
まえがき
2024年8月24日(土)にShihoさんとの第5回ライブを昼夜1回に分けて実施した時には、体力の衰えも顕著になったことも有って「これでセミリタイヤ」のつもりで臨みました。
この年は「酷暑」が続いたことも有り、しっかりと家に籠っていたため、まぁまぁ無難に過ごしてこられたので、それまでは3か月ごとに開いていたこのライブをちょっと間隔を空けて4か月ぶりに開催することといたしました。
タイミング的にはクリスマスシーズンですのでクリスマス曲を中心にした会を考えました。
もちろん、いつものように選曲はShihoさん中心でお願いし、私の希望もちょっと入れた形でのライブに仕上がりました。
そしてこの会の定番?となったYukiさんのフラが付いた「Numbah One ay Of Christmas」
の歌とEllieさんのイラスト
によるカードゲーム
ができるようにと、Yukiさんのご都合に合わせて期日を設定いたしました。ただ、残念なことにEllieさんは当日のご都合がつかず欠席されました。
演奏曲を収録した曲集
今回もこの日演奏する曲の譜面を載せた曲集を作成いたしましたが、表紙は今回もShihoさんの作成したフライヤーをそのまま使用しました。
最初の曲は「メレ・オ・ラーナイ」
今回も「脱線!」が頻発し、この曲でも例に漏れず発生しました。
この曲の作者は、1948年のカメハメハ・デイ・パレード
で山車に乗ることが決まった彼の姉妹たちからラーナイ島(以下「ラナイ島」と表記します)の歌が無いので作って欲しいと頼まれこの曲を作りました。
ここで早速脱線。
ハワイの8つの島には島を代表する花(ニイハウだけは貝)とその色が決められています。
昔から歌われてきた「Nā moku ‘Ehā(四つの島)」の歌詞にはそれぞれの島の花で作ったレイとそれぞれの島を代表する山の名前が歌われています。
この曲には少なくとも二つのメロディーが存在します。
一つは「お玉杓子は蛙の子」という替え歌でも知られているメロディー(ここではライアテア・ヘルムが歌っています)と、ライアテアの叔父さんジョージ・ヘルムの歌っているメロディーで、この両者は全く別物と言えますが歌詞は同じです。
この「四つの島」という歌を拡大して「八つの島」とし、追加の歌詞を作ったのが50年以上「レオ・ナヘナヘ・シンガーズ」
のリーダーとして活動してきた、ハワイアン音楽の権威ノエラニ・マホエ(写真中央)です。その追加を含めた歌詞をご覧ください。
この歌詞の中でラナイ島の花は「kauna`oa」と載っています。
このkauna`oaという花は蔓草で、蔓の色がオレンジのため、島の色もオレンジジとされています。
右に載せたハワイ8島の地図はそれぞれの島の色を塗ってあります。ニイハウ島だけは貝(ニイハウ・シェル)のレイなので島の色は「白」それ以外の島はそれぞれの花のレイなのでその花の色が「島の色」となっています。
もとに戻って「Mele O Lāna`i」の歌詞中にもしっかりと「kauna`oa」が入っています。譜面をクリックすると当日の動画に飛びます。(ほかの譜面も動画にリンクしています。)
脱線その2
ところでカメハメハ・デイは何故6月11日なんでしょうか?
カメハメハ一世はハワイ群島の大半を征服し、8代にわたる王朝を築く基礎を作った功労者ですが、彼がいつ誕生したのかが全く不明です。
彼の孫であるカメハメハ五世
が1871年に一世の偉業を讃えるための記念日を制定するにあたって、自分自身が目立つことのないような日に制定することとしました。すなわち彼の誕生日(12月11日)から最も離れた日、すなわち半年前もしくは半年後である6月11日としたのです。それ以降毎年6月11日に一番近い週末に「カメハメハ・デイ」が実施され、現在まで続いています。
脱線その3
ところで(またか!)カメハメハ一世の銅像は世界中で(大きく出たもので!)何体あるでしょうか。
もともとカメハメハ一世増はキャプテン・クックがハワイにやって来た1778年の「100年記念」としてカラーカウア王によって計画されイタリアに発注されました。そして100年祭に遅れること2年の1880年のこと、遥々とイタリアから銅像を運んできた船がアルゼンチンのフォークランド諸島沖で沈没し、銅像を失ってしまったのです。
幸い、鋳型は残っていたので急遽2体目の銅像を発注し、今度は無事にホノルル港に到着、アリイオラニ・ハレ(イオラニ宮殿の向かい側の建物)前に無事設置し、現在に至ります。
その後、沈没した船から引き揚げられた1体目の銅像は一部分修復したのちに1883年にカメハメハ一世の生誕地と言われるハワイ島北端カパアウに設置され多少移動しましたが現在に至っています。
3体目の銅像は1969年に遥か離れた米本土ワシントンDCの連邦議事堂にダミアン神父の銅像と一緒に設置されました。この場所には全米50州から各州を代表する人物の銅像が2体ずつ設置されていて、1959年に50番目の州となったハワイ州からも上記2体が送られたのです。
