よりも君を愛す」「恍惚のブルース」「骨まで愛して」「おふくろさん」等々列挙したらきりがない。
寺の住職の子として育てられた川内は母の影響を強く受け、どの作品にもその根底には「愛」「情」「正義」がちりばめられ貫かれている。名曲「おふくろさん」も亡き母の教えである「普遍の愛」を作詞家として可能な限り込めた心骨であると言われている。隣人を愛し社会の傘となって献身せよとの「無償の愛」を詩にしたその心や思いがよめず、昨年勝手にフレーズを入れて歌った歌手森進一との間でトラブルが発生した時も、歌は人の志を運ぶ船と位置づけ、歌の心がわからず常識が欠落している者には私の歌を歌う資格はないと森を一蹴した。かつては森を非常に可愛がり私生活にわたって面倒を見、蜜月時代もあったが、川内の一徹な性格と芯の通った気骨魂は最後まで森を許さなかった。30年以上も前に混迷する今日の日本の世相を喝破し生前「むき出しの欲望がぶつかり合うような殺伐とした世の中では国は滅びる。情、愛や正義がなくなればこの世は闇だ。私はやすらぎを与えるような歌をつくり、日本を再生させたい。」と語っていたが、数々の志を半ばに他界した。
作詞界の巨星の死に改めてご冥福をお祈り申し上げます。      合掌

 無差別殺人

2008-04-06 00:23:36 | weblog
3月19日横須賀市内でタクシー運転手が客の米海軍1等兵に包丁で刺殺される事件が発生。また、3月23日の白昼茨城県土浦市で文化包丁を持ち、指名手配されていた24歳の無職男が通行人を襲う8人殺傷事件が発生した。さらに、3月25日には岡山県で列車を待っていた男性公務員が、少年にホームから突き落とされ列車にはねられ死亡するという痛ましい事件が相次ぎ物騒な世の中になった。これらの犯人に共通しているのははいづれも警察の取調べに対して「人を殺したかった」「誰でもよかった」などと供述しており、無差別殺人の典型だ。
最近、「動機なき殺人」「理由なき犯行」による理不尽、不可解な事件が各地で発生しており、事件審理の過程でも必ずといっていいくらい犯行時における「精神鑑定」が問題となるケースが多くなっている。
無差別殺人に関するアンケートでも①無差別殺人への恐怖を感ずるかに対して89%が肯定し②自衛手段はあるかには82%がないとし③警察の対応に期待できるかには93%までが出来ないと回答している。自分の将来に絶望を感じ、むしゃくしゃした個人的なストレスが犯罪と直結し、忍耐、我慢、辛抱といった自制する力を失った人間が増えることによって、この種犯罪はこれからも増加することが考えられる。ある日突然こんな犯人の凶刃が襲ってくるのでは、人ごみもホームも安心して歩けない。確たる予防策もなく警察も信頼できないとあれば、自分の身は自分で守る自衛策しかないのか。それほど今の社会は病んでいる。

暫定税率

2008-04-04 11:40:41 | weblog
ガソリン、軽油など揮発油税の暫定税率が、参議院において民主党等野党4党の反対で3月31日期限切れになった。これによってガソリン税に上乗せされていた1リットルあたり25円10銭が計算上安くなることになる。原油高騰から需要が低迷し販売競争が激化するなか、高い税の時に仕入れた在庫があり製油所などから税が引き下げられたガソリンが届く前に、値下げに踏み切ったガソリンスタンドが各地で4月1日から廉価の販売合戦を展開している。
この暫定税率の歴史を辿ってみると、1953年(昭28年)当時の田中角栄氏らの議員立法により「道路整備費の財源等に関する臨時措置法」が成立。揮発油税が道路整備のひも付きとして特定財源になった。以来55年間幾多の変遷はあったが、この暫定的な措置は日本の道路整備に貢献しながら根強く生き残ってきた。
今この「暫定税率」を巡って維持派(与党)と廃止派(野党)との間で対立がおき、妥協の余地のないほど平行線を辿っている。この莫大な税金の使い方に不透明で無駄な部分が発覚したからだ。議論すべき国会もこの問題についてはその機能を失い死に体の状態では、この上は国民の判断に任せる(解散)以外に打開策はないか。
国民等しく物価や税金が安いにこしたことはない。しかし、この暫定税率を廃止したことによって生ずる地方財政の疲弊、道路整備の遅れ、国民生活の混乱等担保がないことを危惧する。
今日も132円/ℓで給油をしてみたが、各地で末端のスタンドが大きな犠牲を払い、損切りをしてまでも懸命に頑張っている姿が哀れに見えてならない。

五輪参加 ?

2008-04-01 00:04:23 | weblog
1980年8月開催されたモスクワオリンピックには、日本政府及び日本オリンピック委員会は、全種目への不参加を決定ボイコットし、多くの代表選手が涙をのんだ。これはその前年12月、当時のソビエト連邦がアフガニスタンへ一方的に侵攻したことを受け、アメリカカーター大統領から同調を求められた西側諸国50ケ国近くがボイコットを決めた。この中には中国も含まれている。
100年前のロンドン五輪のとき米英間にトラブルがあり、タルボット主教が「重要なのは勝利より参加」とミサで説教して以来、五輪には参加にその意義が求められ語り継がれている。
このところ中国のチベット騒乱をめぐって、開会式・競技への参加に世界の各国から不協和音が出ており、すでに英チャールズ皇太子、ドイツのメルケル首相、ポーランド、チェコなど4ケ国首脳も開会式ボイコットの方針を決めた。フランスのサルコジ大統領も不参加の可能性に言及しており、欧州ではチベット問題が北京五輪に大きな影をおとしている。
一方、日本は中国とはこのチベット問題ばかりでなく、靖国、歴史問題、ガス田やギョーザ問題等々が山積し、それらの対応に中国側の誠意がみられない。にもかかわらず親中派の故福田赳夫元首相のDNAを受け継いだ福田康夫首相は、就任以来一貫して中国に融和的な姿勢を貫いており、同首相は靖国参拝でも「相手の嫌がることを敢えてする必要はない」と言ったかと思えば、今回も「チベットと五輪、関連付けるべきでない」と中国擁護の言動がみられる。
日本政府は、練習を積んできた選手のことも考慮し、少なくとも開・閉会式の不参加くらい言明しないと現状のままでは北京の暴挙を黙認することとなり、これでは過去のモスクワの教訓が生かされない。