本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

電車は安全と思っていた。

2005-04-29 21:34:11 | 
*私は今は電車に乗る機会はそう多くないが、若い頃は東京で毎朝中央線のあの紅い特別快速ですし詰めになって通勤していたこともある。今でも首都圏のラッシュ時には、乗客がドアに挟まれないよう押し込む係りの人たちがいるのだろうか。

*私も子供の頃は電車が好きだった。子供たちの多くは電車というものに憧れを抱いていたと思う。
 私などは今でも1番前の車輌に乗って座席に空きがないときには、よく運転席の窓から前を見ることがある。普段は見ることの少ない運転席からの光景だから興味は尽きない。子供たちが遥か前方まで見通して心を沸き立たせる理由は良くわかる。
 私の幼少時には国鉄の大事故も起きていた筈だが記憶は薄い。脱線事故など滅多に起きないものと信じ切っていた節もある。

*JR各社の《快速電車》は普通料金で乗ることが可能だから、例えば《青春18切符》で効率良く遠方まで移動するためには欠くことの出来ない電車であって、快速を乗り継ぐ駅はシーズン中は大変混雑する。

*この事故が起きるまでは、ダイヤを定刻通り運行するためにこれ程まで過酷な環境があったとは私は想像することもなかった。利便性を日常的に提供される側はいつしかそれに馴れっこになり、「あって当然のサービス」と思うようになる。何か起きて初めて「実はこうだったんだ・・・」と実態が明らかにされる。「死ぬ者貧乏」という言葉があるが、百余名の方のむごたらしい死と引き換えに私たちは何かを学びつつ、また一つ《夢》を失ってしまったのかも知れない。

遅れ回復の120キロ走行、運転士の常識 JR宝塚線 (朝日新聞) - goo ニュース


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