
第二次世界大戦前の米国では、まだ旅客機による旅行が一般的でなかったため、遠くへ旅行するためには鉄道や客船を利用するしか手段がありませんでした。
このため当時からハワイが「夢の島」であることは知られていても米本土とくに文化の中心であった東海岸のニューヨーク、ニュージャージー、マサチューセッツ、ペンシルベニア等からハワイに出かけるためには大陸横断鉄道で何日も掛けて西海岸のサンフランシスコまで行き、そこからマトソン社の豪華客船に乗ってホノルルまで出かけるか、ニューヨークから客船に乗り、南米最南端を回って何週間も掛けてハワイに行くことになるために、一般の庶民にとっては文字通りハワイは「夢に描くだけで訪れることのできない場所」でした。
19世紀末から1920年代に掛けての米国の音楽産業は、まだレコードが一般的でなかったために楽譜出版がその中心でした。ニューヨーク市マンハッタン28丁目の通りで5番街と6番街に挟まれた一角にずらっと軒を並べていた音楽出版業者からはそれそれお抱えの作曲家の作った音楽の楽譜が出版され、ヒットを競っていました。このためこの一帯のことを「ティン・パン・アレイ」すなわち「フライパンを叩きまわるような騒々しい通り」と呼ばれていました。
そのティン・パン・アレイ(の音楽出版社)からは「夢の島、ハワイ」を歌った数多くの作品が出版されていましたが、普通これらの作品のことを「ハパ・ハオレ・ソング」すなわち「ハワイ語交じりの英語歌詞によるハワイアン曲」と呼ばれていました。
1930年代に入りレコード産業が盛んになりはじめるとともに、映画産業も隆盛になり沢山のハワイをテーマとしたレコードや映画が登場しました。
代表的なものは何と言ってもビング・クロスビー自身が企画し主演した1937年のパラマウント映画「ワイキキの結婚」で、この映画で歌われた「スィート・レイラニ」(作者はハワイ人のハリー・オウエンス)がアカデミー音楽賞を獲得するとともに、「ブルー・ハワイ」や「リトル・フラ・ヘブン」(作者たちはいずれも米本土の人)をはじめとしたたくさんの音楽を収めたレコードも大ヒットをいたしました。
これをきっかけにデッカ・レコード社などではではビング・クロスビーとルイ・アームストロングという大物たちにハワイの音楽を歌わせたレコードを次々に発売し、「ハワイ音楽」をプロモートするようになりました。
下記のジャケットは当時発売されたSPを集めたCDアルバムで、左からデッカ社のビング・クロスビーとサッチモ(ルイ・アームストロング)、そしてドット社(リリース当時はブランスウィック社)のミルス・ブラザースです。
ところでいわゆるティン・パン・アレイ製のハワイアン音楽で頻繁に出てくるハワイ語があります。もちろん「ハワイ」や「ワイキキ」は当然なのですが「カルア」という単語がなぜか良く出現するのです。
「カルア」は地名であったり人名であったりするのですが、曲のタイトルとしても「Love Song Of Kalua」、「Hearts Are Never Blue In Blue Kalua」さらには単純に「Kalua」等々、盛んに登場しますし、歌詞の中にも出てきます。
上記のミルス・ブラザースやルイ・アームストロングが歌って米本土と日本で大ヒットをした「On A Little Bamboo Bridge (邦題は「小さな竹の橋」)」のなかにも「Hawaii」以外の唯一のハワイ語としてこの「Kalua」が入っています。歌詞を意訳しますと:
ハワイの空の下、カルアの流れに掛かる小さな竹の橋の上で貴女に恋をしてしまった
カルアの流れに掛かる橋の上でわたしたち二人の楽園を見つけた
銀色のさざなみが岸に口づけをしている水を二人で眺めていると、水に映る貴女が「いつまでも貴方のもの」と言っているようだ
カルアの流れに掛かる橋の上で貴女を知ったことで私の夢が実現した
・・・といった感じです。オリジナルの歌詞は「by the waters of Kalua」となっていて、「waters」の意味は「水」「海」「湖」「川」「潮」・・とさまざまですが、ここでは「橋」がうたわれているので「川」のことと判断しました。
