場末の雑文置き場

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仮面ライダーライアとガイの役割チェンジについて

2018年05月03日 | 特撮

「仮面ライダー龍騎」の初期設定では手塚の高野八誠が悪役、芝浦の一條俊が主人公の味方サイドの役だったらしい。ライアのデザインが悪役っぽいのはその名残なんだとか。
手塚がガイ、芝浦がライアに変身する予定だった説も誰かが流しているのを見たことがあるけど、それは多分その人の勘違いかな。変身するライダーはそのままで、役割が初期設定と異なるんだと思う。

初期設定ではしっくりこない、手塚を味方、芝浦を敵に変えて大正解だった、みたいな意見は何度か見た。でもそれは、こっちバージョンの完成品しか見ていないから言えることなのでは。
私はむしろ、初期設定のほうが役者の持ち味には合っていた気がする。特に手塚は。

顔立ちといい醸し出す雰囲気といい、一條さんより高野さんのほうがずっと悪役向きだと思う。もし設定を変えていなかったら、手塚は浅倉とも東條とも須藤刑事とも違う、ミステリアスで魅力的な悪役になれただろう。だから役者を見て悪役から変更したという脚本家の感覚は、私にはあまりわからない。意外性を狙ったというわけでもないようだし。

私は手塚が好きだけど、それは見た目・雰囲気の悪役っぽさと中身とのギャップによるところが大きい。最初は手塚のことを信用できなくて、だからこそ本当に味方だとわかったときの嬉しさがあった。
余計な情報を入れずに見られたのが良かったんだな。手塚がいい奴だとネタバレなんかで最初から知っていたとしたら、多分好きにはならなかっただろう。これは吾郎ちゃんについても言える。

一條さんに関して言うと、人をイラッとさせる生意気そうな表情を作るのが実に上手いけど、顔立ち自体には悪役っぽさは皆無だ。他のドラマで見ると好青年役でもしっくりくるし、高野さんのような怪しい雰囲気は一條さんにはない。

芝浦役をやっていた役者が好青年役で出ていると違和感があるとか、合っていないとか言う特撮オタクを見たこともある。でもそう思ってしまうのは役者を特撮で演じたキャラクターのイメージで見続ける特撮脳だからなんじゃないかな。
特撮で正義の味方をやっていた役者が悪役を演じるとショックだとか、特撮で嫌な奴を演じていた役者が他で好青年を演じると違和感があるとか、なんでも特撮基準で考えている人を見るとなんだかなあ、と思ってしまう。キャラと役者の区別があまりついていないんじゃないかと、ちょっと心配になる。

こういう人が一定数いるから、憎まれ役を演じる役者ってどうしても損するよな。中には、自分がそのキャラクターに嫌悪感がある=役者の演技が下手、みたいな飛躍をする人までいるし。上手いからこそ憎たらしく感じられるのにね。
前に芝浦の演技を棒読みと評している人を見て驚いたことがある。そりゃもちろん編集長役の津田寛治さんとかと比べたら下手だけど、若手出演者(北岡、浅倉等のアラサーも含む)の中では一番上手いと思うんだが。

少し話が逸れてしまった。結局何を言いたいのかというと、悪役の手塚と素直でいい奴な芝浦も見てみたかったな、というだけのことなんだけど。


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