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安倍晋三アベノミクス格差拡大の一つの到達点としてある5月生活保護受給の世帯過去最多更新

2013-08-11 03:41:54 | 政治


 
 2013年3月17日、安倍晋三は自民党大会大会でアベノミクスに対する自身を見せた挨拶を行なっている。

 安倍晋三「民主党政権の末期、経済が低迷し、私たちは成長できるという自信すら失っていた。教育の危機が叫ばれ、日米同盟の絆は揺らいでいた。今、日本を覆っていた雰囲気が大きく変わった。今確実に景気は回復しつつある。情熱と努力によって日本経済は成長する」(時事ドットコム)――

 首相就任3カ月で民主党政治を厳しく批判し、「今確実に景気は回復しつつある」と請け合ったのだから、アベノミクスに対する自信は些かも揺るぎがない。

 そして4カ月後の7月22日、前日7月21日の参院選大勝利を受けた記者会見でもアベノミクスの着実な成果を発言している。

 安倍晋三「昨年、総選挙の勝利について、この場で民主党の間違った政治に国民がノーを突き付けたものであり、国民はまだまだ厳しい目で、自由民主党を見つめている。私はこのように申し上げました。その認識の下、私たちは高い緊張感を持って経済の再生、復興の加速、外交・安全保障の立て直し、教育再生などに全力を尽くして参りました。GDP(国内総生産)や雇用といった実体経済を表す指標は好転し、確実に成果はあがっています。この道しかない、この思いを選挙戦で訴えて参りました。そして、昨日、決められる政治によって、この道をぶれずに前に進んでいけと、国民の皆様から力強く背中を押していただいたと感じております。まず自由民主党を応援をしていただきました国民の皆様に心よりお礼を申し上げたいと思います」――

 アベノミクスによって実体経済は確実に成果が上がっている、アベノミクスの道しかないと景気回復への保証を謳っている。

 そして言葉通り、アベノミクスと日銀の異次元の金融緩和一体の政策が円安と株高を演出、大手企業は本業の儲けを示す営業利益を過去最高とか、リーマンショック前に近い水準の回復だとか、軒並み好成績を上げるに至っている。

 個人消費にしても、株の値上がりによる資産上昇や資産効果への期待から高額商品が売れ、大手百貨店はその恩恵を受けて、例年にない販売好調の波に乗っている。

 確かに安倍晋三が4月19日の日本記者クラブ講演「成長戦略スピーチ」で、「4か月前と比べて、どうでしょうか。世の中の雰囲気は、明るくなってきたのではないでしょうか」と言っているとおりに世の中は明るくなった。

 明るくなった国民の雰囲気・心理が7月21日の参院選自民党大勝利の形を取ったはずだ。言ってみれば、アベノミクスに対する国民の信頼度が直結した参院選自民党大勝利と言うことができる。

 アベノミクスを信頼して自民党に一票を投じた国民は信頼のあまり、大船に乗った気分でいるに違いない。

 「確実に景気は回復している」
 
 アベノミクス、「この道しかない」

 そして厚労省8月8日公表の今年5月時点での生活保護受給約158万世帯は過去最多更新という事態もアベノミクスの成果としてある一風景でなければならない。

 なぜなら、「今確実に景気は回復しつつある」中での、あるいは「確実に成果はあがってい」る中での、それらの回復傾向、上昇傾向と併行した、過去最多だった今年3月を上回り、前4月より4034世帯増えた過去最多更新の約158万世帯だからである。

 決して別次元の生活実態ではない。

 次の記事――《生活保護受給の世帯 過去最多更新》NHK NEWS WEB/2013年8月8日 13時42分)から、「過去最多更新」の実態を見てみる。

 5月に生活保護を受けた世帯の数は全国で158万2066世帯(前月比+4034世帯)。

 世帯の内訳。
 
 「高齢者世帯」――45%(最多)。
 「その他の世帯」(働くことができる世代を含む)――18%
 「傷病者世帯」――18%
 
 生活保護受給者数――215万3816人(前月比+1973人)

 この受給者数は昨年5月前月比+8700人と比較すると、増加幅は縮小しているそうだが、増加幅縮小を以って、生活の改善が進んでいると言えるのだろうか。

 厚生労働省「年金だけでは暮らせない高齢者が増えるなど受給世帯は依然として増加傾向にあるが、雇用情勢の改善などから受給者の増加ペースは落ち着いてきている」――

 「年金だけでは暮らせない高齢者」とは働いていたとき、低所得であった者であろう。アベノミクスが登場して7ヶ月が過ぎたが、正規社員が依然として減少傾向を続け、その傾向と共に非正規社員が増加傾向にある流れは「年金だけでは暮らせない高齢者」を増加させていく流れでもあり、この流れは低所得勤労者者から「年金だけでは暮らせない高齢者」へのバトンタッチが今後共続く皮肉な保証でもあって、「雇用情勢の改善」が生活保護改善の約束に直結するとは限らないはずだ。

 いずれにしても、低所得層であっても政治が一つ社会に於いて恩恵を施すべき対象の一つであることに変わりはないはずであるにも関わらず、そのことに反してアベノミクスの恩恵が一部分のみで遍(あまね)く波及していないゆえの過去最多でもあることは間違いない。

 だとすると、一方でアベノミクスによって大きな恩恵を受けて資産上昇や資産効果への期待を膨らませている層が存在しているのに対して、その一方でアベノミクスによって何ら恩恵を受けていないばかりか、逆に生活保護受給世帯増加傾向に歯止めがかからない状況が示しているように自立状態から生活保護受給世帯入りしている個人・家族が存在して、それが過去最多を更新したということは、正規社員が減少し、非正規社員が増加している傾向等々と併せて、社会の格差拡大がなお一層進んでいることを示していて、この格差拡大はアベノミクスが一つの到達点としていることの証明ともなる。

 この現実から目をそむけてはならない。

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安倍晋三の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式挨拶の原爆投下「非道」の歴史認識は戦前日本擁護の歴史認識

2013-08-10 08:31:19 | 政治


 
 安倍晋三が8月9日(2013年)、被爆68周年に当たる長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式に参列、挨拶している。《長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典あいさつ》(首相官邸HP/2013年8月9日)から、挨拶前半を抜粋。

 安倍晋三「本日、被爆68周年、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に臨み、原子爆弾の犠牲となった方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。今なお被爆の後遺症に苦しんでおられる皆様に、心から、お見舞いを申し上げます。
 68年前の本日、一発の爆弾が、7万を上回る、貴い命を奪いました。12万人が暮らしていた家屋を全焼、全壊し、生き長らえた方々に、病と障害の、さらには生活上の、言葉に尽くせぬ苦難を強いました。

 一度ならず、二度までも被爆の辛酸を嘗めた私たちは、にもかかわらず、苦しみ、悲しみに耐え立ち上がり、祖国を再建し、長崎を、美しい街として蘇らせました。今日は、犠牲になった方々の御霊を慰めるとともに、先人たちの奮闘と、達成に、感謝を捧げる日でもあります。

 私たち日本人は、唯一の、戦争被爆国民であります。そのような者として、我々には、確実に、『核兵器のない世界』を実現していく責務があります。その非道を、後の世に、また世界に、伝え続ける務めがあります」――

 安倍晋三は4月23日(2013年)の参院予算委員会で、丸山和也自民党議員の「村山談話」には曖昧な点があるとの質問に対して次のように答弁している。

 安倍晋三「ただいま丸山委員が質問をされた点は、まさにこれは曖昧な点と言ってもいいと思います。特に侵略という定義については、これは学界的にも国際的にも定まっていないと言ってもいいんだろうと思うわけでございますし、それは国と国との関係において、どちら側から見るかということにおいて違うわけでございます」――

 侵略という定義は学会的にも国際的にも定まっていない上に国と国との関係で、どちら側から見るかで侵略の意味・内容が違ってくるために普遍妥当性を持った一般的解釈は存在しないと言っている。

 5月15日(2013年参院予算委員会。

 小川敏夫民主党議員「総理、あなた御自身の認識で、かつて日本は、あるいは日本軍は中国に侵略したのですか。あるいはあれは侵略ではなかったんですか。そこのところをはっきりと総理の認識を教えてください」

 安倍晋三「私は今まで日本が侵略しなかったと言ったことは一度もないわけでございますが、しかし、言わば歴史認識において私がここで述べることは、まさにそれは外交問題や政治問題に発展をしていくわけでございます。言わば私は行政府の長として、言わば権力を持つ者として歴史に対して謙虚でなければならない、このように考えているわけでありまして、言わばそうした歴史認識に踏み込むことは、これは抑制するべきであろうと、このように考えているわけでございます。つまり、歴史認識については歴史家に任せるべき問題であると、このように思うところでございます」――

 前の発言と合わせると、侵略という定義は学会的にも国際的にも定まっていない上に国と国との関係で、どちら側から見るかで侵略の意味・内容が違ってくるために普遍妥当性を持った一般的解釈は存在しないから、侵略等に関わる歴史認識は歴史家に任せるべきだということになる。

 だとすると、原爆投下についても、同じルールを当てはめなければならない。「国と国との関係において、どちら側から見るかということにおいて違うわけ」だから、原爆投下に関わる「歴史認識については歴史家に任せるべき問題」としなければならない。

 勿論、アメリカ政府が「原爆投下は戦争終結を早め、100万人の米兵の生命を救うためだ」と自己正当化していることは、安倍晋三の歴史認識方法論に立っていないのだから、許されることになる。

 だが、安倍晋三が原爆投下を「非道」と批判する歴史認識を自ら下しているのは、「国と国との関係において、どちら側から見るかということにおいて違うわけ」だから、原爆投下の「歴史認識については歴史家に任せるべき問題」だとする自らの歴史認識方法論を踏み外す越権行為となる。

 大体が「侵略という定義」は「国と国との関係において、どちら側から見るかということにおいて違うわけでございます」と言っていること自体、日本の戦争は侵略ではないと定義づける歴史認識を自ら下しているのである。

 中国と韓国は日本の戦争は侵略戦争だと既に断罪する歴史認識を下している。それとの関係で、「国と国との関係において、どちら側から見るかということにおいて違うわけでございます」と言っているわけだから、日本の戦争は侵略戦争ではないという歴史認識の披露に他ならない。

 だが、直接的に「日本の戦争は侵略ではない」と言うことができないから、「侵略という定義については、これは学界的にも国際的にも定まっていない」だとか、「「国と国との関係において、どちら側から見るかということにおいて違う」だとか、「歴史認識については歴史家に任せるべき問題」だとか言っているに過ぎない。

