「長幼の序」は、儒教の流れを汲む倫理観念で日本人の伝統的美徳の一つである。この大切さは戦前生まれのものなら幼児の頃から叩き込まれた美風でもある。
この思想の根底には、祖先、両親、目上の人、老人を敬い礼儀を尽す一方、子、孫、弱者、目下・年下の者には平等に慈愛を注ぐ考えが流れている。
日本では年齢が上か下かということが、“人生の先輩”として人間関係を決めるうえで非常に大切な要素となっているが、最近の日本、政治も経済も教育もゆがんだ自由主義、平等主義がはびこり、この「長幼の序」はいまや死語になりつつある。ある公立学校では、先生を「先公」と呼び、昼食時に「頂きます」「ご馳走様」というのは、先祖の霊に呼びかけることになり宗教教育になるとの理由からこのあいさつをやめたという。また、神社には合格祈願はしても、先祖のお陰で今日の自分があることも忘れ仏壇やお墓に手を合わせる若者は少なくなったという。寂しいかぎりだ。
今、社会問題となっている年金、医療、福祉、雇用、いじめのほかあらゆるジャンルで年寄りや弱者にそのしわ寄せが及んでいる。日本人の文化として長年培い伝統を守ってきたこの「長幼の序」は、ここ数年の間に跡形もなく消え失せ、長老を敬い弱者を助けるという社会の本来あるべき姿も消滅しそうだ。
昨日(2月25日)、落語界の大御所である三遊亭円楽師匠(74)が、「ロレツの回らない落語で入場料をとってやるのはお客さんに失礼だ」と惜しまれて現役を引退した。お客にたいする礼儀を守り、自ら「長幼の序」を実践し見事な引き際を演出したきれいな落語家である。
この思想の根底には、祖先、両親、目上の人、老人を敬い礼儀を尽す一方、子、孫、弱者、目下・年下の者には平等に慈愛を注ぐ考えが流れている。
日本では年齢が上か下かということが、“人生の先輩”として人間関係を決めるうえで非常に大切な要素となっているが、最近の日本、政治も経済も教育もゆがんだ自由主義、平等主義がはびこり、この「長幼の序」はいまや死語になりつつある。ある公立学校では、先生を「先公」と呼び、昼食時に「頂きます」「ご馳走様」というのは、先祖の霊に呼びかけることになり宗教教育になるとの理由からこのあいさつをやめたという。また、神社には合格祈願はしても、先祖のお陰で今日の自分があることも忘れ仏壇やお墓に手を合わせる若者は少なくなったという。寂しいかぎりだ。
今、社会問題となっている年金、医療、福祉、雇用、いじめのほかあらゆるジャンルで年寄りや弱者にそのしわ寄せが及んでいる。日本人の文化として長年培い伝統を守ってきたこの「長幼の序」は、ここ数年の間に跡形もなく消え失せ、長老を敬い弱者を助けるという社会の本来あるべき姿も消滅しそうだ。
昨日(2月25日)、落語界の大御所である三遊亭円楽師匠(74)が、「ロレツの回らない落語で入場料をとってやるのはお客さんに失礼だ」と惜しまれて現役を引退した。お客にたいする礼儀を守り、自ら「長幼の序」を実践し見事な引き際を演出したきれいな落語家である。