この春、20年ぶりに中学の同窓生の集まりに顔を出した。年は取ったが、男の子を「男子!」とか呼んでいた、あの頃がよみがえる。とても、嬉しかった。
それからというもの、私の回想旅行のはじまり。
たくさんの出会いもあり、別れもあった。いつか連絡をとろう・・・としていたら、とらずに音信不通の人も・・・。
生きてる中で、私は、たった一人でいたことはない。家族にも愛され、友達も、いつも周りにいた。それは感謝なこと。
でもあるとき、自分は一人であることに気がついた。どんなに周りに人がいても、私の心の中にある孤独感・・・。どこからくるのか?
家族が一緒だから、クラスが一緒だから、職場が一緒だから、サークルが一緒だから、一緒にいるのではなく、自分一人とじっと向かい合って寄り添ってくれる人はいるのか。生まれたときから、死ぬときまで、そして死んだ後も、ずっと私と寄り添ってくれる存在。
そんなとき、聖書を読んだ。
人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。 新約聖書 ヨハネによる福音書 15:13
命を捨てるまでに、その友を思う・・・。
私のために命をすてる、と言ってくださる存在に私は畏怖を覚えた。
それからというもの、私の回想旅行のはじまり。
たくさんの出会いもあり、別れもあった。いつか連絡をとろう・・・としていたら、とらずに音信不通の人も・・・。
生きてる中で、私は、たった一人でいたことはない。家族にも愛され、友達も、いつも周りにいた。それは感謝なこと。
でもあるとき、自分は一人であることに気がついた。どんなに周りに人がいても、私の心の中にある孤独感・・・。どこからくるのか?
家族が一緒だから、クラスが一緒だから、職場が一緒だから、サークルが一緒だから、一緒にいるのではなく、自分一人とじっと向かい合って寄り添ってくれる人はいるのか。生まれたときから、死ぬときまで、そして死んだ後も、ずっと私と寄り添ってくれる存在。
そんなとき、聖書を読んだ。
人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。 新約聖書 ヨハネによる福音書 15:13
命を捨てるまでに、その友を思う・・・。
私のために命をすてる、と言ってくださる存在に私は畏怖を覚えた。