 要するに安倍晋三の歴史認識方法論はご都合主義の産物に過ぎない。

 今年4月のジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会提出の核兵器の非人道性を訴える共同声明に80カ国が賛同したものの、日本政府は署名しなかったのだから、非人道性を訴えるという意思に反する安倍晋三の原爆投下の「非道を、後の世に、また世界に、伝え続ける務めがあります」の歴史認識がホンモノかどうか極めて疑わしく、多分に平和祈念式典向けの言葉に過ぎないだろうが、言葉面(ことばづら)は正しい歴史認識と言うことはできる。

 だが、果たして、アメリカの原爆投下のみを「非道」と断罪する歴史認識のみで正しい評価だとすることができるのだろうか。

 硫黄島の戦い(1945年2月16日に始まって3月17日玉砕)
 沖縄戦(1945年4月1日~6月23日)
 ポツダム宣言――対日降伏勧告(1945年7月26日)
 鈴木貫太郎首相「黙殺」の声明(1945年7月28日)
 広島原爆投下(1945年8月6日)
 ソ連、対日宣戦布告(1945年8月8日)
 長崎原爆投下(1945年8月9日)
 ソ連、対日開戦(1945年8月9日未明) 
 ポツダム宣言無条件受諾(1945年8月14日)
 玉音放送(1945年8月15日)

 日本は硫黄島の戦い前に既に兵士も物資も底をついていた。2006年8月7日放送、2007年8月5日再放送のNHKスペシャル『硫黄島玉砕戦」・~生還者61年目の証言~』によると、硫黄島には最終的には飲料水の乏しい孤島に陸海軍合わせて2万人の兵士が送り込まれが、兵士と言っても、その多くは急遽召集された3、40代の年配者や16、7歳の少年兵。中には銃の持ち方を知らない者もいたとしている。

 兵士の士気、物資共に優るアメリカ側は精鋭の海兵隊6万人を派遣、5ヶ日間で占領できると踏んでいた計算に反して、未熟集団の日本軍は激しく抵抗、戦いを1カ月以上引き伸ばし、日本側の戦死者約21900人は玉砕戦法を取ったのだから、止むを得ないとしても、アメリカ軍は戦死者6821名、負傷者22000名の予期してはいなかった甚大な被害を被ることとなった。

 そして沖縄戦の戦死者。

 沖縄県出身軍人・軍属28228人+他都道府県出身兵65908人=94136人
 一般沖縄県民122228人

 米軍兵士12520人(沖縄県援護課発表/1976年年3月)

 日本側戦死者は日本軍兵士よりも一般沖縄県民の方が28000人も上回った。

 アメリカ軍はそれ以前の戦闘からも多く学んだだろうが、直近の事例として、硫黄島の戦いと沖縄戦に於ける日本軍の戦争の質、その徹底抗戦と、特に加えて沖縄住民の集団自決から、硫黄島や沖縄といった小さな島ではない、より多くの住民が生活の場としている本土決戦に応じた場合のより広大と化す戦場での日本軍の後がない徹底抗戦と住民の抵抗に対する自軍の困難な戦いとその困難さに応じた被害の想定規模を学習したはずだ。

 要するにアメリカ政府が公式見解としている「原爆投下は戦争終結を早め、100万人の米兵の生命を救うためだ」とする自己正当化の論理には、「100万人」が過大数字だとしても、基本のところで一理はあるということである。

 この論理を否定するにしても、出来事の経過順から言っても原爆投下に至る過程で直前の発端と見做さなければならない1945年7月26日の対日降伏勧告ポツダム宣言受諾を天皇制維持=国体護持優先に拘リ、「黙殺」とした鈴木貫太郎首相の態度と「黙殺」へと圧力をかけた軍部の態度を「非道」と歴史認識しないわけにはいくまい。

 「黙殺」とせずに、受諾していたなら、まさか降伏を受け入れた場合の日本に対して原爆を投下することはなかったはずだ。それでも投下したなら、アメリカ政府が投下を如何に自己正当化しよううとも、「非道」と歴史認識されるはずだ。

 いわば原爆投下の「非道」を言う以上、同時に原爆投下を招いた当時の日本政府・軍部の「「非道」を俎上に載せないのは公平且つ正しい歴史認識とは言えないはずだ。

 だが、原爆投下のみを「非道」とする歴史認識で済ませている。

 ということは、結果として安倍晋三の原爆投下のみを「非道」とする歴史認識は同時に戦前の日本政府と軍部=戦前日本の「非道」を問題としない、つまり戦前日本擁護の歴史認識となっていることになる。

 ご都合主義の歴史認識論者の面目躍如といったところである。

 参考までに――

 2006年8月20日記事――《東条の孫娘の思考限界に見る日本人の思考限界-『ニッポン情報解読』》  

 2007年8月12日記事―― 《「硫黄島玉砕戦」から読み解く原爆投下-『ニッポン情報解読』》

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安倍晋三の「国のために戦って尊い命を犠牲にする」兵士の正義は国家の正義と響き合わせた思想

2013-08-09 05:10:19 | Weblog


 
 独裁者金正恩を将軍様と呼び崇拝している北朝鮮軍兵士が北朝鮮国家のために戦い死ぬことを厭わず、自らの正義とするのは崇拝している金正恩を正義と見做し、その北朝鮮国家を正義と見做しているからだろう。

 いわば兵士は自らの正義と国家の正義、あるいは支配者の正義を相互に響き合わせることによって、「国のために戦って尊い命を犠牲にする」という行為を成り立たせることができる。

 逆に兵士が国家を正義と見做さなければ、誰が国のために戦って尊い命を犠牲にするだろうか。

 国家の側も、国家自身を正義と見做しているゆえに、兵士の戦闘行為、それ故の戦死を「国のために戦って尊い命を犠牲」にした正義だと価値づけ可能となる。

 国家の正義の反映としてある兵士の国のために戦う正義、あるいは国のために戦って戦死する正義という構造を取る。

 あるいは兵士の国のために戦う正義は、あるいは国のために戦って戦死する正義は国家の正義の反映を受けた正義という構造を取る。

 戦前の大日本帝国も、自身を正義とし、天皇を正義とし、天皇と国家が協同して仕掛けた戦争を正義とし、兵士に(あるいは国民に)その正義の戦争を戦う正義を求め、兵士は(あるいは国民は)国家の正義に応じ、戦争の正義に応じて、「国のために戦って尊い命を犠牲にする」正義で応じた。

 かくこのように戦前の日本は相互の正義を響き合わせた。正義の結末が、朝鮮人や台湾人の軍人、軍属約5万人を含んだ軍人、軍属約230万人の戦死者であり、外地一般邦人約30万人、空襲等の国内戦災死没者約50万人の犠牲である。

 勿論、日本人死者を遥かに上回る外国人兵士の死者、民間人死者も日本の正義の結末のうちに入る。

 そして今なお戦前の日本国家の正義を信じ、天皇の正義を信じ、その戦争の正義を信じ、それらの正義と響き合わせる形で「国のために戦って尊い命を犠牲」にした戦士兵士の正義を讃えるために多くの国会議員や閣僚が靖国神社を参拝する。

 8月5日午前の記者会見――

 菅官房長官「国のために戦って、尊い命を犠牲にされた方に対し、手を合わせてご冥福を祈り、尊崇の念を抱くのは、どこの国でも同じだと思っている。

 (閣僚の8月15日終戦の日参拝について)政府として、『行くべきだ』とか『行かないべきだ』ということは差し控えるのが、安倍内閣の基本的な考え方なので、各閣僚が私人の立場で参拝するかしないかは、官邸でどうこう言う問題ではない。

 (安倍晋三の8月15日参拝について)安倍総理はかつて、『参拝するか、しないかは言わない。行ったか、行かなかったかも言わない』ということだったので、私から答えることは差し控えたい」(NHK NEWS WEB

 8月6日広島市記者会見――

 安倍晋三「国の内外を問わず、国のために戦って尊い命を犠牲にした方々に対し、手を合わせてご冥福をお祈りし、尊崇の念を表する気持ちは持ち続けていきたい。その気持ちに全く変わりはなく、参拝についての私の思いは変わっていない。

 (閣僚の敗戦の日参拝について)閣僚が私人として参拝するかどうかは、もとより心の問題であり自由だ。私が閣僚に対して『行け』とか『行くな』とか、何かを求めるということはないし、そうすべきではないと考えている。

 (自身の8月15日参拝について)私が参拝するかしないか、あるいは閣僚が参拝するかしないか答えるのは差し控えたい」(NHK NEWS WEB

 兵士は戦前日本国家の正義を信じ、天皇の正義を信じ、その戦争の正義を信じて、それらの正義と響き合わせる形で「国のために戦って尊い命を犠牲にする」自らの正義を忠実に実行した。

 当然、現在の日本で「国のために戦って尊い命を犠牲にした」という兵士の正義を口にするとき、その正義は戦前日本国家の正義、天皇の正義、その戦争の正義と響き合わせていなければ、論理的に成り立たないことになる。

 「不正義の国家のために不正義の戦争を戦って尊い命を犠牲にした」という名目の讃えは論理的な整合性を失う。

 その国家を批判し、その戦争を批判する場合のみ、論理的整合性を持ち得る。

 逆もまた真なり。「正義の国のために正義の戦争を戦って尊い命を犠牲にした」という名目の讃えのみが論理的整合性を持ち得る。
 
 つまり、「国のために戦って尊い命を犠牲にした」という讃えの言葉は“正義”という価値づけを前提としている。

 国家、戦争、尊い命の犠牲、すべてが正義に価値づけられ、正義を彩っていることになる。

 そこに不正義の価値づけは一点たりとも許さない。 

 安倍晋三にしても、菅官房長官にしても、靖国を参拝する安倍内閣の閣僚にしても、その例に漏れないはずだ。

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安倍晋三の東電汚染水問題「東電に任せるのではなく、国としてしっかりと対策を講じていく」の言行不一致

2013-08-08 09:53:58 | 政治



 東電福島第1原発敷地内の放射能汚染水を貯めておく貯水槽から水漏れが生じて、放射能汚染水が地下水と共に海に流出している問題で、8月7日、政府は原子力災害対策本部会合を開催。本部長は我が安倍晋三総理大臣。

 《首相 汚染水問題で対策を指示》NHK NEWS WEB/2013年8月7日 16時45分)