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そして「Kalua」がフィクションの場所であることを十分に承知した上で、もしも「カルア川」があるとしたらどこだろうか、と地名辞典などを使って探し始めたのがインターネットが現代のように盛んではなかった今から20年近く前のことでした。
その結果、ハワイにはKalua Beachという海岸はマウイ島にあるのですが肝心のKalua RiverとかKalua Streamという川は見つかりませんでした。
そこでちょっと条件を緩めて(!)「Kaluaという場所を流れる川」としたところ、ホノルルのパーロロ谷(以下「パロロ谷」と表記します)に「Kalua Road」という通りが存在し、しかもその場所には川も流れていることがわかりました。残念ながら川の名前は「Pukele Stream(プーケレ川)」でしたがとにかくKaluaがあり、川も流れていて、当然橋も掛かっているのでその場所へ出かけることを考えていました。
たまたま1997年7月の第27回ウクレレ・フェスティバルに参加するためにハワイへ行った際に時間が有ったのでレンタカーでその場所を探訪したのですが、そのとき撮影した写真のいくつかが当時のスキャナーでスキャンした状態で保存されていたのを最近発見!いたしました。
当然のことながらその流れに掛かっていた橋は竹でできているはずもなくコンクリート製でしたが、その流れは地図によるとパロロ谷の奥地に発していて、下流は西隣のマノア谷を流れるマーノア川と合流してからアラ・ワイ運河に注いでます。そして護岸工事もしっかりとされていてちょうどそのKalua Roadの橋の地点からボートを川に浮かべるための斜面もあり災害時に備えている様子が良くわかりました。
1997年7月というのはその直前の6月26日にあのIZが38歳1か月という若さで亡くなった時でしたので、彼が幼少時に過ごした家が同じKalua Roadと9th Aveの交差点にあったことでその家の写真も撮ってきました。
通りをブラブラと歩くとどこからともなくウクレレに乗せた歌声も聞こえてくるというのんびりとした場所だったので、IZもこういった環境でそだったのだなぁ、と認識したことを覚えています。
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さて、それから14年経った2011年11月に今度はザ・バスを利用してその場所を再訪することにいたしました。
バス路線はパロロ谷と真珠湾を結ぶ「9番」路線で、ワイキキから2番、13番等でカラーカウア通りとカピオラニ通りの交差点まで行き、そこで乗り換えます。(画像をクリックすると拡大画像が得られます)![]()
バスはワイアナエ通りを東に進み、パロロ通りに入ります。ここからは大きな地図(クリックしてください)も参考に進めていきます。![]()
正面の高台はパロロ谷の東側にあるマウラナニ・ハイツです。このあたりはコオラウ山脈の山襞に沿って高い場所「ハイツ(丘)」と低い場所「バレー(谷)」が交互に存在します。たとえばパロロ谷の西側はセントルイス・ハイツそしてその西側はハワイ大学のあるマーノア谷といった具合で、なんとなく「ハイツ」ほうが見晴らしも良いので高級住宅地のイメージがありますが、「谷」には必ず川が流れているので昔からの居住者にとっては谷の方が生活がしやすかったと思います。
パロロ通りはしばらくすると右後方からの6th Aveと合流いたします。
プーケレ川下流の橋を渡ります。
そしてカルア通りとの交差点ですが、バスはさらに直進します。
この交差点から二つ目の「District Park」の停留所でなんと40分間の休憩とアナウンスされたので
そこで下車してさきほどのカルア通りに向かいました。
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以下は14年前の写真と比較しながらご紹介いたします。当時とはカメラが違うのでレンズの焦点距離もちがうことやカメラアングルも違うので単純には比較できませんが一応「ご参考」ということでご覧ください。黒い縁取りのあるのが昔の写真です。当時はスキャナーの解像度や階調が低かった(たぶん8ビット)ので色が飛んだ写真になっています。
まずは橋周辺の通りの様子です。

次は橋から下流側を見た(上記写真の右方向)写真です。

