私はヤゴです

水中から地上へそして空中へ飛び立つ人生を

治安と安全

2006-09-29 11:14:14 | weblog
9月23日日本世論調査会は、治安に関する国民の意識調査結果を発表した。
それによると日本の最近の治安について「悪くなっている」(38%)「どちらかというと悪くなっている」(42%)年代に関係なく合わせると国民の80%までが治安の悪化を指摘している。
治安を考える際、自分や家族が犯罪や事故に巻き込まれる不安を感ずる「体感治安」と犯罪の発生や検挙率等数値で表す「指数治安」がある。最近の犯罪動向をみていると、子供に対する虐待、連れ去り、殺人をはじめ振り込め詐欺や悪徳商法さらにはネットを悪用した犯罪等が多発し、検挙率が下がっている実情から「体感治安」「指数治安」双方とも不安を感ぜざるを得ない。長年築き上げてきた日本の「安全神話」が今や大きく崩れ去ろうとしている。
治安がよかったころの要因は、単一民族で構成された島国、厳しい銃規制、細やかな人間関係と恥の文化、世界に冠たる警察力等が相互に機能していたが、世情が変わり国外の人や文化の往来、人のつながりや心の荒廃が進むにつれてこれらが治安面に犯罪として色濃く投影される結果となってしまった。
「地域の発展は健全な治安と財政から」といわれるが、健全な治安基盤の上での経済活動がなければ発展は望めない。為政者もこの治安問題を警察任せにするのでなく関心をもって必要な投資(予算付け)を行い、国民(県民)の安全意識を高める努力をしてもらいたい。水と安全はタダだといった前時代的な考えではもはや世渡りはできない。
死刑や自衛隊が憲法違反だ。やれ国旗や国歌の職務命令違反に損害賠償を認める判決が出るに及んで、世は平和ボケ安全ボケの極楽トンボの数があまりにも多すぎるような気がしてならない。


孫の運動会

2006-09-25 08:57:11 | weblog
この4月幼稚園(年少組)に入園した4歳になる孫(男)の運動会があり、9月23日夫婦で応援見学に行って来た。
秋晴れの好天に恵まれ体操、遊戯、ゲーム、走り等々どの児童の顔にもはちきれんばかりの愛くるしい笑顔がこぼれ、先生に教えられたとおり落伍者もなくみんなで元気よく楽しんでいた。親の心配をよそに子供なりに集団生活にも慣れ、友達も出来て伸び伸びと逞しく成長を続けている。
まだおねしょから卒業していない年代の子供によくぞここまで教え込んだものと訓練、教育の重さに感心し、改めて先生方のご労苦に敬意を表したい。
もともとこの時期の彼らには欲や見栄はなく「無心」に輝いた目で競技に集中している姿は見るものをして美しく微笑ましい光景でもある。これほどまでに成長した我が孫を誇らしく思い感動するとともに、これからも限りなく心身とも成長して欲しいと願うばかりだ。
親バカと言われながらも、現職中は仕事優先で自分の子供の運動会やその他の行事には一切参加したことはなかっただけに心の中で詫び、歌の文句ではないがその分孫に愛情を注ぎ、古希を目前にした私の思いが少しでも届けばと思っている。
当日の主役で一日中頑張った児童には「その一生懸命に一等賞」「その笑顔に金メダル」を全員に贈ってやりたい思いにかられる。
ジジババは抜けるような青空の下爽やかな気持ちに浸りながら満足して帰宅した。
後日競技中の写真・ビデオを見ながらにぎやかな談笑が行われることだろう。