 安倍晋三「汚染水問題は、国民の関心も高く対応すべき喫緊の課題だ。東京電力に任せるのではなく、国としてしっかりと対策を講じていく。

 スピード感を持って東京電力をしっかりと指導し、迅速かつ確実に重層的な対策を講じてほしい」――

 そして安倍晋三は経済産業省、その他に対して早急に対策を講じるよう指示したという。

 経産相は早速、「スピード感を持って」と言うことなのだろう、8日に染水対策を話し合う会議を開催し、《福島第1原発の敷地内の地盤を凍らせて地中に壁をつくるための工事費について、今後、予算措置を講じることを含め、具体策を検討することにしてい〉と記事は伝えている。

 安倍晋三の発言は、今さら、何をほざいている、である。「東京電力に任せるのではなく」と言っていることは任せてきたことの対応語であろう。 

 福島第1原発の放射能汚染水を貯め込んでおく地下の貯水槽から高濃度の放射性物質を含む汚染水の水漏れが見つかったのは今年の5月である。そのため、貯水槽に保管している2万3000トンすべてを地上用タンクを製造・設置して移し、保管する作業を進めることにした。

 当然、すべて移し替えるまでに汚染水の漏出は続く。

 問題は漏出汚染水が原発敷地内に滞留し、海に流出していない状況にあるのか、あるいは地下水に紛れ込んで海に流出している状況に見舞われているのか、いずれかが問題となる。
 
 東電は海への流出はないとしていたが、国はその時点で絶対あってはならないこととして東電の作業を監視していなければならなかったはずだ。監視する責任を負っていた。

 監視責任の措置として原子力規制委員会と資源エネルギー庁それぞれが汚染水対策検討の会合を立ち上げ、専門家を交えて議論していたということだが、7月22日、汚染水の海への流出が判明、国の監視は役に立っていなかった。いわば責任を果たすことができていなかったことになる。

 もししっかりと監視し、その責任を果たしていたなら、安倍晋三の「東京電力に任せるのではなく、国としてしっかりと対策を講じていく」という、東電に任せていたことの対応語でしかない言葉は口が腐っても出てこなかっただろう。

 だが、現実は「国としてしっかりと対策を講じていく」ことなく東京電力任せとなっていて、いわば東京電力へのほぼ丸投げ状態となっていて、今回の事態に至った。

 「スピード感を持って東京電力をしっかりと指導し」とは何と白々しい言葉なのだろう。このような白々しい言葉を尤もらしげな顔をして吐くことができる。

 「スピード感」は最初から持っていなければならないもので、今更ながらに口にする言葉ではない。

 「迅速かつ確実」にして「重層的な対策」にしても、東電の対策と併行して、それを指導する形で実行していかなければならない対策だったはずで、問題が重大化するのを放置しておいて、重大化してから言うべき言葉ではない。

 大体が東電は事実と異なる情報発信、放射能測定値等の記録の過少申告情報、公表せずに、後になってから公表する情報の一時的隠蔽等々の前科があり、そういった体質の企業であることは周知の事実となっているのである。

 東電が企業体質として抱えるこのような周知の事実に対しても「東京電力に任せるのではなく、国としてしっかりと対策を講じてい」く責任を負っていたはずだ。

 だが、口先ばかりで、満足な対策を講じてこなかった。

 例えば、「NHK NEWS WEB」記事の解説を借りて説明すると、今年5月、2号機海側の放射能濃度観測用井戸地下水から高濃度の放射性物質が検出され、連動するように港の海水でも放射性物質の濃度が上昇したが、東電は汚染水の海への流出を認めなかった。

 ところが、その後、井戸の地下水が海の潮位と連動して上下していることが判明、観測用井戸地下水からの高濃度放射性物質検出の5月から2カ月経った7月22日になって、東京電力は汚染水の海への流出が続いていたことを初めて認めた。

 東電は海への流出の情報公開が遅れた理由の報告書を7月26日、外部の専門家で作る社内改革の委員会に提出している。《東電の対応に厳しい批判》NHK NEWS WEB/2013年7月26日 17時40分)

 報告書「風評被害を懸念したため、リスクを積極的に伝える姿勢より、最終的な根拠となるデータが出るまで判断を保留することが優先された。

 (地下トンネル内の汚染水は事故直後から把握していたが)具体的な対策検討が不十分だった。経営層全体のリスク管理の甘さや会社の考え方と社会との間にずれがあった。不安や懸念を生む場合でもリスクの公表を優先する」(下線部分は解説体を報告文に変更)

 廣瀬東電社長の記者会見。

 廣瀬社長「リスクを社会に伝える取り組みを進めているが、全く不十分で大変申し訳ない。事故の教訓を生かした対応ができておらず、安全文化も変わったとは言えない状況で、痛恨の極みだ」――

 国による前々から言われていた東電のこのような企業体質に対する放任が東電の放射線汚染水の海への流出対策の遅れを招いた一因ともなっているはずだ。

 ではどのくらい流出しているのか、経産省が8月7日、概算を公表している。《汚染水流出 概算で1日300トンか》NHK NEWS WEB/2013年8月7日 19時49分)

 第1原発の地下には毎日約1000トンの地下水が山側から流れ込み、このうち約300トン程度が高濃度放射性物質が検出された井戸の周辺を通り、汚染水となって海に流出していると推測している。

 残りの700トンのうち、400トンは1号機から4号機の建屋地下に滞留、300トンは汚染されずに海に流出している計算だそうだ。

 記事によると、東電は汚染水の海への流出防止のため、護岸沿いの地盤を特殊な薬剤で壁のように固める工事や雨水の流入防止用に地表をアスファルトで舗装する工事を進めているが、こうした工事が完了しても60トン程度は流出すると計算している。

 東電敷地内の地表をいくらアスファルト舗装しても、敷地山側に降った雨が山肌に滲みて地下水となってアスファルト下を通って、放射能物質と混ざって汚染水と化すことを考慮した60トン程度の流出ということなのだろう。

 経産省のこの概算は東京電力の地下水位などのデータを参考にしたもので、流出量や汚染の程度等、詳細な分析値ではないとしている。

 また流出が始まった正確な時期は把握できず、事故直後から続いている可能性は否定できないとしているという。

 地下水が放射性物質の海への運び屋を担っている犯人であるなら、事故直後からの可能性は十分に考えられる。

 この経産省の概算について東電は8月7日の夕方、記者会見を開いている。

 今泉典之東電本部長代理「実際どれくらいの汚染水が海に出ているのかはっきり言えない。『300トン』という数字は聞いていないので、確認させてほしい」――

 東電自身が調査し、確認するということなのだろうが、「『300トン』という数字は聞いていない」ということは東電関係者は加わっていない経産省の概算作業ということになる。

 経産省が概算をこの時期に公表したのは単に公表できる時期がこの時期だったということなのかもしれないが、問題はこのような概算作業に立ち向かっていながら、東電の地下水位等のデータを参考にしただけで、東電関係者を加えていなかったばかりか、概算作業の過程で、概算できたデーターを順次東電に情報提供して、汚染水対策の役に立てなかったことである。

 少なくとも汚染水対策に「スピード感」を持たせるべく働きかけるべきだったが、働きかけなかった。単に「1日300トン」という海への流出量の計算等にとどまった。

 要するに経産省の概算作業の例を見ても分かるように、国はこの間、東電を厳しく監視し、必要に応じて「スピード感を持って東京電力をしっかりと指導し、迅速かつ確実に重層的な対策を講じ」てこなかった。

 もし講じてきたなら、2カ月後に放射能汚染水の海への流出を認めるといった遅滞は生じなかったろうし、少なくとも東電が汚染水の海への流出を認めた7月22日から2週間も経った8月7日になって政府が原子力災害対策本部会合を開催、本部長の安倍晋三が対策の指示を出す事態はもっと早くに行われていたはずだ。

 原子力災害対策本部会合開催が遅れたのには経緯がある。

 東電が汚染水の海への流出が続いていたことを初めて認めた7月22日から2週間経った8月6日、政府が原子力災害対策本部会合を開催して東電の汚染水対策を討議した8月7日の前日、内堀福島県副知事が原子力規制庁を訪れて森本英香次長と面会し、福島第一原発の汚染水の問題や廃炉に向けた取り組みに関する要望書を手渡している。

 《福島県 国が汚染水対策指導を》NHK NEWS WEB/2013年8月6日 15時47分)

 要望の内訳は――

○国が前面に立って責任を持ち、廃炉への取り組みを着実に進めること。
○汚染水の海への流出を防ぐ対策や地下のトンネル等に滞留している汚染水の処理などについて、東京電力への指
 導を徹底すること。

 内堀福島県副知事「対策を講じた結果、逆に地下水が上昇し、新たな流出のおそれが生じるなど、場当たり的な対応を大変心配している」

 森本英香次長「ここまでの事態になるとスピード感が大切なので、しっかり対応したい」――

 内堀副知事は経済産業省の赤羽一嘉副大臣とも面会、要望書を手渡し、要望のすべてを終えてから、記者たちに発言している。

 内堀福島県副知事「海への流出の認識が非常に遅れたことによって、東電の対応は後手に回った。国が一体となって、先手を取って対策に乗り出し、スピード感を持って結果を出してほしい」――

 原子力規制庁の森本英香次長も、「ここまでの事態になるとスピード感が大切なので、しっかり対応したい」と、安倍晋三と同様に「スピード感」という言葉を使っているが、自身が言っていることの矛盾に気づいていない。

 スピード感はありとあらゆる対策に最初から必要不可欠・大切な行動要素であり、「ここまでの事態にな」ってから「大切」となる行動要素ではない。

 それを、「ここまでの事態になるとスピード感が大切なので、しっかり対応したい」と言っていることは、国が「スピード感」を持たせた対応、しっかりとした対応を怠ってきたことの証明としかならない。

 内堀福島県副知事が原子力規制庁を訪れて要望書を手渡した8月6日と同じ日、福島県や原発周辺の自治体の担当者や原子力専門家等が構成員となっている福島県廃炉監視協議会も第1原発を視察している。勿論、放射能汚染水の海への流出という事態を受けた視察である。

 《汚染水 福島関係者が緊急視察》NHK NEWS WEB/2013年8月6日 18時50分)

