現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

小説 『虚無僧おどり』 ①首塚、②尺八の音、③虚無僧って?

2013-01-24 20:01:32 | 小説「虚無僧踊り」
「ショートストーリーなごや」に応募した私の小説です。
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一、首塚

「首塚?なにぃ、きもわるい」。夏美は大きな目をさらに大きく見ひらいた。
所は北区の大杉一丁目。夏のうだるような暑さの中、夏美は来年の成人式の
着物を選びに、祖母が働いている貸衣装屋に行く途中だった。
出来町通りから北に向かって急な坂を下りたところで「首塚霊神」と書かれた
幟(のぼり)旗を見たのだった。気味悪いので、その前を足早に通り過ぎた。

お店に着くと、戸をガラリと開けたて「あぁちゃーん」と祖母を呼んだ。
小さい時から「おばぁちゃん」を「あぁちゃん」と呼んでいた。奥から
祖母が「ああ、ちゃんと用意してあるよ」と、小さい目をさらに細くして
出てきた。成人式の着物にも流行がある。最近は赤や黒などの大胆に柄が
流行だが、夏美は祖母が選んでくれた紫とピンクの花模様に決めた。
さらに襦袢や帯、帯〆などの小物類も一通り決めるのに結構半日かかった。


 一段落して、夏美は 着物をたたんでいる祖母の背に向かって問いかけた。
「ねぇ、この先に“首塚”ってあるの 知ってた?」。
「あぁ」。生半可な返事だった。
「誰の首?」。
 祖母は一瞬押し黙っていたが、夏美に背を向けたまま口を開いた。
「虚無僧の首だって」。
「コムソウ?」。
「虚無僧、知らんか? 天蓋(てんがい)かぶってさ、尺八吹きよる。昔は
 よく来よったもんだがね」
「で、なんで斬られたの?」
「江戸時代の話だけどね。侍の屋敷の前に虚無僧がやって来たんだと。
 門の前で尺八を吹いたら、侍が家の中から『去(い)ねぇ!』と叫んだそうだ。
 『イネ』っていうのは『去る』という意味なんだけどね。虚無僧は
 『はいれ』と勘違いして、門の中に入っていったさ。お布施をもらえると
 思ったんだろうね。そしたら、その侍は、虚無僧が玄関前まで入って
 きたので、『無礼者!』と刀を抜いて、首を斬りおとしたんだと」。

「ふぅ~ん。編み笠なんか被って 顔を隠していたら 怪しいよね」と、
侍の行為を正当化しながらも、夏美は虚無僧を哀れに思った。
それで、帰りには首塚の柵の中に入って、小さな祠(ほこら)に手を
合わせたのだった。


ニ、尺八の音

 それから半年。成人式も無事に済んだ。いや式典は、○○小学校で
同級生や当時の校長先生、担任の先生、町内会長他来賓の方々合わせても
数十人の参加で粛々と行われた。その後、中学の同窓会を兼ねて、ホテルで
行われたパーティは、髪を黄色や赤に染めた数人の悪友たちが、酒を飲んで、
酔った勢いで暴れ廻り、活けてあった花を引き抜いたり、ビールを掛け
あったりの馬鹿騒ぎになった。夏美は着物を汚されては叶わないと、
さっさと退出して帰宅したのだった。小学校や中学の同級生は、久々に
会ってなつかしかったが、高校、大学、あるいは就職と、進む道が
違うと、話題も違って、お互い隔たりを感じるようになっていたのだ。

 夏美の家は祖母と母との女性だけの三人暮らし。父親は夏美が三歳の時に
亡くなったと聞かされていた。家で、祖母と母親の手料理で祝福を受け、
翌日、夏美は着物を返しに また祖母の店に向かった。首塚の方に向かって
坂を下りるにつれ、尺八の音が聞こえてきた。ぞっと鳥肌がたった。
おそるおそる近づいてみれば、幟旗の向こうに編笠が見え隠れしていた。
「こむそう? まさか」と目を疑った。祖母から聞いた天蓋を被っている。
初めて見る虚無僧に 体をこわばらせていると、尺八の音は止み、虚無僧が
柵の中から出てきた。虚無僧は夏美に気づくと、軽く会釈して立ち去って
いった。白い着物に黒の袈裟。「明暗」と書かれた箱を首から下げて、
天蓋で顔は見えないが、凜とした姿に“かっこいい”と夏美は思った。
その尺八の音は、昔、幼い頃に聞いたような、なつかしい響きに聞こえた。

