平成の虚無僧一路の日記

平成の世を虚無僧で生きる一路の日記


私のピアノの先生 万沢智慧さん

2020-02-26 00:24:46 | わが家のこと

私が小学校1,2年、昭和30年頃のことである。
音楽が全くダメな私を母は心配して、ピアノの先生が来ることとなった。
先生の名は万沢智慧さん。私はピアノがサッパリ上達せず、音楽がすっかり嫌いになってしまった。

それで洋楽に反発して尺八を始めたのである。尺八も上達するには人一倍時間がかかったが、昭和40年頃から尺八ブームが沸き起こり、洋楽系の作曲家によって、五線譜で次々と曲が作られた。そのころ、世に尺八家は五万といても、五線譜が読める人は少なかったから、私は作曲家の方々から創作曲の演奏を頼まれることが多くなった。それで今日がある。

さて、私のピアノの先生万沢智慧さんは、実は私の父の従妹だったが、父はなぜか万沢さんについて語ることはなかった。

その万沢さんの父親は「酒井勝軍(かつとき)」ということは聞いていた。「酒井勝軍」の本が二、三冊わが家の隠し戸棚の中にあって、子供の頃私はそれを見つけ出して読んだ。すると、父はなぜか「そんなもの読むな。キチガイの本だ」と言った。

「酒井勝軍」は、明治の時代にエジプト、中近東を旅して、帰国後「日本にもピラミッドがある」とか、「青森にキリストの墓がある」とか予言を立て、現地踏査で次々とそれらしき遺構を発見してみせた。そして「日本人とユダヤ人は道祖」という説を立てたが、「天皇家の祖はユダ人」というのが不敬罪になり投獄されたこともあったらしい。

それで、戦前はキチガイ扱いされていて、父も「酒井勝軍」には触れたくなかったようだ。

ところが、近年「日ユ道祖論」がにわかに脚光を浴び、「酒井勝軍」の本も出るようになった。

さて、万沢智慧さんが私の父の従妹ということは、私の祖父森次郎の姉か妹が酒井勝軍の妻ということになる。祖父は養子で、私の父が4歳の時に亡くなっているから、その出自は全く分からない。

酒井勝軍の一人娘だった「万沢智慧」さんは、NHKの専属ピア二スト万沢〇〇?氏と結婚した。そして二人の男児を産んだが、その夫も若くして亡くなる。それで生活は大変だったようだ。昨日NHKテレビで見た「フジコ・ヘミング」と境遇が重なる。

 

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「日・ユ同祖」論を説いた「酒井勝軍」

2020-02-25 23:07:54 | わが家のこと

酒井勝軍」をネットで検索すると、3年前は50件ほどだったのが、6万件もアップされていた。最近にわかに注目され出したようだ。

「酒井勝軍」の画像検索結果

 

「酒井勝軍」は明治6年(1894)の生まれ。アメリカに留学し、クリスチャンとなり、東京本郷に東京唱歌学校を設立して、賛美歌を通じてキリスト教の伝道を行っていた。高村光太郎の姉も通っていた。

ロシア語にも通じていたことと、「勝軍」という名前が乃木希典に気に入られ、日露戦争に従軍し、各国からの観戦武官の通訳を勤めた。その功により「ステッセルの」というピアノを下賜された。
五木寛之の「ステッセルのピアノ」という本によると、「ステッセルのピアノ」と云い伝えられるものは日本に数台あり、それはロシア、バルチック艦隊の艦長にそれぞれロシア皇帝から贈られてもので、日本海海戦で勝利した日本が戦利品として持ち帰ったものだった。

1927年(昭和2年)酒井はパレスチナやエジプトへ、ユダヤ研究のために軍から派遣された。エジプトではピラミッドも調査した。そして次第に「親ユダヤ」色を強め、「日本とユダヤ人は同祖」であると唱え、また日本にもピラミッドがあることを予言し、日本の各地でそれを発見してみせた。神の霊示を得て、その場所に行くと、まさしくそこに三角山があった。また、青森の「平来(へらい)村」にも行き、「へらい」は 「ヘブライ人」が来た場所。そこで発見した三角山こそ「キリストの墓」と主張して、話題をふりまいた。

「アルマゲドン(天魔両軍の最終決戦・日米戦争)の時が近づいているが、その時、神選民族ユダヤ人と天孫民族である日本人は勝利し、神州天子国が確立され、キリストの託身のである天皇が世界統治者として君臨する」という 神がかりな論を唱え、しばしば特高警察に捕らえられ、投獄されている。

