私はヤゴです

水中から地上へそして空中へ飛び立つ人生を

Made in China

2007-08-29 09:33:48 | weblog
中国製品が日本ばかりでなく国際的な信用を落としている。国営紙中国日報の報じるところによると、中国の食品衛生監視機関、中国国家品質監督検疫総局が国内で実施した検査で、大量の食品から発ガン物質などの危険な成分が検出されたという。摘発された食品は2万3000点以上。粉ミルク、米、小麦粉、肉、ビスケット、シーフード、醤油、菓子など国内で消費されているものばかりでなく、輸出しているおもちゃにまでも拡大している。これらに工業潤滑油、ろう、鉛のほか発ガン性の化学物質が含有していたというのだから始末が悪い。最近では中国産蜂蜜に純粋なものは少なく、ほとんど増糖剤や甘味料が混入されていると聞くがそれもうなづける。また、米国では中国から輸入したペットフードや玩具、薬品、魚、化粧品等により動物被害が発生してリコールや輸入禁止措置がとられ、パナマでは輸入した有害物質入りの咳止めシロップで少なくとも80人が死亡したと伝えられている。食品ばかりでなくオートバイや家電製品までも模造品や海賊版を作り出し、それをイカサマや詐欺商法で売りつけるような貿易相手国だ。
北京オリンピックを目の前に控えているこの国には物を製造するのに安全、安心、誠意、信用といった思想はないのだろうか。「全くあり得ない物が入っている物に関しては、それがないという前提で世の中は出来上がっているから、それを検査することがそもそも無理」(アジア食品安全研究センター)という理屈は、今の中国製品には通用しない。
「Made in China」のブランド力・国際的信用は堕ちるばかりだが、今後、自分の身の安全を保ち守るためには消費者個々がより賢くなり、中国製品の不買選択をする以外に道はないのだろうか。

甲子園ドラマ

2007-08-26 07:28:06 | weblog
第89回全国高校野球選手権大会は、連日猛暑のなか甲子園で熱戦が繰り広げられてきたが、8月22日佐賀北校が、決勝戦で広陵高校を破って全国制覇し、4081校の頂点に立ち閉幕した。佐賀北校初優勝おめでとう。
この試合佐賀北は7回までヒット1本、0:4とリードされ敗色濃厚の情勢だったが、8回裏突如満塁ホームランを含む一挙5点をとって一機に逆転した。まさに筋書きのないドラマをこの大舞台で見事に演じてみせてくれた。
佐賀北といえば公立(県立)通信制の特待生とは全く無縁の高校である。地区予選では優勝しても超高校級の選手はおらず、甲子園ではほとんどノーマークのチームだった。それが甲子園に来て宇治山田商と延長(15回)再試合の後、試合をする度ごとに強くなり、あれよあれよいう間に並み居る強豪校を打ち破ってきた。決して派手さはないが、「投」「攻」「走」「守」四拍子の揃ったバランスのとれた「がばい」(佐賀方言で『すごい』の意)チームである。
同校は、「学びたい時に誰でも学べる高校」自主・自立の校風のもとに15歳から70歳まで2,000名が在籍している稀有な学校で、野球のために勉強を疎かにしなかった百埼監督も「選手達はもう私の手を離れて成長している」と選手の成長を認めている。また、夏休みの宿題を甲子園にまで持ち込み勉強をさせた逸話も報じられている。
文武両道にわたり真摯な態度で取り組んだ彼らには神様が味方し、ご褒美として「全国制覇」を与えたのかもしれない。11年振りに達成した公立校の優勝は高校野球の理想であり鏡でもある。

夏 蝉

2007-08-23 11:13:58 | weblog
暦の上では立秋を過ぎたというのに、日本列島は連日35度を超す猛暑日で熱中症による犠牲者、被害が続出している。文字どおり残暑お見舞い申し上げたい。炎暑に滅法強いのは「サルスベリ」「夾竹桃」「蝉」だと思いきや、なんと今年は蝉の鳴き声が少ない感じがする。例年、雑木林や公園などいたるところで「ミーンミン」「ジージー」「ニイニイ」「カナカナ」「ツクツク」とうるさいほどの大合唱が聞こえていたのに、今年は同じ場所に行ってもその競演は極端にトーンダウンしている。メスを求めて奏でる夏の風物詩がまたひとつ消えそうな感じだ。
中国やアメリカ人にとっては、蝉の鳴き声は単なる騒音と受け止められているようだが、日本人は古来からその鳴き声を擬音語に表し、「蝉時雨」「空蝉」など生活と密着させて季語や文壇に登場、日本の文化としても大切に守ってきた。
幼少のころ朝早くから桑畑へ蝉とりに行き、脱皮寸前の蝉を沢山採った記憶も懐かしいが、日本にいる約30種類の蝉の大半は3~5年間を地中で過ごし、数日間の地上生活での謳歌を犠牲にしてしまった罪を、今この歳になり恥じ悔いている。
地球温暖化が言われて久しく、各地から生物の絶滅危惧種、生態系の異変、異常気象が伝えられる中、人間による環境破壊を乗り越え、彼らのやかましいほどの「愛の歌」が、この時季山里いっぱいに鳴き渡ることを願って止まない。
短いながらもその「生」を懸命に生きているセミの生き様に、今年もまた教えられた思いがしている。