 虚無僧の後姿を見送ると、夏美は息せき切って祖母の店に駆け込み、
「あぁちゃ~ん」と呼んだ。店の奥から出てきた祖母の顔を見るなり、
「たいへん、たいへん、ゆうれい。虚無僧の幽霊が 首塚で尺八吹いてた」
と言うと、祖母は驚きもせず、「あぁそう。今日は虚無僧の命日じゃけん、
供養に来とったか」と。虚無僧が来ることを知ってたようだった。
 
 夏美は気が抜けた。
「ねぇ、虚無僧って今でもいるんだね。虚無僧って何?。お坊さん?。
何宗?。虚無僧って悪いことした人?」と、夏美は矢継ぎ早に質問を
投げかけたが、祖母は「知らん」と言って、着物を受け取ると片付け
始めた。祖母はなぜか虚無僧の話しは避けたいようにみえた。

 しかし、夏美の胸の奥には、虚無僧の艶(あで)やかな姿と、妙(たえ)なる
尺八の音が強烈にインプットされたのだった。


三、虚無僧って何?

 一月は期末試験。試験期間中も夏美は虚無僧のことが気になっていた。
夏美は○○大学で経営学を専攻している。春休みにはいってから「そうだ、
叔父さんに聞いてみよう」と、父の弟の武志叔父さんの店を訪ねることにした。
叔父さんは「マイタウン」という本屋を開いている。郷土史関係の古本や
新刊本を取り扱い、自分でも執筆して出版もしている。新幹線の高架下の
人影も全くないところにその店はあった。店といっても、普通の本屋の
ようにガラス戸越しに中が見えるわけではない。マンションのような
鉄のドアがあるオフィスだった。おそるおそるノックすると「どうぞ」と
武志叔父さんの声。ドアを開けると、たくさんの本に囲まれて叔父さんは
パソコンに向かっていた。
「あれ、なっちゃんかい」。叔父さんも姪娘の突然の訪問にびっくりした
ようだった。

「叔父さん、こんな所じゃ、お客さん来ないでしょ」。経営学を学ぶ
夏美にしてみれば自然な疑問だった。
「こういう種類の本は、お客もめったに訪ねてこないからね。インター
ネットで売るんだ。だから事務所でいいんだよ」。
「ふうん、そうなんだ」。
「ところで 何?」。
「あのね、聞いてくれる。虚無僧のこと調べたいんだ」。
「虚無僧?。なんでまた」。

そこで夏美は北区大杉の“首塚”のこと、そこで虚無僧を見たことなどを
話した。すると叔父さんは夏美の顔をじっと見つめて、「血かね」と
ぼそりとつぶやいた。だが、夏美にはなんのことか判らなかった。

 あらためて叔父さんは「虚無僧ね。ちょうど今 いい本が出ているよ」と、
すぐ横に積んであった本を手にとって見せてくれた。岐阜の芥見村で
虚無僧同士の縄張り争いがあって、死者まで出た。その顛末を書いた
古文書だそうだ。パラバラっとめくってみたが、江戸時代の古文書など
夏美はさっぱり読めない。
「虚無僧同士の喧嘩?。殺人事件?。やっぱ、虚無僧は 悪もんなんだ」と
夏美は一人合点した。

 それから武志叔父さんは「江戸時代、東照宮の祭礼には、各町内ごとに
山伏や朝鮮使節などの仮装をして山車の先導を務めた。呉服町では大人や
子供が虚無僧の格好をした」という記録も見せてくれた。
「へぇ~、呉服町なら国際ホテルがある所じゃない。丸栄からナディア
パークに行く通りだわ」。
「そう、今はあの辺全部『栄』になっちゃったけど、交差点に
『呉服町』って名前が残っているよね」。