国旗国歌裁判

2006-09-22 23:30:20 | weblog
東京地裁は9/21国旗国歌の強制は違憲としてその請求を認め、東京都に対し賠償命令をする判決を行った。判決によれば教職員の意に反し懲戒処分にしてまで起立、斉唱させることは憲法が定める思想良心の自由を侵害する行過ぎた措置で、この間に受けた精神的苦痛の損害賠償として一人当たり3万円の支払いを命じるというものである。
日本の国旗国歌は戦後はっきりせず教育現場では狭間にあって悩んでいたところ、1999年広島県立高校の校長が卒業式での扱いに苦しんだ末自殺したのを契機に「国旗国歌法」が成立し、国旗は日章旗国歌は君が代と明確に規定された。これに基づき学習指導要領、教育長通達等で教職員の立場にある者は生徒に対し国旗国歌を正しく指導するよう職務命令が示された。一般市民の私的な行為であればともかく、こうした立場にある者が公式な儀式(入校・卒業式等)の場において職務命令に違反したのであるから懲戒処分を受けるのは当然である。驚いたことに裁判では国旗国歌が「現在も宗教的、政治的にその価値が中立的なものと認められるまでには至っていない」と認定していることだ。冗談じゃない。日章旗、君が代は日本の国旗国歌としてオリンピックをはじめ社会的にも政治的にもあらゆる場面で認知され国内や国際的にも定着している。地裁での判断が結審することのないよう、今後当然上級審において合議制でまともな裁判官に審理してもらいたい。
世界中に自分の国の国旗や国歌が嫌いで訴訟まで起こす国民がいるだろうか。日本には訴訟をする先生が都内だけで400人以上もいるというのだから驚きだ。聖職のかけらもないこんな先生に「思想良心の自由」があると主張するのであれば、生徒及び保護者にはそうした先生の指導を受けずにこれを拒否する権利はないのだろうか。
国旗国歌に反対することが文化人、インテリと錯覚し、そんな一部教師による教育洗脳の結果が今の堕落した世の中を形成してしまったと言ったら言い過ぎか。

賞味期限

2006-09-19 09:51:48 | weblog
「賞味期限」それは加工食品の製造者がその安全性や味・風味の品質が維持されると保証する期限である。製造日を含めて概ね5日以内に急速な品質の低下が認められる食料品の「消費期限」と区別されるが、要するに「この期限内であれば美味しく食べられますよ」といったメーカーの目安と理解している。
先日この賞味期限を半年ほど過ぎたいわしの缶詰を食べてみたが、なんてことはないご飯のおかずとして美味しくいただきなんの違和感もなかった。食する品物にもよるが缶詰やジャム、海苔、お茶などは1年くらい期限が切れていても全然問題はないのではないだろうか。まして主食の米でも古米だ古古米だというが虫さえついていなければ食べて健康を害することはない。
全ての食品は新しいものほど美味しいという大原則があるが、食して大丈夫という経験則が適用されるものも多い。この賞味期限の解釈を誤解してわずか期限を過ぎただけで廃棄されるとあればこんな「もったいない」話はない。多様化する食料品の中でなにが安全かは、食べる人の「自己責任」にかかっている。アメリカ産牛肉が解禁となり昨日から牛丼が街に出回るようになったが、安全なものかどうかの判断は消費者個人個人に委ねられている。今や「自分の安全は自分で守る」洗練された思想が徹底していないために、自分の安全を国や社会の責任に期待する依頼心の強い賞味期限切れの人間が増えている。この点なにが食べられないものかを見分け(嗅ぎ分け)る動物の方が人間よりはるかに優れており教えられることが多い。
食の安全について日本人はパーフェクトなまでに神経質になるが、生活の過程では多少のばい菌や細菌、ウイルス、健康を害するものの体内への侵入は避けられない。こうしたものへの攻撃、免疫の強い体質・体力を保つことこそ大切で、あまりコセコセせずに自然体で生きたいものだ。

高校生とモラル

2006-09-17 09:46:44 | weblog
このところ若者とりわけ高校生(含 高専)による殺人、放火等凶悪事件が続発している。しかし事件後犯人に対する評価は「あんなおとなしい子が」「普段は明るくまじめ」「よく挨拶をしてくれた」といった具合で人と行為の間に大きな落差を感ずる。この度、高校生向け月刊誌「高校生新聞」が行ったアンケートで高校生のモラルをめぐる意識が浮き彫りになり驚いている。
   (調査は全国29都道府県 54校 6168人 うち女子3311人)
  教室で休み時間に化粧をする     64%
  友達と酒を飲む             48%
  電車の中で携帯電話で通話する   46%
  路上や電車の床に座り込んで話す  36%
  タバコを吸う                20%
一方、目上に敬語を使う90%近所の人にあいさつする70%電車やバスで席を譲る38%という二面性も持ち合わせている。こうした数字だけで高校生のモラルが低下していると結論づけるのは早計かもしれないが、先日某高校の通学風景に出会い、穴あきジーパンやらズリ落ちそうなズボンをはきほとんどの生徒がリュックサックを背負って登校する姿に接し、どう見てもこれから勉学に行く学生には見えない光景だった。これがいまどきの高校生?こうした学生の世界では今、目に見えないわれわれの知らないところでいじめ、暴力、怠学、登校拒否、SEX等陰湿なドロドロしたものが複雑に絡み合い、結果としてモラルや学力の低下を招きそれらが表面化したに過ぎないような気がしてならない。
「潜在意識は行動に表れる」というがこれから日本の将来を担う高校生の意識を変えるような教育改革はできないものだろうか。安部さん頼みます。

