ロイヤル・ハワイアン・センターの中庭「ヘルモア(ロイヤル・グローブ)」にはロイヤル・ハワイアン・センターの施設の案内や歴史的なビデオの上映を行っている「ヘルモア・ハレ」があります。
内部はこうなっています。
この場所で毎週月水金の昼時に「ハワイの歴史を観光客に紹介する」イベントが開かれています。
この催しを実施しているのは上記のサインにもあるように「トムおじさん」というかたで、彼は長いことビショップ博物館をはじめ各地の博物館でこのような歴史や文化を紹介してきた「歴史家」とのことでこのような手作りの名刺を持っていました。
彼の活動をいくつかの写真でご覧ください。
幾つかの動画もごらんください。
その1、その2、その3、その4
ところで上記の名刺を貰って分かったことがあります。それはかれのファミリーネーム(ラストネーム)が「Cummings」とあったので「あのアンディー・カミングスの一族なの?」と訊いた所「そう、私は彼の甥なんだよ」とのこと。
そしてダイヤモンド・ヘッドの説明のときにお客さんに対してウクレレを弾きながら「カイマナ・ヒラ」を歌って聞かせていたので、「いま歌っていたのはあなたの叔父さんがオリジナルに手を加えたもので、オリジナルはこんな歌詞とメロディーだったんだよ。と歌って見せたところ大変興味を示して「今度レコーダーを持ってくるからもう一度歌って欲しい」とのリクエスト。
そこで自宅に戻って彼のために録音をしたCDを彼に差し上げるとともに
オリジナルの楽譜を差し上げました。
さっそくこのCDを手にお客さんにダイアモンド・ヘッドの説明をしていました。
「カイノア」とか「クラッシュト・フラワーズ・イン・マイ・レイ(想い出の花)」でデビューし、のちにナー・ホークー賞の主催団体である「ハワイ録音演奏家協会(HARA)」の会長も務めたマーリン・サイ
がアンディー・カミングスの姪だということを知っていたので、そのことをトムに確認したところ、「そう、私と彼女はいとこ同士なんだ」という返事。
思わぬところで有名な音楽家につながる人物にめぐりあえました。
このヘルモアという場所はシーサイド通りがカラーカウア通りにぶつかった地点にあるのですが、トムが「オリジナル・カイマナ・ヒラ」の楽譜を眺めながら「この楽譜には古い場所の名前がたくさんあるね」と言うので、「たとえばこの歌詞にあるSeasideというのはこの場所にあったシーサイド・ホテルのことだよ。」と言うと「お前は日本で歴史家だったのか?」とおどろいていました。(単なる「物好き」に過ぎないのですが・・・・汗)
私の「ハワイアン音楽快読本」で紹介した「カイマナ・ヒラ今昔」で使った地図を載せておきますね。
丸数字は「オリジナル歌詞」の順番を示すものですが(1)のKa`alāwaiだけはこの地図の右下欄外の位置なので載っていません。
でもこの「Ka`alāwai」を「Ka Ala Wai」と誤解して紹介する文献が結構見受けられますね。
たとえばカポノ・ビーマーのアルバム「Pana Aloha」のライナー・ノーツではこのようになっています。
もし「アラ・ワイ」だとしても「The west end of Waikiki=ワイキキの西端」というのは「アラ・ワイ運河の海岸側」と想像したのでしょうが、もちろんこの時代にはアラ・ワイ運河はありませんでした。そして「Place Names of Hawaii」に紹介されている地図によれば、アラ・ワイというのは「ワイキキ」の北側に隣接している地域とのことですので「ワイキキの西端」というのもまちがいでしょう。まぁいずれにしても「アラ・ワイ」ではなく「カアラーヴァイ」ですのでどうでもよいのですが。
ちなみに「カアラーヴァイ」の位置は下の地図38番「Diamond Head」の「Head」の文字の下に位置する海岸で、上記のワイキキ地図からははみ出しています。歌の内容ではここから歩き始めたのですね。
このライナーノーツには結構詳しく解説があります、それでも3番の「`ike i ka nani hale ho`onui `ike la, ho`onui hana=苦労して建てられた大きな建物を見た」の意味を「They marvel at the big hotels=大きな幾つかのホテルを驚嘆して眺めた」と紹介していますが、現在と違ってこの歌のできた当時の大きなホテルとしては1901年に建てられたモアナ・ホテル程度でしょうから「複数」というのが気になるところです。
ちなみに下記の写真は1930年代に撮影されたものですが、左側が1927年に建てられたロイヤル・ハワイアン・ホテル、そして右側が1901年に建てられたモアナ・ホテルです。そして遠くには1928年に完成したアラ・ワイ運河も見えていますね。
この頃の大きなホテルというのはこの2軒ですが、歌が作られた1916年にはロイヤル・ハワイアン・ホテルは存在せず、その場所には歌にも歌われているコッテージ・ホテルのシーサイド・ホテルがあっただけですが、これはとても「大きなホテル」とはいえません。