橋の上流側です。左にボートを流れに乗せる斜面の出口があります。

そしてそのボートを搬入する入り口ですが、掲示の色が全く消えています。赤色の印刷物に多い「褪色」というより塗装全体が剥がれてしまった感じです。

最後にIZの祖父母の家です。平屋を二階建てに増築したものからふたたび平屋を新築したようです、そして昔はプラントが植えられていなかったのですね。。バックの山の緑が多くなったようにも見えますが、時期と撮影時刻がちがうので写真からでは断定できません。

「カルアの橋」再訪を終えてバス停にもどるとちょうど発車時刻だったのですぐにスタートし、パロロ谷を一周してから9th Ave経由でカピオラニ通りまで戻りワイキキに帰着した約3時間のバスツアー?でした。
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さて、この地域の関連項目の触れてみたいと思います。
ゴリラ山?の地形図を調べていたときに、オアフ島全体の地形図
のなかのダイヤモンドヘッドから北北東方向のコオラウ山脈中パロロ谷の奥にUFOの秘密基地ではないかとも思える白く輝く円形の場所が見受けられました。
その付近を拡大した地形図中の白い丸が今回気になった場所なのです。↓
いかにも不自然な形状なので、航空写真などを駆使して(!)接近してみました。まず接近した地形図です。
航空写真ではこのようなものでした。
いずれの図も円形の平坦な場所を示しています。
種明かしをすると、じつはこの場所はダイヤモンド・ヘッド・クレイターやコーコー・クレイターと並んで存在するクレイターのひとつKa`au Craterなのです。
「カアウ・クレイター」という名称はトロイ・フェルナンデスとアーニー・クルス・ジュニアとのデュオ「カアウ・クレイター・ボーイズ」でご存じのかたもおられるでしょう。
カアウ・クレイター・ボーイズも偶然ですが1997年のウクレレ・フェスティバルを最後にに解散しました。
この写真はステージ終了後主催者のロイ・サクマのTシャツにサインをするアーニー・クルス・ジュニアです。
トロイが重複して結成していたトリオ「パーロロ」(ほかのメンバーはチノ・モンテロとネイザン・ナヒヌ)のメンバーも含めて彼らは皆パロロ谷に育った幼馴染でした。
もともとこの地にはホノルル市の生活困窮者住宅があり、そこの住人たちの子供が悪に走らないようにと市が子供たちにサーフボードやウクレレを提供していたので、子供たちから優れたサーファーやミュージシャンたちが輩出した、という話を聞いた事があります。
生活困窮者住宅かどうかは不明ですが、今回のバス・ツアー?ではたくさんのアパート群を見受けました。(写真をクリックすると拡大します)
谷に住んでいるとはいえ、ダイアモンドヘッドも望める場所ですので子供たちも元気に育っていくのでしょう。(後方の高台にみえるのは西隣のセントルイス・ハイツに建つ豪邸です。)![]()
このようにトロイ・フェルナンデスは地元の地名を二つのグループに付けましたが、それ以外にもこの裏山から恐竜の骨が発掘されたということから自身のレコード会社を「Dinosaur Mountain Record」と名づけてValley Boysというデュオを売り出しました。でもすぐにそのグループは解散し、メンバーのひとりアタ・ダマスコはソロ歌手となってしまったためレコード会社も消えてしまいました。なお、彼のクルマのライセンス・プレートはたぶん今でも「KCBOYS」となっているはずです。
カアウ・クレイターは三つの滝をもつハイキング・コースの終着点として地元のハイカーたちに愛されています。

以上からおわかりのようにもちろんここはUFOの秘密基地ではありません(!)。
ここからはダイアモンド・ヘッドも遠望できるので一度出かけてみたいとは思いますが決して若くない(というかはっきり言って老人です)のでムリはしないことにします。
最後に「小さな竹の橋」や「マリヒニ・メレ」は日本でこそヒットしていますが、ハワイではあまり知られていません。以前は「カイマナ・ヒラ」も知られていなかったのですが、日本へ行ったミュージシャンたちがフラの伴奏で要求されるために覚えて帰り、逆にハワイで知られるようになりました。