ドイツと同盟を結んでいた日本としては「親ユダヤ」はまずかったのだろう。まして「ユダヤ人と天皇が同祖」というのは“不敬罪”であった。それでも、昭和15年に亡くなり、勲五等を授けられている。

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ステッセルのピアノ

2020-02-25 23:06:19 | 五木寛之

酒井勝軍はロシア語も堪能で、「勝軍」と云う名が縁起がいいと乃木稀介に見出され、日露戦争に従軍し、乃木稀介とステッセルとの会見で通訳を務め、ステッセルのピアノをもらった。と父から聞いた。

ところが五木寛之の「ステッセルのピアノ」によると、ステッセルのピアノと言い伝えられるものは数台あった。
バルチック艦隊のそれぞれの艦船にピアノが積んであったようで、それぞれ戦利品として日本にもたらされた。
そのうちの一台が、五木寛之の本では「行くへ不明」となっているが、それが酒井勝軍に下賜され、万沢家に伝わったものである。

五木寛之の調査もすごい。ステッセルのピアノの謎を解明すべく、ロシアとフランスに渡って、製造元や伝来の跡を克明に調べているのだ。五木氏に情報を提供しておけば良かった。


このブログをきっかけに、疎遠になっていた万沢氏から電話がはいり、「ステッセルのピアノ」のことを聞いてみた。

「両側に燭台があり、相当年代もので、漆も剥げ、ボロボロになっていて音も出ないので、引っ越す際処分してしまった」と、ザンネン。浜松の「楽器博物館」に同様のがいくつかあり、そこへ寄付すれば良かったのにと悔やまれる。

昨日のNHK「フジコ・ヘミング」でも、ドイツで購入して日本に持ち帰ったピアノを800万円かけて、今でも使っていると。

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音楽新報社と酒井勝軍

2020-02-25 22:55:30 | わが家のこと

「酒井勝軍」で検索して見つけた。

日本最初の音楽出版社『音楽新報社』は1904(明治37)年
2月、山田源一郎(1869-1927)とキリスト教伝道師で
賛美歌と唱歌の普及を目指す酒井勝軍(1874-1940)に
よって創業され、2月23 日に月刊誌『音楽新報』を創刊した。

雑誌発行に際して小松耕輔が編集人として呼ばれ、その後
すぐに小林愛雄も同人として参加するようになった。

『音楽新報』創刊号の巻頭言は同誌発刊の主旨として、
「理想的社会の要因たる音楽」の社会的地位および発言権の
欠如に鑑みて、音楽活動の活発な推進を図るよう唱っている。

『音楽新報』は明治・大正期の音楽雑誌と同様に、紙面は
論文、楽典、西洋音楽の紹介、音楽エッセー、音楽会評、
音楽会案内、人物動向、新曲紹介などから構成され、洋楽、
邦楽を問わず様々なテーマが扱われている。

創刊号の表紙には「Die Musik」 の文字とともに、竪琴を
弾く女性が描かれてた。

音楽新報社は雑誌の発行だけでなく、1906(明治39)年
5月に「樂苑會」を興し、同年8月には上田敏、東儀季治らを
招いて音楽講演会を開催するなど多彩な活動を展開した。
中でも「樂苑會」の活動に事業の重点が置かれた。

1906(明治39)年の『音楽新報』第3巻6号の巻頭には
樂苑子の筆により、会の抱負として、
①従来の俗受けする音楽会を打破するために、趣味高尚なる
 曲目を選び、その選択に当たっては音楽的価値を第一とすること、
②会費は低額に抑えて若者の参加を希望すること、
③オペラ上演は訳詞による西洋オペラと日本語による創作
 オペラの2本立てとすること、
④日本古楽の保存および新楽の創作を行うこと、
 などが記されている。

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魂のピアニスト「フジコ・ヘミング」

2020-02-25 04:59:36 | 虚無僧日記

2/24 NHK「ファミリー・ヒストリー」は「フジコ・

ヘミング~母の執念 魂のピアニスト」でした。

Youtubeで観て「フジコ・ヘミング」に魅了された私。

フジコ・ヘミングはもう昔から世界で有名なピアニスト

と思ってました。ところが、TVで紹介されたのは、

どん底生活の壮絶な絶望の人生。

彼女を一躍有名にしたのは 1999年に放映されたNHK

ドキュメント番組、ETV特集「フジコ・ヘミング~

あるピアニストの軌跡~」だそうだ。

それまでは無名。60代でブレイクし、今80代で、

年十数回ものコンサート。「チケットが買えない」

世界的に有名なピアニストとなった。

私にも希望を与えてくれる。

 

