私はヤゴです

水中から地上へそして空中へ飛び立つ人生を

番号ポータビリティー

2006-10-30 08:40:50 | weblog
10月24日携帯電話の電話会社を変えても番号を継続できるいわゆる「番号継続制度」(番号ポータビリティー)が全国一斉に導入された。
私はこの10年来携帯電話を使用してきたが、特に不便を感じていなかったのでこの制度には無関心で過ごしてきた。ところが皮肉にも制度導入の翌日10月25日私の不注意から大事な携帯電話が洗濯ばあさんの手に渡りそれが洗濯機の中へ・・・。ハッと気がついた時はすでに遅く水が入ってしまい、急いでショップに駆け込んだがデーターの復元は出来ないとのこと。番号は同じでも不本意ながら新品を購入するはめとなり、結果として好まざる本制度を活用することとなった。
考えてみるとこうした制度は、ユーザーの利便性という大義のもとにメーカーや業界の思惑や過当競争で行われているもので、パソコンやテレビの業界においても同じ問題を内包している。
パソコンも現在使っているウインドウズXPは2年後には製造中止となるらしい。また、テレビも3年後にデジタル放送に変われば、その都度相当の出費をしなければ対応できなくなる。法律で決まったものなら守らざるを得ないが、これが業界のご都合主義で変えられ他に選択肢がないとなるとユーザーとしてはたまったものではない。
先の東証のシステムの障害や今回のソフトバンクの奇襲割引作戦でのトラブルもみんな想定外の事態が生じ準備不足から墓穴を掘り利用者の失望を招いている。
売らんがため利潤追求に走る業界のモルモットとして踊らされることのないよう、今からでも勉強をし賢い消費者になりたいものである。

小諸会

2006-10-23 10:42:24 | weblog
紅葉が見ごろになった晩秋の10月21日(土)年1回の小諸会が開催され、県内各地から13名が集まり浅間温泉「小柳」で懇親を深めることとなった。
この「小諸会」は、昭和55年から3年間、小諸で職場を同じくした者達の内、気心が知れたもの同志が会をつくり、以来20数年間毎年集まり当時を回顧しながらガス抜きを図り懇親を深めている。すでに退職した者も数名いるが、あの頃に比べればお互い一皮むけて立場も変わり成長しており、これからも小諸会を絆にまとまり続けて行こうという気持ちは一致している。設立に口出ししたわけではないが、第1回から今日まで会長に祭り上げられ困惑している。
・Nさん 一女の子を持つ肝っ玉母さん。気持ちも行動も積極的で会員の信頼も厚く、会の中心的存在となり輝いている。一寸肥満型だが美人の紅一点。
・A 君 愚直に仕事一筋に生きてきた匠的存在の仕事人間。2年後の定年を前に辞めたいと表明。会員みなから総スカンをくっている。
・M 君 往年は二輪車全国大会で優勝するなどのテクニシャン。最年少だが考えは保守的で堅実な人生設計を描き、着実に実行している好青年。
・Fさん 15年前に退職。自適な生活のかたわら地区の敬老会長として活躍。
当会の酒豪な長老でもあり若輩の意見にも耳を傾けながら自らの人生訓で諭す。
・T 君 若いころから感情表現が豊かで涙もろい。組織の矛盾、不条理、理不尽を熱く語る。常に牽引的存在で彼なくして会の存在、存続は考えられずその求心力は抜群。
この外の会員もいづれ劣らぬ強烈な個性の持ち主ばかりだが、根は優しく同じ土俵(小諸)で仕事をした当時の思いを大切に、来年も健康での再会を誓い別れた。
  

い じ め

2006-10-18 10:09:49 | weblog
北海道滝川小の小6女児、福岡三輪中の中2男子生が遺書を残して自殺し、その背景にいじめが存在、後の学校側・教委の対応がそれぞれ問題となっている。
「いじめ」は、解説をみると弱いものを苦しめるとある。また文科省は「自分より弱いものに一方的に身体的、心理的な攻撃を継続的に加え、相手が苦痛を感じている状態」と定義づけている。「いやがらせ」「差別」「パワーハラスメント」「プレッシャー」の類は広義のいじめの範疇に入るのかもしれない。
自殺やいじめ・虐待を10年前の数と現在とを単純比較してみると、前者が1.5倍後者はなんと22倍強に増えている。いじめは学校だけにあるものでもなく、広くは政官界をはじめ経済界、スポーツ、芸能界等集団で社会生活をし活動するところにはどこにでも自然発生的に存在する。またいじめは今にはじまったことでもない。
子供のいじめが原因で自殺したケースについては、世の中こぞって学校教師・管理者、教委のあり方、責任を追及しているが、はたしてこれで問題が解決し、いじめがなくなるだろうか。国をはじめ家庭、学校、地域が真剣に取り組まなければならない深刻な問題でもある。
多感な子供の時に失敗や傷つく体験をし、その中から多くを学び逆境から立ち上がる根性、痛み、思いやりといった感情が醸成されて大人になっていくことの方が、むしろ自然でありそれが現実でもある。いつの時代でもこの世からいじめがなくならない以上、全く傷つかない過保護で温室育ちの子供より、細菌やウイルス等あらゆる外敵から身を守る抵抗・免疫性の高い子供を育成することの方が先決のような気がする。世の若者よどんなに苦しくても゜君死にたもうことなかれ゜

