MATTのひとりごと

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ミズーリ号と航空博物館 (2014年9月14日)

2014年09月14日 | 歴史・地理

このトップの写真は2012年の12月7日の記事「たいしょうほうたいび」のトップに使用した写真そのものに施設の名称を追加したものなのです。
なぜこの写真を「たいしょうほうたいび」に使用したかはその記事をご覧いただくとして、この写真自体はもちろん私が撮影したものではなく偶然ネットでめぐりあったものです。この写真はこちらのURLから引用させていただいたのですがその写真はさらに「引用元」があるのかもしれませんね。

なお今回もGoogle Mapの地図と衛星写真を全面的に「引用」させていただきました。

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この写真はもちろんパール・ハーバー(真珠湾)の主要な記念施設を上空から撮影したものです。今回はこの写真にある施設の幾つかを見学する機会がありましたのでレポートいたします。

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2014年8月の無料日本語新聞「日刊サン」紙上に「戦艦ミズーリ見学チケット・プレゼント」という掲示がありましたのでこれに応募したところ「当選」というご連絡をいただき「日刊サン」のオフィスに受け取りに行きました。
このときご連絡を頂いた方を訪ねたところ、なんと「担当者」ではなく責任者の方でしたので恐縮してしまいました。

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ハワイに移住して5年近くなるのですが、他島には一度も行っていません(自慢になりませんが・・・・)それだけでなく真珠湾のような有名な観光地にもほとんど出かけておらず(大汗!)今回の「プレゼント」を絶好の機会と受け止めて出かけることにいたしました。

パール・ハーバーはワイキキから西方にあり、市バズ「The Bus」で70分程度でいける距離にあります。したの写真のようにホノルル国際空港のちょっと先、という感じですね。


ワイキキからのバスのルートとしては42番か20番を使います。20番が途中ホノルル国際空港に立ち寄るので現地までの所要時間はわずかに長くなるはずですが、それよりも早く乗れたほうに乗るのが正解でしょうね。どうせ途中の交通事情で所要時間はバラつきますので。
それから下車する停留所「アリゾナ・メモリアル」はニミッツ・ハイウェイからわき道に曲がったところにあるので、往路はここで降りればすぐにビジター・センターに入れるのですが、帰路すなわちワイキキ方面に戻るときにはニミッツ・ハイウェイに戻って左側にある停留所まで歩く必要があります。でも1~2分で着くので問題はないでしょう。

このパール・ハーバーには4つの記念館があります。すなわち

1) アリゾナ・メモリアル
2) ボウフィン潜水艦記念館
3) 戦艦ミズーリ記念館
4) 太平洋航空博物館

で、いずれの施設に行くためにもカメラ等最低必要なものを除きすべての手荷物を有料で預ける必要がありますので、できるだけ身軽ないでたちで行くのがよいでしょう。

そして1)は国立で入場無料ですが、それ以外は民間の管理であるため入場料が必要となります。
今回は3)の無料券がいただけたのでこれ以外の入場料だけを支払うことにいたしました。

ただし2)は日本の民間船を手当たり次第撃沈させた潜水艦ですので見学は考えていませんでしたし、1)は無料のため別な機会にでも来られると考えて(甘い考えかも・・・・)今回は3)と4)だけの見学に絞りました。
4)には通常の入場料のほかに追加料金が必要ではありますが日本語の案内人による「飛行士ツアー」という特別ツアーもありましたのでそれにも事前に申し込んで参加いたしました。
このツアーに参加すると通常の見学場所である第二次世界大戦中の資料がそろっているハンガー(格納庫)37番以外に第二次大戦終了後の資料が数多く保存されているハンガー79番も見学できるので、私たちにとって身近な航空機を興味深く見学することができました。

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パール・ハーバーは現在でも現役で重要な軍港ですので見学にもいろいろな制約があります。そして第二次大戦の開戦のきっかけとなった港内のフォード島には
今回の見学の対象である戦艦ミズーリ号と太平洋航空博物館(ハンガー37と79)があります。


ビジター・センターに入るとフォード島に渡るシャトル・バスが待っています。

そしてシャトル・バスは一旦ニミッツ・ハイウェイまで出てからフォード・アイランド・ブリッジを渡ってフォード島に向かいます。
この橋を渡っているときは車内からの撮影が禁止されているのを知らずに撮影してしまったのでアリゾナ・メモリアルと戦艦ミズーリ記念館以外をボカして処理いたしました(汗)