彼女は一代でピアニストになったのではなかった。

母の大月投網子(おおつき・とあこ)さんは

戦前では日本を代表するピアニストでドイツに留学。

スウェーデン出身のジョスタ・ヘミングと結婚。

二人の間に生まれたのがフジコさん。

でも戦争で? 二人の愛は引き裂かれる。日本では

仕事が無いジョスタの生活は荒れ、夫婦喧嘩が絶えず、

彼は離婚してスウェーデンに帰国。

戦中、戦後と、母親一人で三人の子を育てた。フジコをピアニストにするための教育は壮絶。毎朝6時から練習を強要。毎日「バカ、アホー、また間違えた!」と怒鳴られる日々。

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フジコの母・大月投網子の父(フジコにとっての祖父)大月専平はインキ製造業で成功し、裕福な家庭であったから、投網子はドイツに留学。「ブリュートナー社製」のピアノを購入し、日本に持ち帰っていた。今のお金で2000万円か。そのピアノは最近800万円かけて修理し、今もフジコさんの自宅で大切に使用されている。

祖父の経営するインク会社は空襲で焼け、生活はどん底に。母投網子はピアノを教えて、その収入でフジコをドイツに留学させる。仕送りは毎月で36万円ほど。当時では大変な額。でもそれでは、ドイツでは、肉も買えない、病気になっても医者にも行かれないほどの悲惨な生活だったという。そして何よりの悲劇は 耳が聞こえなくなったこと。右耳は全く聞こえない。左耳で30%ほど。蝉が鳴くようなノイズがずっと聞こえるという。

それでもピアノを弾く。正に魂で奏でる音なのだ。

Youtubeのコメントで、若い女性か、「なに、この人。基礎がなってない。リズムがはずれる。自己流の弾き方だ」という批評があった。

今の音楽は、とにかくメトロノームにきっちり合わないとダメ。機械的正確さが求められる。

だが番組でも云っていた「1920年代の音楽は、自由に、自分の音楽を」という時代だったと。そしてフジコいう。「技能的に正確に弾く人はいるでしょう。私は、音、一音一音に色をつける。心を籠めて弾くことを大事にする。間違えたって気にしない。機械じゃないんだから」と。

ホントに私の思いと同じ。共演するオーケストラのメンバーも言っていた。

「彼女の演奏は、心を打つ。感動で、ミスタッチも気にならない」と。

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金子みすずの絶望の詩

2020-02-24 20:44:38 | 虚無僧日記

昨日2/23のNHKラジオ深夜便は、昨年1/28 の再放送。

「絶望名言」の頭木弘樹氏が「金子みすず」の詩を紹介。

頭木氏も「当初、金子みすずは嫌いだった」と。

実は私も 以前 山口県の長門市を通った時

「金子みすず館」を訪ねた。

当時「金子みすず」の名前は知っていたが、

童謡詩人できれいな言葉を並べたてているだけの

薄っぺらな詩というイメージしかなかった。

頭木氏もそう思っていたと。

ところが、26歳で自殺した金子みすずの心情を

知れば、詩の奥に潜む絶望と深い悲しみが

見えてくる。

 

『私がさびしいときに、
 よその人は知らないの。

 私がさびしいときに、
 お友だちは笑うの。

 私がさびしいときに、
 お母さんはやさしいの。

 私がさびしいときに、
 仏さまはさびしいの。』


頭木氏も23歳で難病に罹り、8年間入院生活を

強いられている時にこの詩に出会い、自分の心情

とぴったりだったと。

自分のさびしさをわかってくれるのは仏さまだけ。

逆に言えば、だれも分かってくれないのだ。

 

 

病室での孤独

『思い出すのは 病院の、少し汚れた白い壁。
ながい夏の日、いちにちを、眺め暮らした白い壁。
小(ち)さい蜘蛛の巣、雨のしみ、そして七つの紙の星。

星に書かれた七つの字、メリークリスマ  七つの字。
去年、その頃、その床(とこ)に、どんな子供が寝かされて、

その夜の雪にさみしげに、紙のお星を剪(き)ったやら。
忘れられない、病院の、壁に煤(すす)けた、七つ星。』

 