「小さな竹の橋」は門田ゆたか(「東京ラプソディー」の作詞者)による美しい日本語歌詞が付いていることで日本人にも受け入れられた名曲ですが、某有名バンドリーダーが歌詞の中の「水面(みなも)を彩り」の「水面」という単語をご存じなかったため「皆もういろとりどり」と変えて歌い、さらにはもっと短縮して「色とりどり」とまで改変して歌ったことがあったようです。
さらに「小さな橋よ竹の橋の下、川の水に流れていく。・・・・長い歳も月も水面を彩り、やがては消えていく赤いバラのはなびら」と川の水に赤い花びらが流れていく様をうたっているのですが、「川の水に流れていく」は文法的におかしい、「川の水が流れていく」と正確に歌わなければいけない。と歌詞を改変したとも伝え聞いています。この話は私の放送番組ブログ「ハワイアン・パラダイス」2004年6月26の記事でも紹介していますのでご覧ください。
真偽のほどは不明ですが、面白い話のほうが生き残るのは気をつける必要がありそうですね。
そういえば以前ロングネック・スタンダードのウクレレにソリッドのローG弦を張ろうと試みたところ、ブリッジに大きなセットバックが必要だったため加工の容易な竹の板を使ってサドルを作成しLittle Bamboo Bridgeと名づけたことがありました。(「ウクレレ快読本」参照)
最後にオアフ島の3D地図がありましたので3D視ができないかトライしてみました。あまり浮き上がって見えませんがご参考まで・・・・
オアフ島より誕生が新しいマウイ島ではふたつの火山がつながってひとつの島になったことが良くわかりますが、このオアフ島もそれに近い成り立ちだった様子がこの3D地図から見て取れます。
東側のコオラウ山脈が巨大な火山島の片側で反対側は東の海中に没しており、西側のワイアナエ山脈はこれと反対に西側が海中に没したのではないでしょうか・・・・と勝手なシロート考えをめぐらせています。(汗)











DIST・PARKで40分休憩という話題に興味が沸き、MATTさんの現地到着時間を勝手に推測しました。(笑)
もしかして、現地着は、8時半前後か10時40分過ぎ頃のどちらかではではなかったでしょうか?
もし、8時半前後なら、朝8時前にはご自宅を出発されたことになりますが、いつも早めの出発、感服いたします。
早めの時間のバス利用、私も是非、見習いたいです。
多くの人に読んでもらいたいですね。
1997年、我が家のハワイ旅行は、ワイケレと免税店と買い物旅行だった気がします。
ワイキキはどんどん変わりますが、他の地域はあまり変わっていませんね。
本当はパロロ谷を一周してから9th/Kaluaで下車し、再訪をするつもりだったのですが、40分停車とのことだったため急遽カルア通りに戻って撮影に着手しました。
そのまま9th/Kaluaから乗って戻ろうと思って時計を見るとまだ15分あるので急ぎ足で下車地点に戻り
同じバスでパロロ谷を回ってくることができました。
1日あたり2〜300名のかたが平均4〜6回ずつおいでになっているのですがモリパパやろいさんのようにコメントを書いてくださるかたがほとんどおられないのが難点です。
NUAの友人たちでも「いつも見てますよー」と言ってくださるのですがほとんど書き込んでいただけないのです。
私のブログよりもはるかに人気の高いきまさんのブログでも書き込まれるかたが限られているのできまさんも嘆いておられますね。
もう一つ後のバスを利用されたのですね。
お恥ずかしい次第です。(汗)
ただ午前中だったのでパロロ谷からダイヤモンドヘッド方向は逆光になってしまいました。
カルア・・・なるほど、意味も解せず歌ってましたっけ。
小竹・・面白い解説で、実際そうですよね、譜面がないと聞いただけではそんな風にとれますし、そんな風に歌った記憶も。
先日信州より我がチームの2人が訪問し
お会いしお元気な様子を聞き嬉しい限りです。
これからもブログ楽しみにしてます。
そして最後にパロロ地区の地図の輪郭を整えた上で縦長となるよう回転させることを試みたのですが、もともとスクリーンのピクセルサイズより細かい画素ではできていないので普通の写真のようには回転できませんでした。
きまさんではありませんが、どなたからも反応がない日が続くと、「もうブログはおしまいにしよう!」と思ったことが何度もありました。(今でもです!)