シャトルバスはまず戦艦ミズーリ記念館に停車します。早朝だったためでしょうか大半の見学者はここで下車しました。まぁ順路なので当然かもしれませんが。

記念館入り口には道路の名前にもその名を残しているニミッツ提督の銅像があり、彼の業績を紹介した展示もありました。


この入り口を戦艦の側から見るとこのようになっています。この写真では見学者が少ないようですが時間が経つにつれて増えてきました。


もう一枚オマケを!(笑)

前方に見えるボーディング・ブリッジから乗艦しました。遠方に次に見学する太平洋航空博物館の前にある航空管制塔が見えていますね。


さて、ここからは私のブログ(たとえばココ)に時々登場します3Dデジカメによる写真を混ぜて紹介してまいります。

一枚の画面に似たような写真が二枚並んでいますが、厳密には左側の写真は左目で、右側の写真は右目でみるように配置してありますので必ず両目で見てください。両目の視力はできるだけそろっている事が望ましいのです(メガネやコンタクトレンズでの補正後でOK)

さらにお手元のディスプレイのピクセル数や画面の設定倍率で異なりますが並んでいる二枚の写真の間隔が4センチ程度のときが最も立体感が出るように配置してあります。このため写真全体の幅がバラついてしまうのはやむを得ないのです。

上に載せた写真の3D版はこのようになります。

いかがでしょう?ぼんやりと中央付近をながめていると突然奥行きのある画面になれば正解です。

甲板での記念撮影を

3Dにするとこのようになりますが、いずれの写真もバックの部分はボカして有ります。

その甲板では3門ずつならんだ二組の16インチ主砲群が目を惹いていますので

当然、記念撮影スポットとなっています。

そこで我々も3Dでパチリ。

ここから艦首方向を見るといろいろな設備があります。正面のアンテナは湾岸戦争時に追加されたものでニックネームは「クリスマス・ツリー」とのこと。

ちょっと左舷に寄って前方を見るとアリゾナ・メモリアルが見えます。

ちょっと拡大するとこうなります。

少し高い場所から見ると

まるで主砲がアリゾナ・メモリアルに照準を合わせているかのようですね。

メモリアルの内部にいる観光客も見えます。

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この甲板の右舷には1945年4月11日の沖縄戦で神風特攻機が突入した

際の痕跡が保存されています。

当時の艦長は反対を押し切ってこの飛行士を水葬するとアナウンスしたところ、米軍旗に包んだのでは可哀そうと、三人の水兵が見よう見まねで日本海軍旗を徹夜で縫い上げたというエピソードも紹介されました。

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今回の見学の目的の一つであった1945年9月2日に東京湾に停泊中のミズーリ号の甲板で行われた日本の降伏文書調印式が行われた場所へ案内されました。

「たいしょうほうたいび」でも紹介いたしました、当時の外務大臣重光葵(まもる)がサインしている写真

から想像した広さよりはるかに狭い場所だったのには驚きました。たしかに甲板をムダに広くするはずはないのですね。その場所に掲示されていた写真

でも分かるように一般の兵士たちが艦のいたる所に群がって調印式を眺めていたことが分かります。上の白黒写真で背後に並んでいた兵士はみな士官なのでしょうね。

調印が実際に行われた場所には記念のレリーフが埋め込まれていました。

調印に使われた書類(のレプリカ)も保存されていました。


ところでこの場所で不思議な国旗?が飾られているのに気づきました。

米国旗の別称である「Stars and Stripes(星条旗)」のうちの「Stripes」には何の問題もない13本のストライプが認められるのですが、「星」の数と配列が不思議なパターンになっているのです。

5行6列の配列で右端の星だけは6個あるという合計31個の星で出来上がっていました。

ストライプの数は独立時の州の数ですので最初から現在まで当然ながら変わらず13ですが、星の数は州の数が増えるにつれて増加し、現在は50となっているわけです。

そしてこの31という星の数とこの艦との関係が何か存在するのかとウィキペディアを覗いてみたところ、31州であった時期は1851年から7年間でそのときの国旗のデザインはこのようになっていて


上記の国旗?とは星の配列が違っています。
この艦の就役は1944年ですのでこの31州の時代とは大きく異なります。また艦名のミズーリが州になった時期(1822年)とはさらに離れているだけでなく当時は24州でしたので31という星の数とは合致しません。

・・・・ということで「困ったときのウィキペディア」からも見放されてしまい、本件は「ナゾ」のままとなってしまいました。何か情報をお持ちの方が居られましたらご教示いただきたく存じます。

