現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

師からすると、一番よい弟子は

2014-07-17 04:34:06 | 虚無僧日記
「伝統的家元制度」を批判し、その外に はみ出してきた私
ですが、師の立場からすると、「家元制度」は老後の生活を
確保するための年金制度のようなもの。

直弟子、孫弟子、そのまた ひ孫弟子とピラミッドを形成し
ていけば、歳とって、直接教えられなくなっても、免状料や
尺八購入代金の一部が入って、生活は安泰。

「堀井小二朗」師は、それを構築しなかったので、老後は
みじめでした。私もそうか?

短期間で上達して巣立っていってしまう人より、毎回毎回、
同じことを何度も何度も教えて、ちっとも上達しない
お弟子さんの方が、“宝”です。

早く「上達させてやりたい」と必死に教えても、一向に
上達しない。「気の毒で、申し訳ないと思う」とある方に
こぼしたら、「それでいいんですよ。みなカンタンにプロに
なられたら、食べていけませんよ」と。なるほど。

尺八は実にカンタン。ピアノやバイオリンなど、相当お金を
注ぎ込んで、10年やってもプロにはなれないけれど、
尺八は、習わなくともプロになれる。ライバルがいない。

と思うのだが、やはり、プロになれる人は、ごくごく少数。
「旦那芸で良し」とするお弟子さんたちがいて、プロは
生活が支えられているのだ。そういう方 歓迎。大事に
しなければ。

尺八はいろいろ、その人に応じた“楽しみ方”があるのです。
以前、93歳、耳がまったく聞こえない方が入門してきました。
耳は聞こえないけれど、「骨に響きを感じて、それが心地よい」と。
何を教えても聞こえないので、私は黙って、聞いてあげているだけ。
その方、自分でも吹けているのかどうか判らないので、どんどん
曲を進んでいくのです。一日一曲。1年で地歌の中伝クラスまで
進んでしまいました。全く曲にはなってませんが、「中伝」の
免状を出してあげたら大喜び。そんな楽しみ方もあるのです。



師匠の立場からすると、こいうのは困る?

2014-07-17 03:45:05 | 虚無僧日記
私は尺八は自己流です。千葉と会津の二人の叔父が尺八を
吹いていましたので、子供の頃(10歳ぐらい?)から
遊びに行っては、見よう見まねで、自然に覚えました。
「ロツレチ」など習った記憶はありません。

二人の叔父は、初め「都山流」でしたが、千葉の「勝田洋山」に
懇願されて?「洋山流」に変わりました。愛知の「矢野司空」氏も
「洋山流」だそうです。

17歳、高校2年の時、近所で「古賀将之」氏が、都山流の教室を
開きましたので、即入門。「古賀」氏は「中島郭山」門下で、
当時「準師範」になられ、看板を出したところでした。その時
なんと、芸大を卒業されたばかりの「砂崎知子」さんも、一緒に
生田流箏の教室を開きました。

そのうち「古賀」氏は「日本音楽集団」に入り、「宮田耕八朗」師の
影響で「これからは7孔ですよ」と、私に「7孔」を勧めてきたので、
その当時はびっくりして、1年で辞めました。

そして、虚無僧尺八を求めて、「明暗真法流」の「冨森虚山」師に
入門。こちらも2年で、大学2年の夏休みに虚無僧体験をして
ジ、エンド。その時、京都では「小泉止山」師にも一日教えを
請いました。

その後、慶応大学では、先輩の「荒木古童」師のつながりで、
琴古流の「木村友斎」師に3回、「北山士童」師には一日
『鹿の遠音』を。また「高橋空山」師門下の「藤由越山」師にも
一日。

そして「藤由」師の紹介で、慶応の大先輩で、福沢諭吉の
孫にあたる「堀井小二朗」師に入門して、「9孔尺八」に転向。
半年くらいで、5孔尺八では吹けないような曲が吹けるようになり、
これで、セミプロとして、洋楽系の仕事がどんどんきました。
私は「堀井小二朗」の「9孔尺八」の唯一人の承継者です。


その後は、都古流の重鎮「磯野茶山」に一日。和歌山転勤時は
「池田晴山」師に数回。琴古流の「広門伶風」師にも一日。
「柳内調風」のもとでは3年「琴古流」の奥義を。
「宮田耕八朗」師にも数回。夏季合宿講習会に参加と、
手当たり次第。

さらに「三本会」の「山本邦山」「青木鈴慕」「横山勝也」の
三師には、1、2回ずつ。民謡も三回、習いに行き、終わり。

つまり、それぞれ1、2回、稽古場を覗きに行っただけです。
他のお弟子さん方に、教えているのを見て、芸を盗んできた次第。

「青木鈴慕」師は『季刊邦楽』で、「近頃、あちこちの師匠を
渡り歩く不届きなヤツがいるが、こういうのを尺八ゴロという」と
苦言を呈しておられました。私のことですか?

こういう弟子は、結局、師匠からみれば「金(収入)」に
なりませんので困るのです。

以来、日本の伝統的家元制度に不満爆発し、「ネプチューン
海山」師のワンレッスンを数回受け、目から鱗でした。

今は「ネプチューン」師のおかげで食べさせてもらっています。