秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
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大枝の地車は弥刀神社から

2020-09-10 | 古代史のミステリー
今年は新型コロナのせいで全国的に祭りがぶっ飛んだ。
大枝も例年なら秋祭りに備え笛や太鼓の練習があった。
今年はさびしいなと思ってて、やっと気づいたことがあります。



昨春、大枝神社の地車は補修から戻り美しくなりました。
その記念にもらった絵葉書よくよく見たら



「生い立ちは明治初期 東大阪の弥刀神社に宮入」
今頃になって目に留まった、やっと。


2004年の台風で鳥居にヒビ入り、氏子さんに寄付募られ再建。
お金が残ったので中古の地車購入し、
2007年12月に搬入された日見に行った。
過去ログ探したけど記録残してなかった。
初記事は2008年7月5日

10年過ぎてだいぶあちこち傷んでたので、2018年秋祭り終え修理に出されたのだった。

中古は知ってたけど、具体的にどこの神社か知らなかった。
東大阪の弥刀神社のものだったんだ。






2008年10月の秋祭りで新しい地車お披露目されてる記事発見。

弥刀神社に興味津々、調べてみました。




このサイトにはこう書かれてます。

旧大和川(現:長瀬川)が河内湖に注ぎ込む河口付近の港、いわゆる水戸(水門:みと)の守護を願って造営されたと考えられているが、定かではない。
ちなみに、このあたりは、一大港湾にのぞむ大きな水戸(河口)であったことから「大水戸」(おおみと)と呼ばれ、それが訛って「近江堂」(おうみどう)という地名になったと聞く。
 
江戸時代における弥刀神社は、当時の流行であった「牛頭天王」が祀られていた 。
明治の神仏分離政策を受けて、他の牛頭天王を祀っていた神社がそうしたように、弥刀神社もまた牛頭天王を廃し、須佐之男命に変更して摂社に。

摂社八坂神社は拝殿の右奥にあるようで、
鎮守の森に守られたその奥に、春日造りの萱葺の社が鎮座する ようだ。
八坂神社の向かい側に、大己貴命を祀る「常世神社」が鎮座。
そのうちに確かめに行きたいな。

弥刀神社においては、その歴史的観点から、
主祭神は秋津日子神・速秋津比売神とし現在に至る。

彌刀神社の創建は明らかではないが、
天平宝宇6年(762年)6月の旧大和川(長瀬川)の大氾濫で、由来となる建物や器物が流失したというから、奈良時代には存在していた。

河内国の古社の多くは、その祭祀氏族が明確であり、氏神として祀られた祭神もある程度明確にされてきた。
枚岡神社・恩智神社(中臣氏)、石切神社(穂積氏)、弓削神社(弓削氏)、矢作神社(矢作氏)、渋川神社(物部氏・中臣氏・忌部氏)、跡部神社(阿刀氏)、穴太神社(穴穂部)、八尾神社(栗栖氏)、御野県主神社(美努連氏)などなど。。。物部ワールドである。
しかし、この弥刀神社は、祭祀氏族がよくわからない。よって祭神もよくわからない謎の神社

明治5年(1872)村社として登録されている模様。
このころに地車が宮入りし、それがまわりまわって大枝神社へ。
ということは、主祭神秋津日子神・速秋津比売神の御神気を受け継いだということでいいのかな?


神社名の「弥刀」は、一般的には河口・港の「水戸」に由来するとされる。
実際、「みと」と入力すると、真っ先に出てくる漢字は水戸。
 
別の説は
神名帳の最古の写本によると、「弥刀」は「いやと」と読ませている。少なくとも平安時代には「みとの神社」ではなく「いやとの神社」と呼ばれていたということになる。
「弥」は「弥栄(いやさか)」の「いや」。「刀」は文字通り「カタナ」の意として考えると、そもそもは「(一族の)繁栄を願って神刀を奉斎した」神社であったのではなかろうか。


そこで弥刀で調べてて、こんなの見つけました。

<神武天皇を支えた七大臣>
中臣春武の命、中臣道之臣人の命(この二人がアメノコヤネの子孫)
斎部差別の命、太玉大富の命(この二人がフトダマの子孫)
科津靱之男の命(シナヅトベの子孫?)
弥都波若菱守の命(ミズハノメの子孫?)
手力佐韋花の命(タヂカラオの子孫?)



継続調査中・・・