相模原障害者殺傷事件:警察の危機管理に関わる柔軟な想像性を欠い対応を各記事から見る

2016-07-29 11:22:56 | Weblog

 【訂正】昨日の「ブログ」で、〈入院から12日後の3月2日に症状の改善と容疑者本人の反省の言葉を受けて、医師が「他人を傷つける恐れがなくなった」と診断し、県の承認も受けて退院させることになったということは、精神分析を用いたカウンセリングを行ったかどうか不明だが、少なくとも潜在意識下に深く根付かせた抹殺願望ではないと見たことになる〉と書きましたが、緊急措置入院は知事または政令指定市長の行政権限によって行われる強制入院制度ということで、「津久井やまゆり園」は政令指定都市相模原市に所在するゆえに入退院の承認は相模原市長でした。

 訂正しておきました。大変失礼しました。謝罪します。

 先ず2016年7月26日付の「NHK NEWS WEB」記事、「障害者施設殺傷 議長宛ての手紙受け取った経緯を衆議院が説明」から。  

 向大野(むこおおの)衆議院事務総長の記者会見による説明である。

 植松聖は今年(2016年)2月14日の午後3時25分頃議長公邸を訪れて、正門脇のインターフォンを通じて「大島議長宛ての書簡を渡したい」と申し出た。

 議長公邸の職員が応じられないと断ると、植松聖は地面に土下座する等をして、どうしても手渡そうとした。

 公邸職員が不審に思って公邸警備の警察官に対応を依頼したのか、警察官が正門の所に出て職務質問した。

 その職務質問に植松聖が名前を告げたのか、どのような内容の書簡なのか、どう答えたとも記事は何も書いてない。

 警察官の方は職務質問と言うからには名前と住所、手渡そうとしている書簡の内容と目的は肝心なことだから、質問して良さそうなものだが、その日はそのまま立ち去ったとだけ書いてある。

 職務質問したところ、「じゃあいいです」と言って立ち去ったと言うことなら、少なくとも不審者と見て、追いかけて問い質さなければならなかったはずだが、書簡の内容を把握したのは翌日植松が再び公邸を訪れてからだから、何も質問していなかったことになる。

 植松は翌2月15日の午前10時20分頃、衆議院議長公邸を再度訪れ、書簡を手渡そうとした。公邸職員が「手紙は郵送するよう」求めたが、応じず、警備の警察官が公邸の前から移動するよう求めたが、それにも応じない。

 止むを得ず、記事は「衆議院側で対応を協議」と書いてあるが、衆議院の事務局に電話して、事務総長の向大野に対応を尋ねたのかは不明である。

 書簡を受け取ったのは午後0時半頃となっている。

 植松は手紙を渡すと、そのまま立ち去った。

 書簡1通を受け取るのに午前10時20分頃から午後0時半頃まで約2時間もかかっている。

 この生産性、危機管理は素晴らしい。

 単なる不審者の他愛もない意味不明な手紙の内容だったと後で分かったとしても、そうと分かるまでは衆議院議長は国家を与る重要な一員であるのだから、最大限の警戒心を持って対応する危機管理が必要だったはずだ。

 何者なのか。書簡の内容は。何が目的なのか。これらを知って初めて単なる不審者かどうかが判明する。

 受け取った書簡には犯罪を予告するような内容が書かれていたために衆議院の事務局が警察に通報し、提出した。
 
 翌2月16日、時間が書いてないから何時頃か分からないが、警察は衆議院の事務局に、「本人に対しては、『これ以上東京に出向いて、そういうことを起こすな』と厳しく話した。しばらくの間、動静を見守っていく」と連絡を入れた。

 記事は最後に向大野の発言を伝えている。

 向大野「「今回の事件は大変遺憾であるが、衆議院としては、こうした書簡は軽々に扱わず、しっかり対応している。今回も、すぐに大島議長の指示をあおいで警察に連絡しており、適切な対応だったと考えている」――

 警察は植松本人に対して「これ以上東京に出向いて、そういうことを起こすな」と厳しく説諭した。

 と言うことは、警察は衆議院議長公邸に出向いて手紙を直接渡そうとした行為を問題にしたことになる。

 当然、「しばらくの間、動静を見守っていく」という言葉は再び同じ行動を取らないように注意するという意味になる。「決して衆議院議長に再び迷惑をかけるようなことはさせません」と。

 いわば警察の危機管理は植松本人の万が一の同じ行動に向けられていた。

 手紙に書かれていた「障害者総勢470名を抹殺することができます」という言葉に関しても、「私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です」という言葉に関しても、「障害者は不幸を作ることしかできません」という言葉関にしても、更に記してあった決行の方法にしても、万が一にも決して決行されることのない妄想程度の危機管理でしか見ていなかった。

 以上が上記「NHK NEWS WEB」から見た警察の危機管理の程度である。

 警察が衆議院の事務局に「「本人に対しては、『これ以上東京に出向いて、そういうことを起こすな』と厳しく話した」と報告した2月16日から2日後の2月18日に植松が勤務中に同僚職員に「重度の障害者は生きていてもしかたない。安楽死させた方がいい」と発言したことに端を発した施設園長との面談、植松が自分が正しいことを譲らなかったために施設側は翌2月19日に警察に通報。

 警察は植松聖が4日前の2月15日に衆議院議長の公邸で手紙を渡そうとしていたことなどを踏まえ、「他人を傷つける怖れがある」と判断し、市に連絡、市は緊急の措置入院を決めた。

 要するに警察は手紙の内容を最初に見た印象から、「他人を傷つけるおそれがある」と判断したのではなく、だから、再び東京に出向いて衆議院議長に迷惑をかけないように注意することにしたのだが、2月18日の勤務中の発言と重ね合わせて、初めて「他人を傷つける怖れがある」と判断したことになる。

 だが、手紙の内容が障害者という存在に対する抹殺願望で貫かれていることに気づかなかった。単に「傷つける」程度の危機管理で把えていた。

 障害者をこの世から抹殺したいという願望である。警察は、そして措置入院させた病院の医師も、相模原市も障害者施設も、そのような存在抹殺願望を植松本人の中に実際に巣食わせているのか巣食わせていないのか、巣食わせているとしたら、願望の程度はどのくらいなのか知ろうとする、危機管理に関わる想像性を柔軟に巡らせることはしなかった。 

 危機管理とは常に最悪の事態を想定して、想定した最悪の事態に備えることを言う。今回の事件を見ると、特に警察の対応に関して危機管理に関わる想像性を柔軟に持つべきを、持つことができずに欠いたままで推移したように見えて仕方がない。

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