現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

「虚無僧って儲かんのかな」

2014-07-30 17:35:46 | 虚無僧日記
「つげ義春」の『無用の人』に出てくることば。
「虚無僧って儲かんのかな」

儲かるわけはない。しかし「乞食と坊主は 3日やったら
やめられない」というのは、ある意味 真実。

お金は、必要な分だけは 不思議と入ってくる。
それ以上は はいらない。

しかし、金には換えられない「喜び」がある。
すばらしい出会い。そして“生かされている”という喜び。

今日 7/29 は、すてきな出会いが たくさんあった。

まず、昼間は中村公園の参道。大鳥居前。
会いたいと思ってた方に 会えた。

中古車販売の社長さん、詩吟の○○会長の奥様
には、10/26のチラシを渡すことができた。

老人ホームで働くFさんとは、9月の訪問演奏の
打ち合わせができた。

そして、朝起会のWさん他3名。

こちらから、電話や手紙で 連絡しなくとも、
みな向こうから やってきてくれる不思議。

夜は、春日井からYさんがバイクで来られて、私を待っていて
くださった。先日「バイクで、あちこち 虚無僧を探しましたが
会えませんでした」とコメントをくださった方。

「毎晩 8時から、名古屋駅交番前に立つことにします」と
ブログでお約束して、今日また 40分もバイクを走らせて
来てくださった。そして、夕飯をご馳走になりながら、
親しく歓談。こんなことって、虚無僧でなければ、絶対
得られない喜び。

だから「3日やったら止められない」なのです。
今日で23日目。

7/27 虚無僧3週間の総括

2014-07-28 23:51:59 | 虚無僧日記
7/7(月)からスタートして7/27(日)で3週間。
今日は、名古屋駅2階広場で「薪能」が開催。
広場には300席ほど、その後方の階段にもぎっしり、
座っている、1000人ほどだろうか。
どうして、こんなに集客できるのだろう。
どうして、私の前は0なんだろう。何が違うのか
自問自答、解けない。禅問答の如し。

悩みながら10時まで吹いていると、この日は
数人の方から布施いただいた。数人でも、私に
とっては宝石のようにありがたい。感謝。

この3週間の修行で、私の尺八の音が変わった。
倍音を響かせる「真音」が出るようになった。
また、音色が丸くもなった。夜のしじまに沁み通る
音色、夜空に冴え渡る音。

今までは「四方八面來也 旋風打」で、駅前の
雑踏に負けまいと、爆発音だったが、虚空の
かなたに消えていく「虚空来也連架打」の響き。

「吹き出だす“無住心”の一曲、三千里の外
知音(ちいん)絶す」の心が見えてきた。

すると、このところ 毎日 数人の方とすばらしい
出会いがある。うれしいことでござる。


「虚無僧も座るんかいな」

2014-07-26 09:48:49 | 虚無僧日記
4時間も立っていると、さすが足腰が痛い。
チラシ配りや、お店の店員さんは、毎日6時間も
よく立っていられるものと感心する。

「虚無僧」も 疲れたら 腰を降ろして休憩することに。
すると、男性が「虚無僧も座るんですかいな」と。

いやみ・・・ 。立ち上がろうとすると、「いや、いいんです。
その方が、(普通の人間だったかと)安心します」と。


なるほど、肩肘張って身構えているより、こうした
自然体の方が、「こわそう」な虚無僧より「親しみ」を
感じてくれるようだ。

以来、名古屋駅前でも、疲れたら座ることにした。
すると不思議、休んでいる時の方が、喜捨いただける。

「お疲れさま」「ご苦労さん」という ねぎらいの心が
起きるのだろう。

昨晩など、眠くてウトウトしていると、天蓋をトントンと
叩かれた。ハッと目をあけると、若いビジネスマンが
「はい、これ」と小銭を入れてくれた。

これは 意外な発見。時には弱みを見せることも
生き方のひとつなのだ。

釈迦の教えは「こだわりを捨てる」こと。
「虚無僧はこうあらねばならない」。
「古伝三曲以外の外曲は吹いてはいけない」
「日の出から日没まで」「天蓋は絶対にとってはいけない」