公務員と飲酒運転

2006-09-14 07:44:58 | weblog
 先月25日福岡市で市職員が飲酒運転のうえ子供3人を死亡させた悲惨な事件の後処分の「厳罰化」の動きが全国的に広がっている。
今に始まったことではないが、市民の生命・身体・財産を守らなければならない立場にある公務員が飲酒運転のうえ人に危害を加える行為は言語道断。飲酒運転はついうっかり行う行為でもなく子供でも知っている法規範である。それさえ守られない組織は「緊張感の欠如」と「甘さ」「たるみ」が内在する証左でもある。こうした公務員としての不適格者は、即刻懲戒免職にし組織から排除すべきである。
防止策では過去にも飲酒運転の刑罰を重くし危険運転致死傷罪を新設して臨んでみたが、他の模範となるべき公務員のこの種違反や事故が連続発生するにおよび、この問題は「処分の厳罰化」だけでは防止できないことを物語っている。まさに公務員の倫理、使命、安全意識、奉仕観念等基本的なところから人つくりをしていかないと他の不正行為も含めて防ぐことはできない。
 国も公務員の指針について「道交法での厳罰化の動きや世論をみながら必要性を見極める」「職員の処分は任命権者が判断するもの。処分のばらつきは任命権者の考え方の違い」などと悠長なことを言っているのでなく、毅然として国の基本統一指針を示し、各自治体もそれに沿った運用を図り管理を強化しなければ、これからも公務員の飲酒事故や不正は再発し、公務員の信用は益々失墜の方向へ向かうこととなる。

郷愁の味「そばがき」

2006-09-12 15:45:49 | weblog
今の時期白いそばの花が畑一面綺麗に咲いている。休耕田を利用してそばを栽培する人が多くなったのか鮮やかに目立ち、伊那方面に行くとピンク色をしたそばの花が沿道に沿って咲き乱れているところがある。なんとも見事な光景でピンクそばの味はいまいちだそうだが、それでも作り続ける農家の心意気に脱帽だ。
そば通の人はそばの味を「コシやコクがある」「のど越しがいい」等と表現するが私にはそばの味は正直言ってよくわからずあまり好きな食べ物ではない。そばよりも好きなのは終戦直後食料難の時代よく主食がわりに食べた「そばがき」の味だ。どんぶりにそば粉を入れ、熱湯を注ぎ込みながら竹箸で根気よくかき混ぜてゆくと湯気の中から香ばしい新鮮なそばの香りが立ち上がる。ころよい硬さになったところで砂糖醤油をつけて頬張る。口の中いっぱいに懐かしい味が広がり60年前の郷愁の味が甦ってくる。到底市販されている手打ちそばの比ではなく、安くてしかも簡単な調理でこれほどまでに素朴で自然の味を出してくれるものはない。食べ盛り育ち盛りのころ毎日が空腹の連続で野外に出て桑グミ、野イチゴ、あけび、小梨等々季節に実るもの、口に入るものは手当たり次第に食べまくった。イタドリやスイコにも塩をつけてよく食べた。こんな時親父の作ってくれる「そばがき」の旨かったこと満腹感、そして再びつくってくれる夜を心待ちしていた日々。どれもこれも思い出すにつけ、当時の故郷の野山や友の顔、時代背景が脳裏をよぎる。たしかに経済的には貧しかったが、心は豊かにみんなで助け合い逞しく希望をもって生きていた。幼少のころ巡り合えたこのすばらしいそばがきの味と故郷への郷愁は切り離すことが出来ず、私の心の中の”宝”としていつまでも大切に残っている。