さらに、叔父さんは こんなことも話してくれた。
「名古屋には虚無僧寺が無かった。だから町人が虚無僧の格好をしたり、
尺八で俗曲を吹いたりすることができたんだ。江戸や京都には
虚無僧寺があって、虚無僧以外の者が尺八を吹いてはいかんとか、
虚無僧は武士に限るとか、俗曲や民謡などを吹いてはいけないなど、
勝手に掟を作って、厳しく目を光らせていた。歌舞伎で『仮名手本
忠臣蔵』を演ずるときには、事前に虚無僧の本山に挨拶に行き、
何がしかの礼金を納めて、天蓋や袈裟など、虚無僧の衣装を借り
たらしい」。
「ふ~ん。名古屋では、虚無僧寺の権限が及ばなかったから、
自由にできたんだね。名古屋は 江戸や京都とは別に、独自の文化を
築いた土地だっていうもんね。それは 虚無僧のことからも言える
のね。叔父さんありがとう」。
夏美は、虚無僧のことが少し理解できたようだった。(つづく)

小説 『虚無僧おどり』 ④虚無僧踊り

2013-01-24 20:01:15 | 小説「虚無僧踊り」
小説『虚無僧おどり』のつづき
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四、虚無僧おどり
  

 今はインターネットで何でも調べられる。「虚無僧」で検索すると
「虚無僧研究会」というのもあって、会員が六百人もいるというのも
驚きだった。でも 全員が 日頃 托鉢をしているわけではないらしい。
虚無僧が吹いた曲を伝承するのが目的で、虚無僧の格好して尺八を吹く
のは、特別なイベントの時だけのようだ。尺八には都山流や琴古流など
いくつかの流派があるが、虚無僧の曲を伝えるのは一部の少数の会派で、
それらを総称して明暗流というのだそうだ。その一つが、なんと名古屋に
あることも判った。しかも中村区。豊国神社のある中村公園の近くで、
夏美の家からも歩いていける所だった。

 また、鹿児島には「虚無僧踊り」というのがあることも知った。鹿児島
にも虚無僧寺は無かった。村の鎮守の祭りに村人たちが虚無僧もどきの
格好をして踊る。天蓋とうよりバケツを被っているようで、滑稽ですら
あった。

 「そうだ!」。夏美の頭の中である思いが浮かんだ。「東照宮の祭礼の
虚無僧行列を復活しよう」と。さっそく東照宮に行って、若い宮司さんに
そのことを話してみたが、「四月十七、十八日の祭礼には、雅楽の演奏が
あるので、そこに話してみては」と、気の無い返事だった。徳川のご威光を
失った現代では、東照宮に祭礼行列を復活させる力は無いようだった。

 「それなら、広小路祭ではどうだろう。いや“にっぽんど真ん中祭り”に
虚無僧踊りで出よう」と、思いは膨らんでいった。来年の夏、大学生活の
思い出に、イッパツやらかしてみたいという想いが、夏美の胸の中に
フツフツち湧き上がってきたのだった。

 「それには まず 尺八を知らねば」と、中村公園の近くの「尺八教室」を
訪ねた。尺八の先生は六十代のおじさん。生徒は六十代から八十台代の
年配者ばかりとのこと。夏美のような若い女性はいない。少々がっかり
したが、「最近若い女性の尺八家も出てきていますよ」との話を聞いて、
「よし、私も」と、尺八を習い始めることにした。

家に帰って、母と祖母にその話をすると、母と祖母は顔を見合わせて
険しい顔になった。まず母が「女の子が尺八なんてとんでもない。
やめなさい」と、めずらしく厳しい口調で言った。祖母もまた「なんで
尺八かねぇ」と嘆息まじりにつぶやく。

「なんで、いいじゃん。最近は女性の尺八家もいるのよ」と夏美は言ったが、
「ダメです。絶対に許しません」と母は言う。
「もう私子供じゃないんだから、私が何をしようと勝手でしょ」と夏美は
キレた。祖母や母が反対するとは思いもしなかった。だが夏美の決意は
固い。母と祖母に内緒で、夏美は尺八教室に通い始めた。

