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フランスの商工会議所「日本人は帰国後に文句」の評価は日本人が権威主義を行動様式としていることの証明

2013-08-25 07:40:22 | 政治



 次の記事がパリを中心とするイル・ド・フランス地域圏商工会議所がホテルや飲食店、タクシー業者向けに外国人観光客の国別サービス・マニュアルを作成したと紹介している。

 《日本人は帰国後に文句、中国人は…仏で注意書き》YOMIURI ONLINE/2013年8月24日07時22分)

 目的は「不親切なパリジャン」のイメージ払拭を狙って、10カ国別に挨拶やお礼の言葉を紹介した上で、国籍別に注意と扱いを兼ねた観光客の「傾向と対策」を指南する内容だそうだ。

 英国人評価「ファーストネームで呼ばれるのを好む」

 中国人評価「とにかくブランド品の買い物好き。英語が苦手で、いつも言葉の壁にぶちあたっている」

 日本人評価「安心を強く求める。(サービスに)満足できない時、その場で文句は言わず、帰国してから批判する」――

 マニュアルは小冊子で3万部が配布されたという。

 「安心を強く求める」ことと、「(サービスに)満足できない時、その場で文句は言わず、帰国してから批判する」ことは同質の精神性であるはずだ。

 勿論、電気製品や自動車のような機械類を新しく買う場合のその安心・安全は消費者自身が関与できない要素だから、他者が与える安心・安全に頼るしかないが、他者提供の安心・安全に頼ることが当たり前となった場合、頼るという姿勢は従属するという意味合いも含まれていることから、安心・安全に無条件に従属一辺倒の姿勢を条件反射とすることになる。

 結果、機械類が寿命が来て故障がちとなり、その安心・安全が失われたとき、安心・安全に対する従属性を条件反射としていることによって修理という自らの関与を力として安心・安全を取戻すのではなく、常に新しく買い換えることで安心・安全を求めるようになる。

 従属の繰返しである。

 アメリカ映画では自宅敷地内にガレージがある場合、その中に様々な工具類が存在し、ちょっとした故障は自分で直したりするシーンを見かけることがあるが、日本映画ではそんなシーンを見かけることは先ずない。

 また、このような精神性――安心・安全に対する従属性の条件反射が食品と向き合ったとき、安心・安全=健康を食品に従属させる(任せきりになる)ことになり、自らが関与可能な身体や精神の訓練・強化によって食品の安心・安全に対抗させるという従属性の排除を心がけることを、すべてがそうではないが、一般的傾向とすることになる。

 安心・安全に対するこのような従属性は「(サービスに)満足できない時、その場で文句は言わず、帰国してから批判する」、「その場」での従属性にも現れることになって、共通項をなすことになる。

 いわば満足できないサービスにその場で自らがこうしてくれと関与してサービスをよりよいものにするのではなく、そのサービスに黙って従い(サービスに黙って従属し)、最早直接的には関与できない場所で従属を排して――いわば従属から自由になって文句を言ったり、批判したりする。

 この行動性、思考様式は、いつでも言っていることだが、日本人の上は下を従わせ、下は上に従う権威主義の行動様式・思考様式から来ているはずである。

 勿論私自身も日本人で、その行動様式を色濃く持っている一人だから、自分だけ特別に違うとは言わないが、権威主義性に囚われた行動様式・思考様式は上の地位にある上司が下の地位の部下に文句を言ったり、批判すると、それが正しくない、間違っていると思っていても、部下はその場では、「ハイ、ハイ、分かりました」と文句や批判を素直に聞き入れるが、上司の目の届かない場所へ行くと、上司に対する従属性から解放されて、「何、言ってやがんだ、そんなことしたら、うまくいくはずないじゃないか、バカ野郎が」などと悪態をついたりする姿を一般的とすることになる。

 このような権威主義からの従属性は上に位置づけた価値を権威とすることによって生じることになる。上司、社長、高い家柄、歴史的な血筋、有名大学の教授、大病院の医師、社会的地位ある者、有名大学卒の学歴所有者等々、そのようなそれぞれの価値を高く価値づけ、一つの立派な権威と見做して、そのような価値に属さない自身をそれ以下の価値とし、その権威に従属させるという、人間関係を上下で測る構造を取る。

 またこの権威と権威に対する従属性は循環する。一つの会社で経営者として上り詰めたとしても、一般社会では子供の頃から、会社に勤めてからは平社員であった頃から権威主義的な上下関係を刷り込まれて、より大きな会社の経営者や親会社に当たる経営者には従属するという人間関係を取ることになり、従属性からより自由になることができるものの、完全には解放されるわけではない。

 もし企業経営に失敗して経営者の地位から滑り落ちてタダの人となり、そのことによって下に位置していた者が上に位置することになった場合、血に刷り込まれている従属性をたちまち蘇らせて、上に位置することになった者への態度とすることになるだろう。

 日本人が持つ権威主義性からの従属性は、権威とした対象に対して自身を従属した下の関係に置くことから、自律(自立)していない姿を見せることになる。

 もし自律(自立)した存在であったなら、地位上の上下関係はあっても、個の存在としては対等と見做し、相手の意見や批判を不当と見做した場合、その不当性を訴える自身の意見、もしくは主張を関与させることにになるだろう。不当と見做しながら、上の言うことだからと無条件に言いなりになって、自身の意見、もしくは主張を関与させない場合、自律(自立)した個の存在とは言えないことになる。

 このように人間関係で慣らされた権威主義性からの従属性が自身の関与を排した他者提供の安心・安全への無条件の従属性や、日本人が海外旅行した場合に限らず、「(サービスに)満足できない時、その場で文句は言わず、帰国してから批判する」、あるいは店を出てから批判する、その場での従属性に相互に共通項としている行動様式であると情報解読した。

 この解読に合理性があるかどうかは読者の判断に任せるしかない。

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