さらに4体目も存在するのです。
カウアイ島のリゾート会社がカメハメハ一世の銅像を敷地内に設置する予定でしたが、カウアイ島の住民たちから猛反対を受けました。なぜならカウアイ島だけはカメハメハ一世に征服されなかったからでした。
そこでカメハメハ一世の故郷であるハワイ島ヒロ湾に面した州立レクレーション公園に移動させ、1997年に設置されました。
これで脱線3は終了です。
二番めの曲は「スィート・レイ・モキハナ」
今回も多少「脱線!」します。
今回のライブで使った曲に「変拍子」というか2拍子と4拍子が混在する曲が結構あり、この「スィート・レイ・モキハナ」もその例に漏れませんでした。
作者によって出版されている譜面を見たことが無いので、正しくはどのような構成なのかは分からないのですが、Shihoさんのお手本としている歌手がマーク・ヤマナカ
であるのに対して「この曲なら何と言ってもフイ・オハナ!」
という世代間格差により(笑)ライブ当日まで「間(ま)」が取れませんでした(涙)
三曲めは「カ・ナニ・アオ・カウー(美しいカウー)」です
次の曲は有名なジョージ・ナオペが作った曲で、カウー(以下「カウ」と表記)という地域はハワイ島の南側の地域を指し、最近はコーヒーの産地としても有名になってきました。ハワイ島最南端で米国全体でも最南端地点であるサウス・ポイントやそこから徒歩1時間の距離にある世界でも珍しい緑砂海岸(グリーン・サンド・ビーチ)さらにはプナルウの黒砂海岸と、自然環境に恵まれた地域と言えます。
この地域には「貴方がカウへ行ったとしてもパラヘモの流れを見ていなければカウへ行ったとは言えない」という言い伝えがあるそうですが、いつもお世話になって居るGoogle Mapsにはこの「有名な」川が載っていないのです。更に調べてみると、どうやらこの川はトンネル状の流れらしく、地上にあらわれる場所も有るかもしれませんがあまり目立たない川のようです。譜面でもこの川について触れています。
ところでこの曲の作者ジョージ・ナオペが有名なフラ・コンペティションである「メリー・モナーク・フラ・フェスティバル」の創設者と思われていますが、実際にはちょっと違っています。
ヒロ市は1946年と1960年の二度にわたり大津波に襲われました。1946年の津波は太平洋の遥か北方アリューシャン列島が震源だったのですかその津波は何故か日本も米西海岸も襲わずハワイ島のさらに震源からは最も遠いヒロ市を襲い、海岸の日本人街の大半を破壊しました。この時の津波により「Tsunami」が国際語となり、ホノルルの真珠湾に有るフォード島に「太平洋ツナミ警報センター」(地図上の「・・・警戒センター」は誤訳)
が1949年に設置されたのです。
続いて1960年の津波の震源地は南米チリ沖でこれにより僅か残っていたヒロ海岸の日本人街は壊滅いたしました。
1963年になってハワイ郡の高官(のちにハワイ郡初の女性郡長となった)のHelene Hale
(ファミリー・ネームの「Hale」はハワイ系の家族でしたら「ハレ」ですがミネソタ生まれなので「ヘイル」と呼ぶのでしょう)(写真はヘリーンとジョージ)が津波で観光客が激減したヒロ市の振興を図って知人のクム・フラであるジョージ・ナオペを始め、イオラニ・ルアヒネやロカリア・モンゴメリーなどたくさんの音楽家と相談して「メリー・モナーク・フラ・フェスティバル」を立ち上げました。「メリー・モナーク(陽気な王様)」とはカラーカウア王をさしています。
このフェスティバルは当初は文字通り「お祭り」でしたがその後ヘリーンの後継者Dorothy Thompson
により1971年から現在の形のコンペティションと変わり、アンクル・ジョージ(写真左2009年没)とドッティー(ドロシー)(写真右2010年没)のコンビで40年近く運営し、その後も後継者たちによって運営され現在に至っています。(写真中央は当時の第6代(2002-2010)で初の女性ハワイ州知事リンダ・リングル)
現在は州法により持ち出し禁止となっている「緑砂海岸」と「黒砂海岸」の砂を今回のライブの際にご紹介しました。特に黒砂海岸の場所は現在のプナルウではなく1980年のキラウエア噴火による溶岩流で完全に消滅したカラパナ黒砂海岸の砂という60年近く前のもので大変貴重なサンプルです。
なお、黒砂に付けてあるQRコードにアクセスするとKahana Rainbowsというライオン小林さんの覆面バンドが演奏する「Black Sand Of Kalapana」という曲が聞こえてきますのでお試しくださいね。
四曲めは「ウア・マウ(別名「ホーサナ」)」です
次の曲はサンズ・オブ・ハワイのメンバーとして、またソロ歌手として活躍したモエ・ケアレの二代前(たぶん)のMoses W. Kaaneikawahaale Kealeの作品です。
