現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

7/21(月)「海の日」 初めてのゼロ

2014-07-21 20:17:26 | 虚無僧日記
7/21 今日は月曜日だが「海の日」で祭日。
名古屋港で「港祭り」。花火大会がある。

名古屋の人口の半分が港へ行ってしまうから、
大須も栄もガラ空き。若い20歳前後の女の子
ばっかり。これでは、虚無僧に布施してくれる人は
いない。夜8時まで粘ったが「初めてのゼロ」と
なった。「永遠のゼロ」(ジブリの映画)には
ならないことを願う。

あきらめて帰ると、ドスン、ドスンど鈍い音。
わが家はマンションの最上階、4階。港の花火が
正面によく見えるのでござる。

ひと風呂あびてから、今朝いただいた 焼き鳥と
「よもぎ蕎麦」に ビールで、独り 花火見物。最高!。
いや、淋しいねぇ。

昨年までは、早く寝たいので、うるさく感じていたが、
今年は、昼寝て、夕方から虚無僧に。夜11時頃帰宅して、
夜中、涼しいうちに、仕事(書き物など)。そして
朝4時には「朝起会」。6時半からはラジオ体操。
7時から喫茶店「てる」でモーニング。

その後、家に帰ったら、昼間は 稽古以外 寝ることと
した。

階下のスナックのママさんと同じじゃ。虚無僧は
夜の商売じゃったか。

「虚無僧は“エトリ”」?

2014-07-21 10:56:23 | 虚無僧日記
名古屋に来てすぐ知り合い、以来20年、いろいろと
私のことを心配してくれているSさん。
会うたびに「虚無僧なんてやめなさい」と忠告してくれる。

「私の子供の頃は、虚無僧は“乞食”の類とみられ、蔑(さげす)
まれていた」と。

すると、同席していたOさんも、そうそう「“エトリ”が
来たから、早く隠れなさい。と子供たちを家の中に入れた
ものだった」と。

“エトリ”とは初めて聞いた。ネットでみると「餌取り」。

「鷹や猟犬などの餌にするため,牛馬などをし、また
その牛馬の皮革や肉を売ることを業とした者」とある。

『今昔物語』に出てくるというから、そうとう古い言葉だが、
名古屋では、戦後まで使われていたことになる。私の持って
いる『古語辞典』には無い。「(えた)」に似る。その
語源か。

「虚無僧が来た、さらわれるから、早く隠れなさい」と
「人さらい」のようにも言われたらしい。最近、少女誘拐
事件が多発しているから、虚無僧はますます危うい。

昨日も「大門祭り」で「怖い」「怪しい」「息が止まった」
という声が聞かれた。

虚無僧を見て「怖い、怪しい」と観るか、「善なる仏の使い」
と観るか、まさに、一つのものが「善」とも「悪」とも
観られる。「善」と観るか「悪」とみるかは、その人の
心次第。それが「げ箱」に書かれた「明暗」の意味じゃ。




「大門夏祭」でチンドン屋の仲間入り

2014-07-21 08:35:38 | 虚無僧日記
7/20 「大門夏祭り」。大門(おおもん)は、大正の末から戦前まで
遊郭があった名残り。今でもベンガラ色の壁の
建物が何軒か残っている。それらの老舗は、料亭に
なったり、ソープランドや老人健康施設に模様替え
している。

ここは、名古屋駅から西に1.3km。我が家からは600mほど。
この辺りはちょっと怖い所という思い込みがあって、
虚無僧では 行ったことがなかった。

本日「大門夏祭」というので、こわごわ行ってみた。
居酒屋の前を通ると、中から「お、虚無僧だ」の声がし、
お客さんが出てきて お布施を。戸も開け放たれ、冷房も
ない“一杯飲み屋”。こういうところが 下町風情の
良いところ。

にぎやかにブンチヤカブンチャカ「チンドン屋」がやってきた。
私の前まで来ると、「仲間にはいらないか」と誘ってくれたので、
これ幸いと尺八を吹きながら着いていくことに。この仲間に
入れば、「九の市」の時のようにつまみ出されることもなかろう。

これで「大門通り」に無事進入。警官も祭りの役員も誰も
咎め立てしない。というより、賑やかな「阿波踊り」の
お囃子に消されて、虚無僧なんか完全に無視。

「阿波踊り」は、千代田生命時代、広報部のPRの一環として、
高円寺や下北沢、中目黒などでの「阿波踊大会」に
「千代田生命連」を立てて、太鼓を叩いたり、笛で
参加していたので、血が騒ぐ。


しばらく、阿波踊りに見とれていると、年配の方が御喜捨。
歩いていても、ご喜捨いただける。虚無僧ってすばらしい。

ところが、夜6時半。また雷が鳴り、雨が降りだした。
家の窓を開け放してきたので、これで切り上げて帰る。

「雨降らば降れ、風吹かば吹け」なんて云っていても、
雨にも風にも弱い虚無僧でござる。