 最初は、エスロンパイプの練習管をあてがわれたが、夏美はすぐ音が
出せたので、「筋がいい」とほめられ、竹の本物の尺八を買うことにした。
本物は三十万から二百万もすると言われて驚いたが、ネットオークションで
安く買えると教えてもらった。かつて十万人はいた尺八人口が、今や
三万人だから、七万本もの尺八がタンスに眠っている計算になる。
おじいさんや父親が吹いていた尺八がネットオークションにどんどん
出てくるようになった。だが、需要が無いから三万から五万円で落札
される。でも素人では、どれが良いかわからないので、夏見は先生に
選んでもらって、製管師の銘や形から、細身の尺八を三万五千円で
落札することができた。

 夏美は三ヶ月で『調子』という曲を吹けるようになった。だが目標は
「どまんなか祭り」で「虚無僧踊り」を踊ることだ。尺八教室のおじさん
たちでは、尺八は吹けても踊りは無理。踊り手を五十人ほど集めなければ
ならない。高校の時、体育祭でクラス対抗のダンスがあった。あの時の
仲間に声をかけてみよう。おもだった友達に一斉メールをしてみた。

 まず、親友だった奈美から返事がきた。「尺八?キョムソウ?なにそれ、
ムリムリ」。静香、典子、加奈、直美・・・次々と返事がきた。
たいてい「ヤメテ、きしょくわるい」とか「ほんき?キモ悪い」と
いった返事だった。最後に美紀から「コムソウ、おもしろ僧」と返事が
来た。美紀からフェイス・ブックというのを教えてもらった。これは
実名で友達から友達へと連鎖的につながるサイトで、自分の出身校や
趣味などを登録しておくと、「あなたの友達では?」と、それに
関りのある人の名前が次々にリストアップされてくる。その人たちに
「友達リクエスト」すると、たちまち二百人もの人とつながりが
できた。そこで「どまんなか祭りで虚無僧踊りの参加者募集」との
メッセージをアップしたら、四十七名が応じてくれた。

 ネットを通じてどんどん仲間が集まり、第一回の顔合わせを錦通りの
短歌会館で開いた。虚無僧の衣装はファッションデザイナーの亜紀。
布地は生地問屋に勤める信夫が提供してくれることに。衣料品メーカーの
貴史は「デザインが決まれば、中国で縫製してもらうと安くできる」と
教えてくれた。尺八は竹屋の剛志。さて、天蓋はどうしようということに
なった。ネットでも買えることが判ったが、二万円もする。すると
東南アジアから雑貨を仕入れている博史が「ヴェトナムで作らせれば
安くできる」と提案してくれた。天蓋の写真をパソコンで送れば、
その通りに作ってくれるとのこと。すぐに手配してもらった結果、
百個まとめて注文すれば、船便の輸送料も含めても単価は五百円で
すむという。

 衣装や小道具類の見通しが立ったところで、オリジナル曲を作らな
ければならない。これもネットで知り合った音楽プロデューサーの
志野が、「コンピューターで作曲から録音までできる」と、引き受けて
くれることになった。夏美もスタジオでの曲作りに立ち会った。
尺八の音も音源CDから取れる。ムラ息、風息など尺八独特の表現も
コンピューターでできるのには驚いた。パソコンの画面上にキィボード
で、まずリズムパターンを打ち込まれ、それに大太鼓、締め太鼓、
鼓、鐘、木魚などの音色がつけられる。それにメロデイが加えられ、
三味線や琴、尺八、笛の音に変換されていく。変更、修正、追加も
画面上で思いのまま。プロの尺八奏者でも難しいフレーズを簡単に
作ってしまう。これではもう演奏者は不要だ。でもパソコンの
機械的な音は、いらリズムやピッチが正確でも、生のぬくもりある
演奏とは似て非なるものだと、夏美は感じていた。

 こうして曲が完成すると、振り付けだ。振り付けは夏美が担当した。
ユーチューブで鹿児島の各地に伝わる「虚無僧踊り」も見て参考にした。
だが、夏美が虚無僧に求めるイメージは、のんびり優雅な舞ではない。
人生の厳しさ、極限に追い落とされた者の地の叫びだ。首塚で聞いた
虚無僧の内に秘められた厳しく鋭い尺八の音だ。首を斬られた虚無僧の
無念の思いが夏美の体の中から湧いてくるようでもあった。

