平成の虚無僧一路の日記

平成の世を虚無僧で生きる一路の日記


海童道宗祖の著書 『神変者罷り通る』

2018-08-28 18:36:44 | 筝尺八演奏家

今や海外では大人気。外国人尺八家が教祖と仰ぐ「海童道宗祖」が、

昭和35年頃、本を出版していました。

『神変者罷り通る』という題。「東海出版」刊とありますから、名古屋の

出版社でしょうか。名古屋市の鶴舞図書館にありました。

驚くような内容です。

先代の市川猿之助、市川中車、市川段四郎といった歌舞伎役者や

山田五十鈴、香川京子等、当代一流の芸能人、大女優と親交があり、

「普化宗管長」の肩書で皇宮警察本部の講師も務めていたとのこと。

何の講師かはわかりませんが、皇宮警察署長の肝いりで、皇居内で

毎月一回、天下の名人、大会社の社長、斯界のおえら方が集って

「名人遊行会」が行われ、その常連メンバーになっていた。

皇宮警察署長からの指示で、海童が名古屋や大阪に出向いた時は

愛知県警や大阪府警のトップが駅まで出迎えるという扱いを受けていた。

ところが、そうした一流人と会う時、海童は わざとボロボロの

着物を着、それにゴミ箱からゴミをかき集めて着物に塗りたくって

乞食の格好で出向き、皆を驚かすという無法ぶり。

まさに普化か一休だ。

ところで「普化宗」などは仏教界の正史、法流では存在しないから

まったくのインチキ。尺八を「尺八に非ず法竹」といい、それを

吹くことを「吹定」というなどと、言葉でまやかし、人を煙に巻く。

まさに海童はペテン師。しかしそれがまかり通る。みな騙される。

今では外国人までが騙されている。その思考とパワーには驚かされる。

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海童道祖はペテン師!????

2018-08-28 18:35:56 | 筝尺八演奏家

「邦楽ジャーナル」2017年12月号にクリストファー遥盟氏が寄稿。

「巨匠、その人と音楽」と題するシリーズの4「海童道祖」。

なんと、尺八家の多くが神とも仰ぎ、心酔する海童道祖のエピソード。

1992年アメリカの尺八収集家ダン・メイヤーズ氏から

「海童道祖に会わせて欲しい、そして通訳を」との依頼を受けた。

メイヤーズ氏は大金持ち、大金をはたいて海童から手書きの楽譜を

購入し、それを高く転売して儲ける魂胆。

海童は、まず「俺のことを老師と呼んでくれ」と。そして

「日本の尺八界で 本物は俺だけ。他は皆インチキ」とも。

海童は できるだけ楽譜を高く売りつけようとする。

商談が済んで、メイヤーズ氏が食事に誘うと、海童はしばらく

考えて、断ったあげく、めし代の 5,000を 要求した。

これにはクリスは、驚きあきれた。海童に抱いてきた崇高な

イメージとは真逆。うんざりして、帰り際に「あなたは、

自分のことしか考えないペテン師だ!」と言ってしまった。

海童は しばらく黙っていて、怒鳴り出すか、棒で叩かれるか

と思ったが、老師の顔に泉が湧き出るような笑いがジワジワと現れて、

「本当のことを言ったな。君は悟った。エライッ!」と。

「僕は思った、この人スゴイ」とクリスは結んでいる。

 

この話。なかなか面白い。私も海童道祖はペテン師だと思っている。

前衛哲理だの、ちんぷんかんぷんな訳のわからない言葉を並べ

立てて、多くの人をケムに巻き、ひとり悦に入っている。

しかし、そこが海童のスゴイところ。

まさに「普化」の再来じゃ。

 

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小さな嘘はバレるが大嘘には皆騙される

2018-08-28 18:34:54 | 虚無僧日記

「法竹(ほっちく)」というのは「海童道道祖」の造語。
「普化宗管長」というのは「詐称」。「海童道道祖」のことを
「稀代の詐欺師」と書いたら、「海童道道祖」の信奉者は
激怒されることでしょう。「あなたの真意を聞かせてください」
とのコメントもいただきました。

私の真意は「海童道道祖」は「不世出の天才」であり、尺八を
世界に広めた功績は はかり知れなく「尺八界の救世主」。
その「前衛哲理」は、尺八の深奥なる真髄を明らかにして、
自らの実践で、我々に進むべき道を示してくれた。まさに
「尺八“道”」を打ちたて、切り拓いた「道祖」として
崇めるべき超人であると尊崇しております。

私自身「虚無僧」を自認していますが「虚無僧」も「詐称」です。
私が「虚無僧」というのは小さな嘘です。小さな嘘は すぐ
見破られます。「僧」と云いながら「僧ではない」と。

