(雪の降りけるを見て詠める)
雪降れば木ごとに花ぞ咲きにける いづれを梅とわきて折らまし 友則
(53cm×22㎝)(画像処理にてカラー等調整)
高野切第一種と同じ筆者とされる大字和漢朗詠集切の拡大臨書を続けております。
和漢朗詠集(本体)の“冬”の“雪”の項目の、
「みよしのの山の白雪積もるらし・・・」(2023.12.18付拙ブログ)に続く一首で、
「みよしのの山の白雪積もるらし・・・」(2023.12.18付拙ブログ)に続く一首で、
紀友則(三十六歌仙の一人 紀貫之の従兄)の歌です。
“わきて”は見分けてぐらいの意でしょうから、深読みしなければ分かりやすい歌のようです。
木毎(きごと)が梅になるあたり遊び心でしょうか。
この歌は百人一首にもある
心あてに折らばや折らむ初霜の 置きまどはせる白菊の花
(百人一首29番歌 凡河内躬恒)
とよく対比されているようです。
前者が雪と梅、後者が霜と白菊となっているからです。
本歌の出典は古今和歌集ですが、Milord club様「古今和歌集の部屋」によれば、この歌は、
白雪の中の白梅を詠んだ歌群の締めくくりとして置かれているとのことです。
梅の花それとも見えず久方の あまぎる(天霧る)雪のなべて降れれば(334番歌 読み人知らず)
花の色は雪にまじりて見えずとも 香をだに匂へ人の知るべく(335番歌 小野篁(たかむら))
梅の香の降りおける雪にまがひせば 誰かことごとわきて折らまし(336番歌 紀貫之)
雪降れば木ごとに花ぞ咲きにける いづれを梅とわきて折らまし(337番歌 紀友則)
となっています。
それぞれ、“梅の花”が334と335(詞書に“梅の花に雪の降れるを詠める”)、
“香”が335と336、
“わきて折らまし”が336と337とに
使われていると。
一首の和歌を見るにしても、その歌単体ではなく、
周辺に配置された歌ともども見れば味わいも変わってくる、
ということのようです。
書道で見れば、拙ブログ「年ふれば齢は老いぬ・・・」(2021.5.17付)での、
3行ものの全体のデザインのとり方を思い起こしました。
2行目中央付近(本歌では“いつ連”)に重心があります。
1行目書き出し“ゆきふれ”のタテ軸線は重心方向に向かい、
ここを過ぎてからは遠ざかるがごとく右下に向かっています。
3行目の“わきて”、中でも“き”の3画目は、いかにも重心に向かっているように
私には見えました。
また「年ふれば・・・」の作品と同じく、2行目後半の
タテ線、ヨコ線の組み合わせもナルホドと。
更に字の太細の変化は、字相互だけでなく、同じ字の中でもなされているのが印象的でした。
世界遺産として残る飛鳥・奈良・平安の歴史的建造物も素晴らしいですが、先人が脈々と残してくれた大和の心の文化の遺産の奥深さを誇りに思い、ブログ作者の深い知識といつもながらの心優しい書作品に感謝します。
今回もですが、説明を読んで成程と大きく頷きました。
歌は単体だけでなく前後と関係しているとか、木と毎の遊び心とか、字の太細の変化等々、作品を作った人だけでなく、読む人の力量によってこうも見事に理解が深まるのだと感心しました。
時期的にもウォーキングをしていると今まさにあちらこちらに紅白の梅が咲き誇っています。今日明日が雪とのこと、どれが雪でどれが花かを見分けながら楽しみます。