などといった仕来りは、所詮、人が定めたもの。そんな
規則は、まったく無視した現代の虚無僧でござる。
(室町時代の「薦(こも)僧」は、それこそ「薦筵(こもむしろ)」を
敷いて、その上に座って尺八を吹いていた。
だから「薦(こも)そう」なのだ。江戸時代初期は「天蓋」も
「袈裟」もつけていなかった。


それで私も、最近は袈裟も手甲脚絆も、替尺八を入れた錦の袋、
白房や印籠なども身につけないことにした。「本来、無一物」
だけど、「天蓋」と「げ箱」と「尺八」は無いと「虚無僧」に
ならない。これだけででいいのだぁぁ。


「その天蓋売ってくれ」と

2014-07-26 09:03:36 | 虚無僧日記
虚無僧に関心を持ってくれる人は、世間常識から少し
ハミ出た人たち。自分もそうだ。類は類を呼ぶ。

7/25(金)。週末とあって、名古屋駅はすごい人。
ちょっと怪しげな人が、じっと私の方を見て、財布を
開きながら近寄ってきた。

「どこから来た」「歳は」「虚無僧で食べていけるのか」
と矢継ぎ早に職務質問。そて「それ(天蓋)は どこで買える?」と。

「自分も それを被って 飲み屋に出入りしてみたい。みんな
驚くだろうな」

天蓋はネットで「虚無僧笠か天蓋」で検索すると、一点だけ
あります。他にもあったが、みな在庫切れになった。

などと伝えると、「今それを売ってくれないか。いくらだ」と。
「前のはボロボロになったので、新しく買い替えたばかり。
2万円です」。「そんなにするのか!」てなやりとり。
「ごめん、今日は小銭がないので、紙で勘弁してくれ」と
1,000円札。



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イベントや遊びで使うなら「竹製の籠」を2個持っています。
価格は 1,000円

特注の「袈裟」もあります。1万円でお譲りします。




小保方さん「まるで犯人扱い」

2014-07-25 23:10:54 | 虚無僧日記
「小保方晴子」氏が NHKの取材班に追いかけ回され、
怪我をしたそうな。フリーのパパラッチならいざ知らず、
NHKの記者がそこまで執拗に追っかけまわしたことが
ニュース。よほど、大きなネタを掴み、裏をとりたかったのか。

追っかけ回された小保方氏は、「まるで犯人扱い。訴えて
やるぅ」と。その気持ち わかります。

私も、馬篭宿で虚無僧していたら、警察官が来て 連行されて
しまった。住人から「不審者」として通報があったとのこと。

名古屋駅のコンコースや地下街を通ると、必ず「不審者を
みかけたら、ただちに駅員にお知らせください」と放送が
はいる。監視カメラでマークされているようだ。

まだ、虚無僧を見ると「怖い」という声が聞こえてくる。
「虚無僧は怖くない」ということを周知させるためにも
毎日の活動とマスコミへのPRをしなければ。

昨日は、美人のOLに「じゃま!」と一喝された。
世間に「無用」の存在でも「無用の用」という働きもある。
ガンバルくいな。(ヤンバルくいな)






7/23 ステキな出会いが

2014-07-24 00:09:08 | 虚無僧日記
コメントに、Yさんから「一路さんに会いたくて、
バイクで大須から栄、名古屋駅と走り回りました。
会えずに残念」と。

すみません。だいたい、昼は「大須~栄~伏見」の
あたりを あっちこっち移動して、夜 名古屋駅に
行きます。これからは、夜8時には、名古屋駅の
桜通側、JRロータリー(タクシー、マイカーの
降車場所)の交番前にはいることにします。ぜひ
見つけてください。

7/23 虚無僧修行17日目。夜9時半、もうクタクタ。
あきらめて帰ることに。地下へ通じる階段をよっこら
よっこら、やっとこ降りたところで、「牧原さんでは?」
と女性の声。