この歌詞の私自身の解釈は「ハワイアン音楽快読本」47ページに載せたように上記地図で示した(3)の位置にあったキャッスル邸としましたが、
これまたあくまでも想像なので正解は別なところに有るかもしれませんね。
「キャッスル」という名前に聞き覚えのある方もおられると思います。
サトウキビで作った砂糖の貿易で財をなしハワイ経済を牛耳っただけでなくハワイ王朝の転覆まで行ったた五大財閥(Big Five of Hawaii)のひとつである「Casle & Cooke」を創設したSamuel Northrup CastleとAmos Starr CookeのコンビのうちSamuelの息子James B. Castleの邸宅がここなのです。
この邸宅の愛称は「Kainalu=海の波」と言い、海に張り出している構造が「海の波」を満喫できるようになっています。
1901年にモアナ・ホテルを建てた建築家がそれに先立つ1899年にこれを建てました。
窓ガラスはすべてティファニーのステンドグラスで、建物の細かい点にいたるまで贅を尽くした仕上げになっていたそうですが、現在はもう存在していません。
チャールスEキングが歌詞の中に「Ainahau」は入れているのにこの「Kainalu」という名前に触れていないのは彼らがハワイ王朝転覆に加担したことをこころよく思わなかったため、とするのは考えすぎでしょうか。
ところでこの7番までのライナーノーツが入っているカポノ・ビーマーの「カイマナ・ヒラ」演奏はオリジナルのメロディーではないかと聴いてみたのですが、なんと現在歌われている「カイマナ・ヒラ」のメロディーそのもののインストゥルメンタル演奏でした。
それだったらなぜ現在の歌詞には入っていない場所についてまでライナーノーツで触れたのでしょうね。
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・・・・と言うことで最後にトムおじさんとの2ショットです。
じつはこのブログのタイトルを「トム爺さん」とするつもりだったのですが、こう並んでみるといずれ劣らぬ立派な「爺さん」なので、タイトルを「トムおじさん」と変更しました(大汗)。
厳密にはトムのほうが背が高いので「ハイ爺」でわたしが「ロー爺」ということかも。
有名なWaikikiという曲はそのさなかに故郷のワイキキを想って作った曲なのですが、彼は埋もれていたこのハワイの象徴であるダイアモンドヘッドに関する歌を北米の聴衆に紹介するに当たって、当時すでに消滅していたマキー島(4番)、シーサイドホテル(5番)、アイナハウ(6番)の歌詞を削除して4バースの曲とするとともにメロディーとコードを現代風に変更したのだと思います。
もっともその4バースの中に削除した3つのバースからの歌詞も採り入れていますが。
楽譜からお分かりのようにオリジナルのコードづけには多少ムリがありますのでそれが不自然なため歌われていなかったとも想像されます。
ただオリジナルに含まれている2/4拍子の部分はしっかりと踏襲しているのです。
でも写真にある彼のアルバムではここの部分を4/4拍子で演奏しているという???が残ります。
ちなみにオリジナルの楽譜はテンポ自体が2/4拍子なのでこの部分は2/8拍子となっていますが、私たちにはなじみが薄いので私が載せた楽譜は全体を4/4拍子の曲としています。
それは「カイマナ・ヒラ(1番)からワイキキ(3番)へ歩く途中でカピオラニ公園(2番)があるのが順当」といういう主張が強かったのですが、もうひとつオリジナルの楽譜の順序がそうなっていたことが根拠だったのです。
でもアンディーが改変した歌詞の1番で「夜(Po)にカイマナ・ヒラに行った」にもかかわらず、すなわち夜にそのあとカピオラニ公園で乗馬(たぶんポロの試合)を見たりワイキキでサーフィンを見たりする、という構成は不自然ですのでこの議論は無意味ということで消えて行ったようです。
上記のアンディーの楽団のアルバムを聴いたところ、2番に「ワイキキ」が出てきたのでやはり「ワイキキ」が2番か!と納得しかかったのですが次が「ハイナ」になってしまいました。
演奏時間が長くなるのでSPにはそれ以上収まらなかったのでしょう。
ハイ爺、ロー爺、、も ウクレレ好きに 受ける 洒落で、いいですね、正巳先生。
自分もマットさんと、不思議な再出会いをしてます。
もともと 快読本2冊 の読者で、書中でご紹介のタブ譜の作成ソフトに重宝な思いをしました。
それで不思議な再出会いとは、自分が 仙台の FMいずみで、月1 だけの それも 20分程度の番組をやるようになったからです。 。この再出会いを 放送しなくては!と。
長谷川こと Ken
そうですか、FMいずみを介したご縁なのですね!
以前は定禅寺ストリート・ジャズ・フェスティバルに参加するために毎年仙台に伺っていたのですが、コロナ禍以来すっかりご無沙汰してしまいました。