まるで、ちょっとした文庫本並の内容ですし、写真もきっちりよく出来ていて感心してしまいます。
昔撮った写真と画角を合わせて検証する等、お見事です。
以前の撮影にどのカメラを使ったかも思い出せないのでレンズの画角などもいい加減になっています。
きまさんやiisanのブログがよく続いているので尊敬していますが、わたしのブログは種切れとなってきたのでそろそろwaka-chanのようにお休みしようかとも思っています。
全部で319件あった過去の記事も見直した結果23件程度に縮小してしまいました。
で、整理した記事は何処かへ移動したのでしょうか。
自分は何もしないで、ずっとそのままくっ付けています。
いま掲示している記事もしばらくしたら削除するかもしれません。
特定な記事が必要になったときにはその記事だけの再掲を考えたいと思います。
1カ月も休めば私のように元気になりますよ
これからもネタがあればとりあえず記事を載せるかも知れませんが、残す価値がないと思ったら後日削除してしまうつもりです。
仮想と現実の情景を織り交ぜた構成。MATTさんの探究心と、遊び心、そしてALOHAの心が成せるレポート。とても、ロマンがかきたてられ、楽しむことができました。MAHALOです。
「LOVE SONG OF KALUA」が好きな旧友がいます。この曲は、アメリカ映画「南海の劫火」(1951年)の主題歌ですが、これは、リメーク版であり、オリジナル版は1932年に制作されていたことを、その昔、彼から教わりました。
新旧二本の作品とも、島の娘が、愛する人を振りきって、火の神の怒りを鎮めるために、生贄となって、火口に身を投じていきます。
彼は、なかなかのアメリカ映画通で、二本の作品を比較考証し、主人公の島娘の名前が、旧作
では「ルアナ」だったのが、新作では「カルア」になっていると指摘していました。
彼は、当時、新作ができるまでの、面白い裏話を集めて、いろいろと聞かせてくれましたが、名前が変わった理由は、突き止められなかったと。
どちらでも、いいようなことですが、「カルア」は、それだけ、親しみやすい人名ということでしょうか。
この曲の「カルア」は、実存のマウイ島の「カルア ビーチ」なのでしょうか?
リメイク版の主題曲「Love Song Of Kalua(カルアの恋歌)」の作者が「ルアナ」より「カルア」のほうが歌いやすいと主張したためにヒロインの名前を変更した、なんていう裏話があると面白いのですが・・・・
ところでスチール・ギターの大御所Jerry Byrdの姓はBirdと同じ発音のために、彼のアルバムに「Byrd of Paradise」というものがあります。
また、彼のお弟子さんたちで作ったオムニバスアルバムのタイトルが「Byrd's Nest(鳥の巣)」とあるのもしゃれていますね。
まだ彼の名前が日本で知られていなかった頃にリリースされた彼のアルバムの演奏者名として「ジェリー・バイヤード」と書かれていたことがありました。
「小さな竹の橋」や「ブルー・ハワイ」等のティンパン・アレイで作られた「憧れのハワイを歌った」ハワイアン音楽ではなくれっきとした?ハワイの作曲家が作った曲ですので、もしかすると「架空の場所」ではなく実際の場所を指している可能性があります。
したがって唯一ハワイにある「カルアという名前の浜辺」がそれかもしれませんね。
荒川鉄橋下の河川敷を不法占拠してつくられた、架空のコミュニティーの人間模様を映し出した作品で、ハワイアンとは全く関係無し。
タイトルが「小さな竹(コンクリ-ト)の橋の上で」とは対照的で面白いなぁと思っただけです。(笑)
★さて、こちらはハワイアンの悲劇」でしょうか?全米音楽界の最高権威であるグラミー賞の対象部門が、今年の授賞式から3割カットされ、109から78部門に減らされたとの報道。リストラされた中には「ラテンジャズ」「ネ-ティブアメリカン」それに「ハワイアン」も含まれているそうな。何か、本場での衝撃、反響は?お聞きでしょうか。
ハワイアン部門が設けられた最初の年に「員数あわせ」で推薦したチャールス・ブロットマンのアルバムが受賞して以来「ハワイアン音楽はスラックキー」とでも思われるような受賞経緯ですので、ハワイの人たちも期待していなかったようです。
ちなみに今年のグラミー賞には別部門ですがジョージ・カフモクJrのスラックキー・アルバムがノミネートされていますので、2月12日の受賞セレモニーには一応注目しております・・・・