「以前、昭和区でピアノとのコンサートをされた時、
見にいきました」と。もう10年ほど昔のこと。
きれいなご婦人に、思わず目をパチクリ。口元はデレぇ~。

よく「牧原」と名前を覚えていてくださいました。

お連れの男性が「私も持ってます」とカバンの中の
尺八袋をチラリと。「一路さんの尺八をぜひ聞かせて
くれますか」と。

「ハヒ~ん。ここ(地下街)では吹けないので、外に
出ましょう」と私。さっき よっこらよっこらやっとこ
降りてきた階段を、スタスタと駆け上っている自分に
ビックリ。疲労とは“心”の問題なのだとつくづく
感じる。

さて、さっきの場所(JRロータリー交番前)で、
さっきより威勢よく吹く。吹ける自分に驚き。

その男性も尺八を取り出して吹き始めた。すばらしい
音色。私は2尺管だが、即興で合わせて吹く。
尺八二重奏に しばし 足を止めてくださる方も。


すると、そこへ、またまた若いステキな女性が
「牧原さんですね」と。「先日の西尾の(大河内君の)
コンサート行きました。師匠の(尺八)も すばらしかった
です」と握手を求められた。こんなステキな女性と
握手ができるなんて(大河内君ありがとう)と 心で感謝。

それにしても、大河内君のコンサートでは、私の
名前はプログラムにはなく、サプライズで飛び入り
参加だったのに、私の名前を覚えておられたとは。

こんなステキな出会いがあるから、やめられない
やめられない「虚無僧修行」なのでござる。


「明暗」は「めいあん」か「みょうあん」か

2014-07-23 07:56:08 | 虚無僧日記
私は「偈箱(げばこ)」に「明暗」と書いているが、実は、
江戸時代、「明暗」と書いた「偈箱」は無かった。どうやら
昭和18年の映画『虚無僧系図』に「明暗」と書いた
「偈箱」が使われ、一般的になったようである。

しかし、現代「虚無僧研究会」の会員でも、富山県高岡の
「国泰寺」や、紀州由良「興国寺」に関係する人たちは
「国泰寺」とか「興国寺」と書いている。

九州の「西村虚空」の派は「不生不死」など禅語。
「高橋空山」門下の「藤由越山」氏は皇室の裏門の
「五七の桐紋」。江戸時代の錦絵にあり、これが正式と
主張している。それぞれこだわりがある。

ネットでも書かれていたが「明暗」は、実は京都の
「明暗教会」の会員という印でもある。


歴史的にはともかく、私は、普化禅師の偈(げ)「明頭来明頭打・
暗頭来暗頭打」に由来する「明暗」こそ、虚無僧のシンボルとして
ふさわしいと思っている。

江戸時代の錦絵にあるような金襴綾錦の偈箱も作ってみたが、
かえってインパクトがない。黒地に白で「明暗」とあれば、
「どういう意味ですか?」と聞かれることもしばしば。
「よくぞ 聞いてくれました。これは普化というお坊さんの偈で
明にも暗も心の内、明にも暗にもこだわるなという意味です」
なんて説明し、納得してもらっている。

もうひとつ「明にあっては明、暗にあっては暗。臨機応変、
こだわらない」という意味も。

さて「明暗」の読み方だが、「明暗寺(みょうあんじ)」とか、
「明暗協会(みょうあんきょうかい)」そして普化の偈
「明頭来明頭打(みょうとうらいみょうとうだ」に由来すると
なると「みょうあん」が正しいかな。

「オカリナ」の会で「一節切」が

2014-07-22 08:38:50 | 虚無僧日記
7/20 ヤマハホールで「オカリナ」のコンサート。
その冒頭で、なんと「一節切(ひとよぎり)」が紹介され、
「一休」作の『紫鈴法』が吹奏された。

