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池波正太郎時代劇 光と影 第九話「おっ母、すまねえ」感想

2018年02月07日 | BSジャパン時代劇

見ていて可哀相で可哀相で仕方なかった。

市太郎が。

どうしようもない不良息子みたいに描かれていたけど、あの子がそうなってしまったのは大体は母親の対応のまずさのせいだと思った。もちろん暴力を振るうという行為は誉められたもんではないが、その裏にある市太郎の寂しさみたいなものを感じ取って切なくなってしまった。

最初に家に殴り込んできたとき、金を渡して解決しようとしたのが一番ダメだったところ。市太郎は金が欲しかったわけじゃないよね。母親が自分を大事に思っているっていうのを態度で示して欲しかったんだろう。でもおぬいは市太郎のことがどうでも良くなっていたからそれができなかった。
その後金をせびり続けたのは、金そのものが欲しかったというよりは母親を困らせたかったからだろうな。なんで困らせたいのかって言うと、自分のことを気にしてほしいから。博打にのめり込んだのは自暴自棄になっていたから。

そもそも、なんで結婚したことを知らせもしなかったんだ。都合のいいときだけ可愛がって、自分に構ってくれる別の人ができたら放置かよ。冷たいよな。そういう冷たい人だから作者に殺されたのかもしれないけど。

そんなことを考えながら見ていたんで、おぬいの最期にはあまり、いや全く同情できず。子供が殺されなくて良かった。本当はおぬいに殺し屋を止めてほしかったけど。市太郎は自分を殺そうとしたことも何も知らないままこの先も母親に対する罪悪感を抱えて生きていくんだろうな。そう考えると悲しいけど、知らないほうがまだ幸せかな。

おぬいが息子殺しにあっさりGOサインを出したのは血がつながっていなかったから、と最後に明かされたけど、それもどうなんだろう。血がつながっているかどうかなんて、子供の頃から育てていたら関係ないんじゃないのかな。池波センセイにとってはそういうものなのか。血統主義者なのかな。

余談。市太郎役の木村風太くん、一條俊さん(2サスの脇役で時々出てくる俳優)の若い頃に似てるな。特に声が。あと目元。予告で見たとき一條さんかと思った。
まあ、一條さんがあんなに若いわきゃないわな。いくら童顔だっつったって、もうアラフォーなんだから。
本物の一條俊さんもこの枠で見たみたいな、と市太郎を見ていて思った。


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