現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

師匠の立場からすると、こいうのは困る?

2014-07-17 03:45:05 | 虚無僧日記
私は尺八は自己流です。千葉と会津の二人の叔父が尺八を
吹いていましたので、子供の頃(10歳ぐらい?)から
遊びに行っては、見よう見まねで、自然に覚えました。
「ロツレチ」など習った記憶はありません。

二人の叔父は、初め「都山流」でしたが、千葉の「勝田洋山」に
懇願されて?「洋山流」に変わりました。愛知の「矢野司空」氏も
「洋山流」だそうです。

17歳、高校2年の時、近所で「古賀将之」氏が、都山流の教室を
開きましたので、即入門。「古賀」氏は「中島郭山」門下で、
当時「準師範」になられ、看板を出したところでした。その時
なんと、芸大を卒業されたばかりの「砂崎知子」さんも、一緒に
生田流箏の教室を開きました。

そのうち「古賀」氏は「日本音楽集団」に入り、「宮田耕八朗」師の
影響で「これからは7孔ですよ」と、私に「7孔」を勧めてきたので、
その当時はびっくりして、1年で辞めました。

そして、虚無僧尺八を求めて、「明暗真法流」の「冨森虚山」師に
入門。こちらも2年で、大学2年の夏休みに虚無僧体験をして
ジ、エンド。その時、京都では「小泉止山」師にも一日教えを
請いました。

その後、慶応大学では、先輩の「荒木古童」師のつながりで、
琴古流の「木村友斎」師に3回、「北山士童」師には一日
『鹿の遠音』を。また「高橋空山」師門下の「藤由越山」師にも
一日。

そして「藤由」師の紹介で、慶応の大先輩で、福沢諭吉の
孫にあたる「堀井小二朗」師に入門して、「9孔尺八」に転向。
半年くらいで、5孔尺八では吹けないような曲が吹けるようになり、
これで、セミプロとして、洋楽系の仕事がどんどんきました。
私は「堀井小二朗」の「9孔尺八」の唯一人の承継者です。


その後は、都古流の重鎮「磯野茶山」に一日。和歌山転勤時は
「池田晴山」師に数回。琴古流の「広門伶風」師にも一日。
「柳内調風」のもとでは3年「琴古流」の奥義を。
「宮田耕八朗」師にも数回。夏季合宿講習会に参加と、
手当たり次第。

さらに「三本会」の「山本邦山」「青木鈴慕」「横山勝也」の
三師には、1、2回ずつ。民謡も三回、習いに行き、終わり。

つまり、それぞれ1、2回、稽古場を覗きに行っただけです。
他のお弟子さん方に、教えているのを見て、芸を盗んできた次第。

「青木鈴慕」師は『季刊邦楽』で、「近頃、あちこちの師匠を
渡り歩く不届きなヤツがいるが、こういうのを尺八ゴロという」と
苦言を呈しておられました。私のことですか?

こういう弟子は、結局、師匠からみれば「金(収入)」に
なりませんので困るのです。

以来、日本の伝統的家元制度に不満爆発し、「ネプチューン
海山」師のワンレッスンを数回受け、目から鱗でした。

今は「ネプチューン」師のおかげで食べさせてもらっています。

7/15 ボランティア 二軒

2014-07-16 13:43:02 | 虚無僧日記
中区平和の「老人会」と、中村区のデイサービス
二軒はしご。呼んでいただけるだけでもうれしい。

リクエストで『君が代』と。
「尺八の稽古で、最初に習うのが『日の丸』と
『君が代』です。外人にも、まず『君が代』を
吹かせます」なんて解説をいれ、A管で荘重に
吹くと、「何でも吹けるんだ」と、ひとしきり感心。

「ミニ尺八」で『カエルの歌』や「エスロンパイプ
(水道管)」の尺八で『コンドルは飛んでいく』が
大うけ。

「月の砂漠」「荒城の月」「花嫁人形」は定番。
こうした曲に、感極まったか、むせび泣きだす
お年寄りがいて、職員さんもびっくり。


夜、名古屋駅構内を虚無僧の格好で歩いていると、
背後から英語で呼び止められた。

「Can you speak English?」。「 a little.」と答えたら、
あなたの持っている「beautiful instrument」は何か?
「あなたは、Buddhist Monkか」と矢継ぎ早に質問。