この会の主催者で、吹奏したのは「加藤いつみ」さん。
名古屋市立大学の名誉教授。「加藤」さんは、リコーダーや
オカリナなどを吹奏する過程で「一節切」に関心をもち、
「これなら 女性でもカンタンに吹ける」と、『二重奏で
楽しむ五線による一節切尺八曲集』を何冊か出版されている。

監修、指導は琴古流の尺八家「飯塚勝利」氏。

いやはや驚きましたです。尺八でさえ 縁遠く、まして
「一節切」など ほんの数人の好事家しか興味ないのに、
それを現代に普及させようというのですから。
今の時代、なんでも“女性のチカラ”ですな。

オカリナは、数人のグループで、モーツアルトや
フォーレ、チャイコフスキーの曲までみごとに吹奏。
尺八で、このような曲はなかなか吹けない。なぜ
だろう。

リコーダーにしても、ギター、マンドリンにしても
洋楽器はアンサンブルで、盛り上がる。単体では
ショボイ。箏、尺八は合奏すると、音が濁り、減殺
されてしまう。かえってソロの方が力を発揮する。

「一節切」も、単体ではお粗末だが、リコーダーのように
何重奏になれば、まだ聞けるかも。それには、問題は
音程か。

7/21(月)「海の日」 初めてのゼロ

2014-07-21 20:17:26 | 虚無僧日記
7/21 今日は月曜日だが「海の日」で祭日。
名古屋港で「港祭り」。花火大会がある。

名古屋の人口の半分が港へ行ってしまうから、
大須も栄もガラ空き。若い20歳前後の女の子
ばっかり。これでは、虚無僧に布施してくれる人は
いない。夜8時まで粘ったが「初めてのゼロ」と
なった。「永遠のゼロ」(ジブリの映画)には
ならないことを願う。

あきらめて帰ると、ドスン、ドスンど鈍い音。
わが家はマンションの最上階、4階。港の花火が
正面によく見えるのでござる。

ひと風呂あびてから、今朝いただいた 焼き鳥と
「よもぎ蕎麦」に ビールで、独り 花火見物。最高!。
いや、淋しいねぇ。

昨年までは、早く寝たいので、うるさく感じていたが、
今年は、昼寝て、夕方から虚無僧に。夜11時頃帰宅して、
夜中、涼しいうちに、仕事(書き物など)。そして
朝4時には「朝起会」。6時半からはラジオ体操。
7時から喫茶店「てる」でモーニング。

その後、家に帰ったら、昼間は 稽古以外 寝ることと
した。

階下のスナックのママさんと同じじゃ。虚無僧は
夜の商売じゃったか。

「虚無僧は“エトリ”」?

2014-07-21 10:56:23 | 虚無僧日記
名古屋に来てすぐ知り合い、以来20年、いろいろと
私のことを心配してくれているSさん。
会うたびに「虚無僧なんてやめなさい」と忠告してくれる。

「私の子供の頃は、虚無僧は“乞食”の類とみられ、蔑(さげす)
まれていた」と。

すると、同席していたOさんも、そうそう「“エトリ”が
来たから、早く隠れなさい。と子供たちを家の中に入れた
ものだった」と。

“エトリ”とは初めて聞いた。ネットでみると「餌取り」。

「鷹や猟犬などの餌にするため,牛馬などをし、また
その牛馬の皮革や肉を売ることを業とした者」とある。

『今昔物語』に出てくるというから、そうとう古い言葉だが、
名古屋では、戦後まで使われていたことになる。私の持って
いる『古語辞典』には無い。「(えた)」に似る。その
語源か。

「虚無僧が来た、さらわれるから、早く隠れなさい」と
「人さらい」のようにも言われたらしい。最近、少女誘拐
事件が多発しているから、虚無僧はますます危うい。

昨日も「大門祭り」で「怖い」「怪しい」「息が止まった」
という声が聞かれた。

虚無僧を見て「怖い、怪しい」と観るか、「善なる仏の使い」
と観るか、まさに、一つのものが「善」とも「悪」とも
観られる。「善」と観るか「悪」とみるかは、その人の
心次第。それが「げ箱」に書かれた「明暗」の意味じゃ。