カウアイ島生まれの猟師だったモーゼスはある日ヤギを追いかけて崖地に入り込んだ時に落石に当たり川に転落したのですが、幸い命はとりとめました。彼はその奇跡を神のご加護のお陰と考えその後の人生を聖職者として捧げることを決意、ニイハウ島最大の聖職者とあがめられました。
その結果彼の作ったこの曲はその後ケアレ一族のファミリー・ソングとなったのだそうです。
「ホーサナ」はラテン語のHosanna(ホウゼナ)のハワイ語で、ユダヤ教とキリスト教でミサの際に唱えられる言葉「神よ救ってください」の意味だそうです。
この曲ではAsakoさんとMikaさんにフラを踊って頂きました。
五曲めは「アロハ・ノー」です
次の曲はShihoさんのお好きな作者 Lena Machadoの作品ですが、この曲でも「変拍子」が登場します。
念の為レナの公式曲集を除いたのですが、問題の個所:4分の2拍子の場所に3拍の音が書き込まれていて焦りました(汗)。
この曲もAsakoさんにフラを付けていただきました。
六曲めは「ホロホロ・カア」です。
次の曲は楽しいドライブを歌った曲です。
この曲の楽譜が出版された当時は「作曲者」として有名な作曲家で演奏家のJohnny Almeidaの名前が記載されていたそうです。
この頃の音楽業界での売り上げの中心はレコードではなく楽譜でした。ニューヨークの「ティンパン・アレイ」と呼ばれる通りには楽譜出版社が軒を連ね、店内ではお抱えのピアニストたちが客の希望する楽譜を演奏していたため、まるでフライパン(ティンパン)を叩いたように賑やかな通りだったことからそのように名付けられたとのこと。
この曲の作者Clarence Kinneyにはジョニーに借金があったため、それの「カタ」としてこの曲をジョニーに預け、楽譜売り上げによって借金を完済してから自分の名前を「作者」として記載したとのことです。
こんどはかおりさんに踊って頂きました。
七曲めは「サウス・シー・アイランド・マジック」です。
次の曲は唯一のインストゥルメンタル曲ですのでコード譜を載せました。
ここで一部が終了、ゲスト・コーナーとなりました。
最初のゲストは「もんちゃん&りっちゃん」すなわちお店のマスターとママによる演奏で、私が7月のお店創立20周年のお祝いにプレゼントさせていただいたハワイアンギターのソロを2曲披露されました。
1曲めは「スリープウォーク」、2曲めは「ビヨンド・ザ・リーフとスチール・ギター・ラグ」のメドレーです。
とても5か月とは思えないレベルに驚かされました。
続いてのゲストは12弦ギターを持参された西山さんの「ワイキキ」で、残念ながら動画は撮れていませんでした。
次のゲストは浜ちゃんで、季節に合わせた「ブルー・クリスマス」をご披露されました。
続いては鈴木さんによる「プア・アヒヒ」です。かおりさんがフラを付けてくださいました。
次はMikaさんによる「プア・イリアヒ」です。
二部に入りました。最初の曲は「ハワイアン・サンタ」です。
この曲の作者は「Keep Your Eyes On The Hands(お手々を見つめて)」の作者Tony TodaloとMary Johnstonのコンビです。
二部の二曲めは「ナンバ・ワン・デイ・オブ・クリスマス」です。
この曲をいつも踊ってくださるYukiさんが毎年この時期に開催される「ホノルル・マラソン」出場の為ハワイに行かれるので、ライブの予定もYukiさんのスケジュールにあわせて開催しております。・・・・ということで昨年はハワイ行き前に、今年は帰国後の開催となりました。
今回は皆さんにも歌っていただけるようにまず歌の練習を行い、次にYukiさんのフラに合わせてカード挙げゲームを実施しました。
二部の三曲めは「アメージング・グレイス」です。
この曲はShihoさんもかかわったことのある早逝の歌手・本田美奈子さんの歌った歌詞も採り入れての演奏でした。曲の前半と後半のカメラでの動画です。
二部の四曲めはハナ・ホウの「ポー・ライ・エー」です。
実はもう一曲予定していたのですが、私がしゃべりすぎた(大汗!)ことで時間が押してしまったので省略いたしました。
当日のスナップ写真や記念撮影写真です。
当日配布した曲集最終ページと裏表紙です。
私達夫婦がハワイで「ハワイに住む」という日本語雑誌のインタビューを受けた時の記事抜粋です。
左のQRコードはこの記事のブログを、右のQRコードはハワイでのCM撮影に参加した時のブログに飛びます。
(今回も各種情報類はWikipediaやHuapala等ネットから得たものですので「とのことです」のような伝聞形で記述していることをお許しください)
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