 踊りの練習は、中村区の水道公園内にあるアクテノンで行われた。
しかしここは、なかなかこちらの都合の良い日が空いていない。
交通の便も悪いし、全員が揃うのは大変だ。そこで、住んでいる
地域ごとに四つのグループに分けて、中村公園、名城公園、白河公演、
そしてセントラル・パークにそれぞれ集まる場所と時間を決める
ことにした。その練習を見ていた人が仲間に加わったりで、参加者は
最終百名を越えた。
 いよいよ「どまんなか祭り」。1日目は中村公園からスタートする。
全員が籠のようなものを頭に被っての登場という異様な光景に観客
から笑い声も出た。しかし、そのどよめきの声は、最初の尺八の迫力
あるムラ息の音で一瞬にして消えた。尺八のイントロが終わった
ところで、一斉に天蓋を頭上に放る。それをキャッチして、天蓋を
左手に抱え、右手で尺八を振りながら烈しく踊る。天蓋と尺八が
しばし空を舞う。「虚無僧踊りは奇抜な意匠が注目を浴び、入賞には
ならなかったが、翌日の新聞でも大きく掲載された。そして夏美の
インタビューも載った。夏美にとっては、大学四年の最後の青春。
この企画を通して多くの仲間、先輩、社会人と強いネットワークが
できた。そんなコメントだった。


小説 『虚無僧おどり』 ⑤虚無僧の死

2013-01-24 20:00:57 | 小説「虚無僧踊り」
「ショートストーリーなごや」に応募した作品では、この第五章
「虚無僧の死」についてはカットしました。

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五、虚無僧の死

 
 その新聞を見て、祖母も母もあきれた。
「本当に困った子だよ。夏美は・・。 いったい誰に似たのかね」と
母が言うと、「父親の血だよ。まったく何をしでかすことか」と
祖母がぼやく。そこへ電話が鳴った。また取材の電話かと、
夏美が出ると。

「モシモシ、こちら西尾警察ですが、山本夏美さんはおられますか」
「エッ、ケイサツ?」。その声に母も祖母も何事かと耳をそばだてる。

「はい、私ですが」
「山本夏美さんですね」と相手は念を押してきた。
「神谷武雄(たけお)さんという人を ご存知ですか?」
「・・・・・・・・・・・」夏美は しばらく無言でいた。
「あの、神谷武志(たけし)なら、私の叔父ですが」
「いや、神谷武雄(たけお)さんです」
「神谷武雄なら、私の父ですが・・・・?」
「そうですか。いや、まことにお気の毒ですが・・・」と 間を置いて
電話の向こうの声は、事務的に「昨夜、轢死体で発見されました」

夏美は何のことかわからなかった。
「歴史体ですか?」
「はい、どうやら轢き逃げされたようです。場所は西尾市の八面山です」
「ちょっと待ってください。父でしたら、もう十五年も前に亡くなって
いますが」

「えっ!?」今度は相手が 戸惑った様子だった。そのやりとりを
聞いていた母が、立ち上がって、夏美から受話器をとりあげた。
「はい、夏美の母ですが、代わってお聞きします。はい・・・・、
はい・・・・・・・・・・・。 はい・・・・・・・・・・・・・」。 祖母も聞き耳をたてて
聞こうとしていたが、そこからは、母の「はい」しか聞こえなかった。

母が受話器を置くと、夏美は「一体何があったの?」と詰め寄った。
母はしばらく黙りこくって電話機を見つめ、それから静かに腰を下ろした。

「ねぇ、どうしたの、何があったの」と、夏美が迫ると、母は
静かに口を開いた。
「お前の父さんが、亡くなったんだって」
「どうゆうことォ?。私のお父さんって、私が三つの時に死んだんじゃ
なかったの」
「まだ、生きていたのさ」
もう、夏美の頭の中は 真っ白になった。祖母が口を開いた。

「お前の父さんはね、神谷家から うちに養子にきたのさ。うちは
呉服屋だったんだけどね。遊び人でさ。尺八にふけって、家業を
まともにやらないもんだから、お店潰してね。母さんと離婚して
出ていったのさ。それで、私は取引のあった貸衣装の田中さんの
店で働かせてもらうことになり、おまえの母さんは、保険の仕事を
始めたのさ。母さんは、お店の借金の返済と、おまえを育てるので
そりゃ大変だった」。

 そうか、そうだったのか。夏美は子供の頃をあれこれ思いだした。
学校から帰っても母も祖母もいなかった。そういえば、自分が
尺八を習うと言った時、祖母も母も猛反対した。武志叔父さんが
「血だね」と言った意味も、今ようやくわかった。自分の体の中に
まぎれもなく父親の放蕩の血が受け継がれている。向こう見ずで、
他人とちょっと変わったことが好き。思いこんだら、何もかも
ほったらかして夢中になる。虚無僧や尺八にも魅かれるDNA。

「私はお父さんの血を受け継いでいるのだ」。夏美は、あの時
首塚で会った虚無僧は父だと確信した。その虚無僧が死んだ?

