私はヤゴです

水中から地上へそして空中へ飛び立つ人生を

13 出版記念パーティー

2008-07-24 15:50:10 | weblog
この度、私の「ヤゴ自嘲記(Ⅲ)」の出版を記念して、ゴルフ仲間の23人が7月23日市内の割烹でパーティーを開いてくれた。同席にはマスコミOBで現在社長職にあるIさんも出席、光彩花を添えてくれた。本の題字を揮毫していただいたS先生にも出席を願ったが、都合がつかず残念だった。
友人とは有難いもの幹事の一声で全員が都合をつけて祝ってくれる。記念撮影の後、身に余る賛辞や心のこもった花束、記念品をいただきしばし感激に浸る。
ルーツを辿れば本書は出版を前提に原稿を書いたものではない。3年前ストレス解消と老化防止を目的にはじめたブログへの投稿がきっかけになっている。貯まった原稿を消去するのももったいないと出版したところ、これが思わぬ反響をよびその後、要望に応える形でつい調子にのって第Ⅱ、第Ⅲ巻を出版するハメになった次第である。
 300編を超えるエッセイの数々はつたない幼稚な内容ではあるが、日常生起する社会事象、事件、不条理等について自分なりの考え、批判、提言を素直に表現した積りである。それが多くの賛同や共感をよび、少しでも世直しに役立つことができればこんな嬉しいことはなく出版冥利につきる。
酒間、読後感をそれぞれ聞かせてもらい期するものもあったが、先般先輩からの手紙に「健康で好きなゴルフが出来、好きなことが書けて好きな友達に恵まれる。こんな幸せなことはないョ」とあった。まさにその通りで今の自分は幸せそのものだ。
そうした意味でも「ヤゴ自嘲記」(Ⅰ~Ⅲ)の出版は、私の人生にとって銭金では買うことのできない大きな大切ななにかを与えてくれた。

12 吉展(よしのぶ)ちゃん事件

2008-07-20 19:03:20 | weblog
          
昭和の犯罪史に残る吉展ちゃん誘拐事件は“東洋の奇蹟”と称された高度経済成長期最中に起きた。東京オリンピックの開催を翌年に控え沸き立っていた昭和38年3月31日、台東区入谷の村越吉展ちゃん(当時4歳)が近くの公園で誘拐された。警視庁は極秘に捜査していたが、1週間後の4月7日未明、身代金取引現場での張り込みに失敗、現金50万円を奪われたうえ犯人を取り逃がしその後吉展ちゃんも遺体で発見されるという最悪の結末を迎えた事件である。
 この度、当時この事件の取材を担当していた記者によって「誘拐捜査」-吉展ちゃん事件-(中郡英男著 集英社)が発刊された。犯人の人間像と刑事達との緊迫した攻防や人間模様がドキュメンタリーに綴られている。全国民が注目し、警視庁が威信をかけて取り組んだこの事件は、2ケ月近く経った5月27日小原 保(当時30歳)を別件で逮捕。勾留延長、再逮捕を繰り返しながら誘拐事件の真相解明に迫っていく。もともと証拠に乏しく頼りになる脅迫電話の声の鑑定も断定できないまま自供も得られず2年の歳月が過ぎてしまう。この間小原をシロと断定した曲折もあったが、結局この事件は、迷宮入り寸前“伝説の名刑事”“落としの八兵衛”と言われた平塚八兵衛部長刑事の熱意と執念で、昭和40年7月4日小原の全面自供を得、吉展ちゃんの遺体も発見して全面解決した。しかしここまでたどり着くには警察内部の反目と抗争、旧来の捜査手法と近代合理捜査との葛藤、過激化するマスコミ取材との闘いなどが複雑に絡み合った末の決着でもあった。ともすれば風化してしまうこの事件の問題点を克明にあぶり出した点では意義深く、一読に値する本でもある。

11 加藤紘一発言

2008-07-16 09:14:25 | weblog
自民党の加藤紘一元幹事長が、テレビ放送の番組で「拉致被害者5人は一旦北朝鮮に戻すべきだった」旨の発言をし、これが拉致被害者家族連絡会などから抗議をされる事態となっている。
 同氏は7月7日夜、日本BS放送「大人の自由時間」番組内の対談の中で2002年10月15日曽我ひとみさんら5人が日本に一時帰国した時の対応を問われ、被害者を戻した方がよかったか確認された際「当然です。国家と国家の約束ですから北朝鮮に返すべきだった」と断言、さらに「あんな北朝鮮みたいな国に、日本は政府と政府の約束さえ守らない国だと言われるのは片腹痛い」と述べ、「この辺が日朝の間で打開できない理由だ」と当時の政府の決定を批判した。
確かに国と国が交渉する際は、相手国の立場と自国の国益を比較考量し、信義誠実の原則に従って行うのが常識であるが、北朝鮮の場合は通常の外交感覚や国際常識では御しきれないしたたかな国である。
北朝鮮は、麻薬、にせ札、核製造のほか不法に他国に進入その国民を略奪するいわゆる拉致事件等を公然と敢行し、国際社会との約束を破り続けている国だ。被害に遭った人質の救出は、国の使命であり長年の悲願であったのになぜこの時ばかり「約束」を前面に出し「戻す」発言をしたのか理解に苦しむ。外交はそんなに甘くない。
加藤氏といえばYKKの一人。かつては首相の座を目指したこともある理論家の有力政治家だが、この発言は同氏の見識を疑わざるをえない。加藤氏に、少しでも弱い立場にある国民の目線で物事を見る姿勢があれば、こんな発言は出ないはずだが・・・。