アメリカ人というが、南米系か。陽気で、すごく
関心があるようで、興奮してしゃべりまくる。
「Yes,Yes」だけで応対。「Ican't play shakuhachi
hear。(駅構内では吹けないので)と、歩道まで
着いてきてもらい、おもむろに尺八を吹く。

しばらくスマホの動画で録画し、外人にはめずらしく
1000円いれてくれた。

最近は、白人は 虚無僧に全く関心を示さない中、
久々のことでした。





7/14 夜、名古屋駅で

2014-07-16 13:24:56 | 虚無僧日記
夜8時を過ぎると、人の流れ、街の空気が変わる。
それまでは、家路を急ぐ人たちが、わき目もくれず
駅に向かっていたのが、少し、歩くペースがゆるやかに
なる。

ほろ酔い加減の人も。

その、ほろ酔い加減の男性が、近づいてきて「何してるの?」と。
「はい、虚無僧ご存知ありませんか?」
「虚無僧、知っとるよ。でも今時、虚無僧なんて居ないだろう」

てな話から、ご自分のことをいろいろ話され、「藤舎名生」や
「野村万作」、『山月記』の「中島敦」に話がおよび、私と
話題が共通したことから、すっかりご機嫌に。
過分にご報謝いただきました。

こういう出会いがあるから、虚無僧は楽しい。出会いを
求めて、毎日 虚無僧に出ております。

「おひとり様」[家族難民」の時代

2014-07-16 13:24:10 | 虚無僧日記
結婚しない若者、離婚、独居老人続出で、15年後には
「おひとり様」が4割。男性の3人に1人、女性の4人に
1人は「生涯独身」という社会になるそうな。

「キャリアウーマン」「独身貴族」なんて気取っていたが、
見方を変えると、家族を作りたくても作れない「家族難民」と
なるそうだ。

「家族難民」とは、家族を持てないがために、金銭的、心理的、
社会的に孤立し、「難民化」することとか。


私もその一人。『AERA』で、さまざまな人の例が紹介されて
いたが、すべてあてはまる。

離婚して、晴れて自由の身。病気しないように、健康には気を配り、
毎日、おいしいものを食べ、スポーツジムに通ったり、映画や
演劇を観たり、コンサートやライブに行ったり。毎日が 忙しく 
充実しているが、なんか空しいという50代の男性。

わかる わかる。そして、将来への不安もある。長生きしすぎて、
親も兄弟も先に亡くなると、自分の葬式ができない。


先日、近所であった事例。相続人でないと、火葬も埋葬も許可が
下りない。“身寄りのない、引き取り手のいない”「無縁仏」
として、警察の厄介になることに。

本日、妹から電話。父と母と私の三人がはいる「収納型墓」の
契約を済ませたとのこと。三人分で50万。成田空港の
近くの共同墓地の一角らしい。後は、はいる人もいない。
お参りに来てくれる人もいない。「人生“はか”なし」。
墓など要らないと思うのだが。





気になりますか?お布施の額

2014-07-14 20:52:29 | 虚無僧日記
7/7から「毎日虚無僧」をスタートして、一週間。
あまり明かしたくない話ですが、“他人の財布の
中身”が気になる方のために、喜捨いただいた額。