しかし「海童道」の「普化宗管長」という肩書きには、誰もを
納得させるものがありました。「普化の再来」と自他ともに
認める実践があったからです。「海童道道祖」は、われわれ
「道曲」に憧れる者たちにとっての目標ですが、その真似を
したところで、永遠に到達できない、他の追随を許さない
高い境地です。

そもそも「禅」と「尺八」は無関係です。「海童道」は、
日本古来(伝統)の「禅」でも「虚無僧」でもない、
そんなものとは違う、それを超越した全く別の世界と、
私は云いたいのです。

日本では、「海童道」の「道曲」は吹きたいが「道祖」の後に
続こうという人はごくわずかです。私の知る限りでは、
伊那の山中でひたすら「法竹吹定(ほっちくすいじょう)」に
専念している「児玉竹坐」師しかいません。

最近になってようやく「道曲」の『手向』や『産安』などを
吹く人が増えてきましたが、私も含めて「海童道」とは
似て非なるもの。次元が違いすぎます。ただ「曲」として
譜面をなぞっているところです。「道祖」は「譜面をなぞる
吹き方は海童道とは違う」と明言しています。

日本では サッパリうけない「海童道」の「法竹吹定」が
アメリカやロシアで素直に受け入れられ、それらしく
振舞っているいる人たちがいることには驚きです。
世界は広い。「海童道」は日本を飛び出して、世界に
根を降ろしつつあります。「道祖」はそれだけ偉大な
存在でした。

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日本人の「ニセモノ魂」

2018-08-28 18:32:05 | 虚無僧日記

中国では、フカひれも蜂蜜も偽物とか。口に入れるものだけにいただけない。

ところが、日本も偽物王国。その技術は「ニセモノ魂」と絶賛されているとか。

たとえば「金箔(きんぱく)」もどきの「真鍮(しんちゅう)箔」。 

金箔といえば、加賀だが、その金沢市内で「真鍮箔」を作る
店が2軒。その2軒で 全国の「真鍮箔」の 100%を占める。

「金箔」同様、銅と亜鉛の合金「真鍮」を叩いて、厚さ一万分の
三ミリほどにするのだが、その技術は「金箔」と違って、
おいそれと真似できない。「真鍮箔」を打てる職人は もう
10年もすれば居なくなるとのこと。

「真鍮箔」は、見た目は「金箔」と同じ。職人でも区別できない。
それで、値段は金箔の五~十分の1だから、廉価な土産物に
使われる。しかし、数年で酸化して変色してしまう。硝酸を
かければ溶けるので、それで見破られる。

「金」かと思って買ったら、そのうち変色して「真鍮」だった
という苦い経験は私もある。安いと「金」のはずはないと
誰でも判断できるはずなのだが・・・・。


は最近話題の「偽装食材」もすごいことに。

100円均一の回転寿司で出されるネタは、みな“まがいもの”だそうだ。

「車えび」が「ブラックタイガー」、「芝えび」が「バナメイエビ」
だとか。でも、「見た目も味も変わらないなら いいじゃないか」
と私は思ってしまう。

さらに、極めつけは「合成肉」。オーストラリア産の硬い肉が
「インジェクション」と呼ばれる機械によって、極上の「霜降り」に
化ける。その技術は半世紀も前からあり、ハムの製造などに広く
使われてきたそうだ。ホテルなどで、そのままの肉を出すと、
お年寄りなど「硬くて食べられない」という苦情になる。ならば、
やわらかく、味も良い肉に仕上げて出したいというのが 料理人の
思いだ。

私も近年、ホテルやレストランで出される肉が、やわらかく、
ナイフで切らなくとも箸で崩れる。変だなとは思っていた。
しかし、それで、おいしく、しかも安く食べれたのだから
いいじゃんと思うのは 私だけか?。

「偽もの」をより「本物らしく」見せる涙ぐましい努力。
中国のそれは いただけないが、日本人の「ニセモノ魂」には
なぜか共感してしまう。

ついでに駅弁の「鱒(ます)寿司」は「シャケ」だそうだ。
もともと「鱒」も「鮭」も同種とか。
「鴨なんばん」は「鴨」の肉ではなく「鶏肉」。

刀の柄(つか)に巻かれる「鮫(サメ)皮」は、実は「エイの皮」とか。
でも、ちっとも問題になってはいない。

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生き物の数え方

2018-08-28 18:21:32 | 虚無僧日記

SF作家であり『天地明察』で脚光を浴びた
「沖方丁」が「ものの数え方」について書いている。

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子どもたちから 新鮮なものの見方を味わうことが
しばしばである。子供は質問が多い。

「なんで動物は一匹二匹っていうの?一個じゃダメなの?」
「馬は一頭、魚は一尾、鳥は一羽、なんでそう言うの?」。
「なんでだろうね」
「食べた後、飾るからかなぁ」
「尻尾や羽を?」
「うん」

