私は尺八は自己流です。千葉と会津の二人の叔父が尺八を
吹いていましたので、子供の頃(10歳ぐらい?)から
遊びに行っては、見よう見まねで、自然に覚えました。
「ロツレチ」など習った記憶はありません。
二人の叔父は、初め「都山流」でしたが、千葉の「勝田洋山」に
懇願されて?「洋山流」に変わりました。愛知の「矢野司空」氏も
「洋山流」だそうです。
17歳、高校2年の時、近所で「古賀将之」氏が、都山流の教室を
開きましたので、即入門。「古賀」氏は「中島郭山」門下で、
当時「準師範」になられ、看板を出したところでした。その時
なんと、芸大を卒業されたばかりの「砂崎知子」さんも、一緒に
生田流箏の教室を開きました。
そのうち「古賀」氏は「日本音楽集団」に入り、「宮田耕八朗」師の
影響で「これからは7孔ですよ」と、私に「7孔」を勧めてきたので、
その当時はびっくりして、1年で辞めました。
そして、虚無僧尺八を求めて、「明暗真法流」の「冨森虚山」師に
入門。こちらも2年で、大学2年の夏休みに虚無僧体験をして
ジ、エンド。その時、京都では「小泉止山」師にも一日教えを
請いました。
その後、慶応大学では、先輩の「荒木古童」師のつながりで、
琴古流の「木村友斎」師に3回、「北山士童」師には一日
『鹿の遠音』を。また「高橋空山」師門下の「藤由越山」師にも
一日。
そして「藤由」師の紹介で、慶応の大先輩で、福沢諭吉の
孫にあたる「堀井小二朗」師に入門して、「9孔尺八」に転向。
半年くらいで、5孔尺八では吹けないような曲が吹けるようになり、
これで、セミプロとして、洋楽系の仕事がどんどんきました。
私は「堀井小二朗」の「9孔尺八」の唯一人の承継者です。
その後は、都古流の重鎮「磯野茶山」に一日。和歌山転勤時は
「池田晴山」師に数回。琴古流の「広門伶風」師にも一日。
「柳内調風」のもとでは3年「琴古流」の奥義を。
「宮田耕八朗」師にも数回。夏季合宿講習会に参加と、
手当たり次第。
さらに「三本会」の「山本邦山」「青木鈴慕」「横山勝也」の
三師には、1、2回ずつ。民謡も三回、習いに行き、終わり。
つまり、それぞれ1、2回、稽古場を覗きに行っただけです。
他のお弟子さん方に、教えているのを見て、芸を盗んできた次第。
「青木鈴慕」師は『季刊邦楽』で、「近頃、あちこちの師匠を
渡り歩く不届きなヤツがいるが、こういうのを尺八ゴロという」と
苦言を呈しておられました。私のことですか?
こういう弟子は、結局、師匠からみれば「金(収入)」に
なりませんので困るのです。
以来、日本の伝統的家元制度に不満爆発し、「ネプチューン
海山」師のワンレッスンを数回受け、目から鱗でした。
今は「ネプチューン」師のおかげで食べさせてもらっています。
吹いていましたので、子供の頃(10歳ぐらい?)から
遊びに行っては、見よう見まねで、自然に覚えました。
「ロツレチ」など習った記憶はありません。
二人の叔父は、初め「都山流」でしたが、千葉の「勝田洋山」に
懇願されて?「洋山流」に変わりました。愛知の「矢野司空」氏も
「洋山流」だそうです。
17歳、高校2年の時、近所で「古賀将之」氏が、都山流の教室を
開きましたので、即入門。「古賀」氏は「中島郭山」門下で、
当時「準師範」になられ、看板を出したところでした。その時
なんと、芸大を卒業されたばかりの「砂崎知子」さんも、一緒に
生田流箏の教室を開きました。
そのうち「古賀」氏は「日本音楽集団」に入り、「宮田耕八朗」師の
影響で「これからは7孔ですよ」と、私に「7孔」を勧めてきたので、
その当時はびっくりして、1年で辞めました。
そして、虚無僧尺八を求めて、「明暗真法流」の「冨森虚山」師に
入門。こちらも2年で、大学2年の夏休みに虚無僧体験をして
ジ、エンド。その時、京都では「小泉止山」師にも一日教えを
請いました。
その後、慶応大学では、先輩の「荒木古童」師のつながりで、
琴古流の「木村友斎」師に3回、「北山士童」師には一日
『鹿の遠音』を。また「高橋空山」師門下の「藤由越山」師にも
一日。
そして「藤由」師の紹介で、慶応の大先輩で、福沢諭吉の
孫にあたる「堀井小二朗」師に入門して、「9孔尺八」に転向。
半年くらいで、5孔尺八では吹けないような曲が吹けるようになり、
これで、セミプロとして、洋楽系の仕事がどんどんきました。
私は「堀井小二朗」の「9孔尺八」の唯一人の承継者です。
その後は、都古流の重鎮「磯野茶山」に一日。和歌山転勤時は
「池田晴山」師に数回。琴古流の「広門伶風」師にも一日。
「柳内調風」のもとでは3年「琴古流」の奥義を。
「宮田耕八朗」師にも数回。夏季合宿講習会に参加と、
手当たり次第。
さらに「三本会」の「山本邦山」「青木鈴慕」「横山勝也」の
三師には、1、2回ずつ。民謡も三回、習いに行き、終わり。
つまり、それぞれ1、2回、稽古場を覗きに行っただけです。
他のお弟子さん方に、教えているのを見て、芸を盗んできた次第。
「青木鈴慕」師は『季刊邦楽』で、「近頃、あちこちの師匠を
渡り歩く不届きなヤツがいるが、こういうのを尺八ゴロという」と
苦言を呈しておられました。私のことですか?
こういう弟子は、結局、師匠からみれば「金(収入)」に
なりませんので困るのです。
以来、日本の伝統的家元制度に不満爆発し、「ネプチューン
海山」師のワンレッスンを数回受け、目から鱗でした。
今は「ネプチューン」師のおかげで食べさせてもらっています。