一日三人で16円(1円、5円、10円玉)だけ
という日もあり、お一人様100円だけの日も。
不思議と ゼロという日は ない。

それは、一人でも喜捨してくださるまで立ち続ける
からか。「井戸堀り名人がいて、彼は必ず、水を
掘り当てる。その秘訣は、水が出るまで掘る」なんて
話と同じ。

1000円札を入れていただいた方が2人も。そんな
奇特な方は 10万人に一人。

平均すると一日 4時間立って400円。時間給100円。
「最低賃金法」にはほど遠い。


今日も立っていました。「内定ください」のプラカードを
掲げた若者。「一日 立っているくらいなら、虚無僧を
やったら」とは、とても言えませんな。

過去、1万円札をくださった方がお一人。5千円札は
2人。「宝くじ」に当たる確率よりは高いかな。
そういう方に出会えるのが、虚無僧の楽しみでござる。


7/14 一斉に写メが・・・

2014-07-14 20:33:19 | 虚無僧日記
最近では、虚無僧の私にカメラを向ける人は、中国人
観光客ぐらいになった。

今朝、名古屋駅前で虚無僧していたら、突然、道行く人が
ケータイやスマホを取り出して、一斉に“写メ”の体制。
「かわいぃ」の声も。

だが、レンズの向けられている先は、私の右方向。
そちらを見ると、お笑い芸人「キャイ~ンのウド鈴木」?
TV番組の収録らしい。撮影クルーがとりまいている。

「撮影禁止」のプラカードを持った人が周囲をにらむ。
それでも、おかまいなしに、カシャ、カシャ、カシャ。
数mも離れていない 虚無僧の存在など全く無視。

やはりテレビの力か。

10年ほど前、「徳光」の番組スタッフから出演依頼
があった。番組名を聞くと「わが町の奇人変人」という
タイトル。あの頃は 大真面目に虚無僧をやっていたから、
言下に断ってしまった。“しまった、しまった”である。
あん時 出ておけばよかった。今は、もう「奇人変人」
と云われようが、売り込まないと、虚無僧を知る者が
いなくなってしまう。「絶滅危惧種」じゃ。


7/10 「平和デイサービス」にて

2014-07-13 21:53:03 | 虚無僧日記
毎月10日は、「平和デイサービス」でボランティア演奏。
一路会の「長縄、加藤、渡辺」の3人を伴って行く。
ようやく、3人で三重奏ができるようになり、私は
もっぱら「歌い手役」。

それに通所者の「浅野」さんも加わる。「浅野」さんは、
若い時、尺八を習っていたが、60代で脳梗塞に罹り、
以降80になるまで、尺八はあきらめていた。それが、
ここで私の尺八を聞いて、もう一度挑戦してみようと、
80歳から再開された。

童謡、唱歌がせいぜいだが、脳梗塞で麻痺した手指の
リハビリにはなっている。一生懸命吹く姿を、みな
温かく見守り、惜しみない拍手をしてくれる。それが
「浅野」さんの励みになっている。最近メキメキ
明るくイキイキ若返られた。

さて、「今日 初めて」という「湯○」さん。男性。
「お誕生日」ということで「ハッピィバースディ」の
曲をプレゼント。

その方が申すには「一昨年だか、テレビで、外国人で
尺八を作っているのを見た。その人、世界で一番(尺八)が
上手いって言ってました」と。

「ジョン海山ネブチューン」のことか?
その人の云う通り、今や外国人の方が、尺八は上手い。
「私の尺八も、そのネプチューンのです」と言うと
その方も驚いていた。





7/13 虚無僧の旅 彦根

2014-07-13 19:03:47 | 虚無僧日記
せっかく京都までいくのだから、このまま帰るのは
もったいない。新幹線や名神高速を利用していては
行けないところへ行ってみようと。

13日(日)は京都から一般道を通って「安土城」
そして「彦根」へ。

まずはも彦根の旧商店街で、一軒一軒 門付け。

日曜日でお休みか、半数はシャッターが下り、客足も
全く無いが、それでも開いているお店の何軒かから
お布施をいただいた。もう、こういう商店街は
日本中から消えていくだろう。こういうお店こそ、
虚無僧の神通力で「千客万来、商売繁盛」が
叶ったらいいなと、心から願う。

一方、彦根城の前には、観光客目当てに、和風の
統一した造りで、みやげ物屋や飲食店が店を
開いている。
観光客で賑わってはいるが、こういう新しい店は
虚無僧には冷たい。数十軒廻っても、喜捨して
くださる店はゼロ。

それでも、観光客が2組ほど喜捨してくださった。

そのうちのお一人の男性は「写真撮らせてください」と。

最近は写真を撮ってくれる人も少なくなった。
まして、きちんと「撮らせてください」なんて
断る人は 皆無になった。

10年前までは、観光客によく囲まれたのに。
なぜだろう。この町並みに虚無僧は 絶好の絵に
なると思うのだが。

その男性が「これ(錦の袋と白房)は 何のため
ですか?」と聞いてきた。

「私も つい最近知ったのですが、千日回峰行の・・」
と、そこまで云うと「はいはい、酒井雄哉大阿闍梨
ですね」と。

「そう、その酒井師が云ってました。『行が挫折した時、
この紐で首を吊るか、刀で首をかき斬るためのもの』と。
私も 尺八が吹けなくなったら、これで自決するんです」と。

