私はヤゴです

水中から地上へそして空中へ飛び立つ人生を

32 世代交代

2008-10-29 16:26:27 | weblog
スポーツの秋。10月28日スポーツ界に二つの大きな世代交代のニュースが流れた。女子マラソン界のベテラン高橋尚子選手(36)の引退とワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表監督に巨人の若い原辰徳監督(50)の就任が決定したことだ。
高橋は、「陸上だと靴1足で済む。親孝行でしょ」とはじめたマラソンは中学・高校では無名だったが、小出義雄監督と組んでから頭角を現し、国内・国際大会やオリンピック(シドニー)で優勝、世界記録を出すなど世界のトップアスリートとして一時代をつくり君臨した。そんな彼女も故障や加齢には勝てず「精神的にも肉体的にも限界を感じ」ついに引退表明となった。Qちゃんスマイルは陸上界にはなくてはならない存在。これからも後進の発掘・指導に留まって欲しい。本当にお疲れ様でした。
一方の原監督。シーズンではトップの阪神に13ゲーム離されていながら持ち前の粘りで追い上げ、見事リーグ優勝するとともに第2ステージも勝って日本一に一歩近づいた。その原動力になったのが山口、越智、坂本、脇田等若手の台頭だ。若手とベテランの力、守りと攻撃のバランスに走る野球を加えたことがチーム力を倍加させた。これも原監督以下コーチ陣の大きな功績だ。
星野氏の統率力に対し原監督は団結力を強調している。当面は日本シリーズに向けての指揮が優先されるだろうが、いづれ近い将来イチローや松坂などメジャー選手を含めたWBC用のチームづくりとその采配には各層からの信頼が厚い原監督が最適任である。尊敬している王コミッショナー特別顧問の力も借りながら世界一の夢を果たすよう期待している。

 31 優勝コンペ

2008-10-26 07:41:55 | weblog
ゴルフシーズンの10月22日(水)長野京急CCで行われた「芝会」なるゴルフコンペに参加し、70名の並居る強豪を相手に個人優勝(NET71.4)を遂げ驚いている。
このコンペ県内の有力企業46社が協賛し、年々盛況で賞品も全員に贈られるというめずらしい交流会だ。2人1組をそれぞれチームとして参加、18ホールズストロークプレー、新ペリア方式で競い団体・個人の順位を決定する。
私は市内の会社社長Nさんに誘われて参加したが、現在71歳おそらく参加者の中では最高齢の域ではないだろうか。そんな高齢者を救済するためにこの競技規則も65歳以上の男性はシニアティーの使用を認めていた。
天候やパートナーに恵まれ楽しく競技は終わったが、自身の成績は不本意なものでNさんの足を引っ張り迷惑をかけてしまったことで反省しきりだったところ、なんと表彰式では一番最後に私の名前が呼ばれ見事個人の部で優勝の栄に浴した。
数万円もする3番ウッドに信州牛1㎏を賞品にいただき夕食に孫達とお祝いしたがこの優勝は技術ではない。高齢者救済ルールを無視しレギュラーティーから無心に打ち続けた競技姿勢に神様がご褒美に幸運(隠しホール)を与えてくれたものと感謝している。
ゴルフをはじめて20年。ゴルフは人生そのもの。人生にはこの先なにが起きるかわからず天気予報などない。まして生き方の説明書やコースマネジメントのマニュアルなどあろうはずもない。いかにミスなく目前の状況に対処するか現場対応術だ。それには感性と知恵・体力をフル稼働し、最良の結果を期待しつつ、最悪のミスを想定し最善を尽くすゴルフは「人生学」そのものだ。これからも末永く健康で好きなゴルフを楽しみたい。

30 ト キ

2008-10-21 10:44:27 | weblog
本年9月25日佐渡市小佐渡西麓地区で人工飼育されていたトキのうち10羽が、野生復帰をめざして試験放鳥され27年振りに日本の空にトキが舞った。今後、GPS発信器で行動の追跡調査を行いながら順次放鳥の数を増やしていくという。
「トキ」は、朱鷺、鴇、鴾等と日本全土に分布し古くから親しまれコウノトリ目トキ科の鳥で、国際的な正式な学名も「ニッポニア・ニッポン」の愛称で呼ばれている。
かつては日本の大空を狭しと飛んでいたトキではあるが、乱獲や環境の変化に追いつけず1926年には絶滅したとされていた。
ところが1933年(昭8年)佐渡でトキの営巣が確認されたことから、
     1934年  天然記念物      指定
     1952年  特別天然記念物   指定
     1960年  国際保護鳥      指定
するとともに禁猟区、保護区を設け官民一体となった保護活動が続けられる一方、人工飼育も懸命に行われたがいずれも失敗し、ついに2003年10月最後の日本産トキ(キン)の死亡が確認され、日本産のトキはこの時点で絶滅した。
老齢の国産トキに期待できない日本は、1999年当時の中国江沢民国家主席から贈られた中国産つがいのトキ(ヨウヨウ・ヤンヤン)をトキ保護センターで飼育・人工繁殖を行い、現在122羽にまで増殖することに成功した。人間が絶滅に追いやったトキは、なんとしても人間の手で復調させ、トキが安心して飛べる環境を取り戻してもらいたい。

