![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/b2/4edf94c3f86b93a84b99d406c0043631.jpg)
美具久留御魂神社(みぐくるみたまじんじゃ)
下水分神社とも和爾社とも呼ばれるようです。
南河内の平野からよく見えるシンボル的なPL教団の塔の北東あたりにありますが、これまで全く知らない神社でした。
出かける前にネット検索で知りえた情報からの想像とはずいぶん違ってました。
自然と共に生きる、神と共に生きる日本人の本来の心のあり方「神ながらの道」みたいなものを感じました。
こんな立派な神社なのに、あまりに知られていないことも驚きでした。
駐車スペースに車を停めて最初の鳥居
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/0f/d6f0346d92bef9d0b5cd67bd2a469e5e.jpg)
鳥居のうちに入り外を見ると二上山が見えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/09/3fe404a7ba81fafb5a9c23789ffec411.jpg)
案内図
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/7f/1b735787b0932b3f62df706c37c0f00b.jpg)
神人和楽(しんじんわらく)の石碑が目に留まります
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/b2/4edf94c3f86b93a84b99d406c0043631.jpg)
階段を少し上がって下拝殿、右横よりさらに上に上がる階段
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/6d/087102c3ea805b71344c35599915690c.jpg)
途中に鳥居があり、また階段をあがると上拝殿
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/15/75227ef36375b5079823e43e3d3ba03e.jpg)
右手から本殿の囲い内側をのぞいてみると、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/3b/3d0eb97edafd86dda83d6db882b6c5b5.jpg)
その横に小さな鳥居があり、呼ばれたような気がした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/14/d0f59f9bd4e3497356d9b599552735b4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/f1/946fe0a18d4912c33de1b81267b61671.jpg)
小さな祠から光が差して、どなたかがおられるかのような不思議な感じ。
何の祠なんだろうと、石碑を撮影
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/27/619227f48f291dcf07b94dfcab3305df.jpg)
白雲宮でずいぶん検索したけれど、私同様不思議な感じがしたというブログ2件がヒットしただけで、よくわからなかった。
本殿背後の旭山(真名井ヶ原)には宮裏山古墳群もあり、古来神奈備山とよばれる神体山です。
大和川の支流である石川と羽曳野丘陵のあいだにひろがる一帯の社の周辺は、古くは支子の茅原と呼ぶ草原でした。
崇神天皇の十年に巨蛇が多く出没したので、天皇は幣帛を捧げ支子の茅原に登り、妖蛇の霊窟を探して
「これ大国主命荒魂のすさぶ所なり宜しく祀るべし」と、ここに於いて初めて当社が勧請されたという。
やがて支子は喜志となり、藤原道長の荘園でもあった時期もありました。
下水分神社とも和爾社とも呼ばれるようです。
南河内の平野からよく見えるシンボル的なPL教団の塔の北東あたりにありますが、これまで全く知らない神社でした。
出かける前にネット検索で知りえた情報からの想像とはずいぶん違ってました。
自然と共に生きる、神と共に生きる日本人の本来の心のあり方「神ながらの道」みたいなものを感じました。
こんな立派な神社なのに、あまりに知られていないことも驚きでした。
駐車スペースに車を停めて最初の鳥居
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/0f/d6f0346d92bef9d0b5cd67bd2a469e5e.jpg)
鳥居のうちに入り外を見ると二上山が見えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/09/3fe404a7ba81fafb5a9c23789ffec411.jpg)
案内図
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/7f/1b735787b0932b3f62df706c37c0f00b.jpg)
神人和楽(しんじんわらく)の石碑が目に留まります
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/b2/4edf94c3f86b93a84b99d406c0043631.jpg)
階段を少し上がって下拝殿、右横よりさらに上に上がる階段
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/6d/087102c3ea805b71344c35599915690c.jpg)
途中に鳥居があり、また階段をあがると上拝殿
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/15/75227ef36375b5079823e43e3d3ba03e.jpg)
右手から本殿の囲い内側をのぞいてみると、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/3b/3d0eb97edafd86dda83d6db882b6c5b5.jpg)
その横に小さな鳥居があり、呼ばれたような気がした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/14/d0f59f9bd4e3497356d9b599552735b4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/f1/946fe0a18d4912c33de1b81267b61671.jpg)
小さな祠から光が差して、どなたかがおられるかのような不思議な感じ。
何の祠なんだろうと、石碑を撮影
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/27/619227f48f291dcf07b94dfcab3305df.jpg)
白雲宮でずいぶん検索したけれど、私同様不思議な感じがしたというブログ2件がヒットしただけで、よくわからなかった。
本殿背後の旭山(真名井ヶ原)には宮裏山古墳群もあり、古来神奈備山とよばれる神体山です。
大和川の支流である石川と羽曳野丘陵のあいだにひろがる一帯の社の周辺は、古くは支子の茅原と呼ぶ草原でした。
崇神天皇の十年に巨蛇が多く出没したので、天皇は幣帛を捧げ支子の茅原に登り、妖蛇の霊窟を探して
「これ大国主命荒魂のすさぶ所なり宜しく祀るべし」と、ここに於いて初めて当社が勧請されたという。
やがて支子は喜志となり、藤原道長の荘園でもあった時期もありました。
私は初めて聞いた言葉です。
語源を調べてみましたが
残念ながらはっきりしないのですが、
天理教の神人和楽の陽気ぐらし
からきている言葉かもしれません。
私の祝詞ではいつも
「寛恕と和と思いやりとを持ち
人は神を敬い
神は御魂の恩頼殖(ふゆ)を授け
神人共に幸いなりて
神人共に弥栄なり」と祈っていますが
そういう神と人との弥栄なる祝福を
神人和楽の境地というのでしょう。
今後祝詞にも「新人和楽の弥栄なり」と
いう言葉を取り入れたいと思います。
あと白雲宮には少彦名神の御神気を感じます。
たぶん霊的には葛城の白雲峯の高皇産霊神を
祭祀しているのではないでしょうか?
尤も感応とは別におざささまとの縁で考えると
さらに面白いものが見えてきます。
なんかいいなぁ~、今まで神社参りしても見かけなかったなぁと気にかかった言葉です。
白雲宮は気高い感じがあり、ぞっとするようないやな気ではなかったです。
少彦名神や高皇産霊神とお聞きするとなるほどと思われます。
ここはほんと何かありますわ。
想像以上にすごい秘密というか、歴史を秘めた神社であるように思われました。
このあと「玉もの鎮石」といタイトルでカテゴリーはミステリーで書く予定でした。
調べれば調べると多きに渡りすぎて収拾つかなくなってます。
案内図と神人和楽と小さな祠から光が差しての3枚の写真を
カメラの原本データーで見せていただけませんか?
縮小したデーターでは感応が薄いので宜しくお願いします。
それに最近は老眼で拡大しないと良く見えないし。
宜しければお手数ですが以下アドレスにお願いします。
yoshi_iltuki@awa.bbiq.jp
あと私のブログでも美具久留御魂神社の
考察が完了しました。
単に直感だけで行動している私とは違って、非常に深い考察でなるほどと納得できました。
物部氏って外物部と内物部があり、常に内紛というか対立を利用されてきたという見方もあるんだそうですね。
情報知れば知るほど、まとめ切れなくなりそうです。