 協議会のメンバー1「問題が起きてから手を打つ対症療法だけでなく、先を見据えた対策を取るべきだ」

 協議会のメンバー2「対策を打つたびに新たな問題が起き、モグラたたきのような状況が続いている。問題がいつ収束するのか方向性を示してもらいたい」

 小野明第1原発所長「自分たちの目線ではなく、世間や県民の目線でものを考えないとだめだ。できうる対策を早急に進めていく」――

 安倍晋三の「スピード感を持って東京電力をしっかりと指導し」が今更言うべき言葉でないと同様に、小野明所長の「自分たちの目線ではなく、世間や県民の目線でものを考えないとだめだ」にしても、今更ながらに言うべき言葉ではない。

 最初から、「自分たちの目線ではなく、世間や県民の目線でものを考え」ていたなら、今頃になって上記発言を口が裂けても言うことはしなかったろう。

 要するにこれまで「世間や県民の目線でものを考え」ずに、「自分たちの目線で」考えてきた。そのことにこの場に及んで気づいた。

 廣瀬東電社長が「リスクを社会に伝える取り組みを進めているが、全く不十分で大変申し訳ない」と言っていることと同じで、社内文化(=企業内文化)でのみ対応し、社会文化(=企業外文化)で対応してこなかったということなのだろう。

 要望書提出や視察といった動き、批判や抗議の声が出て初めて国をして腰を上げさせることになり、東電任せにしてきた軌道の修正を図ることになって、安倍晋三は原子力災害対策本部会合を開催、「スピード感を持って東京電力をしっかりと指導し、迅速かつ確実に重層的な対策を講じて」いくことにしたということなのだろう。

 実態は「スピード感」も何もなかったということである。いわば口先だけの「スピード感」に過ぎない。

 何と言う後手の対応なのだろうか。後手の対応でありながら、「スピード感を持って」などと言う。

 2012年12月26日の首相就任記者会見――

 安倍晋三被災地の心に寄り添う現場主義で、復興庁職員の意識改革、復興の加速化に取り組んでいただきます」

 2013年1月1日、年頭所感――

 安倍晋三「忘れてはならないのは、二度目の冬を迎え、未だに仮設住宅などで不自由な生活を送られている被災地の皆さんのことです。就任最初の訪問地として、私は迷うことなく福島を選びました。未だ故郷に戻れない方々の厳しい状況に正面から向き合い、被災者の心に寄り添っていかなければなりません

 2013年1月7日、政府与党連絡会議・冒頭挨拶――

 安倍晋三「東日本大震災の被災地は、2度目の寒い冬を迎えることになりました。被災地の皆様の心に寄り添う現場主義で、復興の加速化に取り組んでまいります」

 福島県いわき市漁業協同組合が8月7日、会議を開き、9月開始予定の試験操業を延期する方針を決めた。《9月の試験操業、延期へ 汚染水問題で いわき市漁協》MSN産経/2013.8.7 13:38)

 勿論、記事に書いてあるように東電が7月22日に海への放射能汚染水流出を認めたことに端を発した試験操業延期の方針であり、風評被害回避の方針であろう。

 矢吹正一組合長「消費者に、お金を出して食べてもらうのだから(汚染水問題が収束し)胸を張って出荷できるまで延ばした方がいい。

 開始時期は、今後の放射性物質のモニタリング結果や原発の状況を見て検討する」(下線部分は解説文を会話体に変更)

 国が東電任せにしてきたことの一つの結末である。

 特に「被災地の皆様の心に寄り添う現場主義」といった美しい言葉に対しては言行一致か言行不一致か、その有効性を常に監視していかなければならない。

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野党は麻生と飯島の安倍晋三任命責任を問う予算委開催要求の国民向け一大キャンペーンの場外乱闘に持ち込め

2013-08-07 08:51:33 | 政治



 7月29日の東京都内の講演で、憲法改正問題の手口について、「ナチスの手口を学んだらどうか」と発言したことに対して野党6党が与野党国会対策委員長会談で今の国会で安倍晋三の出席も求めて予算委員会の集中審議や閉会中審査を行うよう求めたが、与党は拒否している。

 《与党 予算委開催応じられない》NHK NEWS WEB/2013年8月6日 14時37分)

 鴨下自民党国会対策委員長「麻生副総理は既に遺憾の意を表して発言を撤回しており、この問題は決着していると考えている」

 野党側「麻生副総理の発言は許し難く、早急に真意を聞き、内閣の見解をたださなければならない」――

 野党側はなお予算委員会の集中審議や閉会中審査を行うことなどを求めたが、会談は平行線のまま終ったという。

 自民党に対して都合の悪い追及を求める巨大与党相手の戦いである。特に安倍晋三は第1次安倍内閣で閣僚の発言で支持率を下げ、参院選自民党大敗の一因ともなった苦い経験があるから、閣僚の失言に対する国会審議には拒否感は強いはずで、当たり前の国会対策委員長会談では数を背景として弱みは何一つない見せる必要はない自信を武器に一度拒否すると決めた強硬姿勢はなかなか突き崩せるものではないはずだ。

 なぜ野党は予算委や閉会中審査開催問題を国体の場でのみ決着を図ろうとはせず、街頭に繰り出して、最早国内だけの問題ではなくなり、国際問題化した麻生発言の責任、麻生を自民党副総裁兼財務大臣という重大な地位に就けた安倍晋三の任命責任を与党はウヤムヤにしようとしているという国民向け一大キャンペーンの場外乱闘に持ち込まないのだろうか。

 何も街頭活動は選挙のためにのみあるわけではないはずだ。行えば、テレビや新聞がニュースとして取り上げもするだろうし、情報バラエティ番組も情報拡散の役目を担うかもしれないし、一般市民がツイッターやフェイスブックで情報発信して、共鳴者の輪を広げる可能性も十分に考え得る。

 鴨下自民国対策委員長は「麻生太郎既に遺憾の意を表して発言を撤回している」と免罪しているが、発言を撤回しても、認識の程度は残る。だから失言を繰返す事になるとブログにも書いたが、その失言の例をいくつか挙げてみる。

 第1次安倍内閣時の2007年7月29日投開票の2007年7月12日参院選スタートの日、当時外相だった麻生太郎の神戸市街頭演説での名言。

 麻生太郎「奥さん方に分かりやすく言えば、小沢一郎の顔を取りますか、安倍信三の顔を取りますか?

 どちらが奥さんの趣味に合いますか。それが問われる」――

 「奥さん方」は顔の趣味で支持政党を判断すると見做すレベルの認識能力で以って、女性の認識能力の程度を推量し、貶めた。

 女性蔑視そのものの認識を麻生太郎は自らの体質の一つとしているということである。

 政権を投げ出した安倍晋三の跡を継いで首相となった麻生太郎の2009年8月23日夜の大学生主催イベント「ちょっと聞いていい会」での発言。

 大学生「結婚するのにまずお金が必要で、若者にその結婚するだけのお金がないから結婚が進まないで、その結果、少子化が進むと思うんですが」
 麻生太郎「カネがねえから結婚できねえとかいう話だったけど、そりゃカネがねえで結婚しない方がいい。まずね。そりゃ、オレもそう思う。そりゃ、迂闊にそんなことはしない方がいい。

 ・・・・・・・・・

 ある程度生活をしていけるというものがないと、やっぱり自信がない。それで女性から見ても、旦那をみてやっぱり尊敬する、やっぱりしっかり働いている、というか尊敬の対象になる。日本では。日本ではね。

 従って、きちっとした仕事を持って、きちっとした稼ぎをやっているということは、やっぱり結婚をして女性が生活をずっとしていくに当たって、相手の、男性から女性に対しての、女性から男性に対しての両方だよ。両方がやっぱり尊敬の念が持てるか持てないかというのがすごく大きいと思うね。

 それで、稼ぎが全然なくて尊敬の対象になるかというと、余程の何か相手でないとなかなか難しいんじゃないかなあという感じがするんで、稼げるようになった上で結婚した方がいいというんでは、オレもまったくそう思う」――

 男女双方の相手に対する尊敬可能性の条件として一定程度以上の職業とカネ(=収入)を制限として、その制限を以って結婚の条件としている。

 そして最後に「稼ぎが全然なくて尊敬の対象になるかというと、余程の何か相手でないとなかなか難しいんじゃないかなあという感じがする」と例外を設けているが、発言の趣旨は変わらない。

 確かに社会の現実は職業とカネ(=収入)を結婚の条件とする趨勢にあるが、このような現実が職業とカネ(=収入)で人間を価値づけるという差別観を裏合わせている現実に向ける目を持ち合わせていない。その程度の認識力だということである。

 政治家であり、一国の首相を務めているなら、貧しい若者を可能な限り減らしていく政策を講じて、若者の結婚人口を増やし、併せて出産数を増やして少子化対策の一助とするといった発想がない。

 そのような発想を以って初めて学生の問いに対する直接的な回答となるのだが、政治家であること、首相であることを忘れて、ちょっと世事に長けた世話役程度の知恵を披露したに過ぎない。

 第2次安倍政権下の2013年1月21日開催の有識者構成・政府「社会保障制度改革国民会議」第3回会合では、終末期医療患者を称して、「チューブの人間」(YOMIURI ONLINE)と言ったというが、これ程の人間蔑視はないだろう。

 かくこのように認識程度の低い、劣悪な人物を、それゆえに失言を繰返すことになるのだが、副総理兼財務大臣として任命した安倍晋三の任命責任は重大である。麻生を無罪放免して自らの任命責任の無罪放免をも謀るのは言語道断である。

 もう一人、安倍晋三の任命責任を問わなければならない人物がいる。飯島勲内閣官房参与である。

 飯島勲は安倍晋三の指示で北朝鮮を5月14日訪問、5月18日午後帰国の秘密ではなくなった秘密外交を敢行(観光?)し、北朝鮮のナンバー2の金永南最高人民会議常任委員長と会談、拉致問題を話し合ったという。

 政府が飯島訪朝の報告を何もしない中、飯島勲は7月5日夜、訪朝後初めてBSフジのテレビ番組に出演。

 飯島勲「近い時期には横並び一線で全部解決する。動き出すのは遅くとも参院選の後。(9月下旬の)国連総会の前までには完全に見えてくる。

 訪朝に先立ち、拉致被害者の即時帰国、真相究明、実行犯の引き渡しを要求すると事前に伝えていた。

 (金永南最高人民会議常任委員長が会談に応じたことについて、拉致問題を)一気に解決する意志がある」(時事ドットコム)(下線は解説文を会話体に直した)

