私はヤゴです

水中から地上へそして空中へ飛び立つ人生を

川田正子さん

2006-03-31 22:20:22 | weblog
本年1月童謡歌手川田正子さんが亡くなった。美人で同じ年代でもありあの澄んだ声は魅力的で憧れの歌手だった。「とんがり帽子」の歌などを聴くと自分の幼いころの思い出が甦ってくる。妹の孝子さん同僚の古賀さと子さんともあんなに元気で
活躍していたのに・・・。
いつの時代でも心にしみる歌や歌手は、当時の時代背景とともに頭に焼きつき決して忘れることはない。特に幼い頃から歌い継がれている童謡・唱歌はその作者まで
偲ばせる。
長野県はこうした童謡・唱歌を生んだ作詞・作曲者の宝庫といえる。調べてみると
 作詞者
   高野辰之 「ふるさと」「朧月夜」「紅葉」
   山上武夫 「お猿のかごや」「見てござる」
   坂口 淳 「小鹿のバンビ」
 作曲者
   中山晋平 「カチューシャの唄」「しゃぼん玉」
   草川 信 「夕焼け小焼け」「どこかで春が」「早春賦」
   海沼 実 「里の秋」「みかんの花咲く丘」「お猿のかごや」
といった具合で、思わず口づさみたくなるような歌がいっぱいあった。
こうした先人達の素晴らしい遺産に比して、現代の歌を考えてみると意味不明なも
のばかりで、心に響くものはなく憶え、歌う気力さえ失くしてしまうものが多い。
歌によって癒されるというよりただ騒々しいだけで、これでは天国の川田さんも苦笑しているかもしれない。
そう感じるのは私ばかりだろうか。薄っぺらな世の中になったものだ。

尊厳死

2006-03-30 10:04:32 | weblog
 富山県射水市民病院の外科部長が行ったガン患者の人工呼吸器を外し死を
招いた行為が、殺人行為か尊厳死かで社会問題となっている。
この種の問題は今に始まったことではないが、現在の法律のもとでは安楽死
(致死量の薬を注射するなどして死期を早める行為)は認められていない。
しかし、延命治療中止をして自然な形で死を迎えさせる尊厳死は、一定の要
件のもとで認められた裁判例(H7.3横浜地裁)はある。
こうした問題については、法律も基準もなくそれぞれ異なるケースの中で、
終末期医療の最前線で奮闘している医療関係者に敬意を表したい。
それだけに今回外科部長のとった判断についても同情したい。
机上で考えその基準を文字で表現してみても、
 「耐え難い肉体的苦痛」「回復の見込みなく死が避けられない」
は程度の問題、医師の個人差があるので実務の実際での運用はむずかしいと思う。
H16.7厚生省が実施した国民の意識調査でも、国民の74%が末期状態にな
った時の単なる延命医療には「やめた方がよい」「やめるべきだ」と考えている
ことがわかっている。
人は生きる権利もあれば死ぬ権利もある。生きる以上は幸せにそして死ぬ時には
安らかに逝きたいものである。最後の最後に自分の希望しない延命治療を受け、
苦しみ抜いて死を迎えるなどはまっぴらだ。
私は今から妻に不要な延命策は執らないようお願いをしている。

もったいない

2006-03-26 07:50:31 | weblog
昨年ノーベル平和賞を受賞したケニアの環境大臣ワンガリー・マータイ女史の
提唱した「もったいない」が今世界中を駆け巡っている。
女史は、水が戦争や内紛の原因になっていることに着目し、荒地や砂漠に保水
力の高い木を植えようと今までに3000万本の植林をしてきた。
植林が将来の水飢饉を救い、戦争を防ぐ活動として評価され平和賞に繋がった  もので、平和を願うその壮大な理想と実行力に頭の下がる思いがしている。
女史の哲学はそればかりでなく
  ・Recycle 再利用する
  ・Reduce  無駄に使わない
  ・Reuse   再使用する
といった「3R運動」を世界に提唱している。
環境問題に関する限り大量生産、大量消費でなく、少ない地球資源を如何に無
駄にせず再使用、再利用するかといった考え方が貫かれている。
来日して日本語の「もったいない」を覚え、各国で翻訳しようとしたがこれに
相当する適当な解釈語がなかったため、「ツナミ」「エキデン」同様このこと
ばがそのまま世界語になりつつある。
翻って日本の現状を見るとき、水、食糧、紙、電気等々の使い方は、この理念
とは大きくかけ離れたものがある。偏にケチるのでなくこの「もったいない」
を大切に節約、倹約、質素の精神を日常生活の中に取り入れたいものである。

