平成の虚無僧一路の日記

平成の世を虚無僧で生きる一路の日記


【1月31日は生命保険の日】???

2017-01-31 18:14:04 | 虚無僧日記

【1月31日は生命保険の日】だそうだ。保険業界に長年勤めていたが

聞いたことがない。優良外務員で組織されている「MDRT日本会」が、

決めたそうだ。制定理由は、この日が「日本で最初に生命保険の保険金が

支払われた日」とのこと。

明治15年(1882年)の1月31日、その前年に日本初生命保険会社として

創立されたばかりの明治生命が、1月20日に心臓病で急死した警部長の遺族に

保険金1000円を支払った。契約者が支払った保険料は、わずか30円。

30円の支払いで 1000万円の保険金が支払われたのだから、生命保険の

効果を知らしめるよい事例となった。

尚、実際に 保険金が支払われた日は「1月27日」とのこと。1月20日死亡で

1週間で保険金が支払われたことになる。迅速な支払いだった。 

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尺八独奏「春月」」を YouTube にアップ

2017-01-29 22:38:28 | 虚無僧日記

昨年10月15日 名古屋市中区の電気文化会館

コンサートホールで行われた「水野千鶴」コンサートで

私が尺八独奏した映像を、私のホームページに

アップしました。YouTubeで検索されるようになるには

アクセス件数が必要です。ぜひ

H.P「吸江流尺八と一休語りの虚無僧牧原一路」

 水野千鶴作曲、尺八独奏曲『春月』 演奏:牧原一路

 https://youtu.be/qFr0CpzTxmc

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川島直美が告発する

2017-01-29 00:44:40 | 虚無僧日記

ブログ読者から こんな質問が寄せられました。 

「名古屋出身の川島なおみの最期、虚無僧から見てどう思いますか」

川島直美さんといえば、TV版『失楽園』。その最期は心中だった。

名古屋市の中村高校出身とは知らなかった。私の家の近く。

検索してみたら、癌を患い、抗がん剤や放射線治療を拒否して、

死を早めた というようなことが書かれている。

54歳だった。

川島直美は、セカンドオピニオンとして近藤医師に助言を求めていた。

近藤医師は『がんと闘うな』『がん治療で殺されない七つの秘訣』などの

著作がベストセラーになっていて、川島直美も近藤医師の言葉を信じて

放射線や化学療法を拒否したという。その川島直美が、闘病の末期に

日記で、近藤医師のついて疑問を投げかけ、“放置療法”に騙されないよう

警告まで発していた。

〈様々な著書で有名なK先生の存在です。即手術しなかったのも、

抗がん剤や放射線治療に見向きもしなかったのも先生の影響かもしれません。

でも、がんは放置さえすれば本当にいいのでしょうか?私はそうは思いません。

がんと診断されたら放置するのではなく、その対処いかんでより健全で、

充実した生き方が待っている。それは私ががんになってみて初めてわかった

ことなのです。がんと診断された皆さん、決して『放置』などしないでください〉

 

現代医学を否定する近藤医師の著書については、多くの医師が反論しているという。

実は私も近藤医師の信奉者。だが、スティーブ・ジョブスも自然治癒力と

食事療法に頼って癌で亡くなった。自然治癒療法が万全ではないことが、

これで証明された。

 

しかしまた、こんな意見もあった。川島直美さんの場合、胆管癌で、完治は

むずかしかった。手術したとしても生存は難しい。ならば何もしないのも

選択肢のひとつ。手術すれば、躰と精神双方の負担は大きい。

 

さてさて、虚無僧の私としては「死んでも医者に行かない」と豪語していたが、

昨年、腹痛で救急車で病院に運ばれ、尿管結石と診断された。以前から

背中が時々痛むので、「すい臓がん」ではと思っていたが、「結石」と

判って一安心。水を大量に飲んで三日後に石を出した。

ところがその検査の際、5.6cmもの胆石が見つかった。知らなければ

済んだものを、そう知らされると、食事をした後、胃の奥が重い。毎日

気も滅入る。「知らぬが仏」で、運命に任せるのがよい。

川島直美さんも そういう運命だったか。 (合掌)