金子みすずは、夫から淋病をうつされ、26歳で入院。

夫の浮気放蕩は止まず、離婚。子供も夫に取り上げられ、絶望の挙句 睡眠薬を飲んで自殺した。

 

夢を諦めることで見えてくるものもある

『できました、できました、
 かわいい詩集ができました。

 我とわが身に訓(おし)うれど、
 心おどらず さみしさよ。

 夏暮れ 秋もはや更(た)けぬ、
 針もつひまのわが手わざ、
 ただにむなしき心地(ここち)する。

 誰に見しょうぞ、我さへも、心足(た)らわず
 さみしさよ。

 ああ、ついに、登り得ずして帰り来し、
 山のすがたは 雲に消ゆ。

金子みすゞの詩集は生前には出版されることはなかった。

この「詩集」は 自ら、手書きで作った3冊。

 

「夢をあきらめないで」と励ましの言葉は氾濫して

いるけれど、夢を掴む人はホンの一握り。多くの人が

夢を果たせず、山に登れず、挫折しているのだ。

まさに絶望の詩だが、それを読んで、私などは、

「まさにそうだ。私も頂点を極め得ず、挫折の身」。

と共感して、ホッと 安らぎを得る。

 

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今日(2/23)は富士山の日

2020-02-23 04:52:56 | 虚無僧日記

今日は何の日、今上天皇の誕生日。そして[2.23フジサンの日]

富士山は標高 3,776m ミナナロ(皆成ろう)。

「不二山」(二つとない山の意味)とも。

 

童謡「富士山」(「ふじの山」とも)の歌詞は

  1. あたまを雲の 上に出し
    四方の山を 見おろして
    かみなりさまを 下に聞く
    富士は日本一の山
  2. 青空高く そびえ立ち
    からだに雪の 着物着て
    霞のすそを 遠く曳く
    富士は日本一の山

1911年(明治44年)に刊行された『尋常小学読本唱歌』が初出。

2007年には「日本の歌百選」にも選ばれる。

文部省唱歌。作詞は巌谷小波。作曲者は不詳。ということで著作権はフリー。

 

富士山の祭神は「このはなさくやひめ」(此の花咲くや姫、木花佐久夜他 当て字は多い)。

神話では、日向に降臨した天照大御神の孫・ニニギのミコトに求婚される。父のオオヤマツミ(大山津見神)は、姉のイワナガヒメ(石長比売)も共にと差し出したが、邇邇芸命は醜い石長比売を送り返し、美しい木花之佐久夜毘売とだけ結婚した。大山津見神はこれを怒り「石長比売を妻にすれば天孫の命は岩のように永遠のものとなり、木花之佐久夜毘売を妻にすれば木の花が咲くように繁栄するだろう。しかし木花之佐久夜毘売だけと結婚すれば、御子の命は木の花のようにはかなくなるだろう」と告げた。それでその子孫の天皇の寿命も神々ほどは長くないのである。

木花之佐久夜毘売は一夜で身篭るが、邇邇芸命は自分の子ではないと疑った。疑いを晴らすため、コノハナ姫は産屋に入り、「天津神である邇邇芸命の本当の子なら何があっても無事に産めるはず」と、産屋に火を放ってその中で火照命火須勢理命火遠理命の三柱の子を産んだ。火遠理命の孫が初代天皇の神武天皇である。

 

平成19年4月、中国の温家宝首相が来日し、国会で記念演説を行った際、「中日両国人民の友好の土台は泰山と富士山のように決して動揺することはありません」と述べ、日中友好を讃えたそうな。

泰山(たいざん)は、中華人民共和国山東省泰安市にある山で、高さは1,545m。富士山の半分以下。それでも中国では“大きいこと”の代表格。道教の聖地であり、霊巌寺、普照寺、竹林寺など仏教寺院もある。孔子も訪れたことで、孔子廟もある。

【泰山北斗】とは、泰山と北斗星のこと。その道で大家として仰ぎ尊ばれる人。また、学問・芸術などある分野の権威・第一人者のたとえ。略して「泰斗」。

 

