東日本大震災のときには、避難所として解放するどころか、館内にいた利用者
まですぐに追い出して、内から施鍵までして一人たりとも入れないという態度
をとった。たぶん、館長やスタッフの身内・保身優先で帰宅させるために、他人
のことを構ってる余裕などないということなんでしょう。公僕として働き給与を
もらている以上は館長としての心構えはけしからんです。
公共の安心安全や不安を軽視し個である自己保身を優先させたと非難されて
当然です。当時の館長や町長の判断はいまもって糾弾すべき案件である。町民は
看過してはいけない。公共施設の災害時の利用を促すのに参考になる記事です。
「無理にでも避難所に連れて行けば…」自宅の母、犠牲に
朝日デジタル
14日夜に震度7で8人の死者を出した熊本県益城(ましき)町を16日未明、
再び激しい揺れが襲った。わずかな違いが、生と死を分けた。
16日午前1時25分ごろ、益城町宮園の中学校教頭、木下琢磨さん(55)は
木造2階建て1階の居室で寝ていた。突然の揺れに驚き、目を覚ました瞬間、
「バーンッ」という大きな音が家中に鳴り響き、2階部分が崩れ落ちた。
「このままでは死ぬ」。両手で頭を抱えて身を小さくした。暗闇の中、目をこら
すと隣の部屋で充電していた携帯電話が光っている。光を頼りに進むと、勝手口
に通じる空間ができていた。食器を置いた棚が崩れて斜めになり、小さなスペー
スを作っていた。
10分ほどで外に出ると、娘2人が待ち構えていた。肩を借り、町役場に逃げた。
娘たちには前夜、屋内は危険だから車の中で休むよう伝えていた。「わずかな
すき間があって何とか助かった」
益城町安永では16日昼前、坂田龍彦さん(75)の自宅で、つぶれた1階から
動かなくなった女性が運びだされた。妻由理子さん(68)の母山内由美子さん
(92)だった。
前夜は1階に母、2階に夫婦が寝た。地震で1階は一瞬でつぶれた。暗闇の中、
由理子さんは「お母さん、お母さん」と必死に叫んだが、返事はなかった。
14日は一晩、車で過ごした。その後、自宅がいいと思った母は避難所に行くの
を嫌がった。「無理してでも連れて行けばよかった」と龍彦さんは悔やんだ。
由理子さんは「昨晩もいつもと同じように食事をして、いつもと同じように別れ
た。まさかこんなことになるなんて」と肩を落とした。
身につまされる話ばかりです。当時、不安になって公共施設であるラディアンに
駆けつけた町民は少なくなかったはずだ。せめて余震が収まる間だけでも安全な
場所にいたいと思うのは共通の意識です。そういう心持ちがわからない人間は為
政者になる資格はないと考える。いや、人間としても最低の部類である。