大相撲はそれ程大層な「伝統・文化」を備えているのか。国技と呼ばれるにふさわしい内容、あるいは全体的な人間性を備えているのか
脚本家・横綱審議委員会委員の内館牧子が01年3月17日の『朝日・論壇』に下記一文を寄稿している。
寄稿の動機は大阪場所の優勝力士に当時の大田房江大阪府知事が府知事賞を自ら土俵に上がって手渡したいと希望したのに対して土俵は女人禁制だからと断った相撲協会の主張を支持する目的からのもので、その主張が如何に矛盾に満ちているか、自分に都合がいい、我田引水の論理展開となっているか証明するために先ずは全文を引用しておく。重要と思われる箇所は下線を引いておいた。
≪土俵の「女人禁制」維持は妥当≫
<「私は長いこと大企業に勤務し、男社会の悲哀をいやというほど味わってきた。当然ながら男女差別には反対である。
ただ、「伝統」というジャンルに関しては、芸能であれ祭りであれ工芸であれ、現代の考え方や様式にあわせていじる必要はないと思っている。それは、当時の文化が伝承されているものであり、もとより現代の考え方や様式に合うはずはない。それを『現代』と重ねて変革を望む発想はあまりにも短絡的だ。むろん、伝統の数々は継承の途中で、少しずつ形を変えてきている。その時代のままということは不可能に近く、必要に迫られた変革もあれば、外から要求された場合もあるだろう。
ただ、その伝統の「核」を成す部分の変革に関しては、広範な人々が大いに意見を言うことは当然として、その決定は当事者にゆだねられるべきものと私は考えている。
その核は、部外者からすれば笑止なことでも、当事者にとっては譲れない部分なのである。大相撲に限らず、すべての伝統に関して言えることだが、当事者はその核を連綿と守り抜き、結束してきたのである。当事者の出した結論を尊重するのが部外者の見識というものだろう。
たとえば歌舞伎の女形宝塚歌劇のあり方に関し、現代の考え方で「男女差別に怒りを覚える。男女平等に舞台に上げよ」という訴えがあったとする。そしてもしも、それが受けいれられたなら、その時点で歌舞伎ではなくなり、宝塚歌劇ではなくなる。伝統文化においてその核となる部分をいじった場合、それはまったく別ものの誕生ということになるだろう。勿論、当事者が容認した場合は問題ない。
私は、今回、大田房江大阪府知事を土俵に上げないとした相撲協会の決定を妥当だと考えている。それは伝統文化の領域であり、現代の男女差別には当たらない。また、「男だけで担う」ことは、大相撲の核を成す部分だと私は考えている。この点について、相撲協会と話したことはないが、ここまで必死に女人禁制を貫こうとするのは、やはりそこを核の一つと考えているからにほかなるまい。
断られた知事は「どうしてなんだという思い」とコメントしているが、私はかくも強硬に土俵にあがりたがる知事に「どうしてなんだという思い」を持っている。何よりも理由に説得力がない。
知事は「21世紀は女性の時代と言われている。(協会が)新しい形を目指すのにいい時期だ」(3月1日付本紙)と述べているが、それでは理由にならない。
伝統文化に「現代」というメスを入れようとするなら、相当な覚悟と明確な理由が必須である。そしてそれ以前に、部外者が伝統文化の「核」に触れることへの畏怖があってしかるべきだろう。それを「新しい形を目指すのにいい時期だ」などと言い切るのは、あまりにも軽くはないか。知事の仕事ではあっても、前述程度の理由でその核となる部分にいじることに恐れを感じないだろうか。断られてもなお、説得力のない理由のもと、「優勝力士にわたしの手で渡したい思いに変わりはない」(3月8日付東京スポーツほか)と言うのは、あまりにも幼くはないか。
ただ、知事のコメントから、協会の回答にも説得力がなかったことはうかがえる。その中で「協会の意向を尊重」して断念した知事の強い不満は当然だろう。
大相撲は1200年の歴史に裏打ちされ、芸能性を持つ伝統競技である。人気低迷が言われる中、変革すべき点は多々ある。変革すべき点と保守すべき点に関しては、慎重な議論が必要だ。大相撲に限らず、伝統文化の何を打ち破り何を守るべきかは冷静に冷徹に考えたいと思う。>・・・・・
先ず最初に言いたいことは、「部外者が伝統文化の「核」に触れることへの畏怖があってしかるべきだろう」と言う程に、大相撲は大層な競技なのだろうか。いくら歴史があるからと言って、それ程にも勿体振らなければならない競技なのだろうか。自分たちをさもたいした人間に見せるために自分たちが関わっている物事を持ち上げる権威主義民族日本人に特有のハコモノ思想からの勿体振りではないか。