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仏教の中にはいったキリスト教

2017-01-27 21:08:00 | 虚無僧日記

仏教に対するキリスト教の影響 から転載


 仏教は初期の段階で「小乗仏教」と「大乗仏教」に分派します。

「小乗仏教」(上座部仏教)とは、大乗仏教成立以前の仏教で、現在は

セイロン、タイ、ミャンマー(旧ビルマ)、インドシナに残ります。
 

「大乗仏教」は、小乗仏教が 個人的解脱の教えであるのに対し、

広く人間の全般的救済と 成仏の教義を説き、 一~二世紀頃に

成立しました。中国、日本などに伝わった仏教は、大乗仏教です。


大乗非仏論大乗仏教はシャカ自身の教えではない」?

釈迦は、長い苦行の末に「悟り」を開き、一切のものは空(無我)であると

説きました。人間世界の苦も、生も、死も、すべては空であり、実体の

ないものであると説いたのです。 そして、前世も来世も、あの世の

ことについて、釈迦は何も説いていません。釈迦は、無神論者で、

キリスト教でいう「神」、絶対的存在者に関する思想は持っていません

でした。原始仏教では、人間から悟りを開いて如来となったという

釈迦仏だけを信奉するものでした。

 

ところが、大乗仏教になると、釈迦の他に、「大日如来」(大ビルシャナ仏)とか

阿弥陀仏」とかいうような 実在しなかった架空の"神的存在者"が出てきます。

「大日如来」とは、「光明があまねく一切を照らす」という意味で、宇宙の実相を

霊化した存在者です。ですからキリスト教の「全知全能なる神」と同一です。


また「阿弥陀仏」とは、極楽浄土に住むとされる神的存在者で、

この仏を信じ、「南無阿弥陀仏」と唱えれば、どんな人でも 極楽に

往生できる、というのです。

大乗仏教には、「浄土」とか「仏国土」という思想があります。

「浄土」(仏国土)は、キリスト教で言う「天国」と同じです。

「浄土」の思想は、もともと釈迦の教えにはなかったのです。


また、小乗仏教では、この世界の事物は「空」(無我)であり「無常」である

という世界観に終始していたのに対し、大乗仏教になると、「無常」の世界の奥に、

さらに常住なるもの」(変わりなく存在するもの)を捉えようとします。

すなわち大乗仏教になると、移り変わる物事の奥に、"永遠的なもの"を探ろうと

するのです。


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虚無僧の謎がいよいよ解き明かされる

2017-01-25 08:49:10 | 虚無僧って?