 ところが、既にブログに書いたが、7月28日の日曜日午後の長野県辰野町の講演での発言。

 飯島勲「圧力をかければ解決するという考えはとんでもない。対話が必要だ。

 私(の訪朝)が第1幕。1、2カ月の間に必ず第2幕の反応が出てくる」(時事ドットコム)――

 自身の訪朝・会談が拉致問題の解決に向けた進展に十分に役立っていることを証明する発言となっている。極端な言い方をすると、拉致解決は後は時間の問題だと言っているに等しい。

 また同じ辰野町の講演で日中関係について発言している。

 飯島勲「今月13日から16日まで北京に滞在し、名前やポストは言えないが、それなりの要人と3日間いろいろな会談をした。日中首脳会談をどうするか。この問題1点に絞って、言いたいことを言わせてもらった。

 政治は本当に言いたいことを言えば、必ず伝わるはずだ。中国も日本の力をいろいろと借りたい部分があり、私の感触では、そう遠くない時期に日中首脳会談は開かれると思う」(NHK NEWS WEB)――

 日中首脳会談開催に向けた環境づくりが自身の訪中が功を奏して、進んでいるかのような発言となっている。

 ところが、拉致問題に関しては辰野町講演翌日の7月29日、古屋拉致問題担当相がベトナムを訪問して、グエン・タン・ズン首相と会談、飯島勲が拉致に関して言っている「1、2カ月の間に必ず第2幕の反応が出てくる」が事実なら必要はない拉致問題協力を要請している。

 この矛盾は飯島発言が事実でないことの証明としかならない。

 「1、2カ月の間に必ず第2幕の反応が出てくる」が事実なら、日本政府は今頃、北朝鮮との拉致問題討議の会談に向けて最強のチームを構成、相手の想定し得る態度に対する日本側の対応を検討する想定問答を含めたシミュレーションに時間を費やしているはずだ。

 当然、実務に関しては古屋担当相が先頭に立つ必要から、ベトナムを訪問して拉致問題の協力を求める必要も暇もないことになる。

 飯島勲の日中首脳会談開催の環境整備が自身の訪中によって如何にも進み始めたかのような発言にしても、中国側の否定が何らかの意図による偽装と考えることができたとしても、伊原外務省アジア大洋州局長が8月4日に北京入りし、8月5日、中国外務省でアジア担当の劉振民外務次官と行った会談と矛盾することになる。

 《訪中の外務省局長、中国外務次官らと会談》日テレNEWS24/2013/8/6 13:57)

 8月6日、北京国際空港で記者団の質問に次のように答えている。

 伊原局長「劉振民副部長(外務次官)をはじめとする中国外交部(外務省)の方とは、まさに日中間の懸案(尖閣問題や歴史問題)を中心として意見交換をし、お互いの立場を述べ合った。

 (外相や首脳レベルの会談について)やり取りはあったが、今の時点で説明できることはない」

 成果はなかったと言っている。もしも外相や首脳レベルの会談開催に向けた環境づくりの何らかの進展が日中間にあったなら、尖閣諸島沖の日本の接続水域では外国の管轄権行使は認められないにも関わらず、まさに伊原局長と劉振民副部長(外務次官)が会談を行なっていた同じ日の8月5日午後、中国海警局所属の「海警2101」が中国漁船に乗り移って立入検査を行うといった、認められていない管轄権行使のデモンストレーションは控えるだろうし、翌日の8月6日に日本の接続水域を、いくら航行が認められているとは言え、領海内への侵入が引き続いて行われていた例から言っても、控えるはずだが、そういった様子がないことも、伊原局長の訪中が成果がなかったことの証明としかならない。

 では、飯島勲の「私の感触では、そう遠くない時期に日中首脳会談は開かれると思う」は如何なる事実を示すことになるのだろうか。

 大体が菅官房長官自身が7月29日の記者会見で飯島発言を否定している。

 菅官房長官「(飯島発言は)個人的な見解だ。政府としては『いつ』とめどが立っているわけではない。

 飯島さん独特の人脈で行かれた」(asahi.com

 記事。〈政府の関与を否定した。〉――政府派遣の訪中ではないということである。

 飯島発言は単なるハッタリなのか、広い人脈と自己外交能力誇示なのか。

 問題は安倍晋三が任命責任を負う内閣官房参与であるということである。国民の税金から、かなりの報酬も得ているはずだ。そのような人物が事実の進展と異なる情報発信をテレビや講演といった公の場で行なっている。

 しかも安倍晋三も菅官房長官も上司の立場から、注意を促すこともしない。少なくとも5月5月18日午後の訪朝帰国から7月28日の長野県辰野町の講演までの1カ月半近く、非公開の場でもどこでどう自己能力誇示の情報発信をしているのか分からないのだから、注意もせずに放任していたことになり、この一事を取ってしても、重大な任命責任は免れることはできないはずだ。

 野党は麻生発言と飯島発言の責任、さらに両者に対する安倍晋三の任命責任を国会の場で問うことが国対委員長会談で妨げられた場合、野党は追及を自らの正義と見做しているはずだから、街頭に繰り出して、予算委開催か閉会中審査開催を国民に訴える一大キャンペーンの場外乱闘に持ち込み、その正義実現を全うすべきである。

 実現できないとしたら、巨大与党を前にした野党としての存在価値が問われることになる。いわば数の力でしか勝負できない政治の一端を担い、そのことに満足するしかない野党に成り下がることになる。

 参考までに――

 2009年8月25日当ブログ記事――《麻生の「カネがねえなら、結婚しない方がいい」発言に見る“若者理解度” - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》

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安倍晋三の自己の靖国参拝正当化のためにはオバマ大統領の訪日時の靖国参拝を実現しなければならない

2013-08-06 08:22:19 | 政治

 

 日米両政府はオバマ米大統領が来年春にも日本を公式訪問する方向で調整に入ったとマスコミが伝えている。

 安倍晋三が靖国神社を参拝するのはそこに眠っているのは国のために戦い、命を落とした兵士の魂であって、既に戦争の目的や理念とは関わりがないからだとしている。
 
 7月4日参院選公示前日の7月3日日本記者クラブでの9党党首討論。

 倉重篤郎毎日新聞論説委員「8・15と秋季例大祭に対する姿勢を聞かせてください」

 安倍晋三「ま、これは今までも何回も言い続けておりますように、え、国のために戦い、命を落とした人たちのために祈り、そして、尊崇の念を表す。私はそれは当然なことなんだろうと、えー、思いますし、非難される謂れはないんだろうと、この王に思います。

 そして靖国に、えー、眠っている、まさに兵士たち、国のために戦ったわけで、これはアーリントン墓地には南軍と北軍の兵士が眠っています。

 そこにいわゆる行って、えー、亡くなった兵士の冥福を祈る。大統領も祈りますね。しかし、それは南軍の兵士が眠っているからといって、奴隷制度を肯定するわけでは全くないわけであって、そこに眠っているのはそうした理念ではなくて、ただ国のために戦った兵士たちの魂なんだろうと、このように思います。

 これが私の基本的な考え方であって、えー、今、靖国問題についてですね、行く行かないということ、自体が、これは外交問題に発展していくわけでありますから、今そのことについて申し上げるつもりはありません」

 倉重篤郎「アーリントン墓地のケースをよく言われますけれども、あれは内戦であって、南北戦争という内戦であって、あの国の人達が葬られている。しかし、靖国はですね、中国との戦いであり、そこには日本の人しか埋葬されていない。ちょっと違うと思います」

 安倍晋三「それは全然、あのー、間違っていると思います。それはあの、アメリカのケビン・ドークという教授がですね、えー、13代であります。えー、教授が、彼自身はクリスチャンなんですが、えー、彼は、まあ、哲学論として述べているのであって、内戦、えー、あるいは外国との戦いとは関わりないということを彼ははっきりと言っています。

 まあ、そういうことではなくて、戦った兵士の魂に対してどういうことかということや、そこにいわば、、あー、戦争の目的、あるいは理念とは関わりがないということであろうと、このように思います」――

 要するに戦死者は侵略戦争だ、植民地支配だといった「戦争の目的、あるいは理念」とは最早関係なく、国のために戦った魂として眠っている。そのような魂を追悼するための参拝だと靖国神社参拝を正当化している。

 安倍晋三は自己正当化の補強理論としてケビン・ドーク米国ジョージタウン大学教授の言葉を持ち出している。その言葉は安倍晋三著『美しい国へ』の74ページに記載されている。

 ケビン・ドーク「米国のアーリントン国立墓地の一部には、奴隷制度を擁護した南軍将兵が埋葬されている。小泉首相の靖国参拝反対の理屈に従えば、米国大統領が国立墓地に参拝することは、南軍将兵の霊を悼み、奴隷制度を正当化することになってしまう。しかし、大統領も国民も大多数はそうは考えない。南軍将兵が不名誉な目的のための戦いで死んだとみなしながらも、彼らの霊は追悼に値すると考えるのだ。日本の政府や国民が不名誉なことをしたかもしれない人びとを含めて戦争犠牲者の先人に弔意を表すのは自然であろう」――

 安倍晋三は自身が「魂」と言っている対象をケビン・ドークの発言を紹介する場合は、「霊」という表現を用いている。最早「戦争の目的、あるいは理念」には関係ないんだと。彼らは「魂」であり、「霊」なんだと。「魂」あるいは「霊」を祀ることにどこに不都合がある。ない以上、参拝・追悼の意味を認めなければならないのだと。

 では、どのような「魂」であり、「霊」なのかと言うと、「国のために戦った」「魂」であり、「霊」なのだと。

 国のために何を戦ったのかというと、勿論、当時の日本国家が目的とし理念を持たせた戦争ということになる。にも関わらず、「戦争の目的、あるいは理念」に最早関係しない「魂」として、あるいは「霊」として眠っているとすることができる。

 このような論理を何ら矛盾を感じることなく成り立たせることのできる安倍晋三の合理性は素晴らしい。

 いずれしても、安倍晋三以下、靖国神社を参拝することも、米国大統領がアーリントン国立墓地を参拝することも同じ行為だと価値づけている。

 だからこそ、安倍晋三は訪米すると、アーリントン国立墓地を訪れ、無名戦士の墓に献花するのを自らの使命としているのだろう。

 2013年2月28日衆院予算委で、安倍晋三は靖国参拝について次のように答弁している。

 桜内委員「日本維新の会の桜内文城です。

 本日は、総理が訪米から帰国されまして、その集中審議ということで、外交問題等について御質問するつもりですが、具体的な質疑に入る前に、冒頭、安倍総理に所感をお伺いしたいことがあります。

