秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

天石門別八倉比売神社★阿波国一宮の一つ

2020-11-23 | 旅・中国&四国地方


杉尾山自体を神体として鎮座。
大日霊女命オオヒルメノミコト(天照大神の別名)が御祭神。
ご神紋は抱き柏。

八倉比売神社は、古代に国分寺が建立された国府エリアにあります。
徳島市内ではあっても行きにくいとこにありました。

今は、JR徳島線府中駅から徒歩40分、バス停八倉比売口からでも徒歩30分だって。


国分寺に約20分滞在し、いざ行かん!
周りはのどかな田園風景。

9:45

おそらく左の高い山が気延山(標高212.2m)で、最初はその山頂に、
のちに気延山南麓尾根の杉尾山(110m)に遷座された年代は、古文書より4世紀初めの古墳発生期と推察されるそう。
1185年に正一位の最高位神階が授けられ、江戸時代には蜂須賀の殿様が崇敬したようです。



杉尾山が何処で、どの辺に社殿あるのか全く予想つかない。
だいたいあっちと目指して歩き始める。

ところが、ちょっと道間違えたようなのがわかった。
引き返すのももったいなくて、農道でショートカットすることに。
もう蛇も蝮も出ないこと祈って。

これであってるんだろうか、不安は尽きない。



突然現れた黄色い蝶々。
八倉ひめが、これで合ってるよ、と励ましてくれたような気がした。

家に帰ってから3D地図確認したら、赤い線歩いたような

予定より早く左折してしまってた。


第一鳥居に最初に着いたのが9:49。
国分寺出てから5分ちょっとなのに、実際歩いてる時は不安で長く感じた。

予習では、この鳥居の手前10mほどの地に伊魔離神社があり、その前を通過するはずだった。
この機会逃したら、もう2度と来ることないかもしれんとご挨拶に伺う。





伊魔離神社は、葬儀で「先達」をつとめた神を祀る。

当八倉比賣大神御本記の古文書は、天照大神の葬儀執行の詳細な記録で、道案内の先導伊魔離神、葬儀委員長大地主神、木股神、松熊二神、神衣を縫った広浜神が記され、八百萬神のカグラは、「嘘楽」と表記、葬儀であることを示している。



9:52 仕切り直し、あらためて出発。
ここから参道ハンパないらしいから心引き締めて。

鳥居くぐってすぐのところ、右手に境内社あったようなかすかな記憶。

調べたら
摂社・箭執神社(やとりじんじゃ) 
祭神は櫛岩窓命と豊岩窓命で、天石門別神とも云う。


会釈しただけで通り過ぎた。

9:55

分かれ道の先、右奥に阿波史跡公園が見える。
ちょっと距離ありそう。



八倉比売神社まで465m
宮谷古墳もあるんだ。
誰もいない古墳ってちょっと気味悪いかも…

ここからは急坂続き息上がり、写真どころじゃない。

9:57

急階段の上に社見えるも社標がなく、しんどかったから会釈しただけ。
調べたら
松熊神社: 祭神は手力男命(たぢからお)と天宇受女命(あめのうずめ)


10:00


あと100mの看板に折れそうな心鼓舞される。
あと一踏ん張り。
しかし、坂の勾配は30度を超えてる。
こんなしんどい坂道あまりないと思う。
暗峠くらいかな。

ここで行き倒れたら、誰も通らず、気づいてもらえた時には息絶えてるとか。
いやいやそんなことは絶対ない。
木々が覆い被さらず空も見えてるので明るさが救い。

八倉比売神はきっと温かくやさしいと思う。
だって空気が清らかに澄んでてて淀んでない。
いい気が充満してるもの。
 

やっと第3の木の鳥居が見えた。

あとは石段参道200段ほど上がるだけ、って言ってもキツイ。
息も絶え絶え、汗かきまくり体熱ってた。

ピースして自撮り。
ここまでは生きてたという証、残しとこ。



つづく




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