現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

1/5 伊勢~朝熊山へ

2012-01-05 20:38:43 | 虚無僧日記
毎年、正月は伊勢に行く。早朝3時半に車で
家を出、6時に外宮に着いて、お参りの後、
朝熊山に登る。7時半、山頂で日の出を拝む。

10年前は、寒風に身を切る寒さだったが、ここ
数年は、手が かじんで尺八が吹けないなんて
ことはなくなった。「寒修行」にならないが、
ここで浴びる“陽の光”は格別。不思議な
パワーを得、尺八の音も冴え渡る。

9時に下山して、内宮に詣でた後、「おはらい
通り」の入口付近で、虚無僧に立つ。午前中
喜捨いただいた方は3人だけ。「虚無僧に喜捨
されるような方は、年々減少の一途か」と、
心暗くなり、体も冷え切り、尺八の音もだんだん
か細くなる。「これも修行か」と 吹き続ける
こと2時間。

すると正午を廻って、次々に喜捨される方が、
3~40分ほどで20人。それまでの2時間は
「我慢、忍耐の修行」だったか。「我慢」の
時間があってこその「喜び」なのだ。

いつもそうだが、片道の交通費相当分だけ
お布施をいただく。それ以上でも以下でもない。
これも不思議。

朝から 飲まず 喰わず。それで、帰りに 津の
眞道さんのお寺に立ち寄ったところ、手早く
料理を作って出してくださった。眞道さんの
手料理は、実においしい。おみやげもたくさん
いただいて帰宅。

“幸せ者”でござる。今日も良き一日でした。


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伊勢で 虚無僧

2012-01-05 19:38:52 | 虚無僧日記
1/5 伊勢神宮の「おはらい通り」で虚無僧。

平日だから、三ガ日や土日に比べれば、参拝者は
少ないのだろう。まだ冬休みとあって、小学生の
子供を連れた親子が多かった。

小学5年生くらいの男の子が「“あかくら”って
なぁに」と親に聞く。子供の質問を 親は無視して
立ち去る。

「はて“あかくら”、“赤倉”?」。しばらくして
判った。その子は 私の偈箱(げばこ)に書かれてある
「明暗」を「明るい暗い」と読んで、訓読みで
「あか・くら」と読んだのだ。これは意外。

そういえば、若者言葉で「クラッ」って よく使われる。
マイナーなジョークなどを聞いて心が暗くなった時に
発する言葉だ。

私にとっては、若者は“宇宙人”だ。その若い女性が
4人ほど喜捨してくれた。それでもう舞い上がる私。
「托鉢」や「門付け」は 異種の人とも“ご縁”を
つなぐ所作なのだ。


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ねずみ年の守護神

2012-01-05 19:36:45 | 虚無僧日記
誰が決めたのか、「ねずみ年の守護尊は 千手観音」だそうだ。
神社仏閣でのお土産品などに、そのようなデザインを施した
お守りが売られていたりする。

「千手観音は 聖観音が変化した姿で、広大無限の慈悲を
持つ万能の仏様。 千の慈眼と千の慈手で一切の悩みを救い、
願い事を全て叶えてくださる。 救いを求めるものの姿に
応じて変化をし手を差し伸べ 救ってくださる」のだそうだ。

そんな好都合な仏様が守護神だからか、「ねずみ年」は
喰うには困らないと言う。ホントにその通り。エンゲル
係数(食費の占める割合)ゼロ。おせち料理もたくさん
いただきました。

多くの方に支えられ、生かされていることに感謝です。

喫茶店「○○」の駐車場に住み着いた4匹の猫。
正月三ガ日は喫茶店も休みで、どうしていただろう。
“ねずみ年”の私が、今 猫の餌の世話をしている。
100円玉を2、3個握り締めて、スーパーで買って
くるのは、私の食べるものではなく、猫のための
魚や肉だ。