10 死に神

2008-07-09 10:24:02 | weblog
朝日新聞が6月18日付け夕刊コラム「素粒子」で、13人の死刑を執行した鳩山邦夫法相を「死に神」呼ばわりし物議を醸している。
「素粒子」曰く「永世死刑執行人 鳩山法相。自信と責任に胸を張り、2ケ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神」といった具合だ。
このコラム記事に対し朝日新聞には、全国からの抗議は1800件を超え、6月25日には全国犯罪被害者の会(あすの会)が公開質問状を送ったが、この回答が内容不十分として7月7日同会は再質問状を送付した。「死刑確定後は死刑囚のことだけを考え、被害者の存在を忘れるのはなぜか」を求めている。遺族が処罰感情として極刑を求めることまで「死に神」扱いされたのでは、これ以上の屈辱と苦痛を強いるもので、感情逆撫でのなにものでもない。
死刑の執行は、死刑判決確定後6ケ月以内に法務大臣の指揮によって行うことになっている。取り返しのつかない執行は、最後の砦、法務大臣の責任と権限にかかっており、ここにもフェイルセーフの思想が貫かれている。
死刑判決事案の大半は最高裁まで争い、厳しい審判によって濾過されてきたものばかりだ。一部再審請求が出されているケースを除けば、執行には特に問題はない。従って法務大臣が死刑の執行命令を出すことは当然の職務行為であり、なんら批難される余地はない。朝日新聞は死刑制度に反対だろうが、死刑制度の是非と今回の死刑執行とは分けて考えるべきだ。これを混合してしまうと、将来死刑判決を下した一般の裁判員までが「死に神」呼ばわりされかねない。

9 「我母之躾」

2008-07-05 21:18:51 | weblog
私の手元に友人から借りた「我母之躾」と題した小冊子が一冊ある。明治44年に松代藩横田家の次女和田英が著したものを、昭和5年信濃教育会埴科部会が編集した40ページ程の冊子でセピア色をした年代を感ずる貴重な資料だ。
横田家といえば松代藩の中級武士家庭で、横田秀雄は大審院長を、その長男正俊は最高裁判所長官を親子二代にわたって司法界の最高峰を極めた。秀雄の実弟小松謙次郎は鉄道大臣を次男我妻光俊は一橋大教授を勤め、また実姉の和田英は「富岡日誌」を著するなど次々と秀才を輩出したまれにみる名門一家である。現在松代町の同家は、国指定の重要文化財として一般公開されている。
 こうした逸材を産み育てた母親横田亀代子とは、どんな人物なのかどんな育て方をしたのか興味は尽きない。資料によると、次女和田英が幼いころから母からの教え躾けられた人の道を克明に記してあり、横田秀雄氏も「母を憶う」と題して母への想いが切々と綴られていて、亀代子のシンの強さ、情愛の深さが偲ばれる。
例えば「わが身を抓りて人の痛さを知れ」「自分より年下と争う事はならぬ。負けて泣いて帰れば門内には入れぬ」「知るを知るとなせ、知らぬ事を知ったふりをするな」「決してうらみを返し、また仕返しをしてはならぬ」「人と交わるには誠を以ってせよ」「恩を受けたことを忘れてはならぬ」といった調子で解説を交え32章にわたり述べられている。また、横田秀雄氏も向学のため上京する際、親戚の反対を押し切って母が一人応援・理解してくれたことに感謝し、「あの子を信じる」この母の一語。これが今日の自分を導いてくれたと結んでいる。この母あればこそ、この子あり。この資料から、すごい明治女の真髄を垣間見た想いがする。


8 エスカレーター

2008-07-02 08:43:07 | weblog
先日小雨降る長野駅のエスカレーターに乗った際不愉快な思いをした。私は紙袋を右手に持ち左側に立って右側をわずかあけていた。後方から早足で登ってきた若い女性(学生風)が追い越しざま、私の紙袋に触れたのを機に「このくそおやじっ!」と私を睨め付け暴言を吐きながら足早やに人混みに消え行った。
あまりにも突然で予想もしない出来事に、ことばや追いかけ反論する元気さえ失った。
エスカレーターを利用するとき、右側に立ち左側を開けるという大阪の習慣は、大阪万博(昭和45年)で始まったらしい。その後東京にも伝わったが右側を開ける逆の乗り方となり、これは先を急ぐ人のためのマナーとして定着した。
そもそもこうした文明の利器は、ハンディキャップのある人や小さなこども、お年寄りのために設置されたものである。その証拠にエスカレーターの付近には必ず階段、歩行者用通路があり、健常者や急ぎの人はそこを通行すればよいようになっている。果たせるかなこの定着したマナーが最近崩れつつある。エスカレーターに乗ってなおかつその上を歩いたり駆け抜けたりする行為は、想定外でメーカーも「歩行は危険」の立場をとり、事故防止上も危険なマナー違反行為ともなっている。
弱者のために開発されたエスカレーターではあるが、時代とともにその利用方法やマナーが変りつつある。「狭い日本エスカレーターに乗ってまで駆け上がり、そんなに急いでどこに行く」エスカレーターに乗った時くらい後方を気にせずゆったり気分で行きたいものだネ。暴言を吐いたあのお嬢さん。