それぞれの競技はその競技特有の技術を限定保有している。大相撲に限った話ではない。大相撲に特有の技術とは四十八手の「技」ということになるが、それぞれの競技が面白い・面白くないはその技術(技)の決して固定的に発揮されるわけではない優劣の表現に応じた勝ち負けの争いによって決定される。
いわば勝ち負けを演出する技術(技)の優劣という極めて個人の能力に負うところが大きい。そのことは大鵬や柏戸、千代の富士、貴乃花といった強い力士(=個人)が出現するかしないかで人気が左右されることが証明している。ただそれだけの話である。決して「伝統」が競技の面白さを決定する要因とはなっていない。
野球は明治以降たかだか140年程度の歴史しかないし、プロ野球となると90年そこそこの伝統しか持たないが、その人気が大相撲を遥かに抜いている現状が競技の人気が伝統によって決まるとは限らないことを物語っている。
大体が内館は自らが言っていること自体に矛盾を犯していながら、そのことに何ら気づいていない。
「伝統」なるものが「当時の文化が伝承されているものであり、もとより現代の考え方や様式に合うはずはない。それを『現代』と重ねて変革を望む発想はあまりにも短絡的だ」」と言いながら、その主張に反して、「伝統の数々は継承の途中で、少しずつ形を変えてきている。その時代のままということは不可能に近く、必要に迫られた変革もあれば、外から要求された場合もある」と「伝統」の時代の変化に応じた「変革」性を平然と謳い上げている。
言っていることのどちらが事実なのだろうか。伝統とされる物事が「現代の考え方や様式に合うはずはない」となったなら、どのような形を取ろうとも、後世に受け継がれることはないとしなければならない。「現代の考え方や様式に合う」からこそ、時代の違いに応じた人間の考え方の変化に遭遇しても「伝統の数々は継承の途中で、少しずつ形を変え」ながらも時間や時代を超えて受け継がれていくのである。それが伝統の継承と言うことであろう。当時の姿のままの「伝統」は存在しないはずである。
だからこそ、「伝統の『核』を成す部分の変革」に関しては「当事者にゆだねられるべき」だとする主張を、それが正しい正しくないは別に導き出すことが可能となる。「現代の考え方や様式に合うはずはない」とする無変革を前提とせずに「伝統の変革」を前提としているからだ。
だが、「伝統」が「現代の考え方や様式に合うはずはない」を絶対前提とするなら、特に「『核』を成す部分の変革」となると、現代の「当事者」にしても埒外の立場に置かれることになるはずだが、そうは考えないらしい。時代の変革性を考慮に入れたとしても、「当事者」としたら、逆にどのような「変革」も畏れ多いということになるだろうからである。
内館が言いたいことは、「伝統継承」の「当事者」のみがその変革の資格があり、部外者にはない。「当事者」が「変革」したなら変革したなりに、変革しなければ変革しないままに従え、受け止めよと言うことなのだろうが、矛盾の上に矛盾を重ねた主張を繰返しているに過ぎない。
伝統の変革関与は当事者にのみ許される。「1200年の歴史に裏打ちされ」た「大相撲の伝統」ともなると、それは絶対的当然事項としなければならないと言うのが内館牧子の結論であろう。
「大相撲は1200年の歴史に裏打ちされ」とは何とも勇ましいぶち上げだが、相撲の競技自体のどこに「1200年の歴史」が反映されていると言うのだろうか。塩を撒くにしても、仕切りにしても、横綱の土俵入りにしても、単に受け継ぎ、取り決めた型(=形式)に過ぎない。取り決めた型を役目上真摯に行うだけのことだろう。伝統を意識して行っている者が一人としているのだろうか。
仕切りは取組自体がごく短い時間で決着がつくから、時間を持たせるという意味合いもあるのだろうが、その間、取組力士同士の心理面の戦いが既に始まっていて、それが表情や仕草に何とはなしに現れ、どう勝敗に影響していくか窺うのが面白いと言う向きもある。だが、それは野球も同じで、次打者としてネクストバッターサークルに立ったときから心理面の戦いは始まっているし、バッターボックスに立ってからも、カウント次第で打者の方がプレッシャーとなる場合もあるし、ピッチャーの方がプレッシャーを感じる場合も出て、勝敗を競う競技には常に心理面、あるいは精神面の葛藤は付きものとなっている。相撲だけにある場面ではない。
果して内館が「大相撲は1200年の歴史に裏打ちされ」ていると言う程、大袈裟な伝統・文化を抱えているのだろうか、調べてみた。
3月大阪場所・内館牧子「私の中で引退した人」朝青龍が目出度くも優勝(2)に続く
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