防衛省次官人事

2007-08-20 09:32:17 | weblog
ここ数日間、小池百合子防衛相と守屋武昌事務次官が、次官の退任や後任の人事をめぐって鋭く対立、官邸も巻き込んで火花を散らしてきた。この人事バトル結局官邸が間に入り、双方の主張する後任者とは別な防衛庁時代からの生え抜きの増田人事教育局長を充てることで決着したが、お粗末な痛み分け劇に終わった。
ことの発端は小池防衛相が、正副官房長官が開く人事検討会議に向けて、塩崎長官への連絡を怠り、人事を私物化しようとしたことにある。しかし、いくら官僚トップといえども、通常、次官の任命権をもつ大臣の意向に反旗を翻すことなど許されず、まして自衛隊という執行部隊であればなおさらだ。守屋氏にしてみれば在任中、在日米軍再編や自衛隊の国際貢献などを推進した実績・自負があり、このプライドを傷つけられた側面もあるが、このドタバタ劇は両者とも国の守りを預かる要人の行動とはとても思えない。
イージス艦中枢情報流出事件に代表されるように、省内に情報漏洩体質がはびこりトップ人事を決断したのであれば、筋道を通して行うべきでこの程度の人事を首相の指導力に飛び火させるのは、それこそ筋違いではないか。
今や日本を取り巻く周辺の環境は安全ではなく、国内的にも地震、台風等の災害も多発傾向にあり、加えてテロ特措法の対応等防衛省のかかえる課題は多く、国防に一時の間隙も許されない。
防衛省はこんなつまらない内紛にエネルギーを費やしている暇はないはずで、今こそ大臣を中心に一枚岩となり職員・隊員の士気を高め、国と国民を守ることに専念することが求められている。

終戦の日

2007-08-17 09:00:15 | weblog
今年も記録的な暑さの中で「終戦の日」がめぐってきた。62年前のあの日小学2年(8歳)の私は、実家隣にあった郵便局のラジオで玉音放送を聞いていた。高性能のラジオでないため雑音が入り、周波数の加減でよく聞き取れず話の内容は理解出来なかったが、周囲の人達の雰囲気から“戦争に負けた”ことは子供ごころに察知した。その時私は深く考えることなく小躍りして終戦(敗戦)を喜んだ。
おそらく出征していた二人の兄が帰ってきて逢えるという単純な理由からだろう。この日はとりわけ暑い日で道路脇には「ヒマ」の実がたわわに実っていた。
戦争に負けたことがどれ程重大なことであるかもわからないまま、間もなくジープに乗り銃を持った進駐軍が村に入ってくるや、兵士に近寄りチューインガムをねだった記憶ばかりが鮮明に残っている。
今年も終戦の日政府主催の全国戦没者追悼式には、天皇、皇后両陛下をはじめ各界代表者6,000人が参列したが、安倍総理は日本の加害責任に言及し謝罪したうえで「不戦の誓いを堅持し、世界の恒久平和確立に積極的に貢献する」決意を述べている。246万余柱の霊に対して尊崇の念を持ち続けているのであれば、この日靖国神社にも参拝して欲しかった。閣僚では高市早苗沖縄担当相を除いて誰も参拝しないのではあまりにも情けない。
現在われわれが当たり前のように享受している平和は、数限りない同胞の尊い犠牲のうえに成り立っていることに心し、これから始まる憲法改正、靖国参拝問題を論じないと国民の信頼は得られまい。終戦の日を迎えるたびに、そんな思いと矛盾を感じている。