「ねぇ、それでさっきの電話何だったの?。警察は何て言ってたの?」
「あぁ、西尾の八面山というところで、轢き逃げ事件があったんだって。
どうやら、暴走族にやられたらしい。警察は、今犯人を捜索中だけど、
被害者の持ち物の中に、おまえの名前と住所と電話番号を書いた
メモがあったんだって」。

 しばらく、沈黙が続いた後、祖母がまた口を開いた。
「それで、どうするね」
「どうするって、私は、もう離婚してますからね。関係ありません」
母はきっぱりと言った。
「そうかね。あんたはいいけど、夏美は血のつながる相続人だがね」

「!?」。夏美は、祖母の言葉に、事の重大さを感じた。
そうか、父は、母や祖母にとっては“悪い人”だったかもしれない。
でも、私は父の子だ。「虚無僧踊り」を通して得がたい経験を
積むことができた。

「私、武志叔父さんに連絡して、二人で西尾警察に行ってくる」

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 西尾までは23号線で1時間半。車の中で夏美は武志おじさんから
父のことをいろいろ聞くことができた。父と母は大学で知り合い、
相思相愛の仲になったが、母は山本家の一人娘、父は神谷家の長男。
双方の親に猛反対されたため、二人は駆け落ちして、子供まで
作ってしまった。それが夏美だ。そして双方の親も仕方なく
二人の結婚を認め、父は山本家に養子となり、家業を継いだの
だった。だが、素人に呉服屋の商売はできようもなく、山本の
父から毎日のように叱られ、責められて、父はイヤ気をさして、
店の大金を持って家を飛び出した。それで母とは離婚させられたの
だった。尺八は子供の頃から独学で覚え、学生時代からセミプロ
として活躍していた。その好きな尺八も店を継ぐからにはやめ
させられていた。そして、虚無僧となって放浪の日々だったが、
身寄りは弟の武志だけで、時々訪ねてきていたという。

 西尾警察署で夏美は初めて父と対面した。遺体は複数のバイクに
轢かれたらしく、ズタズタに引き裂かれ、顔もグシャグシャ
だった。所持品は、尺八に天蓋と偈箱、袈裟などの虚無僧用具一式。
それもボロボロに壊されていた。唯一尺八だけが無事だったようだ。

 父親の遺体は、西尾の小さな葬儀屋に頼んで、八事の火葬場まで
運んでもらい、夏美と武志叔父と二人だけで密葬にする手はず
だった。葬儀には母も祖母も来なかった。

 ところが、翌日の新聞に「虚無僧、暴走族を制止しようとして
殺される」と大きく報道され、「虚無僧おどり」の仲間たちが、
夏美の父親と気づいたらしく、メールで連絡しあい、百人を
上回る人数が葬儀場に駆けつけてきた。

 誰が持ってきたか、葬儀場では僧侶の読経の変わりに、あの
「虚無僧おどり」のテーマ曲が流された。夏美の父親は「この世で
最後のオンリーワンの虚無僧」「暴走族を制止しようとした
ヒーロー虚無僧」として、報道関係者も来、烈しいロックの
リズムで送られることとなった。虚無僧として燃え尽きた父には
ふさわしい葬儀だったかもと夏美は思った。

 尺八だけを遺して、遺品はすべて葬儀屋で処分してもらうことに
した。葬儀費用と遺品の処理で 四十万円もかかった。父は戸籍上は
山本家を離縁されても「山本」姓のままだったので、山本家の墓
にも神谷家の墓にも入れない。海に散骨するとしても手続きが
大変とのこと。そこで西尾の○○寺で永代預かりにしてもらう
こととした。その費用が三十万円だった。