野球世界一

2006-03-22 18:54:23 | weblog
 3/21アメリカサンディゴで行われた第1回WBC野球大会は、最終日
決勝戦で日本代表が強豪キューバを破り、野球世界一の栄冠を手中にした。
これほどまでに全国民に素晴らしい感動を与えてくれた監督・選手には、敬
意を表し改めて「優勝おめでとう」「本当にお疲れ様」と感謝申し上げたい。
今回は2次リーグでアメリカ、韓国に敗れ1勝2敗になった時点で絶望的と
なり死に体となったものが、アメリカvsメキシコ戦を契機に日本は不死鳥
の如く蘇りあれよあれよという間に頂点を極め奇跡となった。
 本来スポーツをトップ記事に持って来ることのない大新聞が挙って号外を
発行し、トップ扱いをしていることがこれを裏付けている。
選手はもちろんこれだけ多くの国民に感動と元気を与えた野球だが、200
8年北京大会を最後にオリンピックの競技種目からはずれることが決定して
いる。
残念としかいいようがないが、WBCの大会を野球オリンピックと位置づけ、
現在の参加16ケ国・地域をもう少し増やし、ルールももう少し合理的に改
正して、名実ともに世界一を競う場として4年と言わず2年に1回開催する
よう野球を愛する一ファンとして強く要望したい。

裁判と弁護士

2006-03-16 21:00:53 | weblog
平成11年に山口県光市で発生した強姦殺人事件(2名)の最高裁審理に当
たり、担当の弁護士が欠席したため当日の開廷ができず延期になった。裁判
長が5月に定年退官することを知っての計算された欠席か。
遺族7名はそれぞれ都合をつけてはるばる山口県から上京してきており、審
理日程はあらかじめ知らされていたのに欠席とは何事か。
それも欠席理由は「裁判員制度のリハーサルで多忙」とのこと。弁護士の本
務は公判廷に出廷して真実を追求することにある。
本務を放置して仮務の多忙を理由にしての欠席は、遺族の被害感情を逆なです
るものであり、裁判の引き延ばし策のなにものでもない。公務放棄もはなはだ
しい。
報道ではかの弁護士はオウムの麻原彰晃被告の担当で、やたら審理ストップ
「引き延ばし名人」らしい。裁判を引き延ばせばその分収入が多くなるのか勘
ぐりたくなる。
こんな悪徳弁護士は即刻資格剥奪を含めた懲戒処分を行い、また、一部の弁護
士の恣意的な理由で裁判が振り回されることのないよう、裁判所は凛とした態
度で訴訟指揮を行い迅速かつ公正な裁判を行ってもらいたい。

教育勅語

2006-03-10 21:00:40 | weblog
亡兄が愛用していた書棚の片隅に「勅諭勅語詔書集」を発見した。黄ばんだシミ
だらけの小冊子だが、この中の「教育勅語」の内容に魅せられ一気に読み終えた。
現代の人間特に若年層に欠けている「徳目」「気力」「礼節」といった人間本来
の”道”を本書は教えている。
戦争アレルギーになっている現代、教育勅語や軍人勅語の教えを復活することは
軍国主義者の汚名を着せられるかもしれない。言っておくが私自身戦争の賛美者
でもなければ軍人の崇拝者でもない戦争反対論者である。
人間としてまた職業人、組織人として社会の営みの中にあって集団生活をする以
上、その根底を流れる本質的な精神要素はいつの時代においても不変なものでな
ければならないのに、これが今悪い方向に変化しつつある。
偏差値重視の知識偏重教育が、公徳心 愛国心 国防意識を希薄化させ国旗掲揚
や国歌斉唱まで否定し拒否反応を示すようになったのだろうか。
まさに昨今の日本は”衣食足りて礼節を忘れてしまった”感がする。
教育勅語は「・・父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ 夫婦相和シ 朋友相信シ 恭倹己ヲ持
シ 博愛衆ニ及ボシ 学ヲ修メ 業ヲ習ヒ 以テ智能ヲ啓発シ・・・」と戒ましめ
また、軍人勅語の「忠節」「礼儀」「武勇」「信義」「質素」の教えは、人間と
しての教育の淵源であり、先人の足跡にただただ感服するとともにこうした教え
はこれからの教育への導入の必要性を痛感した。
教育勅語については、故アデナウアー西ドイツ首相もこれを高く評価したと伝え
られており、また、当時アメリカの将校間でも「日本がこの教育勅語の教えを守
ていれば戦争にはならなかった」「この3分間で読める短い文章の中にこれ程の内容を示しているのは名文であり、これからもこれ以上のものは出来ないし、出ない
であろう」とさえ言われていた。
折から国会では教育基本法改正の論議がされているが、「教育は百年の計」とい
われるとおり、目先の多忙に追われ将来を見失うことのないようブレない骨子と
予算付で対処してもらいたいものだ。

