昨日の朝一で東京にいった。
おめあては、4スターという公演をみるため。ブロードウェイミュージカルのミス・サイゴンの主演やレ・ミゼラブルに出演していたレア・サロンガの生歌を聞けると知り、急遽、東京まで行ってきた。
子どももいるし、普段はなかなか行きたいコンサートにも、行けない。これまでも、何度も、「やっぱり今行っておけば良かった・・・」ということがあった。今回は見逃したくなかった。レアは私のボーカルにいろいろな影響をくれた人の一人だし、一生に一度見ておきたい、聴きたい人だったので、行くことを決心したのだ。
詳しくは、まだ公演が続いているので書かないが、会場に入り、舞台を観ただけで、ジーン。わくわくしながら、出演者の登場を待った。
レア以外にラミン・カリムルー、シエラ・ボーゲス、そして日本代表で城田優さん、4人によるショー。
舞台全体を楽しみつつ、ソロで歌うときは、借りたオペラグラスで、歌っている表情や口の動きをじっくり見ていたのだが、とにかく経験を積んだ世界のトップスターのあごや首の力が入っていないことがよーーーくわかった。とても自然にぽっと口をあけているだけなのに、しっかりインナーで支えられた声で、色彩豊かな声の音色はすばらしかったが、途中すこしだけ違和感があった。「これは本当に生ライブなのか!」とちょっと変な気分。youtubeとかで映像を観ていたときのような錯覚になったのだ。youtubeは、本当にありがたいけど、あれを観すぎると、本当の生の演奏を目の前で聴くときの感動は減るのかもしれない。それでも、今回のレアの歌声で何度も涙がにじんだのは、彼女がどんなステージでも全力なのが空気で伝わったからだと思う。言葉も誠実で、愛情ゆたかだった。また茶目っ気もたっぷりなところも観られて、いろいろな発見をしながらも、楽しく、心おどる2時間だった。一言、やはり行ってよかった。他の共演者もそれぞれ声も表現も魅力的で、素晴らしかった。城田君も(彼がミュージカルやっていることをしらなかったので)、思った以上にすてきな歌声でびっくりした。ミュージカルは、歌が上手だけでなく、演技と一緒にあるものだから、その言葉をどうやって伝えるかを歌声や表情、体、ダンスで表せるトータルでのタレント(才能)が要求されるのだと改めて実感した。その豊かさにおいては、ブロードウェイのスターはさすがだ。
公演の前は、オレゴンの留学時代のお友達のNちゃんと10年以上ぶりの再会。おいしいランチとオレゴンでの思い出にひたり、しゃべること3時間。会っていなかったとは思えない、居心地の良い、たのしい時間を過ごした。
公演あとは、ホテルにいって荷物をおき、ジャズボーカリストの田山ひろみさんが歌っているバガボンドという西新宿にあるお店へ。
ひろみさんとは数年前からのお付き合いだが、出会えた事は宝物。口から発せられる言葉や、お人柄、そしてピアノと歌に、毎回毎回教えられ、励まされ、元気になる。ひろみさんが組んでいるユニットの演奏は何度も聴いたことがあるし、その中でソロを歌うのもきいていたが、東京で普段いろいろなお店で歌っているひろみさんを観たことがなかったので、今回はじめて、田山ひろみ@バガボンド(西新宿のお店)を聴けて、最高だった。お客さんもその声量と声の太さの中にもまろやかさに、大絶賛だった。ひろみさんのこうしたお店でのソロ演奏をyoutubeとかでは観たことがなかったので、やっぱり目の前で、生で聴いたら、すごく感動だった。
そのバガボンドに、高校の友達数名が顔を出してくれた。ひとりは10年以上あっていない。仕事や家庭を持って、それぞれ東京に住んでいるので、いつもゆっくり会えなかったけど、昨日は、久しぶりにゆっくり話したし、年月がすぎても学生時代を共有した仲間とは心が通い合うのだ。「わぁ、私の愛しの同級生たち・・・私の心を素直にさせてくる・・・」なんて、思いながら、嬉しくて嬉しくて。
留学時代の友達Nちゃん、高校の友達、ひろみさんに再会して思ったのは、できるかぎり、時間を作って会う・・・ということを大切にしたいと思った。こうやって仕事が忙しくても、私の急な誘いに、時間を工面して会いに来てくれるというだけで、ありがたい・・・って思う。
そして、コンサートや友との再会で共通して思ったことは、youtubeやソーシャルネットワークなど、わたしにとってのネットの活用のあり方だった。(あくまでも私にとっての)
活動を告知したり、遠くにいる友達と連絡を取ったり、世に何かを発信している人にとっては、メールとかソシャルネットワークを活用するには確かに便利だし、助かることもある。だけど、それはネットワークであって、私が考える友達づくりとはちがう。多くの人とネット上でつながった気持ちでいるのでなく、実際そこからface to feace、会って言葉を交わし、関係を作っていく・・・・という行為をして、私の中では、友達になっていく。そういう友達関係を私は求めている。(友達っていっても、今は、このくらいしか話せてないとかいろいろな段階はあるし、正直、話したからと言って自分の気の合うひとばかりじゃないから、そういう場合は、友達って言って良いのか微妙なときもある・・・ということは、今はちょっとおいておいて)
多くの人とネット上だけでつながるより、少なかったとしても目の前にいる生身の人がいい。その人の目を見て話して、心を感じて、打ち明けて、分かち合う時間を一番大切にしたいと再確認した。レアサロンガをyoutubeとかビデオとかで観るより先に、目の前で歌うのを聴いていたら、感動の具合もちがっていたかもしれない。
今回再会した友達も、実はフェイスブック(FB)で久しぶりにメールを交わしたことがきかっけでつながりを取り戻したので、FBには感謝しているが、その時点では単につながりであって、じゃ、FBがなかったら会わなかったか?と自分に問うてみた。「いや、会いたかったから、コンタクトをとったのだ。」
でも、こうも考えた。「今回は、FBで連絡先が分かったので、会えてよかったけど、FBがなくてこの先一生会えていなかったとしたら・・・」
実際、私の回りには、FBをしていない知り合いや友達の方が断然多い。FBなど一切しないという友達と話していたことなのだが、ネット上で互いに近況を知っている気になっているけど、投稿されている内容はその人の一部にすぎなく、その人の生活や状況をそれだけで想像するのどうだろう・・・。しかも、FBをやっている同士の温度感と、やっていないものの温度感がちがう。たとえば、している人としていない人が一緒に同窓会に出席すると、互いに久しぶりに会ったのにもかかわらず、FB上ですでに知っているもの同士はあたかも会っていたかのよな錯覚になる。
何年も会わなくても、もしかしたらこの先会わなくても、生きていく中で会うべき人と会えば良いのかな・・・とも考える。会っておけば嬉しくなるかもしれないけど、会わなかったからといって不幸になるわけではない。万が一、FBやその他のツールで連絡できなかったとしても、ある日ばったり道端で会うかもしれない。きっと、そのときの感動は大きいだろうから。
そして、昨日は、限られた時間であったし、話し足りないこともあったけど、少しでも顔見て話せて、これまでの時間を埋めるところに風情を感じた。
・・・なんてことを考えた。
会ってくれた友達、生の彼らを見れてやっぱり嬉しかった。