相模原障害者殺傷事件:ヘイトスピーチの存在抹殺願望との共通性、願望でとどまっているか実行したかの違い

2016-07-28 11:12:02 | 政治

 相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」に元職員だった植松聖(さとし・26歳)が7月26日午前2時半過ぎに侵入、入所者19人を殺害し、26人に重軽傷を負わせた事件、各マスコミ記事から、事件に至った経緯を見てみる。

 大学在籍当時、小学校の教師を目指していた。2000年の大学3年生の頃に参加した教育実習時に子どもとのふれあいその他に喜びを感じる様子をネットに書き込んでいたという。

 但し特別支援学級の実習に関しては、「今日は身体障害の人200人ぐらいに囲まれてきたぜ。想像以上に疲れるぜ。みんな頭悪いぜ」と書き込んでいたという。

 実際に小学校教師になって子どもに手こずるようになったなら、障害者に対するのと同様にたちまち嫌悪の対象へと様変わりさせるに違いない。

 ここには自分は障害者に対してどのような教育支援ができるだろうか、生活支援ができるだろうかといった障害者の身になって考える対等意識はなく、自己を絶対的存在者に置いた優劣意識しか見えてこない。

 この精神構造は子どもや障害者等の社会的弱者に対したときに自身を絶対的存在者に位置づけることができる関係性によって成り立っている。

 このことを裏返すと、自身を絶対的存在者に位置づけるためには子どもや障害者等の社会的弱者が必要となる。

 女性に暴力を振るって暴君足り得る男は自身を暴君という絶対者の高みに持ち上げるためには暴力によって屈服させることのできる弱い女性を必要とするようにである。

 しかし植松聖は自らが望んでいた小学校教師にはならなかった。「教員免許採用試験の受け付けがとっくに終わっていたので、ことし教師になれる可能性は0になりました。タハー」とネットに書き込んであるという。

 果たして心の底から教師になることを望んでいたのだろうか。

 大学を卒業して2012に飲料関係の運送会社に勤めた。但し長続きせず、入社約半年後に「介護関係の仕事がしたい」と辞め、同年、障害者施設「津久井やまゆり園」に勤務。

 大学時代の特別支援学級での実習では、「今日は身体障害の人200人ぐらいに囲まれてきたぜ。想像以上に疲れるぜ。みんな頭悪いぜ」と書き込んでいたことと矛盾する行動に見える。

 多分、運送会社の仕事が厭になり、その嫌悪感の強さが障害者に対する嫌悪感の記憶を薄れさせてしまったに違いない。そして就職先として実習で経験した障害者施設関係しか思いつかなかった。

 つまり社会的に広い視野の持ち主ではなかった。広い視野の持ち主ではないから、社会的弱者に対したとき、自己を絶対的存在に位置づけることができる。

 今年(2016年)2月14日、衆議院議長の公邸に出向き、手紙を渡そうとしたが断られたが、翌日再度出かけて、手渡している。内容は障害者に対する抹殺の意志と障害者に対しての安楽死制度の創設となっている。

 4日後の2月18日、勤務中に同僚職員に対して「重度の障害者は生きていてもしかたない。安楽死させたほうがいい」と発言。職員は危険な印象を受けたのだろう、施設園長に報告。園長が面談。植松は「自分の考えは正しい」と主張。

 施設側は障害者を殺す意向があると判断、翌2月19日に警察に通報。警察は植松聖が4日前の2月15日に衆議院議長の公邸で手紙を渡そうとしていたことなどを踏まえ、「他人を傷つけるおそれがある」と判断し、市に連絡、市は緊急の措置入院を決めた。

 但し入院から12日後の3月2日に症状の改善と容疑者本人の反省の言葉を受けて、医師が「他人を傷つける恐れがなくなった」と診断、病院は自治体に「措置入院者の症状消退届」を神奈川県に提出、県知事が書類を見てその内容通りに機械的に判断して承認印を押し、無事退院という運びになったのだろう。

 そして今回の7月26日午前2時半過ぎの犯行である。

 この犯行を防ぐことができなかったどうかの判断は衆議院議長に手渡した手紙ががカギを握っているように思える。

 手紙の全文は共同通信記事を引用したものを「The Huffington Post」が伝えている。部分的に引用する。  

 「私は障害者総勢470名を抹殺することができます。

 常軌を逸する発言であることは重々理解しております。しかし、保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界の為(ため)と思い、居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。

 理由は世界経済の活性化、本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐことができるかもしれないと考えたからです。

 重複障害者に対する命のあり方は未(いま)だに答えが見つかっていない所だと考えました。障害者は不幸を作ることしかできません」――

 以上の文言はナチズムと同じ優生学に基づき、優秀な人間だけを残して国家を存立・維持する必要上、障害者を不要な存在と看做し、不要実現の方法としての抹殺、あるいは安楽死の提唱となっている。

