私はヤゴです

水中から地上へそして空中へ飛び立つ人生を

有終の美

2006-12-30 17:54:23 | weblog
今年も残すところ後1日大晦日までのロスタイムに入った。強馬ディープインパクトがぶっちぎりの優勝で”有終の美”を飾ったのは、つい先頃の日曜日(12月24日)のことだった。この日中央競馬の1年を締めくくるグランプリレース有馬記念で、ディープは武豊騎乗の引退レースに臨んだ。例によってスタートから後方に位置し機をみて最後の第4コーナーを回るあたりからスルスルと出、舞うように飛ぶような速さで2位を数馬身離してゴールを駆け抜けた。今までにもハイセーコーやオグリキャップなど名馬はいたが、ディープの走りは上下動がなく人馬一体余裕をもって流れるように早く走る様は美しいというより芸術品だ。誰しもまだ走れるまだ稼げると感じているのに惜しまれて引退。余裕のある”第二の人生”(馬生)を選択した。その引き際は天晴れ、見事というほかはない。
引退といえば今年は若く油ののりきった選手が現役を去った年でもある。野球の新庄剛志、サッカーの中田英寿、スケートの荒川静香等々。彼らは力や技術に限界を感じて辞めるのではなく、より高い第二ステージでの活動を視野に入れ展望している。それに引き換え政治家や官界、一部企業トップの往生際の悪いこと前者に見習ってもらいたいものだ。老害のなにものでもない。
一方、国全体でも人命軽視、拝金主義、無責任、モラルハザード現象に加え安部政権も終盤ミソをつけたとあれば、今年の日本はお世辞にも有終の美を飾ったというわけには行かないだろう。

ネリカ米

2006-12-25 09:54:47 | weblog
12月24日安部内閣は初となる平成19年度国の予算の政府案を閣議決定した。
内容はそれぞれ賛否両論あるが、総額では前年比4.0%増の82兆9088億円と膨張した。中でも注目したいのはODA(政府開発援助)予算の減額である。今までの最大減額で4.0%減の7293億円。先進国として国際貢献は必要不可欠ではあるが、自国の財政が火の車状態の借金財政でやりくりしているとあれば他国の援助どころの話ではない。
どこの国にどのような援助がなされているかわからないが、苦面して捻出した血税を援助しても多くの国の中にはこうした支援を当たり前と受け止め、感謝の気持ちさえ持たない国もあるやに聞く。今回予算編成に当たり、安部さんが自国の国民の幸せを第一義に考えODA予算を大幅に削減したのであれば、それは当然であり諸手を挙げて賛成する。
貧しいアフリカ諸国の現状をみると稼動もせず”援助待ち”の印象をもつのは私だけだろうか。もう少し耕作、生産技術を教え自立の道を開拓すべきだ。そうした意味では資金援助のみのODAも曲がり角にきているのかもしれない。
今注目されている「ネリカ米」(アフリカ用新種米)の栽培普及を広く現地住民に推し進めて欲しいものだ。同米は、年間雨量の少ない乾燥地に適し、病害虫や雑草にも強く、収穫期間も短い栄養米でサバンナアフリカには最適な新品種でもある。
このネリカ米が貧困脱出の切り札起爆剤として、広大な大地が緑に変わる日が訪れることを心待ちにし期待している。

「硫黄島からの手紙」

2006-12-22 10:16:26 | weblog
12月21日日米合作映画「硫黄島からの手紙」を妻とともに鑑賞してきた。凄惨、残酷、壮絶な場面の連続で涙が出、なにかむなしさとやりきれなさばかりが残り、今後どのような理由・大義があろうとも戦争は絶対に行ってはならないことを改めて再認識した。
硫黄島は、現在東京都小笠原村に属した絶海の孤島であるが、敗色濃厚となった戦争末期は日米攻防の重要な軍事拠点と位置づけたことから凄まじい戦闘が繰り広げられた。本土からの援軍、補給も途絶えた中で全く勝算のない3万人の守備隊を現地指揮していたのが栗林忠道中将(松代町出身)である。摺鉢山が変形するほどの攻撃を受けながらも本土防衛の一念に燃え劣悪な条件下での36日間の持久戦は大きな功績とともに後世に語り継がれている。
栗林や山本五十六氏(長岡市出身)は若くして渡米し現地の生活を通じてアメリカの経済力、軍事力の強さを誰よりも知り尽くしていただけにアメリカとの戦争は避けるべきだと言い続けてきたが、ご両人とも戦闘の最前線に立つことになったのは皮肉であり、歴史的悲劇でもある。
日本では作れなかったこの映画をイーストウッド監督は、ノンフィクションとして歴史を忠実に再現、戦場での人間模様と同島で散った日米兵士の無言のメッセージを世界に伝えようとしたのではないだろうか。
この映画からなにを学び、なにを後世に引き継いでいくかは、今に生きるわれわれに課せられた大きな課題でもある。同島には未だ故山や靖国に帰れぬ1万3千余の魂が眠っている。映画館からの帰りに「硫黄島いまだ玉砕せず」(上坂冬子 著)を購入したので早速読むことにしよう。

