秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

まむ多の楠どらと茨田堤

2014-03-08 | 古代史のミステリー
2月の終わり頃一週間前の話ですが、お隣の門真市の保護司さんから差し入れ戴きました。

まむ多の楠どら、どら焼きです。
超美味しかったです。

それにしても変な名前の店名だと調べてみました。
その和菓子屋さんのある地の旧名が茨田(まんだ)郷という水郷地帯。
旧蹟茨田の堤が近くにあり、近畿自動車道の大東鶴見出入り口は茨田(まった)と呼んでます。

むかしむかしは、まむた と呼んでいたことが、まむ多の由来でした。


茨田堤(まむたのつつみ/まんだのつつみ/まぶたのつつみ)は、
仁徳天皇が淀川沿いに築かせたとされる堤防です。
5世紀頃、淀川の洪水を 防ぐため渡来人などの技術を用いて築かれました。



1年前に、淀川堤防を歩いて気になったことを記事にしました。
2013-01-14 とうとうと流れる淀川、実は

その時に、この仁徳天皇の築造の際、困難な箇所が2ヶ所あり、人柱を立てた地が2箇所あることを知りました。

「強頸の絶間」は大阪市旭区千林町、
「衫子の絶間」は寝屋川市太間町だといわれています。

そのうち見学行って記事にしようと思ってたら、あっという間に1年が過ぎ
先にどらやきがやってきたという次第です。

天皇は夢に「武蔵の人強頸(こわくび)と、河内の人茨田連衫子(ころもこ)の2人を以って河泊(かわのかみ)を祭れ」
との神のお告げを得て、2人を川に沈めようとしたのです。

強頸は悲しみながらも人柱となり川に沈んだ。
しかし、衫子は身代わりに匏(ひさご)を水中に投げ入れ神意をはかり死を免れたと伝わります。

つまり水に投げ入れたひょうたんが沈んだら私も水中に身を投げるが
浮いたら沈む必要なないみたいなことを言って助かったのです。
ひょうたんは水に浮くのが当たり前ですもんね。




この地図の上の方、三島、かつては御島に三島鴨神社も祀られたのですが、
そこよりも下流の淀川新橋近くの寝屋川に絶間橋という地名が残っています。



茨田の堤の完成により河内平野の農耕は急速に発達するも、堤はその後も度々決壊修築されています。
淀川の堤防の決壊の記録は百数十回にも及ぶとのこと。

近世になって豊臣秀吉の文禄堤の築造や淀川や大和川の治水工事が進つれ、
この茨田の堤の役目も終わったのでした。

この僅かに残された「茨田の堤跡」は1973年(昭和48年)大阪府の史跡に指定されています。




今回の記事で一番気になるのは
河内の人茨田連衫子ころもこ)が瓢箪で助かったという言い伝えです。
秦氏 ひょうたん などで検索すると、話はどんどん歴史のミステリーにはまり込んで行きます。

3 コメント

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まったですね。 (りひと)
2017-10-27 18:05:48
勉強になります。地元の方の情報が一番です。
黄河も興味ありますね、中国由来、探ってみます。

素晴らしい木の記事にまた今ちょうど調べていた辺りが出てました。双頭ならボディは一緒で上手く動くはず、強調しないと動けないので。でも筋が違うと別に動けるわけで。日本武命についていた方に興味ありです。彼は白い鳥だけど白い猪にやられてる、黒もありそうですし。
むかし夢は黒と白がクロスに貼り付けられていたんです。ただ今黒の中の白を探してます。
おじいちゃんは白、天照さんも白の関係者みたいに思ってきましたよ。1687
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りひとさんへ (ulala)
2017-10-10 12:26:45
茨田は、現在は「まった」と読んでますが、いつからかは存じません。
古代の堤跡や大楠があるので見に行った記録残してます。
2011-08-28 
大楠めぐりサイクリング
大阪緑の百選のNo.1 薫蓋樟
http://blog.goo.ne.jp/goo3820/e/875b44685c8b8556f63273249ae21381

この記事を読み直すと、
古代 、仁徳天皇が淀川の氾濫からこの地方を守るために、渡来人達に茨田堤(まんだのつつみ)を築かせています。

古代は、「まんた」と呼んでたのですね。

河伯を改めてググってみました。
Wikiページでは
(かはく、ホーポー、Hébó)は、中国神話に登場する黄河の神、とありました。
河童でもあるのでしょうが、黄河の神なんですね~
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マムタですかあ。 (りひと)
2017-10-09 15:43:35
ランキングで上がってきたので拝見しましたけど、そうこの堤の二人の関係者以前調べてました。特に武蔵の方がどうしてここに関わるのかと。治水で河伯なので武蔵は関わりそうですね、呼ばれちゃうのは理解出来ます。ただ人柱って理系頭で考えれば筋が通らないのでどうしてそんな行動をしたのがが気になりますね。非科学的で根拠から原因と結果のつながりが分かりません。でもエピソードにある事なので作者としては何かを伝えたかったはずです。

そこは忘れてひょうたんですね。必ず浮く面白かったです。瓜系に知識がなかったんですかね。河童と瓜は切っても切れない関係ですのでそれがまた気になりますね。ひさごともいうのかなあ?以前神社でお守り頂いてきたところとの関係も気になります。一か所は五色の瓢箪でもう一か所は本物の瓢箪に口に挿す蓋が付いて大きな物なので少しひょうたんも掘ってみます。

マムタで変換するち茨田が出てきますね。音としてはこの音なのでしょうね。三文字の漢字に置き換えたいですね。目無多とか?目がやられる民族がいるのでそこかなあとは思います、妄想ですけど。なので目の神を配置させたいですね、木か薬師さんとかを。この地で昔からいないのか?探ってみますね。1719
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