自衛の措置としての武力行使の新3要件(2014年7月1日閣議 決定) |
要するに「国家存立」と「国民存立」が「根底から覆される明白な危険」が生じた場合は集団的自衛権行使は容認されるというわけである。この「国民存立」なる概念には日本に関しては日本国憲法が規定している基本的人権、その他の権利に基づいた「国民の生命、自由及び幸福追求の権利」に関わる保障が組み込まれていて、それらを基盤とした「国民存立」であることは断るまでもない。
北朝鮮の国家権力が保障する「国民存立」とは明らかに条件が異なる。
安倍晋三が集団的自衛権行使のケースを説明するとき、常にこの3要件、特に最初の「国家存立」と「国民存立」の危機を条件として持ち出す。
以前ブログに取り上げたが、昨年末の総選挙前の2014年12月1日の日本記者クラブでの発言から、安倍晋三の考えを見てみる。
《日本記者クラブ8党8党首討論会》(2014年12月1日) |
ここに地理的要件が絡んでくる。
「国家存立」と「国民存立」が脅かされたとき、脅かす原因を成している事態の沈静化のために自衛隊はどの地域にまで出動が許されるのか。
これもよく知られていることだが、安倍晋三は一つの例としてペルシャ湾に機雷が敷設されて石油の輸送がストップした場合を3要件に当てはまる事例としている。
同じく2014年12月1日の日本記者クラブでの発言から見てみる。
安倍晋三「これは個別の状況、世界的な状況で判断をしなければいけません。ホルムズ海峡が完全に封鎖をされているという状況になれば、これはもう大変なことになって、油価は相当暴騰するということを考えなければいけないわけでありますし、経済的なパニックが起こる危険性というのは世界的にあるわけでありまして、そこでこの3要件とどう当てはまるかということを判断していくことになります。3要件に当てはまる可能性は私はあるとは思います」 |
ホルムズ海峡がテロ集団や敵対国によって機雷敷設等で完全に封鎖され、石油の輸送がストップした場合は3要件に該当すると発言している。
当然、そういった状況になったとき、自衛隊がホルムズ海峡迄出動して、米軍等と共に、あるいは単独で機雷除去の作業を行い、タンカーの安全な通行を可能としなければならない。
但し安倍晋三は自衛隊を出動させる場合の戦況にも条件をつけている。再度日本記者クラブの発言から見てみる。
安倍晋三「戦闘行為が行われているところに、普通、掃海艇は行きません。掃海艇というのは木でできていますから、そもそも戦闘行為が行われているところに行ったら一発でやられてしまうわけであります。 |
論理立った説明が行われていない。危険な臭いを少しでも消そうとするゴマカシの意識を働かせているから、こういった意味がはっきりしないくどくどしい言い方になるのだろう。
安倍晋三は四つの状況を挙げている。
①「戦闘行為が行われている」状況。
②「停戦が完全に行われている状況」
③「事実上の停戦が行われていても、実際に停戦がなされていない」状況」
④「戦闘行為は殆ど行われていないが、完全な停戦合意は国際条約として結ばれていないという状況。
①の状況の場合は、自衛隊は出動させない。②の状況の場合は自衛隊を出動させる。③の状況の場合は出動させるとも出動させないとも明言せずに、「そういうときのために、事実上、今回閣議決定を行っている、ということであります」と言っている。
明言しないところに誤魔化そうとする意識を見ることができる。
2014年7月1日の閣議決定を見てみる。
《国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について》 http://www.cas.go.jp/jp/gaiyou/jimu/pdf/anpohosei.pdf |
③の「事実上の停戦が行われていても、実際に停戦がなされていない」状況とは、戦闘が現に行われている状況のことだから、「(ア)」の状況に該当させることができるはずである。
そして④の「戦闘行為は殆ど行われていないが、完全な停戦合意は国際条約として結ばれていないという状況」についても明言がないが、「(イ)」の状況に該当させることもができるはずである。
要するに停戦合意が国際条約として結ばれていようがいまいが、戦闘が現在進行形の地域には自衛隊を派遣せず、戦闘が過去形の地域のみか未来形の地域(戦闘が将来発生の可能性のある地域)に派遣する。過去形が覆って現在進行形化した場合は、一時撤退か完全撤退させる。
このことは未来形に関しても同じである。
これらのことを全てひっくるめて言い替えると、自衛隊に戦闘行為をさせないと言っていることになる。戦闘行為の否定である。
安倍晋三はシリアでの邦人拘束を受けて訪問先イスラエルで行った内外記者会見でも、このことを裏付ける発言を行っている。
《安倍晋三内外記者会見》(首相官邸/2015年1月20日) |
「武力行使の目的をもって武装した」自衛隊の派遣は行わない。つまり自衛隊に戦闘行為は行わせないと、自衛隊の戦闘行為を否定している。
であるなら、「国家存立」と「国民存立」が「根底から覆される明白な危険」が生じたとしても、1991年6月5日から9月11日まで行ったペルシャ湾の機雷除去の根拠を自衛隊法の84条の2、「海上自衛隊は、防衛大臣の命を受け、海上における機雷その他の爆発性の危険物の除去及びこれらの処理を行うものとする」の規定に置いて海上自衛隊の通常業務としたように、機雷除去ばかりか、如何なる自衛隊派遣も集団的自衛権行使とは無縁の通常業務とすることができるはずである。
個別的自衛権の発動すら必要ないことになる。
ところが安倍晋三は集団的自衛権の行使が必要だと矛盾した言っている。その例の一つを2014年5月28日の国会答弁から見てみる。
《第186回国会 衆議院予算委員会 第16号》(衆議院) |
集団的自衛権とはある国家が武力攻撃を受けた場合に直接に攻撃を受けていない第三国が協力して共同で防衛を行う国際法上の権利を言う以上、その行使はそのような条件下で武力を行使することを言う。
集団的自衛を目的に地理的制約もなく自衛隊を出動・派遣するということは「武力行使の目的をもって武装した部隊を他国の領土・領海・領空へ派遣する」ということに他ならない。
いわば安倍晋三が憲法違反だと言っていることを行うことを意味する。
そして一方で、安倍晋三は自衛隊の戦闘行為を否定し、尚且つ記者会見で、「武力行使の目的をもって武装した部隊を他国の領土・領海・領空へ派遣する、いわゆる『海外派遣』は、一般に憲法上許されないものと考えており、この考え方には一切変更はありません」と集団的自衛に関わる武力行使を憲法違反だと否定している。
では、何のための安倍晋三の集団的自衛権行使渇望なのだろう。
安倍晋三のこの支離滅裂な論理で成り立たせている集団的自衛権行使容認論に整然とした論理を与えるとしたら、自衛隊の戦闘行為の否定は国民向けの架空の説明に過ぎず、「武力行使の目的をもって武装した部隊を他国の領土・領海・領空へ派遣する、いわゆる『海外派遣』」を実態とした集団的自衛権を想定しているとすることしかできない。