現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

尺八は長さに非ず

2021-04-27 10:34:57 | 尺八・一節切


「尺八はその長さが1尺8寸だから、尺八という」と誰もが信じている。

中学の音楽の教科書にもそう書いてある。

しかし、私は子供のころから疑問に感じていた。縦笛の名前をつけるのに、その長さを名前になんかするだろうか。常識的にありえない。

お琴は6尺あるから「ろくしゃく」。三絃は「よんしゃく」、琵琶は「さんじゃく」。横笛は「いっしゃく」なんて名をつけるだろうか?

 

古代の尺八は、1尺1~4寸で長さは不揃いである。1尺8寸の尺八は伝存していない。それなのに何故「1尺8寸」が名前になったのか。おかしい。

結論を言えば、尺八のような縦笛は中国の唐代より以前から存在していた。1万年も前のヨーロッパの遺跡からは動物や鷲の足の骨に孔を空けた笛が出土している。

脛の骨のことをラテン語で「Tuipaチュイパ」という。クラリネット等の縦笛はラテン語でTuipa

そこで、ローマからタクラマカンを経て中国に伝わった縦笛(Tuipa)が、中国では「チーパ」。それに「尺八」と漢字が当てられたわけで、それを日本人は1尺8寸の意味と勝手に思い込んだというのが私の考えである。

「ハンニャーハラミッダー」に「般若波羅蜜陀」と漢字を当てただけで、漢字の意味は無い。それと同じで、「尺八」は「チーパ」に漢字を当てただけで、長さの意味などないのだ。以下詳しく説明しよう。


『古事類苑』の尺八の項の「序」の誤り

2021-04-27 10:34:06 | 尺八・一節切

「尺八」の名称は「その長さが1尺8寸であることから」とする出所の一つが、どうやら『古事類苑』のようです。


『古事類苑』は、明治政府が 1896年(明治29年)から1914年(大正3年)にかけて、膨大な書物を収録編纂したもの。


その『古事類苑』の「樂舞部 三十三 尺八の項」の「序」で、誤った解説が書かれてしまったのだ。
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尺八ハ、シャクハチ、又サクハチノフエトモ稱ス、
蓋シ李唐ノ初メ、呂才ノ造ル所、其長サ唐ノ小尺
一尺八寸、今尺一尺四寸、因テ名ヲ得タリト云フ。

初メ呂才ノ之ヲ製スル器タル、凡十二枚、長短同ジカラズ、
蓋シ古律の黄鐘ハ九寸ニシテ、其音清高ニシテ、人聲ト
近カラズ、故ニ九寸ヲ倍シテ、一尺八寸ト爲シ、上生下生シテ、
以テ十二枚ヲ作リシナリ、

後世ノ尺八ハ、管ノ長サ今尺ノ一尺八寸ナルニ由リ、
亦此名アリ、節三ニシテ、孔ハ古ノ尺八ニ同ジ、

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つまり、最初に作った尺八は唐の「小尺」の「1尺8寸」だったので「尺八」と名付けた。しかしその長さは、今の「1尺4寸」(42cm)であるという。法隆寺に伝存した尺八が約 42cm であることから、これが基準と考えたのかもしれない。

しかし、正倉院の8本の尺八は、34cm、38、43cmと不揃いであり、説明がつかない。「長短同じからず」なのだ。                                                         

「黄鐘(日本の壱越=Dの音)は九寸だが、これは甲高く人の聲に近くないので、その倍の1尺8寸を基準にして長短12本作った」と補足している。

メチャクチャな話だ。その前に「古代中国の小尺は、今の1尺4寸」と言っているだから、「小尺の9寸は、8掛けで                                                    27cm×0.8=21.6cm。これは壱越=Dではない。F#。
F#が基準とはとても考えられない。話が矛盾するのだ。

そもそも、この「序文」には出典が書かれていない。『古事類苑』の編者の勝手な推測なのだ。“へんじゃ”。
これが「定説」になってしまったとは“大変じゃ”。