29 九州への旅

2008-10-16 18:27:20 | weblog
旅行シーズンのこの時季昨年は北海道を制覇した自信から、今年は友人Kさん夫妻と4人で九州全県をまわる自動車旅行を10月10日に敢行した。
観光を兼ね長崎原爆の地や鹿児島知覧特攻部隊の発進基地を参拝、しばらく逢っていない各地の友人と再会することも今回の旅行の大きな目的だったが、5泊6日3,500km余におよぶ旅行を満喫させてくれたのは、どこに行っても好天に恵まれたことだった。初めて訪れる地は、雄大な長州から薩摩路を走りぬけ、視野を広めたことによって多くを学び、人の温もりに接し満足至福の旅となった。
特に本土最南端知覧特攻基地跡の平和会館を訪れ、参拝をした時には思わず目頭が熱くなった。同会館には、20歳前後の前途有望な若者達が祖国日本の安泰を念じながら1機をもって1艦を沈める特攻作戦に出撃散華した1,036柱の英霊が祀られている。特攻勇士の遺品、遺影、遺書や8,000点に及ぶ戦史資料を見ていると戦争のためにいとも簡単に人の命が扱われ、それに従順に従った彼らを作り上げた当時の教育のあり方にそら恐ろしさを感ずる。
杉木立に囲まれた「三角兵舎」に閉じ込められ、死を前にして父母に書く若者の遺書の迫力は、到底現代の若者の及ぶところではない。志半ばで不本意ながらも国のために死をもって散って行った若い彼らが可愛そうでならないし哀れだ。
戦争の悲惨さと平和のありがたさを感じた長丁場の旅も一路信州に向けて車を走らせ、楽しい旅ができた健康に感謝しながら10月15日無事帰宅することができた。

 28 コスモス

2008-10-08 06:45:45 | weblog
10月7日の誕生花は「コスモス」だ。原産はメキシコの高原地帯。日本には明治20年ころに渡来した菊科の一年草で、秋に桃色、白、赤の花を咲かせ可憐で庶民的な花として親しまれている。花ことばは「少女の純真」「真心」。
この花、妻が好きなことから我が家の裏庭にも数十本のコスモスが背丈よりも高く咲き誇り、暑さや溜まるストレスを癒してくれている。色や模様もさることながら八重や舌状花が丸まったものなどその種類も多種多様だ。
元来「コスモス」は、ギリシャ語で宇宙、秩序と調和を意味する世界を表現することばらしいが、外国からきた花にしては、地味で決して派手さはなく与えられた環境の下で、周囲に遠慮しながらけな気に咲いている。日本の風土になじみそうした庶民性から「秋桜」の愛称がつけられ親しまれ、夏から秋を代表する花でもある。他を侵食せず、横に深く根を張らないことから支柱がないと風等で倒れる弱点をもっているが、これも他国に来て末永く生き延びるための彼らの知恵かもしれない。日当たりと水はけさえよければあまり手はかからないので、景観植物としてコスモス街道、コスモス園として観光にも一役買っており、全国ではコスモスをシンボルの花としている市町村は数多い。長野県でも佐久市、信濃町、下条村などが観光資源として活用している。
1977年嫁ぐ娘が母を思う心情を歌った名曲山口百恵の「秋桜(コスモス)」はあまりにも有名で心に残っており、この時季になると郷愁をそそる。
 ♪薄紅のコスモスが秋の日の  何気ない陽だまりに揺れている
  この頃涙もろくなった母が  庭先でひとつ咳きをする ・・・

 27 閣僚の失言

2008-10-04 02:38:00 | weblog
「物言えば唇寒し秋の風」「物は言いよで角がたつ」麻生内閣の国土交通大臣中山成彬氏が、就任直後の不適切な失言で責任をとりわずか5日で辞任した。
問題発言は「成田はゴネ得」「日本は単一民族」「日教組を解体」の3点である。
私自身この発言にさして違和感は感じていないが、閣僚という立場ではやはりその場のTPOや穏当を欠くということだろうか。戦後こうした失言で閣僚15人が辞めている。公式な記者会見や講演の場でなくても、気を許した記者に雑談的にオフレコとして語ったことがマスコミの格好の餌食となって取り上げられ、その結果謝罪・撤回・辞任に追い込まれた議員・閣僚は枚挙にいとまがない。
有名なところで歴史に残っているのは「バカヤロー解散」にはじまり「貧乏人は麦を食え」「アメリカは黒人がいるから知的水準は低い」「日中戦争で日本は侵略の意思はなかった」「南京大虐殺はでっち上げ」「女性は子供を生む機械」等々自分の所管外のことも含め多種多様だ。
翻って中山発言の中に日教組批判があったが同感だ。教育現場に政治闘争を持ち込み、教育の荒廃をもたらした元凶の一つはこの日教組ではなかったのか。意味のない「ゆとり教育」制度を主張し、国旗や国歌に背を向けよと教えた教育集団は日教組ではなかったのか。その日教組を支援してきたのはほかでもない小沢民主党だ。
議員であれ閣僚であれそんな日教組を批判してなぜ悪い。批判することの自由さえも奪い、その発言に対して言葉狩りのように集中砲火を浴びせるファッショ的風潮の方が問題だが、それにしても話し言葉の表現は難しく怖い。