---- [2014年10月14日追記] ----

・・・・と書いたところ戦艦ミズーリ記念館の長谷部さまか詳しいご説明のメールを頂戴しましたので下記に転載させていただきます。

実は米国はこの降伏文書調印式の際ペリー総督に大変こだわりました。

ご存知のようにわが国は江戸時代から200年にわたり鎖国が続いている折、1853年浦賀にペリー率いる黒舟が4隻来航しましたが、何とそのペリーが来航する際に携えて行ったその星条旗を90年後の1945年の調印式の際、ミズーリの壁に再度高々と掲げたのです。


ペリーのその歴史的星条旗はアナポリスにある海軍兵学校に保管されていましたが、この式典のため2,3日かけてプロペラ機で空輸しました。ですから星条旗の星の数は1853年当時の31州を示しています。そして9月2日の調印式のため東京湾に停泊した北緯と東経も


1854年ペリーが再来した時に係留した場所に非常に近かったのです。アメリカは日本の第2の開国を期待していたのかもしれませんね。


尚、お気づきになられたように星条旗が裏返しされて展示されていますが(本来は星は左上隅)、これは90年前の古い国旗で布地もほころびかけていて表側には白い布で補強されており、裏側が展示されました。星の配列に関しては何種類かあったようですね。展示されている国旗は当然レプリカです。


・・・・ということで疑問点は氷解いたしました。長谷部様ありがとうございました。

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以上で日本語による艦内ツアーは終了し、あとは「自由行動」ということでしたので、次の目的地「太平洋航空博物館」で予約した「飛行士ツアー」の時刻に間に合うだけの時間を艦内探索?に費やしました。

艦内はいたるところに階段があるのですが、そのいずれもが踏み板の奥行きが極めて短いだけでなく次の段とのオーバーラップが大きいので慎重に昇り降りする必要があります。
上記の降伏文書調印式の開始が2分遅れたのは脚の不自由な重光外相の到着に時間が掛かったためとのことでしたが、外相がボートから甲板に到着するだけでも時間が掛かったということは、もしも艦内の階段を昇り降りしたらその程度の遅れでは収まらなかったかもしれません。
いずれにせよこの艦内は元気な若い水兵たちを対象にしているわけで、我々のようなトシヨリの行動には向いていませんね。

とりあえず一階下にある「第二甲板」を探索しました。

ここには士官の執務室(3D写真では有りません!)をはじめ

士官の食堂

水兵たちのベッドや食堂

さらには郵便局(USPS)

があり、それぞれのブロックはしっかりとした扉で仕切られています。万一の場合に浸水を食い止める目的なのでしょうね。

そして珍しい船の模型が展示されていました。
これは初代の「戦艦ミズーリ号」で現在のミズーリ号がUSS(米国海軍の艦船)63であるのに対し、このミズーリ号はUSS11と呼ばれ、第一次世界大戦を挟んだ1903年から16年間現役として就役していた戦艦です。

ちなみに現在のUSS63は第二次大戦末期の1944年に就役し1955年に一度退役したのですが、湾岸戦争勃発に伴い装備を近代化させて1986年に復役し、1992年に再退役したものです。
その後「USSミズーリ保存協会」に寄付され、1999年1月29日からこの場所で一般公開されるようになったものです。


次に狭い階段を何回も昇って司令塔内部を探索しました。
一番に目に付いたのがレーダー室です。これも3D写真ではありません。念のため。


レーダーの画面はこのようなもので、なれた人でしたらすぐに目標物の位置が把握できるようです。


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ふたたびシャトルバスに乗り、太平洋航空博物館に向かいました。
そして37番格納庫(ハンガー37)で下車しました。

このハンガーの正面には紅白の塗装が施された航空管制塔が建っています。

真珠湾攻撃を描いた映画「トラ・トラ・トラ」にも登場するこの管制塔ですが、開戦当時には存在せずその左手奥にある管制塔でコントロールしていたので、映画にこれが登場するのはありえないそうです。

博物館のあるハンガー37の内部にはライト兄弟の発明した世界初の飛行機「フライヤー」の模型が天井から吊られています。


また、この博物館のスポンサーなのでしょうか今はなきパンナム関連の展示があちこちにありました。会社が消滅してもその意匠権を管理する組織は残っているのでしょうね。
とくに懐かしかったのはボーイングB-29スーパーフォートレスをベースにした当時としては超大型の優美な二階建て(客席は上側だけですが)旅客機ボーイング377ストラトクルーザーの模型があったことで、

私の子供時代の憧れのまとでした。この飛行機に乗って世界一周を、などと思い描いていたのですが

肝心のパンナム自体が消滅してしまいました。
ニューヨーク勤務時代は勤務先のオフィスの一つがパンナムビルにあったことや、ここホノルルでもかかりつけの歯医者がこちらにもあるパンナムビルに入っているなどいろいろなつながりが残っています。

ここの博物館に併設されている売店には卓上に飾る飛行機の模型(結構高いですね!)