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「焚き火だ 焚き火だ 大火事だ」

2020-02-23 04:43:06 | 虚無僧日記

「かきねのかきねのまがりかど~」。灯油販売の
タンクローリーから流れてくるのは、なぜか
「焚き火だ、たきびだ 落ち葉炊き」の歌。
灯油と「たき火」、なんか危険なんですが・・・。

童謡の『たき火』

 かきねの かきねの まがりかど
 たきびだ たきびだ おちばたき
 あたろうか あたろうよ
 きたかぜ ぴいぷう ふいている

 さざんか さざんか さいたみち
 たきびだ たきびだ おちばたき
 あたろうか あたろうよ
   しもやけ おててが もうかゆい

この曲 NHKラジオで 昭和16年の12月9日から
3日間 放送されることになっていた。それが、
戦争開始で11日の放送は中止となった。

その後も、戦争中は灯火管制で「焚き火」が
禁止されたため歌えず。戦後復活したものの、
最近、Co2問題で「焚き火」が 禁止になり、
歌うのが はばかれるようです。

「老人ホーム」では、人気の定番ですが、
「クレヨンしんちゃん」が歌う替え歌は、
お年寄りには うけませんでした。

 垣根の垣根の柿の種
 たき火だ たき火だ 大火事だ (ぼォー)
 あたろうか 焼け死ぬぞ
 北風 ピープー 下痢ピープー

Wikipediaでみたら、作曲「渡辺茂」(2002年没)、
作詞「巽聖歌」(1973年没)で、ともに「没後50年を
経過していないので、著作権有効」とあり、ビックリです。
有料ライブ、コンサートなどで、うかつに演奏すると
後で、著作権料の請求が来たら大赤字。火の車なのだぁ~。

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童謡「七つの子」

2020-02-23 04:42:14 | 虚無僧日記

童謡「七つの子」も、老人ホームでの定番曲。
こちらは著作権が切れてますから安心して吹けます。

ところで、

カラスなぜ啼くの カラスは山に 可愛い七つの 子があるからよ
可愛 可愛と 烏は啼くの  可愛 可愛と 啼くんだよ
山の古巣へ 行つて見て御覧 丸い眼をした いい子だよ

『七つの子』って?「7羽のひな」?「7歳の子」?
どっちもおかしい。カラスは一度に7羽もの雛を育てる
ことはなく、7歳だったら立派な成鳥でしょう。

作詞者「野口雨情」の子供が7歳になって、七五三を
祝う感慨をこめて作られた歌ではないかといわれているそうです。


「志村けん」が『8時だョ!全員集合』の中で、「カラス
なぜ鳴くの カラスの勝手でしょ〜」という歌ったことは
実に痛快でした。PTAから非難が殺到したそうですが。

「森繁久弥」が盲学校を訪問した際、この歌を歌って
2番の「まるい目をした」というところで、とっさに
「まるい顔したいい子だよ」と歌ったというエピソード
には感心しました。


それにくらべて、こんな替え歌も

 彼女 何故泣くの 彼女のお腹には 
 可愛い七ヶ月の子があるからよ~
 堕ろせ 堕ろせ と彼氏は言うの
 産むわ 産むわ と泣くんだよ
 彼女 何故泣くの 彼女のお腹には 
 可愛い七ヶ月の子があるからよ~

(7ヶ月じゃ堕ろせませんね)

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ハンセン病と闘った詩人「塔和子」さん

2020-02-21 17:57:12 | 虚無僧日記

今朝のNHKラジオ深夜便は「塔和子」さんの話でした。

塔和子さんは、ハンセン病で、亡くなるまで70年にも

及ぶ隔離生活を余儀なくされた。絶望的な生活の中から

生み出された作品は、力強い言葉で、生きることを

肯定的に描き、人間の尊厳を問い続けるものであった。

まさに「懸命に生きようとする魂の叫び」だ。

 

待つ

私はいま暗いところにいて
どこからか光のさすのを待っている
私はいま未知数だから
明日という日を待っている
人に
待つという希望を与えた大いなるものよ
もし
この優しいことがなかったら
人は死んでしまう

いつか必ず
光はさすと思えるから
あるいは
あの芽生えがある
あの日がくると
ほのぼの思うこの希いがあるから
どんなに暗いところででも
生きていられる
そしていつか必ず本然の姿を
見つけて叫ぶのだ
出会いだ光だ
喜びだと

ああ、そんな青空に、私はなりたい。

 

 

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