 今回、アメリカに行かれたときに、アーリントン墓地、無名戦士のお墓に行かれたというふうに報道されております。大変いいことだというふうに考えます。我が国の総理が外国にお邪魔した際に、そのように、無名戦士のお墓、国のために命を捧げた方のところに参拝される、翻って、日本国内において、残念ながら、今、諸事情があって、総理が靖国神社に参拝されることがなかなか難しい状況にあるのも現状です。

 これについて、総理、どのようにお考えになるでしょうか」

 安倍晋三「先般、訪米した際に、アーリントン墓地に参拝をいたしました。それはつまり、アメリカのために戦い、命を失った兵士たちに敬意を表するためであり、これは国際的な儀礼として、首脳間の訪問の際に行われることでございます。

 訪米の際に、CSIS(米戦略国際問題研究所)というところで講演をしたのでありますが、そこで質問を受けることになっておりまして、場合によって、私の靖国参拝について質問が出るかもしれないと思って、私なりに答えを用意していたわけでありますが、それはつまり、アーリントン墓地に私は参拝をいたしました、それは国のために戦った兵士たちに敬意を表することであり、これは当然のことであろうと私は思いますと。その中において、日本においては、靖国神社に祭られている、日本のために戦い命をささげた英霊に対して、国のリーダーが敬意を表するのは当然のことではないかと私は思うと申し上げようと思っていました。

 かつ、アーリントン墓地には南軍の兵士も北軍の兵士も眠っているわけでありまして、それは、例えば南軍の兵士が南北戦争において奴隷制度を堅持するために戦ったという理念とはかかわりなく、それはすなわち、国のために戦ったということで敬意を表するのであって、その理念とはかかわりがないということについてもお話をさせていただこうと思っておりました。

 いずれにせよ、国のために戦った英霊に対して敬意を表する、これは当然のことであろう、このように思っております」――

 訪問相手国の戦没者墓地を「首脳間の訪問の際」に参拝、献花等を行うことは「国際的な儀礼」だとしている。

 だとしたら、日本の靖国神社の場合、「国のリーダーが敬意を表する」だけではなく、外国の首脳が日本を訪れた際、靖国神社を参拝、献花して「敬意を表する」ことが国際的な儀礼ということになる。

 また、そうなってこそ、靖国神社に関わらず各国の戦没者墓地に眠っている兵士はもはや「戦争の目的、あるいは理念」には関係ない、「国のために戦った」魂、あるいは霊であって、参拝・追悼の意味が生じるとする安倍晋三の靖国神社を超えた各国の戦没者墓地参拝・追悼に関わる思想・哲学が日本のみならず、世界からも正当化を受け、国際的な認知を得ることができることになる。

 このように安倍晋三の靖国参拝論を超えた世界各国の戦没者墓地参拝論の世界的正当化のためにも、安倍晋三は日米両政府が来年春にも日本を公式訪問する方向で調整に入ったとしているオバマ米大統領の訪日が実現した際には、「首脳間の訪問の際」「国際的な儀礼」としても、オバマ大統領の靖国参拝を実現する責任を負ったと言うことができる。

 もし実現できず、オバマ大統領から拒否された場合、安倍晋三の靖国参拝を超えた世界各国の戦没者墓地参拝・追悼に関わる思想・哲学は破綻することになる。

 靖国神社を含めた世界の戦没者墓地に眠っている兵士は「戦争の目的、あるいは理念」には関係ない、「国のために戦った」魂、あるいは霊であるとする安倍晋三の論理は、少なくとも靖国神社を対象とした場合はオバマ大統領から無効の判決を受けたことになる。

 さらに奴隷制度を肯定した南軍の兵士が祀られているアーリントン墓地を米国大統領はその肯定のために参拝するわけではないとする論理を用いて、安倍晋三が自身の戦争肯定のために参拝するわけではないとしている靖国神社参拝正当化にしても、その有効性を失うことになる。

 なぜなら、米国大統領のアーリントン墓地参拝が奴隷制度肯定のためではなくても、安倍晋三の靖国神社参拝が戦前の日本の戦争の肯定である可能性は捨て切れないことからのオバマ大統領の靖国神社参拝拒否ということもあり得るからだ。

 アメリカでは安倍晋三は強固なナショナリスト(国家主義者・国粋主義者)と見られている。

 また、オバマ大統領は自身の靖国神社参拝が中韓の反対と反発を誘うことを理由に断ることはできない。安倍晋三の思想・哲学、その歴史認識が正しいと判断した場合は、その正しさを中韓に対しても訴えなければならないからだ。

 あくまでも安倍晋三の思想・哲学、その歴史認識が正しいか否かの判断を基準に参拝を決めなければならないはずだ。

 但し、オバマ靖国参拝は8月2日公表の米議会調査局報告書に反することになる。

 《8月15日の靖国参拝に懸念=米国益にも悪影響-議会報告書》時事ドットコム/2013/08/03-09:40)

 報告書安倍首相や安倍内閣の閣僚が終戦記念日の8月15日に靖国神社に参拝すれば、周辺地域の緊張を再び高める可能性がある。

 安倍首相や閣僚による歴史問題に関する発言と行動は、周辺国との関係を不安定にさせ、米国の国益を損ねるとの懸念を高めてきた。

 靖国参拝のほか従軍慰安婦や島根県・竹島の問題などに関する首相の対応は近隣諸国だけでなく米国からも引き続き注視されていく」(下線部分、解説文を会話体に直す)

 だが、報告書は安倍晋三の思想・哲学、その歴史認識が正しいか否かの判断に則った内容ではなく、招くであろう近隣諸国との緊張を判断の基準にしたアジア・太平洋地域の不安定化への警告であって、安倍晋三はこのような米国の懸念という障害を乗り越えなければならないし、既に乗り越える意志を示している。

 《官房長官 靖国参拝は各閣僚判断に任せる》NHK NEWS WEB/2013年8月5日 13時35分)

 8月5日午前の記者会見。

 菅官房長官「国のために戦って、尊い命を犠牲にされた方に対し、手を合わせてご冥福を祈り、尊崇の念を抱くのは、どこの国でも同じだと思っている。

 (8月15日終戦の日」の参拝について)政府として、『行くべきだ』とか『行かないべきだ』ということは差し控えるのが、安倍内閣の基本的な考え方なので、各閣僚が私人の立場で参拝するかしないかは、官邸でどうこう言う問題ではない。

 (安倍自身の8月15日について)安倍総理はかつて、『参拝するか、しないかは言わない。行ったか、行かなかったかも言わない』ということだったので、私から答えることは差し控えたい」――

 第1次安倍内閣時に靖国神社拝を実行しなかったことを「首相在任中に参拝できなかったのは痛恨の極みだ」とまで断言したのである。米国の懸念も何のその、安倍晋三自身も他の閣僚も雁首を揃えて参拝し、オバマ大統領も参拝に巻き込んでこそ、歴史認識を含めて参拝のすべてが正当化され、世界的認知を獲得し得る。

 オバマ大統領の参拝が条件となる以上、訪日時のオバマ大統領靖国神社参拝要請の国民運動を盛り上げよう。 

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安倍晋三は「ナチスの手口」発言の麻生太郎の責任とその認識能力、自らの任命責任を問われなければならない

2013-08-05 04:06:18 | 政治


 
 麻生太郎に教える、過去の手口を学ぶということは手口と目的を相呼応させて得た成果をも学ぶことを言う

 手口が目的に応じて決まり、目的の実現に向けて手口が実行されていく手口と目的の相呼応する関係を考えた場合、過去の手口を学ぶということは、既にそこに現れた、手口と目的を相呼応させて得た成果をも学ぶことを言うことになる。

 確かに麻生太郎は7月29日の東京都内のホテルでの講演では、「ヒトラーは民主主義によって、議会で多数を握って出てきた。いかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違う。ヒトラーは選挙で選ばれた。ドイツ国民はヒトラーを選んだ。ワイマール憲法という当時欧州で最も進んだ憲法下にヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくてもそういうことはありうる」と警告しているのだから、ヒトラーの独裁権力掌握とその後の欧州侵略、ユダヤ人虐殺の成果を学ぶべきとする意思を覗かせた発言ではないことは分かるが、日本の政治の重要な地位を占める政治家が過去の手口を学ぶということは、既にそこに現れた、手口と目的を相呼応させて獲得した成果をも学ぶことを勧めることになるという認識もなく、「憲法はある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね」と、憲法改正の学ぶべき例として挙げる愚かさ、その客観的認識能力の欠如が問題となる。

 さらに講演では、ドイツ国民は「本当にみんないい憲法と、みんな納得してあの憲法変わっているからね」と、ドイツ国民の積極的な協力のもとに、麻生太郎が「ナチス憲法」と言っている全権委任法を成立させたように言っていながら、『発言撤回コメント』では、「喧騒(けんそう)にまぎれて十分な国民的理解及び議論のないまま進んでしまった悪(あ)しき例として、ナチス政権下のワイマール憲法に係る経緯をあげた」と、学ぶべきとした「手口」を平然として「悪(あ)しき例」にすり替えて自己正当化を謀る狡猾・鉄面皮な点も、日本の政治の重要な地位を占める政治家には自らが負い、果たすべき責任上、許されていい品性ある態度であるはずはなく、手口を学ぶということはどういうことを意味するのかに対する客観的認識能力の欠如と併せて、その政治家としての資質・責任のみならず、品性自体が問われることになる。

 当然、無認識な上に自己正当化のために前に言った言葉を180度変えてウソをつく品性のない人物を閣僚に用い、党の重職に就けた任命権者の責任も問われることになる。

 ところが、任命権者である安倍晋三は問題視しない態度――責任を問わない態度を取っている。自らの任命責任もないことになる。

 《首相「ナチス肯定は断じてない」》NHK NEWS WEB/2013年8月4日 17時3分)

 8月4日の視察先の島根県津和野町で。

 記者「野党側が今の国会での審議を求めているが、麻生氏の発言をどう考え、対応するのか」

 安倍晋三「麻生氏はすでに発言を撤回している。安倍政権として、ナチスを肯定的に捉えるということは断じてなく、あってはならないと思っている」――

 発言を撤回すれば、免罪できるなら、名誉毀損罪も詐欺罪も恐喝罪も、精神的、あるいは金銭的、物質的被害を与える前の未遂の段階であるなら、今までの名誉を傷つける発言、誤魔化そうとした発言、脅し取ろうとした発言を撤回したなら、未遂罪は問われないことになる。