「虚無僧」は江戸時代になってから。それ以前の室町時代は「薦僧」

さらにその前の鎌倉時代には「暮露(ぼろ)」。暮露は尺八は吹かず、

長い柄の傘を持ち、柄の部分を木や竹で叩いて、念仏を唱えていた。

 『徒然草』の「暮露(ぼろ)」は「九品(くほん)の念仏を修していた」と

いうので、阿弥陀如来を信奉し南無阿弥陀仏と唱える念仏衆だった。

また『七十一番職人歌合』という書には「ぼろぼろ」が 念仏修行者として

諸国を遊行していた事や、かつては地方の小領主であった者もいたと

書かれている。「元は武士だった」という虚無僧と生い立ちが似ている。

しかし『ぼろぼろの草子』では、「虚空坊」という「ボロ」は、

「念仏宗を嫌い、彼らを撃ち殺す存在」として描かれている。

そして「虚空坊は実は大日如来だった」という。

大日如来を信奉するのは高野山の真言密教。

「虚空坊」という名前そして、念仏者を外道として批判するのは

禅宗の立場。暮露が、念仏者から、次第に禅宗に傾倒していった

ということなのか。

 「遊行者」は、集団で各地を遊行し、念仏踊りを広めていった。

その「ぼろぼろ」が変貌し、禅宗や中国文化が取り入れられて

虚無僧の原型が出来たのが 14世紀末頃と考えられる。

江戸時代以降、真言宗、天台宗、浄土宗、浄土真宗、禅宗、

日蓮宗、時宗・・ときちんと区分けされたため、念仏と禅は

相いれないものという観念が 今日ではできあがっているが、

鎌倉時代は、真言密教でも 座禅も行えば 念仏も唱えていた。

高野山の中の萱堂の聖は代々「覚心」と名乗っていた。念仏者の

たまり場で、高野聖や時衆等、念仏芸能集団を生み出した。

同じ念仏踊りでも放下僧は禅宗系統にはいる。虚無僧と似ている。

密教も善も念仏もすべて受け入れていたのが法燈国師覚心なのである。

虚無僧も高野聖も一遍も高野山の法燈国師につながるのである。

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人間関係を良くする言葉

2017-01-23 22:22:45 | 虚無僧日記

『実践倫理宏正会』は、人と人とのつながりを円満円滑にするノウハウ。

毎朝 5時から始まる「朝起き会」。最初に唱和する「五つの誓い」。

 1 今日一日 三つの恩を忘れず 喜んで進んではたらきます
 2 今日一日 人の悪をいわず 己の善を語りません
 3 今日一日 気付いたことは 身がるに直ぐ行います
 4 今日一日 腹を立てず 不足の思いをいたしません
 5 今日一日 三つの無駄を排し 新しく大地に生き貫きます

第1項の「三つの恩」とは、親の恩、師の恩、社会の恩。
第5項の「三つの無駄」は、物の無駄、時の無駄、心の無駄。

そして、「現実大肯定=まず、受け入れる」

「まずは“ハイ“で受ける実践」

「“なんでぇ”でなく、“そうか”と受ける実践」

これが、実践してみると驚くほど、良い効果をもたらす。

 

漢方の「まるかん」の創業者で、個人納税額10年連続全国一位という

「斎藤一人」さんの講演でも同様の話でした。

 人間関係で一番大切なのは「そうですよね、わかりますよ」
という言葉です。

苦情や、相手が腹をたてている時、反論しない。「そうですよね

わかりますよ」と、まず相手の立場に立つ。

人生は「開き直る」ことが大切です。

開き直るとは、閉じていた心を開いて、曲がっていた心を
まっすぐに、ピっと直すこと。

人の悪口を言っちゃダメですよ。いつも笑顔でいて下さい

アラ探しを やめられた人から 成功します。

悪口なんていうものはいくらでもある。

人のアラは30でも40でも見つけられるんです。

でも、人のアラなんかいくつもいくつも見つけたって
人から嫌われるだけです。お友達を失います。
やめてください。

 

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お客様は 神様 です

2017-01-23 21:11:54 | 虚無僧日記

フランス人はジョークがお好きのようで、中日新聞のパリ駐在員からの

特派員便りにこんなのが載っていました。フランス人が考えたジョークです。

 

お釈迦さまとキリストさまが一緒に日本に行かれた。二人でレストランに

入った時のこと。お釈迦さまがメニューを見ていると、店員がやってきて、

「さかさまです」と云った。お釈迦さまは小声で「どうして私が “釈 迦”と

わかったのだろう」とキリスト様に云われた。

そして、店員の懇切丁寧なおもてなしに、キリスト様はいたく感激して、

こう言われた。「どうして見ず知らずの私たちに そんなに親切にして

くれるのか?」と。すると店員は「お客様は神様ですから」と笑顔で

答えた。店を出でキリストさまはこう言われた。「どうして私が神様と

わかったんだろう」

 

これはフランス人が考えたジョークです。このフランス人は日本のことを

十分知り尽くしているようです。日本人が仏も神もこだわりなく受け入れて

いることを。結婚式は神前で、クリスマス、バレンタインデー、ハロウィン

いった行事。そして葬式にはお坊さんを呼ぶ。実に受け入れの良い国民性

であることを。

さて「お客様は神様です」と云ったのは?  三波春夫でございます。

 三波春夫はこのように語っていました。『歌を歌う時、浪曲を演ずる時、私は、

神様の前で祈るときのように、雑念を払って澄み切った心にならなければ、

完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。ですから、お客様を

神様とみて唄うのです。芸人にとってお客様を歓ばせるということは

絶対条件です。だからお客様は絶対者、神様なのです」と。

お客様に満足していただくことが、芸人に課せられた絶対的な使命。

満足していだたけなければ、お金はいただけない。だから命を掛けて

真剣白刃の舞台に臨むのだという。すばらしいです。

 

