ドタ日記

ドタの毎日の様子をエッセイで書き綴ります

無事葬儀を終えました

2005-06-24 23:39:12 | Weblog
この3日間があまりにいろいろなことが起こり、10年ぐらいの月日が経ったように
感じられます。
3日間ほとんど寝ていません、
体は疲れているのに神経が高ぶって寝られないのです。
火曜日横浜から帰省してみると、肩で浅く息をする姑にいやな不安感がよぎったのです。
姑のフトンのシーツを交換して、顔も手もふいてあげました、洋服を変えてあげ
新しいシーツで寝かしてあげるとき姑の顔が今まで見たこともないくらい、やさしい穏やかな
顔つきに変わっていました、その顔はまさしく、仏様のお顔でした、
「痛い?・」と聞くと優しい顔で首を横に振りました。
この日の夜は何かの前兆がある不安な気持ちがよぎり寝られませんでした。
翌日は医者へ定期的に行く日です。
姑は一人で、身支度を整え、待っていました、
野菜ジュースをミキサーで絞って飲ませ、病院へ行きました
しゃべれない姑に代わり、最近の状態を説明しました
浅い呼吸をすることを話しましたので、循環器の検査をしました。
結果は血圧も心電図も血液検査もすべて異常なし、
検査の結果がよかったので、私の不安な前触れはちがっていたんだと安心し、
姑に「おかあさんよかってね、どこのどうもないよ、今日はお母さんの誕生日だから
外で食事する?」と聞くと、やさしい顔でうなづきました、
中華料理店で姑は大好きなマーボ豆腐」を食べ、岐阜の一番の老舗のケーキ屋に立ち寄り、
ケーキと姑の大好きなゼリーを買いました
あの時、ショーウインドに並べられたきれいなケーキやゼリーを食い入るように見ていた
姑の顔を忘れることができません、
いつもより、たくさん買って家に戻りました。
姑は着くと同時にゼリーを食べ始めました、
姑には少し量の多いゼリーでしたから、全部は食べきれないだろうと思っていました、
「ゆっくり食べればいいからね」と声をかけ、目だって変わったこともないので
私も疲れて寝入ってしまいました、
その間に、いつものように前かがみの姿勢でバランスをくずし、転んだので夫が
あわてて気づいて姿勢を直してあげました。
そのときは異常なかったようです。
ゼリーを再び食べ始め、私が姑の部屋に行ってみると手がブランブランの状態で倒れていたのです、
あわてて抱き起こし、「おかあさんおかあさん」と私は悲鳴のような声で叫び、夫に異常を告げ
救急車を呼んでもらいました。
もう私もパニック状態で救急車がくるまで姑をさするだけでした、
救急車はすぐ来ました。
すぐに人工呼吸をし、病院へ搬送しましたが、病院で死亡が確認されました。
本当に数時間の間でこんなに容態が変わってしまうとは、、、、
でも、亡くなった姑の顔は本当にきれいでした、
今まで、闘病生活で苦しんでいた姑の暗い顔から開放され穏やかな微笑んだ顔でした、
顔も鉛色の顔からもともと肌のきれいな人でしたから、その羽二重もちのような白い
つるんとした肌に戻っていました。
私は姑の顔にほほ紅をつけ、真紅の紅をさしてあげました。
それはそれはきれいな雛人形のようにかわいらしい顔になりました。
いままで闘病中は顔もあげることができなかったけれど、亡くなって久しぶりに
姑の美しい顔を見ることが出来ました。
お悔やみに来てくださった方々も異口同音に姑のあまりに穏やかな顔にびっくりされていました、
岐阜城のある金華山のふもとの静かな寺で町内の人の心のこもったお手伝いで、
通夜 葬儀を終えることが出来ました。
派手ではないけれど、姑らしいあたたかな葬儀を行うことができました。
あきちゃんのおかあさんが私にお悔やみの言葉を送ってくれました。
「紫陽花の咲くころ召される人は自己主張せず、しかし自分のしっかりした信念を貫く人です」と、、、、、
姑ババさまはまさしくその言葉どおりの一生でした。