 そのような発言を誘発させる認識能力が問題なのであって、発言だけの問題ではない。発言を撤回しても、認識能力の程度の低さはそのまま残る。

 だから、我が麻生太郎は問題発言を繰返すことになる。

 安倍晋三は麻生個人の地位上の資質・責任、その認識能力、品性そのものを、「安倍政権として、ナチスを肯定的に捉えるということは断じてなく、あってはならないと思っている」と、政権としての態度に置き換えて、問題なしとする狡猾なゴマ化しを見せている。

 麻生太郎の発言撤回のゴマ化しに輪をかけた安倍晋三の品性があるとは言えないゴマ化しに過ぎない。

 安倍晋三が問わずに無罪放免とし、自浄能力を発揮しないというなら、野党が国会で安倍晋三の任命責任と併せて問うしかないだろう。

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現在のところ格差拡大に役立っている安倍晋三アベノミクスのその一途向かって走り続ける危険性

2013-08-04 08:58:56 | 政治

 

 安倍晋三のアベノミクスがアメリカ経済の写し絵ではないかと思わせる記事がある。《米の景気動向 企業堅調も弱い消費 雇用「統計、見せかけ」 賃金「伸び悩み」》MSN産経/2013.8.2 09:12)

 米国内で生み出された富の総額である実質国内総生産(GDP)は、4~6月期が市場予想を大きく上回る1・7%増(年率換算)。

 その主たる要因。主要約1100社の手元資金は昨年末で過去最高の1兆4490億ドルに到達。銀行融資は2年近く拡大。株価も堅調。

 但し、その恩恵は実体経済に広く及んでいないと解説している。

 失業率は改善基調だが、まだ7%台後半の高水準。若年層を中心に職探しの断念で労働参加率低下。パート雇用増。賃金の伸び悩み、住宅の乏しい実需。米国のGDPの7割を占める個人消費の4~6月期の伸び悩みに現れた米国景気牽引の主役である消費の動きの鈍さ。

 「雇用の改善は見せかけ」との見方を伝えている。

 要するに企業は過去最高の利益を上げているが、その恩恵が一般消費者に波及していないアメリカ経済の格差状況を映し出している。

 一方の日本の安倍晋三アベノミクスは7月30日発表の6月完全失業率が4年8カ月ぶりに3%台に改善、雇用環境に明るい兆しが出ているものの、その改善は非正規中心だと次の記事が伝えている。

 《雇用改善も非正規中心 6月の失業率改善》MSN産経/2013.7.31 01:18)

 この状況を記事は次のように解説している。〈正社員の拡大など安定雇用の創出には至っていない。安倍晋三政権には、成長戦略の着実な実行で企業の設備投資意欲を引き出し、正規雇用の拡大と賃金を上げられる環境をつくり出すことが求められる。〉――

 6月の完全失業率は改善して、雇用増の状況が生まれているが、非正規中心であって、このことは今に始まってことではないから、そこに格差が拡大してく状況が引き継がれているということであろう。

 格差拡大という点で、安倍晋三アベノミクスは景気が良くなっていると言うものの、まさにアメリカ経済の写し絵となっていると言うことができる。

 雇用統計発表7月30日当日の記者会見。

 菅官房長官「(安倍政権の経済政策「アベノミクス」効果が)雇用にも波及し始めている」――

 7月30日フエイスブック。

 安倍晋三「(完全失業率が3%台へ低下したことに関して)リーマン・ショック以前の環境に戻った。さらに雇用状況を改善し、皆さんの賃金アップにつながるよう努力していきたい」――

 相変わらず中身の状況を無視した成果誇示となっている。

 記事は非正規中心の雇用改善であることの具体例として自動車産業と外食産業を挙げている。

 この具体例のみで、非正規中心であることが理解できる。海外での販売好調が続く自動車メーカーの生産現場は非正規雇用が占めていて、外食産業はパート・アルバイトで雇用を成り立たせている。

 非正規雇用は人件費抑制の役目を併せ持たせている。当然、記事締め括りの解説は次のようになる。

 〈労働力市場全体に占める非正規の比率は6月も前月比0・1ポイント増加の36・4%となった。企業の採用意欲の高まりが、賃金や安定した雇用の増加に結びつくかは予断を許さない。〉――

 同じ内容を扱ったNHK記事を見てみる。《6月の完全失業率3.9%で「改善」》NHK NEWS WEB/2013年7月30日 9時14分)

 5月比0.2ポイント改善、4年8か月ぶり3%台回復の6月全国完全失業率3.9%。

 この統計内容だけを見ると、アベノミクスの効果が国民に利益となるプラスの形で全面的に出ている様子を窺わせる。

 厚労省「完全失業者の数で見ると、男性が前の月より3万人の減少にとどまっているのに対し、女性は12万人と大幅に減っている。女性の就労者が多い医療、福祉や小売業で雇用者数が増えており、女性の雇用環境がよくなったことが完全失業率の改善につながったのではないか」――

 要するに男性の雇用は3万人しか増えていないが、女性の雇用は12万人も増えている。増えている主な現場は医療、福祉、小売業だと言っている。だが、今までの例から言って、男性よりも女性の方が安価な人件費で雇用できるという事情で女性が優先される傾向を常態的伝統としてきているのだから、厚労省の解説は人件費抑圧の状況をも映し出しているはずだ。

 菅官房長官の発言を詳しく伝えている。

 菅官房長官「雇用情勢は着実に改善しており、『アベノミクス』による景気回復に向けた動きが雇用にも波及し始めていると考えている。政府としては、引き続き『アベノミクス』の『三本の矢』を一体的に進め、早期のデフレ脱却と民間主導の持続的な経済成長を実現していきたい。そのために全力を尽くして取り組んでいく」――

 非正規雇用中心であることを無視した評価であることに変わりはない。非正規雇用中心を無視した場合、ただでさえ株高・円高で格差拡大状況を招いている上に経済格差は拡大の一途を辿ることになる。

 では、政府の統計から、完全失業率の改善=雇用の改善の内容を見てみる。

 《労働力調査(基本集計) 平成25年(2013年)6月分》(総務省統計局/2013年7月30日公表)   

 雇用形態別役員を除く雇用者(エクセル:32KB)

正規の職員・従業員(男女)
2013年5月 3323万人→2013年6月 3326万人 +3万人

非正規の職員・従業員(男女)
2013年5月 1891万人→2013年6月 1900万人 +9万人

 6月の5月比で見た場合の対正規非正規増加率3倍は格差拡大を対応させていることになり、安倍晋三アベンミクスは現状では経済格差拡大に役立っていると言うことができる。

 上記厚労省の解説が実際に人件費抑圧の状況を映し出しているかどうか、女性正規と非正規の増減から見てみる。

女性正規職員・従業員
2013年5月 1031万人→2013年6月 1037万人 +6万人

女性非正規の職員・従業員
2013年5月 1286万人→2013年6月 1283万人 -3万人

 女性の場合の非正規は5月比で3万人減っている。中には退職者もいるかもしれないが、多くは正規に組み込まれていると見ることができる。

 但し正規+非正規の全体で見た場合、役員を除く男女全雇用者に占める非正規の職員・従業員の割合が36.4%であるのに対して女性の非正規率は女性全体の2321万人に対して55%にも上る。

 少しは改善したかもしれないが、男性よりも人件費が抑制され、なおかつ女性の正規よりも非正規の女性の人件費が抑制されている雇用環境はさして変わらないはずだ。

 いわば企業側の男性非正規雇用に対するのと同じように可能な限り安く使おうとする意思が働いている女性の非正規雇用環境でもあるはずだ。

 安倍晋三がアベノミクスの柱の一つとして「女性の活躍」を打ち出し、女性が活躍しやすい環境づくりとして、「育児休業3年」を打ち出したにも関わらず、正規と非正規との経済格差に併行した男女経済格差(=男女地位格差)の状況、さらにアベノミクスが現状では経済格差拡大に役立っている状況に鈍感なまま、完全失業率が改善したとか、雇用が増えたとかアベノミクスの成果を誇ることができる。

 実態に目を向けずに統計が示す表面的な数字だけを評価基準として自己の政治を誇った場合、国民が全体的に満足を得る方向への進路を政治は取ることができるだろうか。

 現在のところ、格差拡大に役立っている安倍晋三アベノミクスはなお格差拡大の一途に向かって走り続ける危険性なきにしもあらずである。

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安倍晋三と古屋拉致担当相は拉致解決に懸命に取り組んでいるというアリバイ作りに懸命に取り組んでいる

2013-08-03 04:49:04 | Weblog


 
 7月29日(2013年)、古屋拉致問題担当相がベトナムを訪問して、グエン・タン・ズン首相と会談、拉致問題協力の要請をしたと次の記事が伝えている。

 《拉致問題で協力=越首相、古屋担当相に表明》時事ドットコム/2013/07/29-21:00)

 ズン首相「2006年の日越首脳会談でも協力で合意しており、引き続きしっかり支援していきたい」――

 この訪問自体とズン首相の発言内容から、拉致解決に懸命に取り組んでいるというアリバイ作りであることを窺わせることになる。

 古屋拉致担当相の7月29日ベトナム訪問前日の7月28日午後、飯島勲内閣官房参与が平壌空港に降り立った途端に秘密でなくなった、いわば出発から飛行に乗っている間までは秘密であった5月14日からの5月18日までの訪朝“秘密”外交の“成果”報告を長野県辰野町の講演で行なっている。

 飯島勲が7月13日から16日まで北京を訪問、中国側関係者と接触して得た日中首脳会談の見通しを話した後に自身の訪朝“秘密”外交についても、ついでなのか、自身の外交能力を誇示するためなのか、後者なのは古屋拉致担当相のベトナム訪問自体が証明しているが、発言している。

 飯島勲「圧力をかければ解決するという考えはとんでもない。対話が必要だ。

 私(の訪朝)が第1幕。1、2カ月の間に必ず第2幕の反応が出てくる」(別時事ドットコム)――

 自身が見立てたとおりの解決に向けた見通しがそれ程にも立っているなら、古屋拉致担当相の翌日7月29日のベトナム訪問、拉致問題解決の協力要請は矛盾することになる。

 だが、協力要請が偽装であるはずはないから、飯島の“成果”報告自体を外交能力誇示のガセネタと断定しなければならない。

 古屋拉致担当相は北朝鮮の労働党とパイプを持つベトナム共産党のレ・ホン・アイン書記局常務とも面会し、支援を働き掛けたということだが、北朝鮮に対して直接打つ手がないから、仕方なく周囲に協力を求めたという経緯を取っているはずだ。