ところが「お客様は神様です」という言葉が、一人歩きして、

「お店で品物を買ってくださるお客様、レストランで料理を注文

されるお客様はすべて神様。女房も山の神、おカミサンですから

わがまま勝手な要求も仕方ない」なんて勝手な解釈まで はびこった

ことに、三波春夫としては戸惑いを隠せなかったようです。

そうですよ。神様や仏さまだったら、理不尽な要求などしない

でしょう。良識あるお客様でなければならないはずです。

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門松や冥途の旅の一里塚

2017-01-22 19:47:20 | 虚無僧日記

『邦楽ジャーナル』2017年1月号掲載

風の吹くまま

一休さん、堺の町で 正月に髑髏(どくろ)を振りかざしながら

「門松や冥途の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし。

ご用心、ご用心」と。

人々は驚き「けったいな、正月だというのに縁起の悪い」と。

一休「なに、これがめでたくないとは? 髑髏は目が出てるから

目出たいじゃ。ハハハ」。そして続けていう「骨になってしまえば

皆同じ。男か女かも、やんごとなき姫君か遊女かもわからぬではないか。

面(つら)の皮一枚のことで、やれ美人だのブスだのと比べるのは

およしなさい」とも。

この比較をするなというのも「普化の禅」です。虚無僧は比較をしない。

尺八の上手下手を比べない。ボロもいれば派手な衣装の虚無僧もいる。

善人も悪人もいる。いろいろな虚無僧がいて、すべてを容認する。

それが虚無僧の悟り。明も暗も心の内。

私一路は「虚無僧の元祖一休」をテーマに尺八と講演を行っています。

 

 

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虚無僧曼荼羅 No. 9

2017-01-22 19:38:30 | 虚無僧って?

『邦楽ジャーナル』2017年 1月号 に掲載

 

虚無僧の元は薦僧(こもそう)