 当然 夏見には払えない。武志叔父さんに立て替えてもらった。
夏美は父のただ一人の相続人として、戸籍の抹消から年金の
差し止めなど、いろいろな手続きに翻弄された。
 






小説 『虚無僧おどり』 ⑥父の愛

2013-01-24 20:00:43 | 小説「虚無僧踊り」
私の小説『虚無僧おどり』の続きです。

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六、父の愛


 1ヶ月ほどして、轢き逃げの犯人が逮捕された。八面山周辺で
暴走を繰り返していた少年たちのバイクを一台一台実況検分して、
タイヤ痕から五人が、犯人と特定された。しかし、連中は
バイクに保険もかけていないらしく、被害賠償金の取立ては
難しそうだった。彼等の言い分は「八面山の公園でバイクを
乗り廻していたら、突然虚無僧が現れて、進路をふさいだのだ」
という。裁判は長引きそうだった。

 そんな時、武志叔父山本家を訪ねて来た。「折り入って話しが
ある」とのこと。夏美と母と祖母と三人で武志叔父の話しに耳を
傾けた。父が離婚してから、武志の叔父とも疎遠になっていたの
だが、今度の事件に関して、なにかと相談になってもらっていた。

 武志叔父はあらたまって こう切り出した。
「今まで、兄の武雄が さんざんご迷惑をおかけしました」と
前置きしてから、
「実は、武雄兄は、時々私のところに来ていましてね、衣類や
日用品など身の回りの品は 私のところで預かっていました。
それに本ですね。私もこういう商売ですから、虚無僧関係の本は
随分取り寄せてあげて、かなりあります。兄は、虚無僧について
かなり詳しく調べていました」。

少し間を置いて。

「それで ですね、遺品を整理していましたら、預金通帳と
生命保険の証券が出てきました。預金の残高は280万ほど
ですが、生命保険が3千万あります。バイクで轢き殺された
となると、災害死亡ですので倍の6千万になります」と、
通帳と保険証券や年金手帳などを、カバンから出して並べた。
母も祖母も黙って それらの品を見つめていた。
「それで、受取人は夏美さんです。夏美さんは、血のつながる
たった一人の相続人ですから、預金もすべて夏美さんのものに
なります」。

「6千万」と聞いて、夏美の頭の中は混乱していた。「そんな
金 要らないわ」と口に出しそうになったが、その言葉を制する
ように、武志叔父は「武雄兄さんの、せめてもの償いの気持ちで
しょう。どうぞ受け取ってやってください」と。

 顔も知らない父であった。もうとっくに亡くなったものと
思いこんでいた。今、その父が突然 甦り、6千万という大金を
もたらしてくれた。お金は憎しみも恨みも融かすものなのか。
お父さんの娘に寄せる“愛情”?。夏美はこのことをどう受け
止めていいのか、しばらく呆然としていた。


事件から9カ月が過ぎ、加害者の少年たちは、16、7歳
だったので少年院に送られることとなった。これで八面山
周辺での暴走族は姿を消した。迷惑していた住民たちにとって、
体を張って制止した虚無僧はヒーローとなった。夏美は
加害者の少年たちとは 関わりあいたくなかったし、彼等を
憎んだり、恨んだりする気持ちは不思議と無かった。

 生命保険金は夏美の預金口座に振り込まれた。その使い道に
ついて、時折、母と祖母と話し合った。「どっかに寄付しようか」
と夏美が言うと、「寄付するったってどこに?」と母。話しは
いつもそこで止まってしまった。



小説 『虚無僧おどり』 ⑦夏美の卒論

2013-01-24 20:00:25 | 小説「虚無僧踊り」
私小説『虚無僧おどり』です。①~⑥は「カテゴリー」を
「小説『虚無僧おどり』で検索して、見てください。 

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七、夏美の卒論

 夏美は大学四年になっていた。卒論のテーマを何にするか
悩んでいた。就職も考えなければならない。父が亡くなった時は、
マスコミにも追いかけられ散々だった。「どまんなかまつり」で
「虚無僧おどり」を踊ったことと、父が虚無僧として死んだことの
関連が、面白おかしく 週刊誌に書きたてられた。それをいちいち
読んではいないが、祖母も母も「世間体が悪い」と、針の筵に
座らされたように、片身の狭い思いをし、ますます父を恨んでいた。