意表を突かれた。
確かに「頭」も「尾」も「羽」も、食べ残る部分。
死んだ後も残る部分だ。蟹は一杯、二杯。「杯」は
蟹の甲羅のことでもある。蹄(ひづめ)のある馬は
「一蹄(てい)」と数えることもあった。

では人は?
ふと、考えた。命を終えてなお残るものは・・・・。
「名」だ。「一名、二名・・・・」。
人だけの数え方だ。そう気づき、まだ幼い子供にも
胸を突かれる思いを味わされたのだった。

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な~るほど。モノの数え方は、三味線なら「棹(さお)」
箪笥も「棹」、琴は「面(めん)」、尺八は「管(かん)」
まったく日本語はたいへん。

でも生き物の数え方が、“死して残るもの”とは
すばらしい着眼。「沖方丁」の感性には感心する。
いや、この場合は 彼の子供か、おそるべし。


ついでに、こんな「小話」を聞いたことがある。

漁師が「烏賊(イカ)一杯 買ってくれ」と泣きついてくる。
「なんだ一杯くらい買ってやろう。一杯いくらだ?」
「百万円」
「?????」

そう「イカ一匹」は「一杯」と数える。船も「一艘
=一杯」と数える。「イカ一匹」と思ったのが「船
一艘分」だったのだ。それこそ「いっぱい」、いや
「失敗」だ。

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「西郷」どんの名前は「隆盛」ではなかった

2018-08-28 18:19:33 | テレビ・映画・芸能人

「西郷隆盛」の「隆盛」は、実は父親の名前だった。
本名は「西郷吉兵衛隆永」だそうだ。

幼名は小吉、通称は吉之介、善兵衛、吉兵衛、吉之助と順次変え、
元服時には隆永(たかなが)、のちに武雄。それが、明治になって
位階を授けられる際に、役人が 誤って父親の名前「隆盛」で
届けたため、それ以後は 父の名を名乗るようになったという。
さらに、西郷三助・菊池源吾・大島三右衛門、大島吉之助などの
変名も名乗ったことがあった。

「坂本 龍馬」も通称で、諱(いみな)は直陰(なおかげ)、または
直柔(なおなり)。変名は「才谷梅太郎」「西郷伊三郎」「高坂龍次郎」
「大浜涛次郎」。「取巻の抜六(とりまきのぬけろく)」なんて
いうのもある。「西郷伊三郎」が「坂本龍馬」とは、誰も判るまい。

「木戸 孝允」と「桂 小五郎」が 同一人物であることはよく
知られている。「徳川家康」も、「(幼名)竹千代」から「松平元信」、
「元康、家康 、 徳川家康」と変えている。

さて、かくいう私も、親がつけてくれた名前は「伸一郎」。
以前は「牧原龍生」と名乗っていたこともあった。「牧(ボク)
原(はら)龍(たつ)生(ぜい)」。つまり「僕、腹立つぜい」。
「若気のいたり」で、因習的閉鎖的な邦楽界に牙を向けていた。

今は「腹を立てず」と誓って、「龍生」をやめ「一路」と
改めた。

かつて邦楽評論家に「藤田伶朗」という人がいた。これは
尺八の音名の「レーロー」を「竹号」にしたもの。一人で
「邦楽雑誌」を編集出版しており、「小山宗介(おやまそうかい)」
「有賀泰寧(ありがたいねぇ)」など、いろいろな名前で、
いくつも記事を載せていた。みな一人の人物だったのだ。

ペンネームにもそんなユーモアがほしいですね。

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金戒光明寺

2018-08-27 14:21:44 | 会津藩のこと

もう10数年前のこと。京都駅でタクシーに乗り、
「黒谷へ」と告げたら、「お客さん“通”ですね。
会津藩関係の方ですか?」と聞かれた。
そうなのだ。NHKで香取慎吾の『新撰組』を
やるまでは、「黒谷の金戒光明寺」は観光地から
はずれていた。京都御所から丸太町通りを東へ、
平安神宮の北側にある大きな寺院だ。

幕末、会津藩が京都守護職を引き受け、ここが
藩士1,000名の駐留地となった。蛤御門の変、
そして鳥羽伏見の戦死者352柱の墓がある。
私としては「黒谷の本陣」としてしか興味が
無かったのだが、ここは法然上人が初めて
草庵を結び、念仏行を広めた所だった。


ところが、会津藩士は藩祖保科政之以来、徳川
家康が東照宮に神として祀られたことに倣って、
全員神道なのだ。私の先祖の墓も「牧原宗仲
彦神霊」と刻まれている。というわけで、浄土宗
の寺地内にはあっても、ここだけ別地なのだ。
しかし、光明寺で管理していただくために、
なにがしかの「供養料」を納めている。
その出資者の銘板に私の父や叔父の名前も
あった。