「虚無僧」は江戸時代以前は「薦僧(こもそう)」でした。

「薦(こも)むしろ」を腰に付けていたからです。

「薦僧」の初見は『大内氏壁書(ルビ:かべがき)』。

これは室町時代、中国地方を支配していた大内氏の法令集です。

その文明18年(1486)年の禁制に「薦僧、放下(ほうか)、

猿引(さるひき)は領内から追い払うべし」とあります。

一休が歿したのは文明13年(1481)ですから、その頃には

薦僧が諸国を往来していたことになります。

しかし大内氏の領内では、薦僧は不審者として追い払うべし

との扱いでした。

「猿引き」は猿回しのことです。猿は馬の守護神とされ、

馬の疫病除けの祈祷という宗教的意味あいがありました。

「放下(ほうか)」は笹竹を背負い、こきりこを打ち鳴らし、

手品や曲芸をして銭を乞う辻芸人。薦僧と同様、僧ではないのに

「放下僧(ほうかそう)」とも呼ばれていました。

当時、薦僧は尺八を吹いて銭を乞うことで、辻芸人と同様に

みなされていたのでした。

この『大内氏壁書』の禁制から10年ほど後に作られた『三十

番職人歌合』に「薦僧」が描かれています(図①)。これは職人や

宗教的芸能者を紹介したもので、「薦僧」について「貴賤の門戸に

よりて尺八ふくほかには別の業なき者にや」と書かれています。

また、この頃に制作された『洛中洛外図屏風』には、尺八を

吹いて門付けする二人の薦僧が描かれています(図②)。

 時宗から禅宗へ

 江戸時代の初め元禄の頃まで、天蓋(=深編笠)は無く、浪人が被る

三角の笠でした。(図③)、薦僧は浪人が喰い詰めて尺八を吹いて銭

を乞う所業にすぎなかったのですが、それを民衆が受け入れる宗教的

土壌がありました。諸国を回遊して念仏を広める念仏宗、時宗(じしゅう)の

存在です。尺八は中世、時宗の徒が念仏踊りなどの伴奏に使っていました。

連歌師や琵琶法師も尺八を吹いていたようです。能の観阿弥、世阿弥、

歌舞伎の出雲の阿国という阿弥号は時宗の徒(=時衆)であることを

示すものです。今日日本文化とされる芸能の大半は時衆の人々に

よって創られたのでした。

そして、能や書、茶道、華道に禅機を吹き込んだのが一休でした。

本来禅宗は歌舞音曲とは無縁です。一休が尺八を吹いたということは、

禅者としては風狂のふるまいです。一休は半ば冗談で「今日から

時宗になる。純阿弥と名乗ろう」とも云っています。一休は普化の

風狂にならい、時宗を真似て尺八を吹き、朗庵や一路に影響を与えました。

そして一休の没後100年を経て、茶道の興隆とともに一休ブームが起こり、

『一休咄』などの本が次々と出版されます。浪人者の薦僧たちは、

それらの書物から「普化」を知ったと思われます。なぜなら、薦僧たちが

『臨済録』を読むことはなかったでしょうし、「普化」の名を世間に

知らしめたのは一休以外にはいなかったからです。

江戸時代以降、猿引き、ささら者、鉢叩き、放下僧、獅子舞、万歳、

ごぜ、鳥追い等の宗教的芸能者が最下層の身分に位置付けられたのに対して、

薦僧が賤民にならなかったのは、「普化」を祖とする「普化僧」であると

主張し、時宗から禅宗に鞍替えしたからと考えられるのです。

 

 

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飛ぶ発想 セブン−イレブン創業者 鈴木敏文氏

2017-01-22 10:12:32 | 虚無僧日記

「プレジデントオンライン」の記事

セブン&アイ・ホールディングス名誉顧問 鈴木敏文 氏

『わがセブン秘録』(鈴木敏文著)からの抜粋です。

 

 セブン−イレブンの創業を発案したのは、私が40歳の頃。 

イトーヨーカ堂の取締役に就任していました。もし私のなかで

会社と仕事が一体化していたら、オーナー社長の反対を押し切ってまで、

遂行しようとは思わなかったでしょう。

会社と仕事とは別で「会社にしがみつく」という意識を持たなかった

からこそ、反対にあっても、未来を起点にして、跳ぶ発想をすることが

できたように思います。

「会社にしがみつく」という意識を持っている限り、新しいものは

発想できません

これまで多くの新しいものを生み出してきましたが、それは何かを創造した

わけではなく、それまで結びついていなかったもの同士を、あるいは、

誰もが結びつくとは思っていなかったもの同士を結びつけるということを

繰り返してきただけです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そう、もう何十年も前、鈴木氏の講演を聞いたことがあります。

海外研修で出かけたアメリカで たまたまセブン−イレブンという

コンビニエンスストアを見つけ、そのノウハウを教えてくれと

頼んだら、莫大な金額を要求され、分厚いマニュアルをくれた。

日本に帰って、翻訳したが、役に立つような情報はゼロだった、

というような話でした。今ではアメリカの7イレブンはつぶれ、

日本の傘下にあります。

アメリカのマニュアルは全く役に立たな買ったけれど、しかし、

鈴木氏は、コンビニを日本の小型店の将来像と結びつけて発想したという。

「当時、日本は大型の総合スーパーマーケット全盛時代で、商店街の

小型店は凋落の一途をたどっていました。そのため、コンビニの導入など、

学界からも、業界からも、社内からも、「小型店が成り立つはずない」

「無理だ」「やめろ」の反対論の大合唱が巻き起こりました。

私は、中小の小売店の経営が難しくなったのは、大型店の進出が原因ではなく、

市場の変化に対応できなかったことにある。ならば、コンビニエンスストアの

仕組みを導入すれば、大型店との共存共栄が可能になるという、一歩先の

未来像を描きました。

過去の延長線上ではなく、「未来を起点にした発想」で考えた。

いわば、“跳ぶ発想”です。

セブン−イレブンでのおにぎりやお弁当の販売も、流通業として前例のない

自前のセブン銀行の設立も、上質さを追求してプライベートブランド商品の

セブンプレミアムの開発も、常識を覆した発想です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まったく、銀行預金の出し入れも、公共料金の支払いも、専門機関で

あるはずの銀行や郵便局よりも コンビニの方が早い。本家はいったい

何をやっているのだと言いたい。最近では、本も物品、チケットの購入、

楽譜の購入も、なんでもコンビニで用が済ませる。そうトイレまで。

我が家はウォッシュレットでないので、すぐ近くのコンビニのトイレで

済ます方が気持ちいい。

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