に混じってPANAMグッズが売られていました。現在でも根強い人気が有るのでしょうね。

ツアー開始までちょっと待ち時間が有ったので、この博物館のウェブサイトにあった「フライトシミュレーター体験クーポン」を使って真珠湾上空の敵機(日本軍機じゃないですか!)を撃ち落すゲームに挑戦しました。


自慢じゃないのですがこの種のゲームなど一度もやったことがないので一機も撃ち落せずにタイムアウトとなりました(汗)。

そして「飛行士ツアー」がスタートしました。青いシャツの方が説明員の小池さんです。

このハンガーでは第二次大戦の開戦から終戦までの記録が中心となっています。

まずは開戦時の真珠湾攻撃の様子です。

大きなパネルなのでなかなか迫力がありますね。

真珠湾攻撃時に偶然上空を飛んでいた民間機エアロンカ65TCも吊られていました。

真珠湾攻撃の主役ゼロ戦の現物も展示されています。

ニイハウ島の農地に不時着したゼロ戦のエンジン現物も展示されています。70年経っても錆が進行していないのはアルミ合金の純度が高い結果なのでしょうか。

真珠湾攻撃に参加した代表的な航空機3機種とその説明パネルです。

日本語の説明文が読めそうなサイズにした拡大写真もご覧ください。
米軍側の航空機としては独特のフラップとスポイラーを持ったダグラスSBD急降下爆撃機です。ほかにも多数展示されていたのですが撮影に失敗したため米軍機はこれだけです(涙)


一般の入場料金による見学はこのハンガー37だけなのですが、追加料金を払って「飛行士ツアー」に参加するとハンガー79に展示されている第二次大戦後の航空機群を見ることができます。

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ハンガー37からハンガー79に向かう途中に修復中の機体が並んでいました。
南方の海中から巨費を投じて引き上げたボーイングB-17Eフォートレスや

弾丸に小さな翼を付けただけのような形状のため離着陸事故が多発したことで「未亡人つくり(ウィドウ・メーカー)」というあだ名を貰ったロッキードF-104

その他多数が置かれていました。そしてこれがハンガー79です。

破れたままになっている窓ガラスは日本軍の銃弾によって破壊されたものだそうです。

向かって左側の扉からは巨大な爆撃機ボーイングB-52ストラトフォートレスの頭部だけが突き出ていました。

そしてハンガーの前には特徴のあるレーダードーム?を機首にもつダグラスA3D/NTA-3Bスカイワリアー爆撃機が駐機しています。

そしてこれがハンガー79内部のパノラマです。

これの拡大写真がこれで、写真の大元はこちらです。

展示物は常に入れ替わっているので現在の展示はこのパノラマとは多少異なります。自分でもパノラマ写真に挑戦したのですがこれほど見事には撮れませんでした(涙)。

ハンガー37にもありましたが、この博物館のシンボルのようなカーチスP-40です。

朝鮮戦争当時を髣髴させるようなノースアメリカンF-86Dとミグ15の空中戦、といった演出です。

F-86の地上での写真です。これは博物館の公式サイトから

同じサイトからミグ15です。

ミグ15の後継機ミグ21です。

脇の説明によると米軍のコードネームは「フライング・バラライカ」とのこと。三角に近い主翼のイメージから付けたのでしょうか。
公式サイトの写真です。
これはコンヴェアF-102Aデルタ・ダガー。機首のピトー管?が迫力ありますね。

ボーイングB-29スーパーフォートレス(広島に原爆を投下したエノラ・ゲイ号)の小さな模型です。


B-29のコックピット内部です。狭いですね。


ヘリコプターも多数展示されていました。
これはシコルスキーSH-3シー・キングで

こちらはシコルスキーSH-60Bシー・ホークです。

旅客機DC-3として生産台数の多さを誇った機体の輸送機版ダグラスC-47が修復中でした。

残念ながら公式サイトで紹介されていたノースアメリカンF-100Aスーパー・セイバーすなわちF-86セイバー・シリーズの後継機種やロッキードT-33すなわち朝鮮戦争でF-86とともに活躍したF-80シューティング・スターの練習機版にはお目にかかれませんでしたが、思いのほかたくさんの機種に逢うことができ、有意義な一日でした。