出処進退

2006-03-03 00:59:15 | weblog
民主党永田議員の責任の執り方に端を発し「出処進退」が一躍クローズ
アップされ社会問題にさえなっている。
人生の様々な場面における出処進退。中でも最後の「退」にその人の生
き様真価が表れる。
老子曰く「功成り名遂げて身退くは天の道なり」誰しもこの世に生を受
けたからには名声を博し功を遂げることは望むところだが、その後に控
える「引き際」が難しくそのタイミングに悩むところである。
民間においても官界においても在任中は素晴らしい手腕と人柄と評価さ
れた人でも自身の引き際を誤ったばかりに晩節を汚し凋落の道を歩んだ
人のケースは枚挙にいとまがない。
1991.6長崎雲仙普賢岳が大噴火し、数10人の犠牲者が出る大惨事で火砕
流の流出が長期に及び混乱していた際、時の島原市長鐘ケ江管一氏は寝
食を忘れて災害対策から住民の生活補償まで陣頭指揮に当たった。
市民からは絶大の信頼を得、次期市長は無投票で同氏が続投との予想で
あった。ところが1年後の選挙の際突如現職県議が出馬した時同氏は決
断した。それはこの市長選挙には立候補しないことであった。
理由は「選挙運動によって復興の妨げとなる空白期間を作るべきではな
く、市を二分することは避けたい」と実に明快であり潔かった。
当然のごとく市民からは復活応援の電話が殺到したが、氏の意思は固く
少しのブレもなかったという。見事というか天晴れな決断、引き際は在
任中の功績をいよいよ輝かせる結果となり語り継がれている。
職を辞するには、自身及び部下の監督責任を負う場合と後進に道を譲る
場合のふたつの意味があるが、いづれの場合も「出処進退は自らが決め
る」ことが大切であってそれを他人に相談して意見を聞きながら決める
性質のものではない。まして今回のように処分は上司に一任などは三流
であって切腹を他人にやってもらうような卑劣な手段である。永田議員
は選挙民やしがらみにとらわれず辞表を提出し、リセットして出直すべ
きだった。

引き際の美学

2006-03-01 10:50:30 | weblog
1枚のメールの真偽をめぐって自民党と民主党がガップリ4つに組み10
日余り国会での論争を展開してきた。
もともと民主党永田議員の仕掛けたけんかだが、その後展開する永田劇場
をマスコミが逐一報道したことから、国民はどちらが勝つかかたずを飲ん
で見守ってきた。
この勝負白黒はっきりさせなければ灰色の結末はあり得ない。どちらが負
けてもその党は大きく傷付き党首をはじめ関係者の辞職、辞任、処分は免
れないものと見ていた。
ところが昨日(2/28)民主党が会見を行い敗北を認めるとともに
   ・野田国対委員長の辞任
   ・永田議員(質問)の党員資格停止(6ケ月)
の党内処分で幕引きをしようとした。
民主党には小沢、羽田、菅、渡部といったベテラン幹部がついていながら、
執行部の判断に対し何故適切な英断のアドバイスができなかったのか。
永田議員も雲隠れ、入院、歯切れの悪い未練がましい謝罪の後、「自分の
責任は幹事長に一任」とは何事か。
努力不足の確証もなくバクチ的質問でこれだけ国会を混乱させ、党や国会
それに政治不信の結果を招き特定の私人を傷付けたことを考えれば、当然
自ら議員を辞さなければならないことくらい東大→大蔵省出の議員ならわ
かりそうなものであろう。
自分の出処進退を自分で判断も出来ずバッヂに恋々として人に一任するな
どは男として最も慎むべきことで議員としての資質はなく潔さもない。
誰にも過ちはあり起きてしまったことは仕方ない。その後の党や議員の対
処の仕方によっては国民の評価も違ったものになっていたのに、今回の民
主党の処置はあまりにも国民を愚弄するもので野党第一党の資格さえ疑わ
れる。今回のドタバタ劇を見てこれを他山の石とし人生の”引き際の美学”
を改めて勉強することにしよう。