すると、「いやぁ、厳しい修行をされているんですね。
ご苦労様です」と、お布施をくださった。

私は心の中で「全然!。楽しんでやっているだけです」と。
「酒井大阿闍梨」を知っているというから、虚無僧にも
関心を示されたのだ。こういう方が おられるということに
勇気をいただいた。

7/12 虚無僧の旅 京都 黒谷へ

2014-07-13 19:03:33 | 虚無僧日記
「家近慧雲」氏に招かれて、京都へ。

朝6時に名古屋を立ち、東名阪道、亀山から
「第二名神」を通って京都へ。130km、
道路は空いていて、8時には 「京都東」に
着いた。山科から三条へ抜け、北へ上れば
「金戒光明寺」。そこの山上部に「会津藩墓地」が
ある。先祖の「牧原宗仲」が眠っており、
京都に行った時は 必ずお参りする。

「今年も来ましたよ~」と声をかけ、尺八を
とりだして『手向』を。しかし、涙が出て、
音にならない。どうしても泣けてしまう。

とぎれとぎれに吹いていると、若い女性が。
涙を隠しながら吹く。こういう『手向』が
ホンモノの『手向』だと、自分自身で思う。

墓地を整備して永代供養をお願いした時の
奉賛者の銘板に、叔父の「牧原源一郎」
父「牧原五郎」、従姉の夫「高瀬喜左衛門」の
名前を見つける。

それより驚いたのは、お参りに来た方が、
書き残していくノートをめくったら、
6月20日に、私の妹の名が。まだ20日ほど
前のことだ。
「京都に行く」なんて聞いていなかった。
去年も会津に行った時、一日違いで、妹が
来ていった。やはり、会津の血がここへ
足を向けさせるのか。

「家近」氏のお宅へは 午後1時の約束なので、
大徳寺のあたりを虚無僧で廻ってみた。観光客の
姿もまばらで、反応ゼロ。

禅寺も尺八も外国人のものに

2014-07-13 18:42:12 | 虚無僧日記
アメリカ人のPilip君にも驚かされたが、とにかく、
驚きの連続でした。

私を指名してくださった「家近慧純」師もすごい方でした。
「家近慧純」師は、臨済宗妙心寺派 「慈雲寺」の 住職。
ホンモノの僧侶。尺八は明暗寺看主の「福本閑斎」師、
四国の「明珍宗敏」師に師事、「小沢絶外」師、「芳村宗心」
師とも交流。愛管は「虎月」でした。

その奥様がびっくり。チェコ人!。背が高く、すらっとした
妙齢の超美人「クリスティーナ妙雲」さん。まだ20代?。
夏の着物姿で出迎えてくれました。

クリスティーナさんに通訳してもらって、Pilip君と、
かなり突っ込んだ話ができました。

彼は、私が用意していったテキストを見ようとせず、真剣に
私の手をそっくり真似するのです。最初の「ロ」の音から、
私が無意識に「2孔」の「当タリ」を入れると、その通りに
するのです。そこで「私の生徒は、譜面ばかり見て、そこには
書いてない手を教えようとしているのに、ちっともやろうと
しない」などと言うと、彼も「僕のフルートの生徒たちも
まったく同じ。譜面しか見ていない」と。

また「複式呼吸」「息の抜き方」など、私の生徒たちは、
なかなか理解してくれないことも、彼は即マスターしてた。


妙心寺の塔頭「春光院」も驚き桃の木。ここの副住職(息子さん)の
奥さんはアメリカ人とのことで、外国からの参禅者を専門に
受け入れている。Pilip氏もそれで、ここに泊まることとした。

しかし、禅寺では「禅ミュージック」のはずの「尺八」は
教えていない。そこで私が呼ばれた。

私が訪問すると出てきた案内役は アメリカ人の若い女性。
「今日は40人もの(外国人)の団体が泊まる」とのこと。
寺の中は外国人ばかり。「英語での座禅」が人気なのだそうだ。

禅寺も尺八も外国人のためのものになってきた。