TOIGO(トイーゴ)

2006-10-14 19:46:13 | weblog
長野市の中心市街地新田町交差点脇に市街地活性化策として二つのビル「トイーゴ」がオープンした。9月22日SBCビルが10月1日WEST(ウエスト)ビルがオープンとなりそれぞれ1・2階がテナントとして商業施設が入りその集客が期待されており喜ばしいことである。
折角莫大な資金を投資して建設された施設にケチをつける積りはないが、一つ残念に思うことがある。SBCビルは地上10階建てその3~10階を信越放送(株)が使用している。10階フロアーは社長室、役員室が占拠しているという。おそらく10階からの眺めは北アルプスをはじめ善光寺・市街地一面を360度眺望できる絶景の景観であることが推察される。こうしたかけがえのない景観は、市や地域の財産として位置づけていってほしい。
このビルの建設に当たっては当然市からの補助(税金)があっただろうから、こうした素晴らしい景観は市民が共有し等しく享受すべきものではないだろうか。そう考えると10階フロアーは、公共の場として食堂か展望台・イベント会場等に開放して欲しかった。放送事業が公益のために行っていることを考えあわせると、こうしたスペースは一部の者のために使用すべきではないと思う。
このビルが真に地域に根付き活性化策として機能するためには、長野市民をはじめ周辺住民に愛され、お客を引き付ける心、リピート(再訪問)率の高いものでなければ一時的な賑わいで終わってしまい長続きはしないだろう。東京タワー、ランドマーク、その他高層ビル等景観を見たいがために子や孫を連れて訪れる施設は全国にいくらでもあり、それが集客策の大きな要素にもなっている。人間はどんなに高所恐怖症の人でも屋上から街を俯瞰的に見ることに不快の念をもつ人はいない。トイーゴがこの例外ではないはずだ。
今回トイーゴの建設にあたり、「会社重視市民軽視」の姿勢が設計に反映されたとするならば、長野市とSBCのステータスを疑わざるを得ない。



放 浪 記

2006-10-11 18:08:59 | weblog
10月の連休を利用して年金受給者対象の1泊素敵ライフツアーに妻とともに参加。名古屋中日劇場での「放浪記」観賞、伊勢神宮参拝、名古屋城見学、松坂牛の昼食会等秋晴れの濃尾地方を満喫してきた。
名古屋はかつて「名古屋オリンピック」「愛知万博」「中部国際空港」の開催・建設をセットで目指し、日本のへそとしてトップ企業(トヨタ)を中心に発展を遂げてきただけにどこに行ってもその気概が伺える。今日の中日ドラゴンズのリーグ優勝がさらにこの勢いに拍車をかけることだろう。今回の旅の主目的は放浪記観賞であっただけに胸キュンキュンの思いで臨場した。前から7列目まさに至近距離の砂かぶり席。俳優の演技・表情・息づかいまで手にとるようにわかる。
ご存知「放浪記」は、大正から昭和初期にかけて貧しい境遇から這い上がって一家をなした作家林芙美子の半生記を描いたものである。1800回を超える公演を主役の森光子(85)が見事に演じている。林芙美子の人間像を全身全霊を込めて演じ続ける森光子の女優魂、時代を超えて見る者の心を打つ作品の魅力には感嘆するほかはない。加齢とともに涙もろくなり途中何回涙したことか。貧しい過程の芙美子と人気作家になり傲慢になった芙美子の姿に、人間の幸せとは一体何なのかこの劇はそれを観客に問いかけている。終幕では10分余り森光子の無言沈黙の演技が続くが、それでも観客の心を掴んで離さず万来の拍手を受けるあの演技力、エネルギーはどこから出るのか本当に敬服する。まさに文化勲章に値する最適な大女優であり日本文化の大きな財産でもある。
こんな素晴らしい作品や演技に感動し劇場を出た途端、北朝鮮核実験実施を伝える悪夢のような号外にみな群がっており興ざめだ。あの国はどこまで罪深く人騒がせで危険な国なのか。