 だが、父の放蕩の血を受け継いだ夏美は、これをチャンスとして
生かす方法はないものかと、あれこれ思いをめぐらしていた。
せっかく「虚無僧」を世間に知らしめたのだ。良いPRになった
のは確かだ。「虚無僧」に関連して「和」の文化を、現代にもっと
広められないか。

 そうだ、父母は「呉服屋」を経営していたのだった。父が店の
金を持って家出したため、祖父はその穴埋めで四苦八苦し、心労で
倒れた。入院が長引き、医療費はかさみ、店の借金は膨れあがり、
祖父が亡くなると、店を締めざるを得なかった。

 すべては“父のせい”だが、その借金も今はすべて返済し終わって
いた。父が遺してみれた保険金の6千万円で何ができるだろう。
「もう一度呉服店を再建してみよう」かと、夏美は考えた。
『虚無僧おどり』で多くの仲間ができた。着物を着る習慣は減った
とは言っても、成人式で毎年1万人の若い女性が着物を着る。
卒業式では、袴をはく女性も多くなっている。

 名古屋では花火大会などで浴衣を着る若い女の子も増えてきている。
さらに、名古屋城、白鳥庭園、徳川園などでは、和服姿だと
入場券を割り引くなどして、着物を着ることを奨励している。
能楽堂にみえる客層も和服姿が目立つ。「どまんなか まつり」では、
1万人もの参加者が和風のオリジナル衣装をつける。
「江戸文化・歴女ブーム」なども追い風になっている。茶道や
お箏、三味線などと複合的に“和”の文化を広げることは
できないだろうか。
 
 さらに、イベントを考えてみると、「名古屋おもてなし隊」
「戦国武将隊」や「戦国姫隊」などが観光PRに一役かっているし、
「名古屋祭り」「春姫道中」「大須おいらん道中」「大須大道
町人祭り」「コスプレ大会」「広小路まつり」そして「どまんなか
祭り」と祭りも多い。「徳川宗春」によってもたらされた「芸
どころ名古屋」だ。一通り出そろっている。新たなイベントは
立ち上げられるのだろうか。

 名古屋での呉服事情についても調べてみた。呉服店は500店。
貸衣装店は60店舗。そこへ新規参入するのではなく、加盟店が
共同して企画し、利益を公平に得る、“共存協栄”の企画を
考えることだ。そんなことを毎日考え、ボーッとしていることも
多くなった夏美だった。

「夏美、このごろ変よ」。昼休みの食堂で、ゼミ仲間の朋美が
声をかけてきた。
「卒論のテーマを考えているの」
「卒論、何にするの?」
「呉服屋の経営」
「呉服って着物の?」
「ムリムリ、今時、着物なんて古いワ」
「着物買たって、自分じゃ着れないじゃん」

 そうか、着物を売っても「着付け」が必要なのだ。自分で着物を
着れるように、呉服屋で「着付け教室」を開いていたり、
「○○学院」のように、「着付け」専門の学校もある。美容院でも
着付けをやっている。美容院も関連業者

 他にも、関連するものを考えてみた。足袋や草履、ハンド
バックなどの持ち物も揃えなくてはならない。

いっそ、それらすべてを一箇所でまかなえるネット上の総合商社を
立ち上げたらどうだろう。「着物を着て、どこかに出かけたい」と
いう人に「イベントやお店」を紹介する。「お祭り」などのイベント
情報も公開し、「着物が一人では着れない」という人には「着付け師」を
派遣する。

 さらに、「お箏を習いたい」人には「近くで お箏を教えたいと
いう人を」、「尺八を教えたい」という人には、「尺八に興味あり
そうな人を」紹介する。虚無僧の用具も どこで買ったらいいか、
相談を受ければすぐ取り寄せる。着物と履物と小物のコーディネート
も、パソコン画面でする。

 小中学校で「茶道」や「華道」「箏・三絃・尺八」など「和」に
触れさせる課外授業を提案し、講師を派遣する。他には何が
あるだろう?。いろんなニーズに応えるために、アンケートを
とってみることにした。
               (つづく)