朝  顔

2006-09-06 16:35:53 | weblog
本年5月、西日除けにと自宅裏に植えた朝顔(10本)が今を盛りと咲き誇っている。西洋朝顔のヘブンリーブルーだが暑さに強く遅咲きの種類なのか、毎朝100個以上の見事な花をつけ昼過ぎまで楽しませてくれる。
朝顔は、歴史が古く中国が原産の園芸植物て゜遠い平安時代に日本に渡来している。古代の中国では朝顔は高価の薬であったことから、牛と取引されたほどの貴重品で「牽牛子」(けんごし)とも呼ばれ、その種は下痢防止や利尿剤としても使われたそうだ。宮廷もこの花を「朝の美女」として大切に扱っている。また、日本においても東京入谷鬼子母神の「朝顔市」は江戸時代から続く伝統ある祭りで、朝顔の一般家庭への普及に一役買ってきた。さらに源氏物語に登場したり加賀の千代女にも詠まれた朝顔には歴史の重みを感ずるが、最近は栽培技術の進歩からその種類、色、大きさ等が多彩・ポピュラー化して楽しみの趣も変わってきてしまった。先日山梨の友人からブドーが送られてきたが、「ゴルビー」「ピオーネ」「ビアンコ」といったはじめて聞く種類のものばかりで、この業界でも品種改良が急ピッチで進んでいることが伺える。
今年は降雨の量が少なかったためか花壇のコスモス、ひまわり等の夏花がいまいち元気がない。しかし朝顔だけは別格、我が物顔で自由奔放に伸び異彩を放っている。ネットを張って補強し野放にしてやったことから今では中屋根まで伸びてしまい手の施しようもない。
愛情を注げば頑張って毎朝確実に沢山の花をつけてくれる朝顔に悠久の思いをはせながら感謝をし、大きな元気をもらっている。
  自らはあるかなきかの朝顔と 言いなす人の忘られぬかな  -与謝野晶子-

指名手配

2006-09-04 09:32:43 | weblog
8月29日山口県周南市の徳山工業高専で女子学生(20)が殺害され、同じ研究室の同級生である男子学生(19)が全国に指名手配されて1週間が経つ。この間、警察、学校関係者、生徒等の必死の追跡にもかかわらずその行方は今もって判明していない。
指名手配は、警察庁が全国の警察機関や公共施設を利用し被疑者の顔写真や氏名などを公表して被疑者を追い捕捉することにある。
ところが今回の被疑者は少年なるが故に顔写真や氏名は公表されず使用バイクのナンバーさえも明らかになっていない。これでは隣に彼がいても情報不足からなんの不審ももたず気づかないことになる。確かに少年の場合全てを明らかにすることは人権上の問題や将来の更正面で問題がないとはいえないが、指名手配をする以上顔や氏名がわからない手配ではその意味もなく実効も期待できない。知る人ぞ知るのみである。こうした事件が起こる度に少年であっても被害者の顔写真や氏名が公表される反面、被疑者が少年というだけで匿名扱いされていることに疑問をもつ。
被疑者確保に懸賞金が掛けられる時代、社会公共の秩序を維持し凶悪犯罪を抑止するためこの種重要事件の被疑者については、少年であっても氏名、顔写真等をテレビ、ネットにも公表し、多くの”監視の目”を注ぐことが逃走犯人の行動半径を狭くし捕捉に繋がる端緒を得ることにもなる。それはとりもなおさず「犯人の自傷他害」の行動を抑制する心理的プレッシャー効果をもつことにもなるであろう。私は今でも「携帯電話」「コンビニ」「現行少年法」は少なからず少年の健全育成に悪影響を及ぼしていると思っている。

ガッツポーズ

2006-09-01 19:04:06 | weblog
ボクシングやレスリングそれに柔道等の試合では勝者は勝った瞬間両手を挙げて派手なガッツポーズをして喜ぶ。過去のオリンピックでも柔道種目で優勝した際、山下、斉藤、古賀選手らが万歳をしながら満面でその喜びを表した光景は印象的であった。
ところが剣道になると”残心”は示してもむやみやたらなガッツポーズは対戦相手への思いやりを忘れた無礼な行為に当たり、1本が取り消されることがあるという。もともと剣道は日本古来の武術である竹刀撃剣を競技化した武道であり、剣の修練による人間形成を目的とする道(修行)でもある。それ故に剣道は「礼に始まり礼に終わる」競技だとも言われている。剣道に限らず日本古来の柔道、相撲もこうした武士道精神、大和魂を重んずるスポーツであるならば同じことが言えるのではないだろうか。全日本柔道連盟の上村春樹専務理事も柔道選手のガッツポーズについて「ルールではなく教育として相手への感謝の気持ちは持つべきだ」とコメントしている。米大リーグでもホームランを打って派手なガッツポーズをすると、相手ピッチャーがプライドを傷つけられたとばかり、次打席ではビーンボールを投げてくることがしばしばあると聞く。
スポーツである以上ボクシングやK1のように徹底して相手を痛みつけ、ののしり合うことよりも高校野球のように審判をはさみお互いの健闘を称え、次の試合への檄を贈ることの方が余程美しくすがすがしい。
それにしても今回早稲田実業校斉藤投手が苦闘の末、最後のバッターを三振にとり優勝した瞬間、ともすると見過ごしてしまうほど小さな短いガッツポーズを見たが彼の人柄そのものであり高校野球の締めくくりにふさわしい実に美しい光景だった。