リトルボーイ

2007-08-10 10:02:50 | weblog
8月9日は62回目の「長崎原爆の日」だ。広島と長崎に投下された2発の原爆による死者は、広島26万人長崎7万5000人、日本は世界で唯一の被爆国となった。
“リトルボーイ”とは、第二次世界大戦末期の1945年8月6日広島に落とされた原爆のニックネームで、ちなみに長崎のそれは“ファットマン”である。
リトルボーイはその日、広島に飛来したB-29エノラ・ゲイから投下され、原爆ドーム上空580メートルで炸裂した。ウランやプルトニュームの核分裂から生ずる熱線、爆風、衝撃波等のエネルギーや連鎖反応は、人類ばかりでなく都市や自然、地球までも破壊させる計り知れない威力をもっている。
日本に対しこんな恐ろしい兵器を、実験台に2発使用したのだからたまったものではない。「怒りの広島 祈りの長崎」は、莫大な被害を受けながらも60年余「非核三原則の法制化」を訴え続けてきたが、今もって実現していないばかりか、地元選出大臣の「しょうがない」発言に足をすくわれた感じだ。
核廃絶は世界の悲願であるが、高校時代世界史の時間で学んだ「アームドピース」(各国が相応の武力を持つことによって保たれる平和)の考え方が、あれから半世紀過ぎた今日、今もって原子力の平和的利用の名のもとに核開発が進められている現状では廃絶の道程は遠いと言わざるを得ない。
アメリカの核保有が認められて、北朝鮮の核保有が悪だという根拠が私には理解できない。人類にとって最も危険な核兵器は、国や理由のいかんを問わずすべて廃絶すべきだ。

朝青龍

2007-08-06 19:39:51 | weblog
第68代横綱朝青龍(26)は、「腰の疲労骨折」などとする全治6週間を要する診断書を提出し、8月3日から始まる夏巡業をサボり、本国(モンゴル)でサッカーに興じていたアンフェアーな行動が発覚した。これに対し日本相撲協会は、秋場所(9月)と九州場所(11月)の出場停止・謹慎、4ケ月間30%減俸の処分を下した。朝青龍は、今までにもモンゴルへの無断帰国、公式行事への無断欠勤、怠惰なけいこ、土俵上での粗暴な振る舞い等横綱としての問題行動が多く、協会やファンの鬱積が今回一気に爆発した感がある。
大相撲は神事「相撲(すまい)の節会」に端を発する。ちからびとが四股と柏手(かしわで)で邪悪をはらい、大地を踏みしめ五穀豊穣を願う。その心を今に残すため、末裔は髪を結い土俵に上がる。単に勝ち負けの結果ばかりでなく、その底流には武士道の心が流れ、礼節を最大限重んじている。それ故に横綱にはそれにふさわしい品格が求められるが、彼の場合大相撲を、土俵上での力・技比べ、外貨獲得の手段としか考えておらず、また、日本文化の何たるかも理解しないで、強ければそれでよいと受け止めているフシが見受けられる。
今回の問題は、ひとり朝青龍の資質に帰するものではない。相撲が国技である以上、そうした前兆行動が以前からあったのであるから、協会も親方もこれを指導し是正しなかった”放置した罪””教えざる罪”の責任が問われる。
質は異なるが、任命した大臣の処分が遅れ、政治不信を招き支持率を降下させてしまった安倍内閣の対応と重なり合う部分がありそうな気がしてならない。

阿久 悠

2007-08-03 11:37:34 | weblog
昭和歌謡史に偉大な足跡を刻み、作詞家で作家として活躍、多くの新人歌手を輩出してきた阿久 悠氏が8月1日尿管ガンで死去した。享年70歳。
本名深田公之。別名多夢星人。ペンネームの阿久 悠も「悪友」から引用したとは彼らしい。巡査の子として生まれ、8歳の時故郷の淡路島で玉音放送を聞いたという彼は、私とは全く同じ時代を駆け抜けてきただけに、作詞や連載コラムを通じて平成の世に警鐘を鳴らし続けてきた考えには共感・敬服のほかない。彼の備忘録には、国の行く末を憂い、変質する日本人の姿を案じ、日本語の乱れを危惧する文字が並び、春と夏になると高校野球への熱い思いが綴られていたという。
産経新聞生活面の連載「阿久悠 書く言う」は、こうした問題を毎回取り上げて論評してきたが、6月9日付が最終稿となってしまい、周辺には「『-書く言う』を遺言のつもりで書いている。」ともらしていたそうだ。確かにこの遺稿を読むと例えば「国会が乱れているということは、国全体が乱れていることだ。議員を責める前に自分が選んだ反省を口にする人はいない。主権者が突然傍観者になり、評論家になるようでは民主主義は機能しない。」と死を代償に正論を吐いている。
1977年自作のテーマソング「君よ8月に熱くなれ」が甲子園球場に流れる高校野球の時期となったが、彼の名作を演出する多くの若い歌手や球児達の活躍をどのような思いで天国から眺めているだろうか。未だ時代と大衆の中から戦後の日本人の願望や遊び心を詩を通じて巧みに紡ぎだし、代弁してくれた彼のつぶやきやぼやきが聞こえるような気がする。
日本は100年に一人という稀代の逸材を失った。ご冥福をお祈りしている。合掌