そしてまた、塔頭のひとつに、近世箏曲の始祖
八橋検校の墓所「八橋寺」がある。京都銘菓の
「八つ橋」は、橋ではなく「琴」をイメージした
ものとか。近くに修験道(山伏)の聖護院もある
から「聖護院八つ橋」となったそうな。

さらに、熊谷次郎直実、春日の局、山中鹿之助、
山崎闇斎の墓もここにあると知った。山崎闇斎も
会津藩の御用儒学者だった。

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会津藩祖保科正之は神式で祀られた

2018-08-27 14:20:33 | 会津藩のこと

 会津藩祖「保科正之」は、二代将軍「秀忠」がお女中「お静の方」に

生ませた子である。御台所「お江」から命を狙われ、信州高遠の保科家に

預けられて育てられた。三代将軍となった「家光」もまた、「お江」から

疎まれていた。そこで「お江」がこの世を去った後、「正之」と「家光」は

兄弟の対面をし、以後、「正之」は「家光」の片腕となって江戸幕府の

組織固めに取り組む。「保科正之」は「朱子学」と「卜部神道」を信奉し、

そのため、仏教を排斥する。

北の守りとして「会津23万石」の太守に任ぜられた時、会津の郭内に

あった仏教寺院をすべて郭外に移転させ、自らは磐梯山麓に

「土津(はにつ)神霊」として、神道で祀られている。この時、重臣の間で

神式で祭るか、仏式にするかでもめた。「家康は東照大権現」として

祀られたが、二代将軍「秀忠」も三代「家光」も実は仏式だった。

ただし「家光」の廟は日光東照宮に隣接する輪王寺にもある。

保科正之は、島原の乱後、キリシタン禁制を徹底するため、国民の

すべてを仏教寺院の檀家制度の中に籍を置くよう命じた人である。

それなのに、正之は仏式ではなく、神道で、そして会津藩士は皆、

藩祖にならって仏教から神道に改宗させられた。

会津藩士は大方会津盆地の東に連なる小田山、大窪山、青木山の

山麓に神道で葬られている。当家も先祖代々「神道」である。

 

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津川・長門両氏は 私の遠戚?

2018-08-26 03:43:13 | わが家のこと

長門裕之氏についで、朝丘雪路さん、津川雅彦氏も亡くなられた。

先祖を辿れば、「人間みな兄弟」。

叔母が「津川雅之とは遠い親戚だ」と言っていた。
「曾祖母の弟の孫が、津川雅之の母の前夫の娘と結婚して
いる」という。

もう わけわからない遠いつながりだ。

津川雅彦、長門裕之の母親「マキノ智子」は、「日本映画の
父といわれた 牧野省三の四女で、妻子ある月形龍之介と
不倫に発展。駆け落ちをした挙句、一女を儲けている」
とのこと。

その女性が 曾祖母の弟の孫「T」と結婚した。
「マキノ智子」は、その後「澤村國太郎」と結婚。長門裕之・
津川雅彦の兄弟を生んでいる。

というわけで、津川雅彦・長門裕之と 私は「血」は
つながらないが、「T」氏の妻の葬式には、津川・長門
両氏は「異父兄弟」ということで 参列していたそうな。

なお「T」氏の妹は「犬養毅」の息子と結婚している
そうな。


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池月映『合気の創始者武田惣角』

2018-08-26 03:23:01 | わが家のこと

以前に書いたものを再掲です。重複しますが、武田惣角と当家の関係について

 

池月映著『合気の創始者武田惣角』によると「武田惣角」は

大東流合気術の中興の祖、「合気」の造語者とも
言われる武術家ですが、その生涯は謎に包まれ、
小説家によるフィクション(創り話)が一人歩きして
います。池月映氏は福島県郡山市在住の作家で、
「武田惣角」の関係者を取材して、その実像を
解明してきました。会津出身でありながら、
士族ではなかったため、会津では全く無視された
存在でした。

その中で、「武田惣角」に剣術を教えた 士族の
「佐藤忠孝」という人の妻が「牧原一郎」の五女
「ヤオ」。墓も確認されています。
「佐藤忠孝」は「武田惣角」の隣人で、その妹が
「惣角」の妻となっていますから、「牧原ヤオ」は
「惣角」の義姉となります。

私と血はつながりませんが、「武田惣角」が遠戚に
あたるとは、驚き桃の木。にわかに「合気道」に
関心を持ちました。

ロシアでも合気道は盛んです。前回、モスクワに
行った時、「ヤポンスキー(日本人)、ストロング
(強い)」と、試合を挑まれました。ロシア人は
“おそロシア”。中学時代、柔道部だった私ですが、
ヒグマのようなロシア人相手では歯がたちません。



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