場末の雑文置き場

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池波正太郎時代劇 光と影 第六話「断金の友」感想

2017年12月14日 | BSジャパン時代劇

人の命を粗末にするなよ、っていうのが真っ先に浮かんだ感想。
当時はそういう時代だったということは承知の上で、でもそういう価値観のものを現代の人間にそのまま見せられてもなんだかなあ。全く理解も共感もできないぞ。

勘助は嫌な奴には違いないが、殺されなきゃならんほどのことはしていないだろう。私には理不尽にしか見えない理屈で殺されて、その殺人も正当ということにされ、本人ばかりか親類まで巻き添え。可哀相で仕方なかった。全部九郎のせいだな。

九郎は友情と義に篤い好漢のつもりで描いてるんだろうが、直情的で思い込みの激しい危険人物としか思えんかった。意志の弱い主人公がこの男に唆されて望まない道に足を踏み入れてしまったような印象。
こんな奴の言うことなんか突っぱねて親父を大切にしてやれよ、とものすごく思った。当時の価値観だったら今よりもっと親孝行が大事だったはずなんだがな。とんだ親不孝者じゃないかあんなの。

不敬だからという理由で人を殺す、自分が死ぬことも厭わないっていうのがもう、無理なんだ私は。忠義ってものを美しいと思ったことがないから。こんな記事を書くくらい忠臣蔵大嫌いだし、主君のために我が子を犠牲にするような話も美談として語られれば語られるほど引いてしまう。
ついでに言えば、男色の気はないのにあるように言われたのが死に値するほどの侮辱であるという発想もすげえホモフォビックで嫌だった。当時の価値観とは言え。

周五郎は忠義がどうのというよりは「上に立つ者は庶民に尽くすべきである」って感じで、成敗される対象も不忠とかじゃなく庶民から搾取して私腹を肥やす悪臣だったりしたよな。そういうのだったら受け入れやすかったんだけどな。それでも暴力は好まんが、まあそういう時代だし。

この枠大好きなんだが、池波原作は私に合わないかも。登場人物の言動の端々に原作者のセクハラ親父臭を感じ取ってしまって少々キツいときもあるし。「女剣 妙音記」の終盤の意外すぎる展開とか、「あほうがらす」の弟や親分たちの見かけによらない優しさとか、いいところもあるんだけど。


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