人間ドックを終えて

2006-12-17 23:38:37 | weblog
暮れも押し迫った12月13日~14日にかけて某病院の1泊ドック検査を終了した。毎年この時期恒例のように実施しているが、それでこの歳まで健康で生き延びたわけでもない。お陰で胃、肝臓、前立腺等の各種検査もその症状、数値とも標準数値の許容範囲内にあり無事クリアーした。またヘビースモーカーとして一番心配していた肺のヘリカルCT結果も異常は認められず安心したが、予期しないところに伏兵が待っていた。「便潜血陽性」と「糖負荷試験(+)」である。血便についてはその採取過程に自分でも納得できない点もあったので、早速開業医に再検を依頼したのは当然である。
ところで、奇遇にも検査の待ち時間中に読んだ12月14日付産経新聞正論欄に拓大学長渡辺利夫氏の「死はお迎えの死生観を思う」と題した人間ドック不要論が載っており感銘を受けた。氏曰く「人間は死を絶対的に約束された存在である。還暦あたりまで健康な生を授かった以上、その後は自然生命体の「則」に従って生きたい。健康や長寿はいくら追い求めても切りがない。われわれが生・老・病・死のライフサイクルの中で生きざるを得ない以上、健康や長寿を追求すればするほどこの観念に呪縛されて授かった生をまっとうできなくなる。日本の伝統的死生観である「お迎え」を静かに待てばよい」と結論づけている。
死生観には人それぞれの個人差があって当然だが、少なくとも私は長生きしたいがための人間ドックや延命策は行いたくない。今の高齢社会人間ドックも含めやれアンチエイジングだメタボリック・シンドロームだと言って医学界に振り回されてはいないだろうか。そんな矛盾を感じた今年のドック入りだった。

「オースミパレード」の元気

2006-12-12 11:07:42 | weblog
12月9日高知競馬場で行われた地方競馬で老馬「オースミパレード」(牡)が出走。歴代サラブレッド最高齢となる15歳7ケ月の最高齢出走日本記録を樹立した。16頭中最後の直線コース手前で後退4位となったがその走りっぷりは見事というほかはない。通常、競走馬の世界では5歳前後が限界だそうだが、このオースミ人間で言えば60~70歳に相当するまさに”団塊の世代”だ。
平成5年秋に中央競馬でデビューし、46戦6勝、高知競馬では23勝を挙げている。当日女性騎手だったからハッスルしたわけでもないが、あのパワー、あのエネルギーはどこから出るのか馬ながら敬服し元気をもらった思いがする。
高知競馬といえば昨年引退した「ハルウララ」も有名だった。永遠に勝てない馬ではあったが、ひたむきに一生懸命に夢をのせて走るその姿にファンが感動。人気知名度は抜群だった。また、北海道の「ばんえい競馬」(超重量鉄製そりをひく競技)も不景気のあおりから5000頭が処分される寸前「救世主」(ソフトバンク系企業)が現れ一部助かりそうな明るいニュースも伝えられている。
どんな逆境にあっても彼らは人間に忠実に力の出し惜しみをすることなく全力を出し切って戦う姿に心が動く。彼らには他人の目など気にしている余裕などない。必死に生き、必死に走ることしかない。それが競走馬の宿命であり使命だが、なんの言葉も発しない馬から学ぶこと教えられることは多々ある。