 だが、そのような経緯を拉致解決に向けた取り組みの一つとしていること自体、アリバイ作りとならないだろうか。

 古屋拉致担当相は拉致被害者が拉致された現場を視察して関係者から話を聞くといったことをしているが、北朝鮮に対して打つべき手に直接的に役立っていくわけではないにも関わらず視察を行って拉致解決に向けた取り組みの一つとしているということは拉致解決に懸命に取り組んでいるというアリバイ作りそのものに過ぎないが、勿論、ベトナム協力要請が有効であるなら、アリバイ作りの疑いは晴れる。

 協力要請が有効でないことは、ズン首相の「2006年の日越首脳会談でも協力で合意しており」という発言が証明することになる。

 この日越首脳会談は2006年10月、現在と同じグェン・タン・ズン首相が訪日して安倍晋三との間で、さらに11月に安倍晋三がハノイを訪問して同じくグェン・タン・ズン首相との間で計2度行なっている。

 どちらの首脳会談か分からないが、2006年後半に日越両国が拉致解決の協力で合意して以降、2013年までの約7年間、ベトナムは拉致解決に何ら役に立っていないことを証明するズン首相の発言ということになる。

 にも関わらず、古屋拉致問題担当相はハノイを訪問、北朝鮮の労働党とのパイプに期待し、拉致解決に向けた取り組みの一つとして協力を要請した。

 アリバイ作りでなくて、何であろう。

 問題は安倍晋三までがこのアリバイ作りの一人となったことである。

 《拉致問題で協力確認=日・ベトナム首相が電話会談》時事ドットコム/2013/08/01-16:07)

 記事は発言の内容は伝えていない。7月29日古屋圭司拉致担当相のベトナム訪問に触れながら、8月1日に安倍晋三がベトナムのグエン・タン・ズン首相と電話で会談し、北朝鮮による日本人拉致問題の進展に向けベトナムに協力を求め、ズン首相は理解を示したと解説しているのみである。

 但し電話会談は参院選での自民党勝利に祝意を伝達するため、ベトナム側の申し入れで行われたと伝えていて、10月の東南アジア諸国連合(ASEAN)関連首脳会議などに向け連携していくことを確認したという。

 安倍晋三は電話会談の相手であるズン首相に2006年の首脳会談時、拉致解決に向けた協力を要請、協力一致で合意しているのである。

 だが、ベトナム共産党の北朝鮮労働党に対する太いパイプを以てしても、ベトナムの協力は今日に至るまで、拉致解決に向けた実質的進展という意味では何一つ役に立っていなかった。

 日朝の外務当局者クラスの会談開催の仲介程度は役に立っていたかもしれないが、問題は日本政府がどういった政策で北朝鮮に対して臨み、北朝鮮をして拉致問題討議のテーブルに着席させるかであって、第三国に対する協力要請云々ではないはずだ。

 やはり北朝鮮に対して打つ手を見い出すことができないために拉致解決に懸命に取り組んでいると見せかけるアリバイ作りということになるはずだ。

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麻生太郎のヒトラー発言と釈明コメントの間にある、安倍晋三の任命責任にも関わる欺瞞

2013-08-02 05:23:03 | 政治


 
 麻生太郎の、“憲法改正はヒトラーの手口がおススメ”発言がヒトラー肯定だと内外のマスコミ、政府、人権団体から批判の声が上がった。それだけ反響が大きかったということは発言内容の重大さと同時に麻生太郎の発言力の大きさを物語っている。さすが大物だなと思った。

 各マスコミが報じた翌日の8月1日午前、麻生太郎は財務省内で記者団に発言撤回を伝え、その後同じ内容のコメントを読み上げたという。マスコミによって発言の伝え方に違いが出てくることを恐れたのかもしれない。

 だが、その後いくつかのマスコミが伝えた講演での発言要旨を見る限り、どの記事も要旨に添った報道となっていて、誇張も悪意もない、そのまんまの事実提示となっているはずだ。

 昨日のブログでマスコミが伝えた麻生発言の何が問題か、自分なりに考えて記事にしたが、改めて発言要旨と発言撤回コメントから、どこに問題があるか自分なりに解釈してみようと思う。 

 《麻生副総理の憲法改正めぐる発言要旨》asahi.com/2013年8月1日1時35分)
  
 麻生副総理の憲法改正関連の発言要旨は次の通り。

 護憲と叫んでいれば平和が来ると思っているのは大間違いだし、改憲できても『世の中すべて円満に』と、全然違う。改憲は単なる手段だ。目的は国家の安全と安寧と国土、我々の生命、財産の保全、国家の誇り。狂騒、狂乱のなかで決めてほしくない。落ち着いて、我々を取り巻く環境は何なのか、この状況をよく見てください、という世論の上に憲法改正は成し遂げるべきだ。そうしないと間違ったものになりかねない。
 ヒトラーは民主主義によって、議会で多数を握って出てきた。いかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違う。ヒトラーは選挙で選ばれた。ドイツ国民はヒトラーを選んだ。ワイマール憲法という当時欧州で最も進んだ憲法下にヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくてもそういうことはありうる。

 今回の憲法の話も狂騒のなかでやってほしくない。靖国神社も静かに参拝すべきだ。お国のために命を投げ出してくれた人に敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。いつからか騒ぎになった。騒がれたら中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから静かにやろうや、と。憲法はある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね。わーわー騒がないで。本当にみんないい憲法と、みんな納得してあの憲法変わっているからね。ぼくは民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、私どもは重ねていいますが、喧騒(けんそう)のなかで決めてほしくない。

 「改憲は単なる手段だ」と言っているが、憲法は国民の権利を確かなものとするために国家権力はどうあるべきかの思想に基づいて国家権力の行使を規定した最高法規としての方法論であって、改憲にしてもこの目的に添わなければならない以上、「単なる手段」ではないはずだ。

 やはり麻生太郎にしても、安倍晋三と同様、「国家の安全と安寧と国土」を先に持ってきて、国民の「生命、財産の保全」は後回しになっている。

 そして「国家の誇り」と言い、基本的人権と生命・財産が保障されることによって成り立たせることのできる「国民個人の誇り」は省略している。

 「ワイマール憲法という当時欧州で最も進んだ憲法下にヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくてもそういうことはありうる」を憲法の宿命として把えているなら、「狂騒、狂乱のなかで決め」なかったとしても、「喧騒(けんそう)のなかで決め」なかったとしても、いわば静かな環境で決めたとしても、宿命払拭の保障となるわけではないのだから、改憲の環境は何ら関係しない要素ということになる。
 
 どうも言っていることに論理矛盾が存在する。憲法に対する危機管理(=国家権力行使に対する危機管理=国民自身による国民の権利と自由の保障を維持する危機管理)は国家権力が憲法の規定どおりに行動しているか、国民の監視が唯一最大の力ということになる。

 それらに対する国民の監視が誤った方向を取ったとき、危機管理は機能しなくなり、憲法が死文化するだけではなく、国家による権力の恣意的行使を許すことになり、当然、国民は自らの権利と自由を制限されるか、あるいは失うことになる。

 麻生太郎は「憲法という当時欧州で最も進んだ憲法下にヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくてもそういうことはありうる」と言ったなら、このような危機管理をこそ問題視すべきだったろうが、改憲の環境を重大な要素とする勘違いを起こしている。

 麻生太郎は、「憲法はある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね。わーわー騒がないで。本当にみんないい憲法と、みんな納得してあの憲法変わっているからね」と、ドイツ国民が納得し、歓迎することで様々な危機管理に対する機能不全を来たした、ヒトラーが独裁権力掌握の目的に対応させた「手口に学んだらどうかね」と確かに勧めている。

 例え本人の頭の中には手口しかなく、手口と目的が相呼応する関連性に考えが及ばなかったとしても、それは本人の頭の程度であって、頭の程度を知らずに日本の政治の重要な位置を占める人物という観点から、一般的な解釈が関連付けた発言と見做したとしても、止むを得ないはずだ。

 では、発言撤回コメントを見てみる。 

 《麻生氏が発表したコメント全文》asahi.com/2013年8月1日11時46分)
  
 麻生太郎副総理が1日に発表したコメント全文は次の通り。
     ◇

 7月29日の国家基本問題研究所月例研究会における私のナチス政権に関する発言が、私の真意と異なり誤解を招いたことは遺憾である。

 私は、憲法改正については、落ち着いて議論することが極めて重要であると考えている。この点を強調する趣旨で、同研究会においては、喧騒(けんそう)にまぎれて十分な国民的理解及び議論のないまま進んでしまった悪(あ)しき例として、ナチス政権下のワイマール憲法に係る経緯をあげたところである。私がナチス及びワイマール憲法に係る経緯について、極めて否定的にとらえていることは、私の発言全体から明らかである。ただし、この例示が、誤解を招く結果となったので、ナチス政権を例示としてあげたことは撤回したい。

 「私の真意と異なり誤解を招いた」と言っているが、例え手口しか頭になかったとしても、ヒトラーの独裁権力掌握の事実につながった「手口」の事実という関係上、「手口に学んだらどうかね」の学習は一般的な解釈としては前者の事実まで含むことになる。

 さらに、「喧騒(けんそう)にまぎれて十分な国民的理解及び議論のないまま進んでしまった悪(あ)しき例として、ナチス政権下のワイマール憲法に係る経緯をあげた」云々はこの期に及んで自己正当化を謀る狡猾巧妙な欺瞞そのものの詭弁でしかない。

 「あの手口に学んだらどうかね」とおススメしたのである。勿論、「悪(あ)しき例」は反面教師として学習する価値はあるが、講演では、「本当にみんないい憲法と、みんな納得してあの憲法変わっているからね」とドイツ国民のヒトラー憲法(=ヒトラーが成立させた全権委任法)歓迎の状況を言っていながら、コメントでは、「喧騒(けんそう)にまぎれて十分な国民的理解及び議論のないまま進んでしまった悪(あ)しき例」と言葉を180度変えていることから判断して、反面教師ではなく、正面教師としておススメしたはずである。

 安倍内閣で副総理兼財務相という重要な地位を占めている人物が平気で言葉を変える詭弁やゴマ化しで自己正当化を謀る。自らの地位に関わる使命感と責任感の欠如の裏返しとしてある言動でなくて、何であろう。

 当然、安倍晋三の任命責任に関わってくるはずだ。

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