 だから、「重複障害者に対する命のあり方は未(いま)だに答えが見つかっていない所だと考えました」という言葉を成り立たせることができる。

 障害者であっても、生活上の補助・助けは近親者やその他第三者の手を借りるとしても、本質的な「命のあり方」そのものは本能の力や自らのそれなりの知恵を借りて自らがその答を見つけるものである。

 当然、障害者の命の在り方はそれぞれによって微妙に違ってくる。

 それを植松はその答を出すのは第三者の手にかかっていて、第三者が一定の答を見つけなければならない、いわば第三者が一定の命の在り方で括ろうとする僭越な義務感を覗かせている。

 それが抹殺、あるいは安楽死という方法であるが、障害者に対して国家の立場に立って障害者の命を自由に扱おうとする支配意志を見て取ることができる。

 世が世なら、あるいは機会さえ得ることができたなら、ヒトラーにもなり得る人物である。

 そして抹殺の決行の記述に及んでいる。

 「職員の少ない夜勤に決行致します。

 重複障害者が多く在籍している2つの園を標的とします。

 見守り職員は結束バンドで見動き、外部との連絡をとれなくします。

 職員は絶体に傷つけず、速やかに作戦を実行します。

 2つの園260名を抹殺した後は自首します」――

 勿論、これを妄想と解釈することもできる。

 警視庁は植松が衆議院議長宅に手紙を届けた2月15日のうちに住所がある地域を管轄している神奈川県警の津久井警察署に情報提供したと言うが、緊急措置入院の前後の期間、警察の監視下に置いていたわけではないから、妄想と解釈していたのだろう。

 だが、「障害者は不幸を作ることしかできません」からと安楽死を手段としてこの世からの抹殺を望んだり、「私は障害者総勢470名を抹殺することができます」と、障害者の存在そのものを消し去りたい抹殺願望を露骨に見せているのである。

 単なる妄想なのか、潜在意識下に深く根付かせている抹殺願望かどうか、措置入院させたときに精神分析を用いたカウンセリングを行わなかったのだろうか。

 入院から12日後の3月2日に症状の改善と容疑者本人の反省の言葉を受けて、医師が「他人を傷つける恐れがなくなった」と診断し、相模原市の承認も受けて退院させることになったということは、精神分析を用いたカウンセリングを行ったかどうか不明だが、少なくとも潜在意識下に深く根付かせた抹殺願望ではないと見たことになる。

 だから、2週間足らずで退院させることにした。

 もし潜在意識下に深く根付かせた抹殺願望と診断したなら、それを解き放つためのカウンセリングに要する日数は相当なものになるに違いない。

 だが、「総勢470名」、あるいは「2つの園260名」という人数に違いがあるだけで、手紙に書いたのとほぼ同じ決行が行われた。

 障害者に対する安楽死や凶行を手段とした抹殺願望は単なる妄想ではなく、潜在意識下に深く根付かせた病的なものであったことを植松聖自身が証明した。

 要するに植松聖が衆議院議長に手渡そうとして警備に当たっていた警察官に渡していた手紙の内容から読み取ることができる植松本人が抱えている障害者に対する抹殺願望が単なる妄想に過ぎないと解釈し、潜在意識下に深く根付かせた抹殺願望だとは解釈できなかった。

 2016年3月22日のヘイトスピーチ問題を扱った当「ブログ」に、ヘイトスピーチは単なる憎悪表現や人権侵害ではなく、在日朝鮮人全体に対する攻撃的な存在抹殺願望表現であることを書いた。  

 ヘイトスピーチに現れている〈この願望は願望である間はまだ心理面にとどまった攻撃的な抹殺願望でしかないが、願望は常に現実世界に実現させたい衝動をも同時に抱えていることから、願望に潜ませた攻撃性が何かの機会に憎悪をバネとして露出し、実際の攻撃の形を取って存在抹殺行為へと走る危険性を常に背中合わせとしている。〉――

 そして〈この危険性が現実化した関東大震災での朝鮮人虐殺、あるいはナチスドイツのユダヤ人ホロコーストはそれらの規模に無関係に存在抹殺性という点で共通し、両者共にそれぞれの国民の正義として行われた。〉と書いた。

 植松聖は自らの障害者に対する抹殺願望を願望の域にとどまらせずに具体的行動で現実化した。それも自らの正義として。

 ヘイトスピーチは抹殺願望を憎悪表現のレベルでとどまらせているが、社会の状況に応じて関東大震災時の朝鮮人虐殺のようにいつ現実化へと爆発するかその保証はない。

 両者はこの違いがあるのみで、存在抹殺願望という点では極めて共通している。

 緊急措置入院させた病院の医師が植松の抹殺願望を潜在意識下に深く根付かせている病理なのかどうか見抜くことができなかった点も問題だが、手紙を最終局面で受け取った警視庁は願望、あるいは妄想の万が一の現実化を恐れる危機管理に欠けていたのではないのか。

 監視下に置くという行動を一切考えつきもしなかった。

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