狸(?)の訪問

2006-12-09 11:52:12 | weblog
暮れも押し迫った12月5日午前9時。異変を知らせる妻の指差す先を見ると裏庭の地面に放置したりんごに1匹の動物がむしゃぶりついている。体長約40㎝ 黒茶色の体毛に太い尾 猫がりんごを食べるわけがない。咄嗟に「狸」とみたが人の気配を察知しても逃げるどころか今度は水のみに近くに寄ってくる。しかし、これが「狸」か「むじな」か「アナグマ」かは判別できない。大正時代ひとつの狩猟違反事件で狸かむじなかをめぐって大論争となり大審院まで争った事件があったくらいだ。
当の狸(?)君そんな騒ぎをよそに腹がいっぱいになったのかその場で日向ぼっこをはじめ居眠りをする始末。私が至近距離に近づいても人を恐れずさして警戒もしない。ジャムパンを与えるとその場でパクリ。冬を前に毛並みも悪く痩せているがつぶらな瞳の顔は愛くるしくどう見ても狸そのものだ。誰かに飼われていたものが捨てられたものか逃げ出したものか。それとも食べ物がなくて街に出てきたものか。思いを巡らし動物園や地方事務所に連絡するも野荒しや危害を加えないとの理由で取り上げてはもらえない。
狸と言えば昔から人間とのかかわりは深く「文福茶釜」「カチカチ山」「證城寺の狸囃子」等民話、小説、童謡にも登場する縁起ものの動物。特に坊さんに化け金運にも恵まれるそうだ。
世はいざなぎ景気の更新と言うが、われわれ庶民にはその実感も恩恵もない。せめてこの狸君の来訪が我が家に福をもたらしてくれるか、餌台にりんご、水を与え再び訪れる日を心待ちにしている。

孫の観 劇 会

2006-12-04 16:39:44 | weblog
師走に入りようやく北国から初雪の便りが聞かれるようになった12月3日、今年4歳になった初孫の観劇会が幼稚園(年少組)であり、誘われ寒さを押して見学に参加した。会場の講堂は我が子(孫)の晴れ姿をひと目見ようと父兄、祖父母で超満員。孫のS君は「いじわる狼」の役。森の主役狼は、うさぎやりすなど弱い仲間を機会あるごとにいじめてきたが、ある日「魔法の木の実」を仲間から食べさせられたのを契機に心を入れ替えて謝り、仲間と仲良く生活し平和な日々に戻るという筋書きの劇だ。
大勢の人前でアガッテしまいセリフが正しく言えるか、動作は間違いなくできるか等私達の心配をよそに当のS君堂々たる見事な演技で会場から万来の拍手をもらうことができホッとした。
劇中の狼は、その表情・動作もいじわるな主人公になりきって演じていたが、終わってみればただの園児にすぎない。短期間でこれほどまでにこどもの感性を引き出し伸ばしてくれた幼稚園側の教育力に感動、感謝感謝!! 同時に予想だにしなかったS君の隠れた才能と可能性に感激感激!! 本当に昨日は実り多い観劇会に参加してよかった。
S君も幼稚園に行きだしてから「ありがとう」「いただきます」「ごめんね」といった日常会話も素直にタイミングよく言えるようになり、日毎になにか新しいことや言葉を身につけ確実に成長し続けている。
「神様やサンタさんはお星さんのところにいるんだよ」と信じ込んでいるS君にはクリスマスにご褒美をプレゼントすることにしている。彼の夢をこわさないためにも・・・。

防衛省への昇格

2006-12-01 22:15:56 | weblog
11月30日防衛庁の「省」昇格関連法案が自民、公明、民主などの賛成多数で衆院を通過し参院に送付された。国の根幹である安全保障政策に関し超党派での合意が形成されたことは国民の幅広い支持が得られたことを意味する。省昇格は昭和29年防衛庁が発足して以来、53年にわたる国民の悲願でもあった。これに引き換えこども育成の基本理念を定めた教育基本法はどうして超党派での合意は無理なのか。こんな大事な問題こそ政争の具にして欲しくない。
国民を守り国の安全を司る組織が、内閣府の外局でしかなく主任大臣は内閣府の長である首相が努めていた。このため法案や予算の提出、不審船舶・航空機に対する警備行動等は、内閣府を通じて閣議開催を求める手続きが必要であった。昇格後はこうした問題も簡素化されるほか、従来自衛隊の「付随的任務」とされてきた国連平和維持活動、国際緊急援助活動、復興支援等の海外活動が国土防衛と同等の「本来任務」に格上げされる。勿論防衛庁長官も防衛大臣となる。
一方これとは裏腹に最近自衛隊関連の不祥事の多いことが気になる。空自の訓練機衝突・情報の流出、海自の機関砲誤射、陸自の小銃紛失等々組織にタルミはないだろうか。
日本を取り巻く安全や国際情勢は益々厳しくなりつつある。単に「庁」から「省」への看板の架け替えでなく、これを契機に名実ともに脱皮をして隊員一人ひとりが誇りと自信をもち国民の期待に応える努力をしてもらいたいものだ。