難解な日本語

2006-10-08 15:24:40 | weblog
「怒り心頭に達する」「愛想を振りまく」「白羽の矢が当たる」先般行われた文化庁の「国語に関する世論調査」で指摘された誤った言葉の使い方の一部である。
私自身日常会話の中であまり深く考えることなく無意識に使っている言葉が、正しい使い方でないものはいっぱいある。「従来から」「あとで後悔する」「一番最後」「肝に据えかねる」等々。多少の誤りはあったとしても知人間ではそれがなんとなく通じ合っていることから、正しいと錯覚に陥ってしまう。
こんな表現でさえ正しく使えないのに、日本では尊敬語、謙譲語、丁寧語、美化語に加えて方言、外来語、合成語のほかここに若者ことばが混じってくるのだから日本語の使い方とその理解は本当に難しい。「米」「酒」「皿」「菓子」等に「お」をつけることは美化語として一般化しているのに、外来語である「ビール」に「お」をつけるのは誤りだという。先日も商品購入の勧誘電話があり「結構です」と断ったつもりが、相手側には申し込みを承諾したと勘違いをされる笑えないケースもあった。一般的には本も読まない文章も書かないでメールや電話だけで意思疎通を図っているとこうした結果になるのだろうか。
曾野綾子氏は「日本人は人権や平和を熱く語っても゜読み書き゜が不自由になった。月に一回はノーテレビ・携帯デーと学校では週に1度の作文時間それに月に1度の読書感想文の提出を習慣づければ子供も変わる」と提言している。大賛成だ。これから安部内閣では教育基本法案が論議されるが、義務教育段階ではこの「読み書きそろばん(計算)」の基礎学力をしっかり身につけ規範意識の高い子供にするような改正を強く望みたい。
今宵は仲秋の夜長に遅まきながら「美しい国へ」を読むとしようか。

給食費

2006-10-04 14:13:21 | weblog
給食費-それは学校給食法に基づいて支給される食事に対する小・中学生の給食費用のことである。最近、家計にゆとりがあり高級外車を乗り回し、携帯電話に何万円も払っているのに給食費を払わない保護者が増えており、全国ではその数8%を超えるというのだから驚きだ。現に宇都宮市では、この滞納総額3290万円の保護者38人に対し支払い督促を宇都宮簡裁に申し立て法的手段に訴えたほか各地で同様な動きが出ている。
こんな事態を報道で知ったが、この問題は教育界ではすでに”公然の秘密”であるらしい。今までにも不足分については、教師やPTAが立て替えその場しのぎで乗り越えてきたものが、高額に加えて同様の保護者が増え、卒業した子供達まで後に踏み倒すに及び一気に表面化した。滞納している保護者の多くは「義務教育だから払いたくない」「給食を出せと頼んだ憶えはない」「給食を止められるものなら止めてみろ」と拒否し開きなおっているという。給食が自己負担であることは公知の事実であり、これを受け入れているはずなのに・・・。
たかが月額小学生3900円中学生4500円の給食費を断る保護者のモラルは、これほどまでに落ちてしまったのかと情けなくなる。「この親あってのこの子あり」子供は常にこうした親の背中を見ながら成長している。将来この子供達がどんな親になるのか心配だが、せめてこうした親を反面教師にして染まらないことを願うのみである。
給食費に限らず、各種税金、健保や年金掛け金、NHK受信料等支払いしない者が得をする「ゴネ得」を許さない公平な社会づくりは「格差社会の是正」にも通じるものだ。

メタボリックシンドローム症候群

2006-10-02 16:57:01 | weblog
最近、死の五重奏を招く「メタボリックシンドローム症候群」といった聞きなれないショッキングなことばが巷間にぎわしている。五重奏とは、高血圧、高脂血症、糖尿病、肥満症に加えて今回追加された胃ガンの五つである。
この症候群は、内臓脂肪の過剰な蓄積に起因する生活習慣病のリスクが高まっている状態で、特に肥満症はこの内臓脂肪型肥満であり要注意とされている。
調査の結果、日本人のこの該当者及び予備軍は男性42.9%女性18.0%合わせるとなんと全体の60%強の人がこの症候群の脅威にさらされているのに関心はまだまだ薄い。適正な体脂肪率(全体重に占める体脂肪の重量比率)は、男性20%前後女性24%前後、またウエストは男性85cm女性90㎝が限界とされているが、私の場合体重も含めていづれもこの数値を上回っている。にもかかわらず体調の異変や自覚症状がなく日常生活に支障が生じていないばかりに、MS症候群の怖さを忘れこれらの是正はどうしても二義的になってしまう。
もとより健康維持の大原則は
  ・バランスのよい食事  ・十分な睡眠  ・日常的な運動
と言われているが、複雑な現代社会では「速やかなストレス解消」は欠かせない。
現在、私は起床と同時に真水1杯と10回程の深呼吸。月に3~4回のゴルフ、週に2~3回のブログ投稿のほか多少の栄養補助食品、免疫強化剤等を食しながら運動やストレス解消を図る健康法をしている。水は機会あるごとに補給し、タバコも1日30本以下に節煙している。
こうした方法がはたして正解かどうかは、12月に行われる人間ドッグの検査結果で試されることになる。