このような機会のきっかけとなった「戦艦ミズーリ記念館入場券」を頂戴した日刊サン紙にお礼申し上げます。
このお話がなければ一生(もう長くないので)見学しなかったかもしれません、ありがとうございました。

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ビジターセンターに戻るシャトルバスは先ほどと異なり満席でした。やはりこういう場所へは早起きして出かけるのが正解のようですね。

今回戦艦ミズーリ記念館と太平洋航空博物館で入手した資料です。

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20 コメント

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3D・・・・・ (あたごウクレレ)
2014-10-10 13:18:44
ハワイに行った時にここは伺いました。まあ、ざぁっとでしたが。
3Dは、中央付近を眺めてますが2枚にしか見えないのは見方が悪いんでしょうね、Mattさん。

確かに少し奥行きが感じられますが同じ画像が2枚なのが気になります。1枚に見えるのが正解でしょうか・・・・見えないのは目が悪いのでしょうか。
返信する
あたごさん (MATT)
2014-10-10 14:06:47
ご愛読ありがとうございました。
3D写真で立体感を得るためにはちょっとした条件があります。本来でしたら専用のビュワーを使うことで完璧に見えるのですが、残念ながらPCではそれができないので次善の策を講じます。

まずA4程度の紙(できればしっかりとした厚みを持ったものが望ましいです)を用意します。そしてこれを長手方向に二つ折りします。こうすると幅10センチ長さ30センチ程度の短冊状になります。紙の厚みが十分あればそれを折ったままにせず、切り離して片側だけを使っても構いません。
こうして作成した短冊の短い辺をPCモニター上の3D写真の左右の仕切り線にあてがい、反対側の辺を自分の目のほうに、というか鼻の方向に近づけます。
こうすることで3D写真の右側は右眼でしか見ることができず、同様に左側は絶対に左眼でしか見ることができなくなります。
重要なことはこの時両眼ともモニター画面がはっきりと見えるように視力補正がされていることです。
まずはこの方法をお試しください。

これが成功すれば仕切りの短冊なしでも立体感が得られるようになる筈です。そのときには同じ画面が3つ見え、中央のものが立体になっています。
返信する
お手数かけました。 (あたごウクレレ)
2014-10-10 15:08:32
Mattさん
A4のボール紙を二つ折りにしてご指示の通りに見ましたら立体的に一つに見えましたよ。 (@_@)
ありがとうございました。
返信する
あたごさん (MATT)
2014-10-10 15:56:48
よかったですね!

現役のころ左右の視力が揃っていない、というか片目の視力が極端に落ちている仲間がいました。周囲が皆「おー立体だ!」と感激していたので、自分も見えたふりをしていたのですが、あることがきっかけでそれがバレてしまい、みなから「じゃぁ、どういうふうに見えるんだ?」とからかわれていましたっけ。
返信する
行きました (Tommy)
2014-10-10 19:14:28
パールハーバー今年の2月にお世話になった時、オプションツアーで寄りましたが内部の見学はできませんでした。先日日ジャーニーズの『嵐』がハワイツアーをした時にもTVで紹介していましたね。海底のアリゾナから今も    数ℓ/日のオイルが漏れ上がってくるとのことです。今年の事でしたが懐かしい思いがします。
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Unknown (たぬき)
2014-10-10 22:35:39
私も3Dが見えましたよ。
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Tommyさん (MATT)
2014-10-11 06:38:22
そうですか、嵐も行ったのですね!

もしかして「絵文字」を使われたのでしょうか?文字化けになってしまいましたね。
返信する
たぬきさん (MATT)
2014-10-11 06:40:12
3Dが一度でも見えた方はこれからも問題なく見えると思います。
今後の3D入りレポートをお楽しみに!
返信する
そろそろ行かねば (モリパパ)
2014-10-12 06:48:36
毎年のように行きながらまだ、パ-ルハ-バ-は行っていません。
次男も大きくなったので、次回は行ってみたいと思っています。
たぶんいろんなことが重なって開戦となったのでしょうね。
返信する
モリパパ (MATT)
2014-10-12 08:39:17
私も今度のようなきっかけがなかったら行かず終いだったかもしれません。
でも行ってみるともう少し事前準備をしてから出かけるべきだったと反省しています。
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